井上章一のレビュー一覧

  • 大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた

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     大阪は道頓堀と通天閣の映像から始まるステレオタイプ。大阪市出身のひとりとして常々違和感を覚えているこの現状について、本書は初めてそのあたりに切り込んでみたものだろう。
     大阪は狭い。大阪府も大阪市もきわめて狭い。しかし、そんな土地にあって、また様々な風景に富む場所である。道頓堀も通天閣ももちろんそのひとつであることに間違いはない。
     実のところ大阪はここ数年、またこの先数年、大きな変化の途上にある。ただ、そのことが正しく伝わっていない。そのことだけが問題で、受け手に伝わるように伝えていくことをどうしていくのか、それだけだろう。

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    2019年01月03日
  • 日本史のミカタ

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    神話と伝統、日本国意識など論題はいくつかありますが、天皇家と武士を中心に扱っているイメージです。東京出身と京都出身の教授が論じ合う。

    明治維新の成功は商人たちによる力添えがあったからこそだったと言う論や、豊臣秀吉や徳川家康を対比して家康は秀吉時代より大きな大阪城を建てたけど、大きいだけで派手さがないと評する。
    武力を持たない天皇家が常に生き残る術を探してきたという話は面白かったです。

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    2018年10月14日
  • 日本史のミカタ

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    <目次>
    はじめに  日本史はひとつではない
    序章    ここだけの話
    第1章   神話と統治
    第2章   祭り上げの政治技術
    第3章   武士と武芸の源流
    第4章   「日本国」意識
    第5章   絶対王政・室町幕府
    第6章   朝廷は下剋上で輝く
    第7章   鎖国と米本位制
    第8章   明治維新はブルジョワ革命だった
    終章    日本人と天皇

    <内容>
    最近露出の多い、東大の本郷和人と京都大出身の井上章一(本職は建築史だが、世界史に造詣が深く、『京都ぎらい』で一躍有名に)の日本史対談集。やや暴走気味に歴史の妄想を語る京都史観の井上氏に、東京史観の本郷氏が斬り返す(ただ、後半はかなり押され気味)。井上氏の発想の豊かさに感服し、日本史の常識がたびたび覆されるのが、本書のポイント!

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    2018年10月06日
  • 京都ぎらい 官能篇

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    2018.3rd
    前作が面白かったので、手に取ってみました。
    前作が京都の洛中洛外の対立構図を基本として多様なトピックに触れられていたのに対して、今作では徹頭徹尾京都とエロスの関係性について語られています。
    朝廷政治において性の果たした役割がいかに大きいか!筆者の想像に及ぶ部分は多々あるものの読んでいて面白いかどうかでいうと前作に全く劣らない作品でした。

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    2018年02月27日
  • 京都ぎらい 官能篇

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    著者は京都大学建築学科卒業の教授。
    京都府生まれ。洛中に住む人々を 観察してきた長年の経験。
    ノスタルジーと 知的な頭脳と 還暦すぎてからの 人間への愛着と達観。
    おもしろい!!!

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    2018年01月19日
  • パンツが見える。 羞恥心の現代史

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    「パンツ」をめぐる女性の羞恥心と男の感性の興亡を考証する著者渾身の一作だ。なぜ「パンチラ」に男は萌えるのか? またそれはいつからそうなったのか? 女性は女性で、いつから下着の露出を気にするようになったのか?
    いいねぇ。このテーマにここまで真面目に取り組むこと自体が素晴らしい。

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    2018年01月05日
  • 京女の嘘

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     最近では、「京都ぎらい」(朝日新書)で話題になった日本文がについて幅広い観点から研究している著者の最新書。




     とは言っても京女はあくまでも一例にすぎず、主に美人について論じている。「私見によれば、美人はよく噓をつく。とりわけ、当人自身の美貌をめぐる会話では、いろいろ言葉をつくろいやすい」と言うように、美人に切り込んでいくのが今回のテーマだ。




