釈徹宗のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
日本の仏教は不思議である。母国語の経典がないのだ(経典の翻訳書はあるが)。仏教経典はサンスクリット語とパーリ語で編纂され、日本に伝わった漢訳仏典はサンスクリット語を訳している。日本仏教は漢訳仏典を母国語に訳することなく、そのまま経典として借用した。しかも、中国語で読むことはせず、日本語読みで読経する。つまり、日本人はおろか、中国人すら聴いても意味がわからないお経をありがたがっていることになる。
まさか読経している当のお坊さんが分かっていないということはないと思うが、檀家の我々からすればちんぷんかんぷんで、呪文と同じである。何だかわからんがありがたいという、宗教としては何とも不思議なあり方であ -
-
Posted by ブクログ
2020年の8月くらいに書かれた内田樹さん編のアンソロジー。
コロナをへてポストコロナに対しての中高生・大学生
に向けて30代・40代・50代・60代・70代の著作者が
指針というかメッセージ集です。
前書きの内田樹さんの『各代の著作者からの想定読者にたいするいうべき言葉は『ごめんなさい』』という部分は非常に
心に残る内容です。
20人の人からの言葉のなかで、一番よかったなあと思うのが、今回は平川さんでした。
昨年の8月と現在(2021年1月)とはまたフェーズが
変わってきているコロナの状態ですが。
やはりいろいろな矛盾が表出してきているなあと
思います。
たしかに、自分の息子も含めて、若い人 -
Posted by ブクログ
かつて司馬遼太郎さんが、山片蟠桃と並んでその合理的精神を賞賛した富永仲基。とはいえ、『出定後語』という著書は受験知識で知っていても、その中身までは知らない人がほとんどでは? かくいう私もその一人。本書は、そんな知られざる天才・富永仲基の思想がコンパクトにまとめられたお得な一冊だ。
誤解を恐れずに仲基の考えをまとめるならば、ある思想や主張はどんどん上書き保存されていくというもの。そして、時代や場所が変われば語られ方も変わっていくというもの。そこから導き出されたのが、大乗仏教は釈迦が唱えたものではないとする、有名な大乗非仏説である。
これは現代の歴史学はじめ人文系学問に通じる研究姿勢である。こ -
Posted by ブクログ
ネタバレこの本を読んで思うことは、明確な答えを示さないのが仏教なんだなと思います。
ブッダの教えには多くのヒントがあり、また訳や解説も様々です。読むこと、教えられることで何かに気付き、フッと楽になることもあります。
・仏教は“運”という概念に拠らない
・「犀の角のようにただ独り歩め」だけど、仲間がいたら共に歩めという件
・認識と現実のズレに気づき、感情を捨てるということ
・苦手を克服できない人を避難しない、しがらみから逃げようとするんじゃなくて、しがらみに関心を持ち向き合うこと
など役に立ちました。
同じ方向に向かう仲間を見つけるのって難しいですよね。
いつか出会うんだろうと期待せずに独り歩んでい -
-
-
Posted by ブクログ
来月行くので、事前学習。
熊野三山と言えば、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社。
でも、過去に行った時に、なんとなく、熊野速玉大社に違和感を覚えた。
後付けされたような感覚。
それよりも、熊野速玉大社のそばにある神倉神社の方が、強い感じを受けた。
本著で、神倉神社は、速玉大社よりも古く、速玉大社の本宮だと言われていると聞いて、納得。
この本を借りたのも、そこらへんがきっかけ。
他のガイドブックでは、さらっとしか書かれていない神倉神社を大々的に取り上げていたから。
あの階段は、死ぬほど怖い(実際に落ちて亡くなられた方のニュースも何年か前にありましたが)のだが、なぜか、再び訪れたくなる地。 -
Posted by ブクログ
なまじのガイドブック読むより熊野を堪能できる。
熊野って何か大事を果たす前にエネルギーを充填するような土地なんですかね。
大きな困難と向き合う前に行っておくべき地
そこに行くことで生命力が高まる、戦闘力が高まる、そういうことが実感としてあったんだと思うんですよね。
神社仏閣や祭は人間が一定数以上いる場所には絶対に必要。土地にこもっていたり人間が持ち込んでくる邪気を「リリース」「放電」する装置が必要。
子供の頃から自分の死に方のイメージをはっきり持っていて、そこに向かって次第に収斂していくように老いていく、そういう文化があったんじゃないでしょうか。
むしろ、「生と死をつなぐ強烈な通路」を持 -
Posted by ブクログ
維摩経という仏教の考えをもとにした、人間のありかた、生き方の考察が面白い。「自分という枠組みを通して物事を見てはいけない」という知見があるが、それは「枠組み」とはつまり「自分の都合」ということに他ならないわけだ。その「自分の都合」がゆえに苦悩が生まれるのだから、そういったものを捨てれば苦悩から救われるというのが教えの本当に大事なことなのだろうが、そこまで望まなくともそのように「自分」を考えることで、自分自分と言っている自分にたいした根拠などなく、たまたまそういう環境に生まれて育っただけだな、ということに思い至り、自然に楽にはなれる気がする。