釈徹宗のレビュー一覧
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平成元年は1989年、「ベルリンの壁」の撤去が始まった年であり、その後の東西ドイツ統一、ソ連を含めた東側陣営の崩壊、東西冷戦の終結へと向かっていく最初の年であった。また、この年の12月29日には、日経平均株価が38,915円の最高値をつけ、バブル経済の絶頂を迎えている。この年が絶頂であったということは、平成の時代を通じて、日本の経済は停滞あるいは衰退を続けていったということだ。
平成が終わったのは、平成31年、2019年のことだ。昭和が終わり平成が始まったのは、昭和天皇のご崩御によったわけであるが、平成が終わり、令和が始まったのは、平成天皇・明仁天皇が自ら退位の意思を示されたからであった。
平成の30年間というのは、どういう時代だったのか、ということを、内田樹をはじめとする論客たち、白井聡・平田オリザ・鷲田清一・ブレイディみかこ、といった人たちが論じた文章を集めたものが本書である。
内田樹が最初に書いていますが、平成が始まる時にはソ連が崩壊する等とは全く考えていなかったし、その後、プーチンが登場して、再度、強権的な国家に逆戻りする等ということは思いもよらなかった。また、日本の経済の強さが、ここまであっけなく崩壊してしまうとは全く思っていなかったし、それが30年間も現在進行形で続くとは、全く考えていなかった。
読んでみての感想は、ことほどさように、未来を予測することは難しいということである。日本の未来に対しては、今のところ暗い予測しかないが、もしかしたら、それがはずれるかもしれない、という超ネガティブな期待を感じた。 -
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実家の墓のお寺さんが浄土真宗だったのもあり、親鸞聖人のお話は説法に度々出ていたが、親鸞聖人ってどんな人だったの?と調べるには至らず今まで過ごしてきました。
今回、たまたま手に取った、こどもに向けて書かれた仏教の本の著書が釈徹宗さんで、とても解りやすく平たく書いてくれていたので、そこから芋づる式にこの本に出会うことが出来ました。
「宗教を信じていないからこそ感じられるものもあると思う。」私はそう思いこの本を手に取りましたが、やはり無知な為か入り口は狭く、思い込みにより拒絶感が出てしまう…かと思ったのですが、釈徹宗さんの語りはとても読みやすく、理解しやすかったです。親鸞聖人や唯円など、沢山の人物や難しい言葉には注約も付いているので、探り探りゆっくり読むといいと思います。
この本は、浄土真宗の入門書をさらに解りやすくした、歎異抄解説書みたいになっていると思います。すごくオススメです。 -
購入済み
Callされたと分かるか?
相変わらず切れの良い内田先生の文章・言説を浴びて、気持ちも気分も良くなりながらも、ここで語られている霊性的な呼びかけに実際うまく応えることができるのか幾分不安になる事象は巷に溢れている気はしてます。
確かに不特定多数に向けられた心無く根拠ないアノニマスなメッセージを自分宛と勘違いし、暴走気味に行動するのは論外としても、例えば特定の人物が特定の個人にストーカー的にメッセージを送り続ける行為は果たして何なのか、そもそもたまたまメッセージ量が多すぎる意味のあるストーカー的行為というは存在可能なのか?
という些末な心配はさておき、この歳になっても何かから呼びかけられているは気づきもしない鈍感力を発揮し続けている私には大拙先生の言われる大地からの直覚は望むべくもないとは思いますが。 -
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かつて戦場で多くの若者がむさぼるように読んだという『歎異抄』。唯円と目される著者が、師である親鸞の思想が間違って流布されているのを文字通り歎(なげ)き、本当はこうなんだと綴ったもの。いわば浄土真宗の聖典である。「善人なおもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」の悪人正機説で知られる第三条は、歴史の教科書で読んだ人も多いだろう。
しかし、浄土真宗の門徒であっても読み通した人は少ないのではないだろうか。分量は大したことはないのだが、なかなか一筋縄ではいかない。だからこそ、古今東西の知識人が『歎異抄』に魅力されてきたのだろう。
かくいう私は仏教徒ではないが、これまでに2度読んでみた。そして2度ともよく分からなかった。そんな私のような浅学の者にとって、本書のような全訳付きの解説書は実にありがたい。
『歎異抄』には印象的なパートがいくつかある。「念仏を唱えても喜びが湧いてこないのです」と相談してくる唯円に対して、親鸞が「そうなんか。あんなあ、実はわしもやねん」と答える場面。親鸞はそんなことを弟子に言える人だったのだ。親鸞が同じく唯円に「千人殺してくれへん?」と言う場面も忘れ難い。危険な男、親鸞。とどめは「わしは罪深い奴やから、阿弥陀様はわし一人のためにいてはるねん」と言い切る親鸞。すごいな、親鸞。関西弁は私の意訳です、念のため。ここだけ切り取ると妙になるが、もちろん実際には前後にも文章が続き、緊張感があり深い意味がある。その真意は本書で確認してもらいたい。
本書のお陰で少し『歎異抄』の理解が深まった。当然ながら理解し切れたわけではない。釈先生も『歎異抄』は年齢を重ねると読み方が変わる。その時はピンとこなくても、ある時ふと立ち上がってくる言葉があると書かれている。次はどんな風に読むのか、怖くもあり、楽しみでもある。 -
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日本の仏教は不思議である。母国語の経典がないのだ(経典の翻訳書はあるが)。仏教経典はサンスクリット語とパーリ語で編纂され、日本に伝わった漢訳仏典はサンスクリット語を訳している。日本仏教は漢訳仏典を母国語に訳することなく、そのまま経典として借用した。しかも、中国語で読むことはせず、日本語読みで読経する。つまり、日本人はおろか、中国人すら聴いても意味がわからないお経をありがたがっていることになる。
まさか読経している当のお坊さんが分かっていないということはないと思うが、檀家の我々からすればちんぷんかんぷんで、呪文と同じである。何だかわからんがありがたいという、宗教としては何とも不思議なあり方である。
本書は、そのお経をベースに、仏教にアプローチしている。仏教の一般向け解説書としては、お経の内容の解説から入るのはめずらしいように思う。著者は今をときめく釈徹宗先生で、さすがの分かりやすさ。一般向けと侮るなかれ、なかなか深いところまでさらりと書いてある。
おもしろいし、お値段がリーズナブルなところも嬉しい。仏教について、ちょっと学んでみたいという方には絶好の「縁」を提供してくれる。