釈徹宗のレビュー一覧
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実家の墓のお寺さんが浄土真宗だったのもあり、親鸞聖人のお話は説法に度々出ていたが、親鸞聖人ってどんな人だったの?と調べるには至らず今まで過ごしてきました。
今回、たまたま手に取った、こどもに向けて書かれた仏教の本の著書が釈徹宗さんで、とても解りやすく平たく書いてくれていたので、そこから芋づる式にこの本に出会うことが出来ました。
「宗教を信じていないからこそ感じられるものもあると思う。」私はそう思いこの本を手に取りましたが、やはり無知な為か入り口は狭く、思い込みにより拒絶感が出てしまう…かと思ったのですが、釈徹宗さんの語りはとても読みやすく、理解しやすかったです。親鸞聖人や唯円など、沢山の人物 -
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Callされたと分かるか?
相変わらず切れの良い内田先生の文章・言説を浴びて、気持ちも気分も良くなりながらも、ここで語られている霊性的な呼びかけに実際うまく応えることができるのか幾分不安になる事象は巷に溢れている気はしてます。
確かに不特定多数に向けられた心無く根拠ないアノニマスなメッセージを自分宛と勘違いし、暴走気味に行動するのは論外としても、例えば特定の人物が特定の個人にストーカー的にメッセージを送り続ける行為は果たして何なのか、そもそもたまたまメッセージ量が多すぎる意味のあるストーカー的行為というは存在可能なのか?
という些末な心配はさておき、この歳になっても何かから呼びかけられているは気づきもしない鈍感力を発 -
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かつて戦場で多くの若者がむさぼるように読んだという『歎異抄』。唯円と目される著者が、師である親鸞の思想が間違って流布されているのを文字通り歎(なげ)き、本当はこうなんだと綴ったもの。いわば浄土真宗の聖典である。「善人なおもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」の悪人正機説で知られる第三条は、歴史の教科書で読んだ人も多いだろう。
しかし、浄土真宗の門徒であっても読み通した人は少ないのではないだろうか。分量は大したことはないのだが、なかなか一筋縄ではいかない。だからこそ、古今東西の知識人が『歎異抄』に魅力されてきたのだろう。
かくいう私は仏教徒ではないが、これまでに2度読んでみた。そして2度とも -
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日本の仏教は不思議である。母国語の経典がないのだ(経典の翻訳書はあるが)。仏教経典はサンスクリット語とパーリ語で編纂され、日本に伝わった漢訳仏典はサンスクリット語を訳している。日本仏教は漢訳仏典を母国語に訳することなく、そのまま経典として借用した。しかも、中国語で読むことはせず、日本語読みで読経する。つまり、日本人はおろか、中国人すら聴いても意味がわからないお経をありがたがっていることになる。
まさか読経している当のお坊さんが分かっていないということはないと思うが、檀家の我々からすればちんぷんかんぷんで、呪文と同じである。何だかわからんがありがたいという、宗教としては何とも不思議なあり方であ -
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2020年の8月くらいに書かれた内田樹さん編のアンソロジー。
コロナをへてポストコロナに対しての中高生・大学生
に向けて30代・40代・50代・60代・70代の著作者が
指針というかメッセージ集です。
前書きの内田樹さんの『各代の著作者からの想定読者にたいするいうべき言葉は『ごめんなさい』』という部分は非常に
心に残る内容です。
20人の人からの言葉のなかで、一番よかったなあと思うのが、今回は平川さんでした。
昨年の8月と現在(2021年1月)とはまたフェーズが
変わってきているコロナの状態ですが。
やはりいろいろな矛盾が表出してきているなあと
思います。
たしかに、自分の息子も含めて、若い人 -
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かつて司馬遼太郎さんが、山片蟠桃と並んでその合理的精神を賞賛した富永仲基。とはいえ、『出定後語』という著書は受験知識で知っていても、その中身までは知らない人がほとんどでは? かくいう私もその一人。本書は、そんな知られざる天才・富永仲基の思想がコンパクトにまとめられたお得な一冊だ。
誤解を恐れずに仲基の考えをまとめるならば、ある思想や主張はどんどん上書き保存されていくというもの。そして、時代や場所が変われば語られ方も変わっていくというもの。そこから導き出されたのが、大乗仏教は釈迦が唱えたものではないとする、有名な大乗非仏説である。
これは現代の歴史学はじめ人文系学問に通じる研究姿勢である。こ