井上章一のレビュー一覧

  • パンツが見える。 羞恥心の現代史

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    昔、上野千鶴子さんの「スカートの下の劇場」という本を読んだ記憶はあるのですが、内容はすっかり忘れていますw。1955年生まれの井上章一さんの「パンツが見える。」(羞恥心の現代史)、2002.5発行です。パンツが見えて喜ぶのは男性で、見られて恥じらうのは女性。でも50年ほど昔は、パンツはそれほど普及してなくて、チラリと見えるのはパンツではなかったと。百貨店の火災事故から、便所に男女の区別のない時代、女性の立ちション、7年目の浮気、見せる下着・・・、パンツをめぐる感性の興亡、著者10年の思索の結実だそうです!

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    2016年02月10日
  • 増補新版 霊柩車の誕生

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    面白い! 近代化に伴って衰弱していった葬列の聖性。近代的合理主義の象徴である霊柩車の周りには時代に取り残されて崩壊して行った葬具の破片が吸い寄せられて酔狂でエキゾチックな宮型霊柩車が誕生した。森鴎外「ヴィタ・セクスアリス」を彷彿とするお葬式の近代。名著。

    望むなら霊柩車の現代を読んでみたい。昭和天皇の葬列が宮型でもなければ当時珍しい黒塗りの洋型霊柩車であった点。まもなく宮型は忌避されて現在は洋型が主流の昨今、家族葬の隆盛も含めて著者の考察を読んでみたい。

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    2015年09月10日
  • 増補新版 霊柩車の誕生

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    そう言えば最近、街中で見かけないなと軽い気持ちで手にとったのだが、読めば読むほど奥が深い。

    本書『霊柩車の誕生』は1984年に刊行。その後1990年の新版を経て、この度三回目の増補新板となった、知る人ぞ知る名著である。路上から消えゆく今を起点に変遷を辿ると、その誕生をもって”終わりの始まり”を意味していたということがよく分かる。

    霊柩車とは、文字通り遺体をおさめた霊柩を運搬する自動車のことを指す。多くの人がイメージされる霊柩車は、荷台部分が伝統的な和風建築のスタイルで形づくられ、屋根には唐破風がかけられているものであるだろう。これは通常、宮型霊柩車と呼ばれるものである。

    上半身が神社仏閣系の装飾で、下半身は高級乗用車。この組み合わせ、さては名古屋発祥かと思っていたのだが、どうも大阪に起源があるようだ。誕生したのは、大正の終わり頃の話である。(※名古屋説もあり)

    興味深いのは、この組み合わせを良しとした時代背景である。昭和初期の日本では、鉄筋コンクリート造の現代建築に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷の建築様式が流行していた。この帝冠様式と呼ばれるスタイルは、旧様式が解体し新様式が盛りあがる、そのはざまに位置するデザインであったという。そんな時代に、宮型霊柩車は生まれたのだ。

    だが帝冠様式の建築物は、昭和のモダニズムとともに、その多くが姿を消した。それなのに宮型と霊柩車という組み合わせは、なぜ消えなかったのだろうか。一方は弔いという聖性を象徴するものであり、一方は近代化による合理主義の権化のようなもの。かたや日本古来のもので、かたや西洋直輸入のもの。

    そのヒントは、一見別々の文脈の上に成立してきたかのように思える上半身と下半身の相関関係にヒントがありそうだ。これを著者は、明治以降の葬送の移り変わりという文脈の中で、解き明かしていく。形態は機能に従い、機能は慣習に従う。すなわち、弔いという風俗の変遷を抜きにして、霊柩車を語ることはできないのだ。

    明治の葬列は、江戸時代にくらべて全体的に肥大化の傾向がいちじるしかったという。江戸時代にあった身分に応じた「各法」が消滅し、明治以降、葬列は世間に対して見栄をはるための儀式、という性格を強めてきたのである。つまりこの時点で既に、葬式としての聖性など消滅し、世俗化の一途を辿っているのだ。

