釈徹宗のレビュー一覧
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いや~面白かった。
今まで対談の類はたくさん読んできたけど、これほど対談の素晴らしさを伝えている本はないような気がする。
内田氏に関してはすごいことは知っている。ただ、今回の発見は相手役の釈氏である。ここまで内田氏相手に話せる人はいないんじゃないか。
だいたい内田氏がらみの対談を読むと、ほぼみんな相手の人は内田氏のフィールドに引き込まれていく。相手の専門について話をしていても内田氏のロジックとマジックにつられてしまうのである。
しかしこの釈氏は違った。もちろんこの対談のテーマが釈氏にとってはど真ん中ストライクのテーマだということもあろうが、内田ワールドにひきづられながらも、釈ワールドをしっかり提示しているのである。
内田氏相手に「言ってること全然わかんないな~」みたいなことを言ってるところがあったけど、そんなこといえるのもこの人くらいなんじゃないかな~。 -
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ネタバレ比較を通じて法然・親鸞・一遍という浄土仏教の三祖を学べる本。
タイトルの三者を比較するというだけではなく、他の仏教徒を持ち出して比較しているところも多い。たとえば、法然を痛烈に批判した明恵、親鸞が曇鸞に傾倒したこと、など。こういうのはなかなか勉強できない点なので、参考になった。
法然はそれまでの仏教を脱構築して「二項対立による選択の論理」にとらえなおしたこと、親鸞の改読、一遍は、法然による仏教の「二項対立への組み換え」を中空化・同一化へ回帰させた、などそのほかの点でも勉強になったことが多かった。
現社の授業で話す余裕がないのが惜しい。 -
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#ツナグ100分de名著
\\ おいっ、鬼太郎! //
頭の中でそう呼ぶ声がする。
目玉のおやじ、
ねこ娘
ねずみ男。
異界のキャラクターたちが作り出す、水木しげるの世界観。
その魅力が大いに語られます✧
◇◇◇◇◇◇
【タイトル】別冊 NHK 100分で名著「わが道」の達人水木しげる
【 著者 】釈徹宗/中条省平/ヤマザキマリ/佐野史郎
【 出版社 】NHK出版
◇◇◇◇◇◇
ゲゲゲの鬼太郎。
私が幼き頃、TVアニメとして放映されていて、毎回真ん前でじっと見入っていた。
鬼太郎が“父さん”と呼ぶ声。
茶碗の風呂につかる目玉のおやじ。
厄介事をもってくるねずみ男。
『また、ねずみ男。』と毎度毎度良いことがないのに、懲りもせず悪いことにそそのかされる。
そして鬼太郎が解決してくれる。
そんな身近なヒーローだった。
◇◇◇◇◇◇
ちなみに、
ねずみ男は風呂にすら入らないなまけもので楽をしてカネを設けたい、いい女と寝たい、うまいものをたらふく食いたい、酒を飲みたい…
という人間のあらゆる欲望を肯定するような人物像。「業の肯定」だったのだ。
それを聞いてねずみ男の存在にぽんっ、と手を打つように納得した。
◇◇◇◇◇◇
水木さんは異界との付き合い方を子どもに教えてくれる大人。
水木さんが描く作品からはどれも「境界」というものを強く感じることができる。
見える世界と見えない、生と死、日常と非日常、エロスとタナトスー。
そんな水木さんの世界に子どもたちが惹かれる理由。
それは死は悪いことではないし、ダメだと大人が言う悪事すらも人間の性として否定していない。
ありとあらゆる現象を総括し、人間という生き物のあり方を俯瞰し、フラットにとらえている。
正統派なものばかりに囲まれて、どこか納得のいかない子どもたちにとって、その世界観に惹かれる理由があるのだという。
確かに!!