     京女の話す「かんにん」は、男どもを勘違いさせる強力な武器になりうるそうだ。その一方で関西の男子が「好きや」と言っても東京の女子には通じないことがあると書かれている。威力のすごさを知っているからなのか、首都圏の会社で働く京都出身若いOLは、京都弁を使わないという話を聞かされたとある。女の血糖値並にドロドロした世界に巻き込まれないための生活の知恵かな。




     
     「美人」と「美女」について違いはなると言えばあるが、どちらも「顔の善し悪しで決められる」とある。いくら「性格」、「健康」なんて付けたところでおまけ程度でしかない悲しい現実が横たわっている。




     
     テレビの女性アナウンサーで、ミス何とかと言うコンテスト受賞者が多い。昔の所司代性が見たら驚くことだろう。何しろ、昔は、「高学歴女性は不美人」と言われていた時代があったのだから。明治から大正初期の女子教育界において、女生徒のことを「卒業面」と呼んでいた。その心は、途中で嫁に選ばれて退学することなくス卒業するという、不器量な娘と言うマイナスの意味を含んでいた。今では考えられないことなので驚いた。

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    2017年03月04日
  • 京都ぎらい

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    【2016年20冊目】
    京都を巡るトピックが満載です( ^ω^ )
    京都の人にとって、洛中と洛外でそんなに差があるなんて初めて知りました!
    私は大阪出身なので、京都は割と近いですが、近くて遠いそんな場所ですね。

    古都保存協力税の話は憲法裁判になった事件として知ってましたが、その後の顛末は知らなかったので勉強になりました!

    歴史的な検証の箇所は著者の嵯峨への想いが熱くて、良かった!最後の方は敵が洛中から中央政府にすり替わってましたね(°_°)

    天龍寺は後醍醐天皇(南朝)の鎮魂のための建築物だったのか…
    歴史の知識がすっかり抜け落ちてますが、読むとそれなりに記憶喚起されました!

    薄い本ですが、内容は盛りだくさん!
    あとがきまで新たなトピックを持ってくるあたりは斬新!
    とても、勉強になり、興味深い一冊でした☆

    2020.15th
    再読。☆☆☆
    結局この著者は京都が好きなんでしょうね(^^)
    改めて読むと、南北朝時代から室町時代にかけて、政治機能が嵯峨から室町に移転されるに従って、洛中への洛外に対しての差別(?)意識が生まれた…という著者の仮説は説得力があって面白い。
    あとは前に読んだときにも感じたけど、お寺さんは恐い…(笑)

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    2020年06月16日
  • パンツが見える。 羞恥心の現代史

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    男が覗くから女が隠すのか、女が隠すから男が覗くのか? 「なぜ男はスカートの中を見ることに、これほど興奮するのだろうか」という下世話な謎は、「つい数十年前まで、和装の女性はパンツすら履いていなかったのに」(つまり、覗いたところにパンツがあるというのは、男にとって残念でありこそすれ、喜ぶことではなかったはずなのに)という本格的な疑問へと展開される。井上章一は、当時の京大生にとっては必読書だったものだが、おそらく『美人論』以来、20年振りくらいに読んだ。

    有名な白木屋ズロース伝説(白木屋の火事で、和服を着ていた女性店員たちが、陰部が野次馬に晒されまいとするあまり、命綱を手放して転落死した)を断定的に否定するショッキングな幕開けに始まる本書は、まさに「知の探求は最高の娯楽」を地で行く面白さで、井上章一は本書によって、この問題における第一人者(一人中)としての立場を確立したと言える。

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    2015年04月21日
  • パンツが見える。 羞恥心の現代史

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    タイトルと表紙だけ見ると「引く」タイプの本ですが、非常に真面目に「パンツが見えることに対する女性たちの羞恥心」がいつ頃、どのように作られていったのかについて述べられています。著者が(多少のスケベ心は当然あるにしろ)真剣にこのテーマに取り組んでいるということは、本書で取り上げられている参考文献や新聞記事などが非常に多いことからも分かります。