    だが、大正時代になると様相は一変する。葬列を廃止するケース、あるいは夜間の密葬にするケースなども増えてきたのだ。この要因となったのが、交通機関の発達、路上の混雑、都市圏の拡大といった要素である。これらの変化は、葬列自体を効率よく運用しようという変化を促し、葬列の形態も人間が運ぶ輿→トラックが運ぶ輿→霊柩車へと発展していくのだ。

    それでも、にぎやかな葬列への未練は、大正時代以降も残っていたのだ。また、死体を自動車で運搬するという過激な近代主義にも抵抗はあったのだろう。そこで自動車には、葬列を暗示させるにぎやかな装飾が施されていく。その古風な飾りつけにより、近代主義の行き過ぎを覆い隠し、霊柩自動車の先端性をやわらげることが目論まれていたのだ。

    外部要因としての交通事情と、内部要因としての聖性の喪失。この二つがシンクロし、「効率化」と「スペクタクル化」を併せもつ宮型霊柩車の普及に、一気に拍車がかかる。

    また、宮型霊柩車の普及が、貧民から上・中流階層へと逆流していった点も注目に値する。明治維新によって士農工商という枠組がくずれ、階層間の社会的流動性が高まる。このため大正期には、上流と下流の格差がちぢまり、おしなべて全階層が、下層レベルに同化しようとする風潮があったのだという。宮型霊柩車の普及も、この大衆社会の形成というトレンドと不可分の関係にあるのだろう。

    一方本書では、文庫化にあたっての補筆として、今なぜ宮型霊柩車が消えゆくのかという点にも言及されている。まさに著者の手で、霊柩車自身の弔いを行っているかのような章だ。

    大きな要因としては、葬儀や告別式を自分の家で行う人が減っているということがあげられている。そのため、霊柩車が行き交う道も、葬祭場と火葬場付近へまとめられたのだ。霊柩車と日に何度も出くわす人びとの数は、そのぶん大きく増加することになる。

    特定層への大量リーチという観点から考えると、そのスペクタクルは度を過ぎており、近隣住民に忌み嫌われたということが真相であるようだ。つまり霊柩車には、自分自身の進化が仇となって返ってきたのである。葬列自体の発展過程のなかに、将来の衰弱をひきおこすモーメントが内在していたとは、なんたる運命のいたずらだろうか。

    ヴィークルの移り変わり、それに伴うメッセージの変容、大衆の消滅など、今のメディアを取り巻く状況にも通じるところの多い内容ではないかと思う。そして時代の節目における日本的な”折り合い”の行く末がどうなったのかという意味において、非常に示唆に富む内容である。

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    2013年02月03日
  • パンツが見える。 羞恥心の現代史

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    とにかく奥が深い。
    どんな分野であれ、論文や本を書きたいと思っている人は絶対に読むべき本。
    この姿勢は必ず参考になる。
    なぜ、パンチラが恥ずかしくなったかという歴史なんだけど、学問の奥深さを感じさせてくれる一冊。
    ★10個でも足りないくらい。

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    2011年12月29日
  • 日本に古代はあったのか

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    なかった、というのが筆者の結論。京大アカデミズムの筆者による、東大アカデミズムに対するの怨嗟に満ちていてちょっとうっとおしいが、立論自体はかなり納得させられるものだと思う。

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    2010年11月08日
  • パンツが見える。 羞恥心の現代史

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    1910年代〜現代までの、女性の下着の文化風俗史。「時代が下るにつれ、女性は大胆で開放的、性的に放埒になった」という、あの俗耳になじんだ女性史を覆す洞見に満ちている。

    1950年代以降、女性用下着はズロース(股引、猿股のような下着。詳しくはググってくれ)に代わって、現在のようなパンティが普及した。が、日本では、このカラー展開したオシャレなパンティが娼婦用、浮気用と見なされる度合いが高かったという。下着に「娼婦用」「浮気用」いった自閉的な幻想を抱くようになった女性が、それを見えるてしまうこと(パンチラ)を恥ずかしがる心性が、そこで初めて生まれた。とりもなおさず、このとき初めて、男性にもパンチラを喜ぶ心性が生まれたというわけだ。