◇◇◇◇◇◇
また水木さんは戦場体験者。
だからこそ持つ、根源的・現実的ニヒリズムが作品に表れている。
2009年、世界に残すべき作品として「遺産賞」を受賞した『総員玉砕せよ!』もそのひとつ。
人間は結局、無意味に死んでいくものだという根源的なニヒリズム。
常に生と死の境界線上にある戦場という場所の恐ろしいほどのリアリティを感じるとともに、「生きること」と「死ぬこと」を地続きとしてとらえていた水木先生の死生観を垣間見ることができる。
もうひとつのニヒリズムは戦後日本に帰ってはきたけれど、生活は貧乏で苦しいことの連続で絶望しても生きていかなければいけない。現実の中では、食うためにひたすら働き続けるしかない。という現実的なニヒリズム。
この世が無常であることを受け入れ、漂白する感覚。それは異界にも通じる自然への畏怖の感覚と一体をなしている。
人間には到底はかり知れない自然を絶対的なものとして無条件で受け入れることで、その中に溶け込むようにして救われるという感覚とも通じていると言う。
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戦争の悲惨さを伝えるだけじゃない「人間観察記録」という意味合い。
戦争がひどいものだと伝える以前に、まず人間というものは、これほどまでに狂気をはらんでいて、残虐なことをしでかしてしまう存在だということを伝えている。
理想化されていない人間の本質というものに向かい合えればいい。
知りたいことだけ知ればいいー。
それが許される社会になりつつあるが、それだけだと人間はいざという時に自分の足で立って行動できない生き物になってしまうかもしれなから。
水木さんの作品を通して、「知ること」でまた世界は広がっていく。
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他にも、水木さんの作品によく表れている糞便についても興味深い考察がされています。
『のんのんばぁ』『悪魔くん』など有名な作品にも触れられていて、水木さんの魅力が詰まった1冊でした✧
そして久々に鬼太郎に会いたくなりました☆新しい作画になった鬼太郎は一体どんななのかな〜とも新たに「気になる」が増えました♪ -
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ネタバレ熊野が聖地であるというのは何となくは知っていましたが、他の予備知識もないまま、この「聖地巡礼」シリーズ完読を目指して手に取りました。
本筋の巡礼そのものよりも、あちこちで語られる先生お二人の会話の名言や知識が面白かった。
1600〜1660年ほどの60年間が日本文学史上「空白期」、後世に残るような文学的成果が全く何も出ていない(p21)という巡礼本筋とは全く関係ない情報にまずは驚き。
後でこれは何かの文学史年表を確認してみようと思いました。
「8時だヨ!神仏集合」(p22) 吹き出しました。確かにネーミングセンスが(笑)
インドネシア全体はイスラム教なのにバリ島だけがヒンドゥー教というのも知らない情報でした。
近頃自分の住んでいる地域ではインドネシア系の人が増えてきていて、そのうち日本もイスラム教の人口がかなり増えるだろうと私も感じていたところ。
固有の信仰や生活習慣や食文化を持って入ってきた時に、それによって我々の社会がどういうふうに変わっていくのか、どういうふうに新しい宗教集団を受け入れて共生していくのかについてももっと真剣に考えるべきなんです(p174)
イスラム教の土葬の懸念についてもここに書かれていますが、内田先生のご指摘は、もう考えなくてはならない、喫緊と言っても良い状況のように自分も思いました。
改めて奥付を見たら発刊は2015年。
十年以上過ぎてる現状の対応がどうなっているのか気になります。
正しいことでも「正し過ぎる」と災厄をもたらす(略)「 君たちの言ってることは正しい。正しいけれど 、ちょっと手控えてね」というわけのわからない 言い分を通すためには、そういう人間にそこそこの「貫禄」がないとだめなんです(p56)
日本人は知的な負荷に耐えられなくなっている気がします(略)知的作業に関する粘りがなくなってきた(p57)なるほど。
お神輿は皆で担いで祝詞を上げて御魂入れをするとズンと重くなる(p60)ええっ、そうなんだ。さらっと書かれてますが驚き。
お仏壇によく「魂入れ」するとか、お仏壇を引き払う時に「魂抜き」をするなども言いますが、やはりそういう「世界」があるのだろうと。
そういえば人は亡くなったあと体重がすぐ何gだったか軽くなるといいますね。それも魂が抜けるからだという説があったことを思い出しました。
遺体を金属加工に使う話(p137)も驚き。遺体を奪う理由にそんなこともあるとは。事実は分からないらしいけれども伝承として残っていることがまずすごい。
イスラムの人とキリスト教の人が一緒に運営しているモスクかつ教会みたいなものが(トルコに)あるんです(p188)
これは以前読んだ何かの本で自分も知ってました。何ていう本だったか気になります。トルコの人の対日感情がいいのは和歌山県民のおかげ。
そうだったのか。
補陀落渡海って凄い行があるんですね(p207)捨て身行というものは聞いたことがあるけれど補陀落渡海は知らなかった。
わずかに食べ物を積んで屋形船の中に外から板を打ち付けられて閉じ込められて船出し、亡くなるまでお経をそのなかで唱え続ける…恐ろしすぎます。
宗教者が行う行為は凄まじいものがどの宗教にもありますが、これもかなり凄まじい。無理やり渡海させられるお坊さんの話を書いた小説もあるとか。無理矢理だったらなんと残酷な仕打ちだと思います。自分は閉所恐怖症気味なので想像するだけでザワザワします。