    女性が下着を日常的に身につけるようになったのは洋装が普及してから、という漠然とした知識はありましたが、その辺は服飾史とかを繙けば簡単に調べられるのでしょう。一方で、羞恥心などといった人の「感覚」に関する歴史は、調べようと思ってもなかなか難しいと思います。その点、注目されにくい(と言うか、特にこのテーマについては注目しても表に出そうと思わない人が恐らく大多数)と思われるテーマを引き合いに出して一冊の本にした著者の気力に脱帽です。

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    2014年05月21日
  • 日本人とキリスト教

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    キリスト教をめぐる「トンデモ学説」を、江戸時代にまで遡って考察。例えば、明治期の「聖徳太子伝説=聖書翻案説」から脱亜論的なナショナリズムを読み取ったり、なかなか面白い論を展開されている。

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    2014年02月27日
  • 日本人とキリスト教

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    近世・近代日本のキリスト教に関する様々な言説を取り上げ、そこから日本におけるキリスト教受容史を考察した書。「空海による景教日本伝来」・「由比正雪キリシタン説」・「キリスト教仏教由来説」等、今日からすると珍説奇説にカテゴライズされるような数々のキリスト教言説を紹介し、そこから日本においてキリスト教がどのように捉えられてきたかを考察する。
    本書は様々な資料を通して、近世・近代の日本のキリスト教解釈を考察することを試みている。本書の中では実際に語られたキリスト教にまつわる種々の珍説奇説が紹介されているが、無知や誤解・時代的制約から生み出されたこれらの言説は、その性質故に当時のキリスト教観を如実に示している。当初「邪教」として反逆や魔術と結び付けられていたキリスト教が、長い禁教時代の中で徐々に知識人層の知的好奇心の対象となり、明治期に入ってからは脱亜入欧的立場から日本と結び付けられるものとなった、という筆者の指摘は興味深い。「~か。」などといった曖昧な末尾が多かったのが少し気になったが、ある文化が異文化をどのように解釈したかに注目した研究として本書は注目されるだろう。

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    2014年02月04日
  • 日本に古代はあったのか

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    今の日本史観は関東中心に作り上げられており、それゆえ大陸の歴史、世界史的区分と不整合を起こしている。史実における東西の勢力関係を再検討すれば、日本に古代がなかったのではないかという疑問が生まれてくる。
    以上のようなことがこの本の主張である。戦前日本での古代概念がマルクス主義でいうところの原始と混同されていたことには言及していないなど、通俗的な論にしても多少難のあるものではあるが、戦後日本史批判としては非常に面白い一冊。また、ざっくりとではあるが、戦前日本史の研究史に触れており、渡辺義通と早川二郎の論争、内藤湖南から宮崎への道筋など、重要だがまだ研究が進んでいない側面に光を当てている。
    近代日本の思想史をやっている私が考えるに、外部からの視点ゆえというべきか、かなり鋭い指摘である。また、前提知識がなくとも読み物として楽しめる一冊である。

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    2013年04月02日
  • 日本に古代はあったのか

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    原勝郎の「東国武士」=「古代へ一撃を加えた革新者」という図式は、

    高橋昌明  『武士の成立 武士像の創出』 の冒頭にも批判すべき言説の一例として、掲げてあったことを思い出した。

    やはり只者ではなかった宮崎市定!

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    2012年06月01日
  • 妄想かもしれない日本の歴史