    まとめると、

    ①女自身が「派手で、娼婦的な”いけない”パンツをはいている」という過剰なナルシシズムを抱き、
    ②パンツが見えないようにする立ち振る舞い、脚さばきを編み出した。
    ③そうやって隠されたときに初めて、男性の「見たい」という好奇心が刺激され、
    ④「パンチラ」が性的な意味を帯びるようになったと。

    こういう「順序の倒錯」を暴く手法は、鷲田清一の『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫、1996)に似ている。井上章一さんは3冊目だけど、専門外の分野に徒手空拳、果敢に挑んでいく姿が素敵。

    パンチラがありがたがられる今となっては信じがたいが、その昔の女性はパンツも猿股もはいてなかったし、着物が風にあおられて「モロ見え」してしまっても、あんがい平然としていたわけなのだ。「パンチラが多分に時代・文脈依存的だ」ということを暴きだす、井上氏の手並みの確かさに感嘆した次第。

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    2010年11月08日
  • パンツが見える。 羞恥心の現代史

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    「パンツが見えるとなぜそんなにエッチな気分になるのか」という謎に挑んだ意欲作。白木屋事件の真相も解明されます。

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    2009年10月07日
  • ヤマトタケルの日本史 女になった英雄たち

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    世界三大美女の一人として知られる楊貴妃は、熱田神宮の神と結びつけて語られることがある。熱田の神が唐の日本侵攻を防ぐため、楊貴妃に姿を変えて玄宗皇帝を骨抜きにし、日本侵攻への興味を失わせたというのである。もちろん荒唐無稽な話である。しかし、かつての日本人は、こうした話を面白がり、物語として育てていった。
    日本人が楊貴妃に親しみを持つようになった背景には、白楽天の『長恨歌』の影響がある。紫式部も『長恨歌』に強く触発されたことはよく知られている。『長恨歌』では、玄宗皇帝が自ら手にかけた楊貴妃の霊が東方の蓬莱山へ向かったとされる。中国から見た東方にある日本と楊貴妃を結びつける想像力が、やがて熱田神宮の伝承にもつながっていく。
    そして、この物語が語り継がれていく過程で、さらに興味深い結びつきが生まれる。熱田神宮には、ヤマトタケルのものとされる草薙剣が祀られている。そして『古事記』『日本書紀』に登場するヤマトタケルは、女装して熊襲の族長を討った人物として描かれている。いわばヤマトタケルは、日本史における「元祖ハニートラップ」の英雄なのである。そこから、ハニートラップによって玄宗皇帝を籠絡した楊貴妃と、女装によって敵を欺いたヤマトタケルとが重ね合わされ、物語がさらに「盛られて」いく。
    著者はかつて、ヤマトタケルの英雄伝説を中国人留学生に話したところ、「女装して相手を欺き、騙し討ちするような人物を英雄とするなど、中国では考えにくい」という趣旨の意見を聞いたという。このエピソードは、英雄とは何かという文化の違いを考えさせる。
    日本では、英雄が女装することが、必ずしも英雄性を損なうものとして受け取られてこなかった。むしろ、女装や異性装、性別の境界を越える姿が、物語をより面白く、魅力的なものにしてきた側面があるのではないか。
    華奢な体型の牛若丸こと源義経が、屈強な弁慶を打ち負かして家来にする。その義経にも、時代とともに女装の伝説が付け加えられていく。学者や文化人がそのような説を否定しようとしても、庶民の間では物語として面白がられ、語り継がれていく。
    ここで著者が見つめようとしているのは、個々の物語が歴史的事実として真実なのか、妥当なのかということだけではない。むしろ、なぜ日本人はそのような物語を面白がり、受け入れ、さらに新たな物語を付け加えてきたのか。そのような物語を育んできた日本人の想像力や心性そのものに、本書の面白さがあるように思う。
    そう考えると、近年のLGBTQをめぐる問題についても、西洋近代の価値観だけを基準に考えるのではなく、日本文化の中で異性装や性別の境界がどのように受け止められ、物語化されてきたのかを振り返ることには意味があるだろう。それによって、現代の性の多様性をめぐる議論にも、日本文化ならではの歴史的な厚みを加えることができるのではないか。
    ヤマトタケルから楊貴妃、そして牛若丸・義経へ。一見すると荒唐無稽な物語の連鎖をたどりながら、日本人が英雄や性、そして物語そのものをどのように受け止めてきたのかを考えさせてくれる一冊である。

