釈徹宗のレビュー一覧
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これ実は単行本で別の名前ででていて、あとがきに内田さんが注意しているのに、また、文庫本で買ってしまった。
なんか、宗教の本に惹かれるところに自分の弱さや疲れが感じされるが、あまり自分を責めないでおこう。
内田さんが浄土真宗のお坊さんである釈さんんにいろいろ厳しい質問をして、釈さんが答えるという手紙文のやりとり形式。
内田さんの最後の「釈先生の話をきいていると、本当に日本の仏教っていいなあって気がしてきます。宗教がもたらす美徳があるとしたら、その最大のものは寛容だと思うんですよ。」(p163)
これにつきるな。自分の宗教の中での寛容さだけでなく、その外、他の宗教や無宗教的な人へ -
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剛速球の対話が最後までゆるみなく続く。なんだろう、話されている内容を「理解する」というよりは、すごい試合を観戦しているような気分になった。
縦と横を大きなテーマに据えながら、浄土真宗、禅宗、儒教と道教、神道からさらりと西洋哲学やキリスト教にも足を伸ばし、二人の会話はどんどん広がっていくと同時に緊密になっていく。
あとがきで釈先生が「酔っぱらったような気分になった」と書かれていたが、読者もしばしば酔っぱらう。私自身、酔っぱらってしまったクチだが、あえて「この本を誰に薦めたいか?」と聞かれたら、「宗教ってなんやろう、わけわからん」と思っている人に、と応えたい。 -
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面白かった。最近は専ら映画ではなく読書ばっかりしてるけど、読書のペースをもっと掴めてきたら、同じように映画も毎月何本かずつ観ていきたい。
出てきた映画は全部、Filmarks!に登録したはず。機会に合わせて順番に観たい。そのときまでこの本も置いておこうかな。
面白かったとは書いたけど、一点気になったのはやはり、<女性の視点>。全然ないなと思わざるを得なかった。例えば前半で介護に関連した映画何本もでてきたけど、いつも介護する側は女性でされる側は男性。私からしたらうんざりするほどあまりにもそういう話ばっかりやけど、特にそこへの言及はなかった。後半では、死者を送る儀礼にしても、被災者の方たちが立 -
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ネタバレ巡礼ということで分類では旅ジャンルに入っているんですが自分は宗教かなとそっちに登録。
シリーズ化していて1作目読んでいて、二作目と思って手に取ったらこちらはまさかの三作目でした。
長崎ということで興味津々。
神仏混淆は聞いたことがありますがまさかの神仏デウス混淆(p160)
本書を読むまでキリシタンと呼ばれる人たちがカトリックであると意識したことがなかったので言われてみると確かにそうだなとそんなところから納得。
バスチャンの預言と言うものを読んで信仰の強さの凄まじさのようなもの(うまく表現できません)を感じました。拷問や踏み絵についても別の書籍などでこれまで読んだことはあり、それについても -
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4人の作家がそれぞれ宗教についての学びの深い本を1冊ずつ取りあげて紹介・解説している本。とりわけ各章末の考察欄が非常によい。
「宗教は社会や家庭と対話を重ねながら価値観をすり合わせて共に成熟していくことが重要」
「宗教に対して疑いがあって当然、逆に100%疑いがない方が危うい」
「信仰は信じる・信じないの間で揺れ動くが、離れられないと思った時に本物になっていく」
「論理を超えた妄信があるからこそ宗教と呼ぶ。」
「宗教には体感できる非日常性がなければならない。」
「念仏とは与えられるもの(与格的)であり、自分の無力さに絶望し祈ろうという気さえ起きないようなときに初めて他力が開かれる」
要約する -
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内藤湖南の著書を読み、富永仲基へ。
仏教思想の理解がないと、読み進めるのが難しい。
【加上の理論】 仲基が一切経を流し読んで見抜いたこと、それは仏教が「加上」でできあがってきたということです。加上というのは、言説による思想は先行する言説を媒介にして、そこに新たな思想や主張を加えて進んでいくということを言うのですが、仲基は仏教がまさにこの加上によって構成されてきたというふうに喝破したのです。(松岡正剛)
以下抜粋~
・内藤(湖南)の仲基評の特徴は、「方法論」を高く評価するところにあります。
富永は古来の伝統の説に囚われないで、特別な方法を発見しました。
1「加上」の原則
・仲基の主張は「 -
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釈徹宗さんが歎異抄の全文解説をした本。歎異抄の内容以外にもかなり色んな内容に飛ぶのですこし分かりづらい。
ざっと読んで全部理解できた気はしないけど、なんとなく歎異抄の概要はつかめた気がする
悪人正機の意味としては、そもそも仏教における善悪は一般的な善悪とは違ってて、悟れるかどうかが観点。悟りに至れない私達こそが悪人であり、阿弥陀仏の救いの対象だよって意味で解釈した。
煩悩があってつらいけど、煩悩があるからこそ阿弥陀仏が救ってくれる証拠になる、だから大丈夫って思えるのかな。
あとは、金剛の信心の話。念仏は一回唱えれば救われるのか、たくさん唱えたほうがいいのかって話があったけど、それよりも金 -
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2020年、COVID-19が席巻した世界では次々と社会の歪みが露呈した。そのコロナ期とポストコロナ期に、次世代の若者たちがどう生きるべきかを内田樹をはじめとした様々な年代の言論人たちが語る。
内田さんが声をかけて集まった様々な分野の今をときめく著名人たちがコロナとコロナ後の世界をテーマに執筆しました。内田さんのセレクトだけあってみんなけっこう尖っていて(偏っていて)どれも読み応えのある内容でした。中学生向きということで平易な文章で一編が短いのも読みやすくていいと思います。そしてみんな分野が違うので、コロナ期というものを違う角度から見ているのも面白い。また、分野が違っても結局、多くの著者が今 -
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鎌倉時代。それまでの「悟り型仏教」に対して、「救われ型仏教」である浄土仏教を日本において根付かせ、主流にまで発展させた浄土宗の祖・法然、浄土真宗の祖・親鸞、時宗の祖・一遍の三人の思想を比較検討しながら、その特色を知る内容になっています。
悟り型仏教は、俗世間を離れて修行をし、自分の力で悟りを得て救われようとする仏教です。いわゆる「自力」の考え方です。一方、救われ型仏教は、たとえば法然の言うところであれば、南無阿弥陀仏と唱えることで阿弥陀様が救ってくださる、という「他力」の考え方です。「他力」には修行はいらないのです。阿弥陀様を思って、生涯にわたって念仏を唱えて救いを求める気がありさえすれば(