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    ●:引用

    ●プロ野球の世界に、沢村賞という賞がある。(略)その名は、往年の名投手・沢村栄治に由来する。沢村はプロ野球がまだ職業野球とよばれていた時代に、活躍した。当時の東京巨人軍(現読売ジャイアンツ)で、マウンドをまもったああエースである。(略)戦時下の日本にあって、沢村は三回兵役についている。そして、その三度目に、戦死した。(略)巨人軍はあの戦争で偉大な投手をうしなった。巨人軍もまた、戦争の被害者であると、(略)たしかに、沢村は巨人軍の大エースであった。しかし、三度目の出征命令がきた時には、もうその力をおとしている。投手としては峠をこえ、みかぎられていた。そのため、巨人軍は沢村の解雇に、ふみきっている。(略)現役に未練のあった沢村は、南海軍へ身をよせようとした。(略)南海軍と沢村が、契約をかわしあうところまでいったどうかは,わからない。(略)すくなくとも、巨人軍が沢村を出征前にてばなしていたことは、まちがいない。(略)巨人軍が戦争のおかげでエースをうしなったのでは、けっしてない。(略)南方の海で戦死したのは、巨人軍からすてられたかつてエースなのである。(略)この話に関するかぎり、巨人軍は被害者たりえない。(略)にもかかわらず、たいていの人はこの物語を巨人軍とかかわらせて、思い出す。南海軍を沢村の戦死とつなげて考える人はほとんどいない。(略)けっきょく、こういうことなのだろう。東京巨人軍、読売ジャイアンツは、読売新聞にささえられている。そして、読売とその系列グループには、歴史をつくる力がある。しかし、南海軍、南海ホークスのうしろだてとなった南海電鉄に、その力はない。このちがいが、世間に流通する歴史を大きく左右した。巨人軍をうるわしくかざる話が、まかりとおってきたのはそのためであろう。(略)ここには歴史を考える、そのかぎがひそんでいる。歴史は誰がつくるのか。また、どうしてあるかたよりをもった歴史ばかりが、ひろまってしまうのか。そのからくりを見せてくれるうってつけの事例だと思い、あえてここに披露した。

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    2015年12月10日
  • 日本に古代はあったのか

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    [ 内容 ]
    私たちの歴史観は、時代区分の位置づけにより大きく左右される。
    日本では明治以後、武家の台頭が中世の起点となるが、中国の中世は日本より数世紀先んじている。
    一方、西洋には古代がない国もある。
    ユーラシアの東端にある列島は世界史のなかにどう位置づけられるのか。
    律令制、荘園制、封建制など、さまざまな観点から時代の変わり目を考察し、従来の歴史観にとらわれず、ユーラシア史との関わりのなかで日本史に新たな光をあてる。

    [ 目次 ]
    宮崎市定にさそわれて
    内藤湖南から脈々と
    ソビエトの日本史とマルクス主義
    弥生に神殿はあったのか
    キリスト教と、仏教と
    応仁の乱
    鎌倉時代はほんとうに鎌倉の時代だったのか
    江戸から明治の頼朝像
    ゲルマニアになぞらえて
    平泉澄と石母田正
    東と西に歴史学
    京都からの中世史
    ライシャワーの封建制
    司馬遼太郎よ、お前もか
    梅棹忠夫のユーラシア

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

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    2010年06月05日
  • 京都ぎらい

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    さすがに盛りすぎ。あと漢字が難しかった。
    p54 リオにはキョオトという害虫駆除業者がいる。だからなんやねん
    p66 芸者と芸子は違う
    p70 東洋のハリウッド 太秦
    p106 寸志を包む とは
    p164 伏見には東京の銀座よりも早くできた銀座がある
    p171 西陣は応仁の乱から起因する。西軍がそこにいたことから起因する

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    2026年09月08日
  • 日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか―土足禁止の精神史―(新潮選書)

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    日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか
    ~土足禁止の精神史

    著者:井上章一
    発行:2026年7月25日
    新潮選書

    本書によると、自宅で靴を脱ぐのは、日本、韓国・朝鮮、ミャンマー、イラン(ペルシャ)らしい。西洋はもちろん、中国でも自宅室内においては靴など屋外と同じ履物を履いて生活している。タイトルから想像すると、そんな世界中で数少ない生活様式をなぜ日本人がしているのか、という分析本のように思える。しかし、実際はそういう本ではない。それを期待した人には、こんな本いんちきだ、と言いたくなる。