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    2026年09月23日
  • 阪神ファンとダイビング 道頓堀と御堂筋の物語

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    関西を本拠地とするプロ野球球団が優勝すると、ファンへの感謝を表す御堂筋パレードが行われることがある。では、なぜその舞台は御堂筋なのだろうか。
    このパレードを最初に行ったのは南海ホークスだった。ところが、南海は何度もリーグ優勝を果たしているにもかかわらず、御堂筋パレードを行ったのは、宿敵・読売巨人軍を破って日本一になった1959年の一度だけだった。一方、現在、関西を代表する人気球団である阪神タイガースが初めて御堂筋パレードを行ったのは、2003年にリーグ優勝した時である。1985年には21年ぶりのリーグ優勝を果たし、悲願の日本一にも輝いているのに、この時には御堂筋パレードは行われなかった。著者は、これを「行われなかった」のではなく、「行えなかった」のだと考える。
    なぜなのか。
    井上章一氏は、この一見不可解な出来事に、いつものように独特の発想と、時には「妄想」とも呼びたくなるような推論を重ねながら迫っていく。
    そして、もう一つの謎がある。1985年の阪神日本一をきっかけに、優勝に興奮した阪神ファンが道頓堀川へ飛び込む、いわゆる「道頓堀ダイブ」が始まった。なぜ、飛び込む先が道頓堀川だったのか。そして、この行為にどのような意味合いがあり、その後どのように受け継がれ、広がっていったのか。
    著者は、御堂筋と道頓堀という大阪を象徴する二つの場所を軸に、大阪の町の歴史や地理的特徴を掘り起こしながら、プロ野球ファンの行動を題材として大阪文化を論じていく。また、かつて在阪球団が4球団存在した時代の、それぞれの球団をめぐる事情も随所に織り込まれており、往年の関西のプロ野球ファンにとっても興味深い。
    今回も、関西人特有のユーモアに富んだ文体と、既成の見方にとらわれない自由な発想で、身近な「阪神ファン」と「道頓堀ダイブ」から、大阪という都市の歴史や文化を読み解いていく。
    「そんなところから、そこまで考えるのか」と思わせる著者独特の創造性(妄想性?)を楽しみながら、興味深く読み終えることができた一冊である。

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    2026年09月06日
  • 京都ぎらい 官能篇

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    井上先生の斜めからの京都論が好きです。
    これも、しっかりとナナメで楽しい。

    もちろん、京都のことも歴史のこともしっかりとわかります。

    王道ではないところを知りたい方に?オススメです。

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    2026年06月11日
  • 京都ぎらい

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    京都が周辺住民にもたらす葛藤は、また格別。京都ならでははの、街に澱む瘴気を語ることから、話をはじめたい。いい縁談が来なくなった話…「とうとう、山科の男から話があったんや。もう、堪忍してほしいわ」「山科の何があかんのですか」「そやかて、山科なんかいったら、東山が西のほうに見えてしまうやないの」…笑い話でなく真剣に
    「嵯峨の百姓が、よく肥をくみにきてくれた」故杉本秀太郎氏(杉本家)と学生だった筆者の会話から室町時代の南北朝の内乱まで遡るややこしか、こじれた感情が語られる…大原、宇治だってそうだけどねー

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    2026年01月29日
  • 京都ぎらい

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    井上さん、時々テレビで見掛けるけどほぼタメやったんや。そうか嵯峨出身で差別されたんね。すっごく分かるわ。まあ、45年以上になるけど京都府民であっても京都市民にもなったことない私なんかは、もっと相手にされんけどね。すごく納得できる内容でした。京都には観光でしか来ない人には分からんやろうけどね

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    2025年02月24日
  • 京都ぎらい

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    京都嵯峨の子として育ち、洛中の人々から軽く差別された著者が京都人をなじりまくる。東山が西に見える山科出身者を振る女性の話、キャバクラで遊ぶ坊さんの話は笑える。天龍寺を後醍醐天皇鎮魂の寺とする理論は興味深い。軽く読めるエッセイとしてお勧め

