【感想・ネタバレ】日本に古代はあったのかのレビュー

あらすじ

中世は鎌倉幕府から、近世は江戸幕府から始まっている。新しい時代がいつも関東から始まるのはなぜか? 教科書で習う「時代区分」に疑問をもち、関東中心史観に陥っている私たちの歴史観に鋭く切り込む。

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Posted by ブクログ

歴史学者ではなく、建築が専門である著者の初歩的な疑問、つまり、外国人から聞かれた法隆寺の建設時の時代区分から出発し、その疑問点を書き綴っていくのだが、関西人であり、京都人である著者のユーモアあふれる書きぶりがとっても面白かった。内容は以下のとおり。
1宮崎市定にさそわれて
2内藤湖南から脈々と
3ソビエトの日本史とマルクス主義
4弥生に神殿はあったのか
5キリスト教と、仏教
6応仁の乱
7鎌倉時代はほんとうに鎌倉の時代だったのか
8江戸から明治の頼朝像
9ゲルマニアになぞらえて
10平泉澄と石母正
11東と西の歴史学
12京都からの中世史
13ライシャワーの封建制
14司馬遼太郎よ、お前もか
15梅棹忠夫のユーラシア

となっている。
歴史と接するとき、如何にバイアス、色眼鏡をかけずに真実に迫れるか、そこがキモであるが、マルクス主義史観、皇国史観、著者の言う「関東史観」、歴史の専門家ではない視点からのお話し、とにかく、読書は楽しいものであります(笑)。
最後に、関西人である、司馬さんも、関東に寝返った(笑)、そして、洛内人である梅棹氏も同罪であるとのお話し、とっても愉快でした。

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2017年03月01日

Posted by ブクログ

なかった、というのが筆者の結論。京大アカデミズムの筆者による、東大アカデミズムに対するの怨嗟に満ちていてちょっとうっとおしいが、立論自体はかなり納得させられるものだと思う。

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2010年11月08日

Posted by ブクログ

今の日本史観は関東中心に作り上げられており、それゆえ大陸の歴史、世界史的区分と不整合を起こしている。史実における東西の勢力関係を再検討すれば、日本に古代がなかったのではないかという疑問が生まれてくる。
以上のようなことがこの本の主張である。戦前日本での古代概念がマルクス主義でいうところの原始と混同されていたことには言及していないなど、通俗的な論にしても多少難のあるものではあるが、戦後日本史批判としては非常に面白い一冊。また、ざっくりとではあるが、戦前日本史の研究史に触れており、渡辺義通と早川二郎の論争、内藤湖南から宮崎への道筋など、重要だがまだ研究が進んでいない側面に光を当てている。
近代日本の思想史をやっている私が考えるに、外部からの視点ゆえというべきか、かなり鋭い指摘である。また、前提知識がなくとも読み物として楽しめる一冊である。

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2013年04月02日

Posted by ブクログ

原勝郎の「東国武士」=「古代へ一撃を加えた革新者」という図式は、

高橋昌明  『武士の成立 武士像の創出』 の冒頭にも批判すべき言説の一例として、掲げてあったことを思い出した。

やはり只者ではなかった宮崎市定!

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2012年06月01日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
私たちの歴史観は、時代区分の位置づけにより大きく左右される。
日本では明治以後、武家の台頭が中世の起点となるが、中国の中世は日本より数世紀先んじている。
一方、西洋には古代がない国もある。
ユーラシアの東端にある列島は世界史のなかにどう位置づけられるのか。
律令制、荘園制、封建制など、さまざまな観点から時代の変わり目を考察し、従来の歴史観にとらわれず、ユーラシア史との関わりのなかで日本史に新たな光をあてる。

[ 目次 ]
宮崎市定にさそわれて
内藤湖南から脈々と
ソビエトの日本史とマルクス主義
弥生に神殿はあったのか
キリスト教と、仏教と
応仁の乱
鎌倉時代はほんとうに鎌倉の時代だったのか
江戸から明治の頼朝像
ゲルマニアになぞらえて
平泉澄と石母田正
東と西に歴史学
京都からの中世史
ライシャワーの封建制
司馬遼太郎よ、お前もか
梅棹忠夫のユーラシア

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[ 参考となる書評 ]

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2010年06月05日

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