    実際、前半近くまで、日本を訪れた西洋人は日本の家屋にどう上がったのか、日本人はどう受けとめたのか、ということばかりを、残された絵や文書記録によって著者が分析している内容である。いんちきだ、と言いたくなる。西洋人が日本に来始めた南蛮時代(16世紀)から江戸終盤ぐらいまでを考察しているが、面白くなくて失望したし、投げ出したくもなった。

    前半終わり近くなってくると、明治維新後の話が入ってきて、日本を訪ねてきた西洋人(軍人など)にどう日本人が対処したかということに加え、日本の政治家などが西洋に出かけ、西洋に憧れ、西洋文化や生活様式を取り入れる中で、日本人自身が靴を室内で脱がないという状況も生み出される様子が紹介される。鹿鳴館での様子など、少し面白い現象も読み取れる。

    そして、第二次大戦後、占領下でのことにつながっていく。占領軍の人々は、当然、靴のまま畳に上がろうとすることもあるが、意外にもそれはしないように配慮せよという指導があったことも紹介される。一方で、ハイクラスの人たち、とくに政治家では自宅でも靴履きという生活が流行りもする。

    なお、日本において西洋化が進み、屋内でも靴を履く生活が伝わると、一部で履物を履くことになる。例えば、廊下では履くが、畳の部屋に入る時はそれを脱ぐ、といった様式である。それがスリッパとして定着する前には、草履だったりする。その当たりも絵画や写真などで読み取っていく。
    著者によると、日本、韓国・朝鮮、ミャンマー、イラン以外でも、自宅の室内で靴を脱ぐ生活が広がっているという。

    *******

    19世紀の幕末に来日した欧米の外交官はしばしば日本の城館へ靴であがりこんだが、16世紀に来たルイス・フロイスなど宣教師たちは、そういう強い姿勢をとらなかった。

    日本人は、玄関から家へあがる時に、草履などをすぐ脱ぐことができるが、ヨーロッパの靴は、靴紐をといたり結んだりするのに時間がかかり煩わしい。だから、老中邸にはスリッパでおもむいた。草履なみの外履きとして利用した。

    出島のオランダ人は靴のまま畳を踏むことも、ままあった。畳の上だからといって外履きを嫌悪するような感受性は持ち合わせていなかったが、靴履きで畳の上を歩き回るとすぐ傷むので、スリッパで過ごしたとすればそのせいだろう。彼らは外履きと内履きを強くは区別していなかったから、スリッパも内外兼用の履物だった。

    こういうスリッパの利用法は、西洋に源流がある。しばらくの間は西洋式に外履きとしても使ってきた。室内履きに純化させたのは、20世紀後半以後の日本人だと言うしかない。

    日本人の食生活にテーブルをもたらしたのは中国人たちである。江戸期の長崎には唐人とよばれた人々が大勢やってきて、その数は出島のオランダ人よりずっと多かった。そして、彼らは中国風の会食をそのまま日本に持ち込んだ。

    漂流民となった大黒屋光太夫は1792年に帰国できた。オホーツクから根室に送り届けたのは、ロシアのラックスマンだった。エカテリーナ二世から託され、日本との通商交渉も命じられていた。一行は根室側の要請に従わず、畳に座った日本人の前で椅子を持ち出し、そこへ腰かけた。靴もそのままはき続け、土足で床に上がったようである。

    1811年、松前藩警備部隊は、択捉島などで測量にあたっていたロシア人を捕縛。ディアナ号船長のゴロウニンらであった。ディアナ号に残された部下のリコルドは日本側と交渉、その際、松前奉行に接見するとき、土足で家にはいるのはこの上なく失礼だから靴下だけで入るように言われる。それに対して彼は、正装帯剣でしかも靴なしなどとは承知できない。西洋では靴をはかずに他所へ行のは失礼どころか、この上もない不名誉なことだよ」と手記に書いている。

    ペリー来航に遅れること1月、1853年8月に長崎についたロシアの使節、プチャーチン一行は、事前に接見の礼法を調整しあうなかで、長崎奉行の役人は土足での室内接見を嫌がった。そこで、薄手の麻やキャラコで短靴を縫って、日本室に入る際、靴の上にかぶせることを考えついた。オーバー・シューズ案をひねり出したのだった。