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    2025年02月02日
  • 京都ぎらい

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    正直に京都のあるあるが書いてあって、滋賀で暮らしていたこともあり、興味深く読めた。
    なかなか、ここまでざっくばらんに書いてあるものも珍しいと思う。

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    2024年12月07日
  • 明智光秀と細川ガラシャ ──戦国を生きた父娘の虚像と実像

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    細川ガラシャを中心に父・明智光秀を含めた論考4本からなる一冊。史料上に見える実像、ヨーロッパで展開・受容された人物像と近代日本への影響など興味深い内容だった。

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    2024年06月21日
  • 海の向こうでニッポンは

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    <目次>
    第1章  ベトナムから盆栽へ
    第2章  ニッポンからサツマまで
    第3章  音楽七変化
    第4章  悪役レスラーニッポン
    第5章  宗教は世界をめぐる
    第6章  建築がつなぐ世界とニッポン
    第7章  幻想と欲望の日本史
    第8章  ことばとアニメの底力
    第9章  酒と食は海を越え

    <内容>
    『京都嫌い』の井上先生なので、ちょっと心配したが、この人は国際日本文化研究センターの所長だったのだ。世界を駆け巡るのは当たり前。そこでいろんな日本を見てくる、話してくるのは当たり前。物知りだし、知らない話がぞろぞろ出てくる(多分裏をとらないといけないけど…)。

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    2023年07月04日
  • パンツが見える。 羞恥心の現代史

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    長らく和装の生活を送ってきた女性たち。
    急に洋装が取り入れられてもパンツがはかれるようになるまでは、
    時間がかかった。「パンツ」普及に至るまでの時代の流れと、
    感性の変化を多くの資料から考察し、語る。
    1 白木屋ズロース伝説は、こうしてつくられた
    2 パンツをはかなかったころの女たち
    3 ズロースがきらわれたのは、どうしてか
    4 「みだら」な女も、はいていた
    5 パンチラをよろこぶ感情が、めばえるまで
    6 ズロースからパンティへ
    7 くろうと筋からの風俗史
    8 一九五〇年代パンチラ革命説
    主要参考文献有り。

    白木屋ズロース伝説の真相の検証から始まる女性の「パンツ」考。
    洋装が取り入れられても、多くがパンツをはかなかった理由。
    当時の本、雑誌や新聞の記事等を検証、考察し、語りに語る。
    考えてみれば、そもそも和装の歴史が長い日本では、
    女性には下穿きが無く、アソコを隠さない日常があった。
    その後、洋装が取り入れられるにつれ、
    パンツ、ズロース、さるまた、ももひきをはく女性もいたが、
    それは学業や職業のためで、依然多くははかなかった。
    ズロースと、和装の美観維持の相反。
    パンツは窮屈、はき心地が悪い。だが、
    洋装の広がりと布地や縫製の向上もあって、20世紀半ばから
    パンツが広まる。ミニスカートの登場はズロースからパンティーへ。
    そして男性にパンチラを喜ぶ感情が、
    女性にはパンツが見えるのに羞恥心が生まれたという・・・。
    隠されたら見たくなるってことか~。
    多少くどいけれど面白真面目で、楽しめました。
    特に、多くの文芸作品や論評を取り上げ、検証し、
    或いは反駁するのが小気味よくて、面白かったです。

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    2022年11月23日
  • ふんどしニッポン 下着をめぐる魂の風俗史

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    1878年に中央官庁の官員に洋服着用の指示が出て洋装が一般化し始めたが、女性と男性で取り込み方が非常に異なっていた事実を克明に描写しており、とても面白かった.褌の種類として畚(もっこ)、六尺、越中をあげているが、畚は今のビキニショーツそのものだ.1960年代に銭湯で褌姿を見た記憶があるが、今通ってジムでも褌の御仁が数人いる.水泳着として褌が20世紀中葉まで存在していたとの記述があったが、あまり記憶がない.褌姿が一般的でなくなったことは残念なことだが、このような論考が出ることで満足するべきかなと考えた.

