佐藤愛子のレビュー一覧
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・着物が日常着だった頃の夏は、いまより暑い思いをしていたのでは?
・戦後女性が開放的になってきたのを喜んでいるようでもあり、嘆いているようでもあり。
・今はなくなってしまった「火鉢」「釣瓶」「鍛冶屋」等々。大正生まれの著者と平成生れの孫との会話がはかどらないのはさもありなん。いちいち説明して話しが進まない。
・私にしたって子どもの頃は当たり前だったダイヤル式の黒電話、レコード、豆腐売りのラッパの音などはもう今は昔。
・これから消え行くもの・・・その中に原子力発電は入るだろうか。たとえ原子力発電所がなくなってその存在すら知らない世代が生れても、放射性廃棄物は半永久的に残る。そして彼らは疑問に思う -
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佐藤愛子先生の怒り沸騰!!
それぞれの題目が短い文章なので、手軽に読めるし、面白い。
暇つぶしには最適!
里芋の煮方が分からない若い女性、こどもを叱らない親たち、満員電車の中で長髪をなびかせる鈍感な女性・・・
★人間の魅力について
「多くの人に好かれる人は一般向きの感性の持ち主だともいえるのではないだろうか。個性が強い人は人から好かれる率は低いかもしれない。しかしだからといってその個性を殺して、人に好かれるように努力しなければならないというものではないと私は思っている。」
人に嫌われるよりは好かれた方がいいけれど、
無理して自分を変えてまで好かれる必要もないんですよね。
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日本で、ラップ音や電気器具の故障、物質の移動などの霊的な現象が、これほどしつこく長年に渡ってひとりの人間に繰り返されたのも珍しい。それが著名な作家によってこれほど誠実に、そして詳細に記録された例もなかった。
北海道の山の中腹に山荘を建てた直後からそこや東京の住まいで見舞われた執拗な超常現象とのあくなき戦い。何と26年間の凄まじい霊現象とのかかわりによくぞ堪えてこられたと感嘆する。
心霊現象など信じなかった著者が、恐怖におののきながらも、信頼できる霊能者に助けられつつ、正面からかかわっていく様が、読むものの心を動かす。佐藤家一族の魂を浄化し、佐藤家もかかわりがあったアイヌ民族の怨念を浄化し、 -
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佐藤愛子による、佐藤愛子の一族の話、「血脈」。
シナとの間に二人の娘が生まれてからも、兄弟の悪戯の後始末をし続けなければならない紅緑。自身が流行作家になりつつあっても未だ仕送りを要求する長男ハチロー、口先ばかり達者になり弁は立つが大嘘つきの節、幼い頃に人に預けられ肉親の情を知らずに育った兄弟の中では1番真面目だが無気力の弥、同じく生まれてすぐから父と離れて育ちその場凌ぎは出来るが根気や目標が皆無の久。
紅緑は自らの業や息子達の一生を怒り、その怒りや悲しみややる瀬なさを文字を連ねることで昇華していく。
文中に何度となく紅緑の日記が挟まれてくる。
結局、夫である紅緑に愛情を感じず、愛 -
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佐藤愛子による、佐藤愛子の一族の話、「血脈」。
上巻は愛子が生まれる以前、佐藤紅緑(佐藤洽六)と妻のハルが構成していた佐藤家から始まる。その後、紅緑は女優のシナに傾倒しハルとは離縁。紅緑の葛藤、そして分散していく佐藤家の兄弟を長男であるサトウハチローを中心に描かれていく。
シナに愛されていないと感じるたびに躍起になり強行の末に空回りで自滅していく紅緑と、、紅緑を愛しもせず反抗もせず、無言で観察者に徹するシナとの関係。父と母と自分との関係に折り合いが付けられぬまま其々に崩れていく兄弟の心がテンポよく綴られる。
それでいて実直で豪気な紅緑という人間に惹き付けられざるを得ない。
これは -
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佐藤愛子ってすごいなと改めて思った。
「改めて」というほど読んではないのだけど…笑
もう100歳を超えられましたか!
この往復書簡の頃は94歳。冴えてます。
予言通り、小島慶子夫妻は別れてないし。
小島慶子のしんどさは、本人がカミングアウトされてるようになんらかの拘りのせいなんだろうけれど、倫理観が強すぎてしんどいだろうなと思う。
理屈でなんとかなるってことじゃないんだろうね。
でもそこをまた絶妙な感性で一刀両断する佐藤愛子さんがステキ。
字が大きくてすぐ読めるのは、佐藤愛子さんの著書ならでは。
佐藤さんまだまだお元気でいてほしいです。存在から元気をもらえます。 -
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オビに「すべて成るようにしか成らん。そう思っています」とあり、この文章が本書全体のまとめのようなもの。『幸福の姿』(pp67-73)では、駅の立ち食いそばを啜りながら「人間は誰しも幸福になる権利があるのよ!」と論じる女性への違和感と、幸福とは日常を必死に生きるだけで精一杯のなか無自覚に享受しているものではなかろうか? という問いが投げかけられる。それについてはほぼ賛同なんだけど、『欲望が生みだすもの』(pp102-108)みたいに、野田聖子を例に挙げながら科学の進歩によって人の情が失われていくみたいな雑な論を展開されると、何言ってるのこの人? と思ってしまう。おばあちゃんの雑談に付き合う程度