巡礼を進めて行くと、あちこちでかなりの階段があって階段を登ったり歩くことに嫌になってきている描写がところどころにそのまま掲載されていて笑ってしまいます。
このシリーズはその時の会話をそのまま載せてるのが面白い。
聖地のそばに世俗的なものが広がるのは、聖地の力を制御して成熟していない人間に「服用可能」な強度にまで抑制する働きを目指しているのでは(p227)
面白い考え方でした。でも内田先生が後書きにその場の霊的なものを感じようとしない人が多い、聖地のシグナルを遮断しているというようなことも書かれています。
聖地に俗なものを配置することが「服用可能な」強度にする目的だったはずかもだけれども、もはや薄めなくても現代人は聖性というものに鈍麻しているかもしれませんね。
(自分もそうかも)
身を置いて初めてわかることってたくさんありますよね(p237)
確かにそう自分も思いました。
これから先、どこにどれだけ行けるか分からないけれど、行きたいところには出来るだけ出かけていきたいと思いました。
とても面白く読みましたが、本筋の熊野巡礼とあまり関係ないところばかり自分には響いてしまったような(笑)面白かったからまぁ良いかな。
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「概念の鍵では「宗教」の扉は開かない。」P306
往復書簡してみてぇーって思った笑
宗教関連のテーマに沿って仏教徒とキリスト教徒がそれぞれ手紙でやり取りする形式になっている。持ち合わせている知識と考え方が非常に深い。そんな感想しか出ない俺が浅い。
結局、宗教は知識として勉強できるような類のものではなくて、それ自身を全身全霊で「生きる」ような飛躍が宗教の語りには必要になる。有無ではなく要不要に関わるから、現代社会のような道具としての宗教は本質を外していて「死せる概念」となってしまっている。イサク奉献のエピソードは、常に宗教観に影響を与えてくれそう。
俺の勘違いは以下の部分。
「宗教は共同体を生み出します。共同体が無くて、完全に個人の枠内にとどまっているのであれば、それは宗教というよりも思想・信条といったところでしょう。」P242
思想・信条を共有したいという思いは、宗教と若干ずれてる気がしてきた。ただ、この思想・信条の実践/もの語る行為の先に、響きに共鳴する、ともに道を歩く人に出会えたりするのかなと。
「たとえ誰かがキリストは真理の埒外にいるという事を僕に証明したとしても、又、事実、真理はキリストの裡(うち)にはないとしても、僕は真理とともにあるより、寧ろキリストと一緒にいたいのです。」P277 -
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僧侶にして宗教学者としても著名な釈先生と、生まれる前からのキリスト者である若松さんが交わした書簡による対話。「話す」「施す」「笑う」など、挙げられたキーワードを宗教的視点で語り合う。
釈先生の書簡に対し若松さんが応えるという形式なので、どうしても後から述べる若松さんの意見のほうが強めに残る。個人的に興味深いと思ったのは「共同体」というテーマだが、いずれのテーマも一度のやり取りで終わる。深める、掘り下げるというところまではいかないのが少し残念。
私が本書で宗教の本質を垣間見たと思ったのは、最後に収録された対面での会話である。釈先生が述べた教え子のエピソードに対して、若松さんが「私たちの生は現世に限定されていないかもしれない」からその先も含めて自分の人生を決める、これこそ世界観であり、それは賭けも含むと返し、さらに釈先生が「賭けである以上、他人に強いてはならない。もの語るしかない」と返す。これは、この2人の会話だからこそ出てきた発言だろう。実に興味深い内容だった。 -
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内田樹篇の平成を振り返るエッセイ集。最初に内田氏が言っているように、自由に書いてもらったので統一感はないが、それぞれの書き手の専門分野に応じて、いろいろな平成の断面が見える。中には内田氏ファンである読み手の存在を忘れているのではないかと思われるものもあったが、総じて興味深く読めた。面白かったのはブレイディ氏の英国的「ガールパワー」と日本的「女子力」が全く真逆の意味になるという指摘だった。前者は、女が、女たちの支持を得て女たちをインスパイアすることだったが、後者は、女が、男たちの支持を得て男たちに愛されてほかの女たちより上に立つことだという、なるほど、双方の国民性の一端を垣間見せてくれている。
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釈徹宗・若松英輔著『宗教の本質』の感想です。
他の著作で目にしたことのあるお二人の新刊を見かけて購入。やはりいいですね。言葉ではうまく表現できませんが、自分の知らない斬新な視点を提示されつつ、なぜか共感できる安心感のようなものを感じます。
マルティン・ブーバーやキルケゴールの受け売りのようですが、自分自身も「宗教の本質は不合理である」というのがしっくり来ます。イサク奉献がその代表。
ちなみに個人的には「科学の本質は再現性である」と思っています。
そう考えると「宗教が常に個人的体験とともにある」とすれば、やはり科学と宗教は本質的に別の世界を対象としているのではないかと思いました。
だからといって対立するものではなく、お互いに補い合って世界を構成している性質のものでしょう。
現実に、この世界には、再現不可能な個人的体験が、無数に転がっているのですから。