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    2022年10月09日
  • ふんどしニッポン 下着をめぐる魂の風俗史

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    和装と洋装の狭間で、褌は如何様に扱われたのか?
    明治期の近代化から現代へ、男性の下着風俗について、語る。
    1 女はあとまわし 2 男が洋服に着がえる時 3 たたかう洋服
    4 およぐ時は、またべつで 5 ジェンダーギャップの別局面
    6 ベルリンに褌はかがいて 7 華族の下半身
    8 女人退散のいでたちに 9 褌の黄昏 10 褌かサルマタか
    11 河をこえて 12 アメリカの影 13 戦争美術の可能性
    14 上着と下着 15 下着の転換期 16 見上げれば、屋根屋の褌
    17 神事では 18 国粋か造反か 19 女にも褌を
    20 海のむこうでは
    文明開化の始まりから、男性の洋装化は浸透していったが、
    「ふんどし」は昭和の時代、戦後まで着用され続けていた。
    それは何故なのか?多くの資料、写真、図版を駆使し、
    男性の下着風俗について、考察し、語る。

    和魂洋才。
    男性は洋装だが、水泳は褌。洋装の下着も褌。
    女性は和装だが、水泳はスイムウエア。
    だが男女交際において、男性の水着も普及するし、
    褌への羞恥心も芽生え始める。
    だが、子どもはパンツでも大人は褌の時代は長く続く。
    褌が日常であった時代。仕事の中の褌姿。
    褌は安い。貧富拘わらず、褌は民族の、和の伝統。
    禊には伝統的な褌を。神事に於いては褌が正装。
    「ふんどし」について、昭和の戦後まで身近だったことに
    ついての考察をあちこち寄り道しながらか語っている印象です。
    海女のふんどしや他民族のふんどしのような下着に関しても
    考察しているのは面白かったけど、全体的にもっと深く
    「ふんどし」について掘り下げて欲しかったなぁ。
    ともあれ、私が考える「ふんどし」は、
    男にとって大事な場所は、守って隠して裸一貫の潔さだと思う。

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    2022年10月02日
  • イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産

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    建築家・京都市美術館館長の青木淳と国際日本文化研究センター所長の井上章一による東京に対する思い。





    コロナウイルスまん延により、オフィスワークの中で、リモートワークが推奨されるようになった。中には都内のオフィス契約を解約して地方に移転する企業も出てきた。




    リモートで仕事できるなら都内にこだわる必要はないし、社員も自分の好きなところで仕事できるからいいだろう。





    しかし、井上は「東京ばなれ」を疑っている。都内にオフィスを構えることのできる会社だと見栄をはれるので、そう簡単になくならないと指摘している。





    明治維新によって新たな建物が作られたことに注目している。それは、三井は東京の兜町に5階建ての施設、海運橋三井組ハウスを1872年に建てた。




    井上はビルの形に注目している。1階と2階は、西洋建築の形だが、3階から5回を見ると天守閣をまねたような塔屋がおかれていたと述べている。




    江戸時代なら許されなかった高さでありデザインだが、新政府に認めさせている。




    三井が江戸幕府から新政府に味方して軍資金を提供したことが大きかった。三井の呼びかけに応じた豪商たちのおかげで討幕軍は江戸まで行けた。






    レガシーになる建築、ならない建築の中で、建築家・黒川紀章が設計の中銀(なかぎん)カプセルタワーを取り上げている。









    こちらは今年の1月に現地で撮った写真。









    カプセルが特徴のビルだが、カプセルはシャフトにボルトでとめられていたので、居住者が自分の都合でこれ取り外して、どこかに持っていくこともできた。まさかの部屋外しの術だ。




    しかし、実際にそうした人はいなかった。作業をするのには人や重機もいるし、そもそも行政が銀座8丁目で許可するか疑問だとも述べている。





    目的が変わると使えなくなってしまうと評している。




    とは言っても、ビルに永遠の命を吹き込んだわけでないので、今まで存在することは黒川にとって想定外の出来事かもしれない。





    建築からいろいろなことが見えてくるなあ。

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    2022年08月20日