    日米和親条約が結ばれた2年4ヶ月後、日米修好通商条約締結のため、ハリスは1857年12月7日に江戸城を訪れた。老中首座の堀田正睦(まさよし)と会うため。場内の廊下や畳の上を進んだ。奉行や大目付は長袴、ハリスらは西洋史的な儀礼に則って靴をはいた。駕籠から出ると、ハリスの「靴持」は新しい、汚れることのないエナメルの革靴を差し出した。ハリスはそれを穿いた(靴を幕府側が用意したのかヘアス側が用意したのかは不明)。

    同じころ、イギリスのオールコック(駐日総領事)が外交活動。1860年8月に、将軍家茂と体面。靴は上履きの室内用だった。清潔な畳に泥をつけるのはよくない、オールコックは気づいていた。しかし、将軍と靴も履かずに体面するような見苦しいまねはしたくない、という判断だった。

    19世紀後半、西洋人が日本の旅館に食事などで上がるとき、土足のままではだめだとたしなめられた。外交官にも、日本人の屋敷や城を訪問することは、ままあったが、その場合は、たいてい履物のあつかいをめぐり事前に交渉を重ねている。でかけるのは、概ね荘吾におりあいをつけてからであった。玄関でトラブルが発生することはあまりなかっただろう。ただ、公的な外交の場たりえない宿では、いざこざも頻発したにちがいない。

    1947年11月11日に撮影されたシャウプ夫人とその接収住宅の写真には、畳の部屋、床の間の地板の上に靴のまま立っているシャウプ夫人が写っている。シャウプ勧告(税制)で有名なカール・シャウプは夫。

    ボブ・ホープは1950年10月に来日した際、招かれた東京浜町の「御半」という量定に靴を履いたまま畳の部屋に飛び込んだ。その瞬間をとらえた写真が『サン写真新聞』の一面に大きく報じられた。迎えた芸妓たちは彼の足許を見て口あんぐり。

    1932年5月、東京で兄のシドニー・チャップリンと歌舞伎を観劇したチャールズ・チャップリンは、楽屋を訪れて中村吉右衛門(初代)と写真を撮っている。畳敷、シドニーははいていたくつを脱いでいない。チャールズは足許が十分に写っていなくて不明。2人は、自分たちの履物を事前にぬごうとしたが、劇場と吉右衛門がそれをおしとどめたらしい。気にするな、くつのまま上がってくれ、と。

    「戦争花嫁」とは、日本に駐留するアメリカ軍の軍人や軍関係者と結婚した女性。本国へ帰る夫とともに渡米する。アサヒカメラ増刊号(1980年12月号)は、渡米した日本女性の現状(1980年)を伝える特集号。アメリカ流にあわせ、土足を家のなかでも受け入れたケースが結構あるが、この特集号でも、ミサコ・ゴーディーやミツコ・ローリーの場合が紹介されているが、革靴を屋内でもはいている。ただ、どちらも、フォーマルな外履きにはなっていない。つっかけ、あるいはサンダル履きで写真におさまっている。彼女たちは家庭内での靴履きを受容したが、室内履きは軽装ですませている。

    映画「溺れる女」(2017年、イタリア・スペイン合作)では、同性愛女性のマルタとハルは、城館のなかを裸足で歩いた。だが、両者の仲を裂こうとする闖入者は、家の中へ外履きのまま入っていく。靴を脱いだ暮らしは夢のような生活を象徴する。一方、土足でのそれは、西洋における現実を指し示す。映画の製作者は、はっきり意識してそう描いた。

    中国でも近年は様子が変わりだした。20世紀の末ごろから、家では靴を脱ぐ人が増えている。大都市で暮らす一部のマンション住民から始まった。都市部に関するかぎり、今ではそちらの方が多くなっている。状況は欧米ともつうじあう。グローバルな現象なのである。

    百貨店が土足受け入れを始めたが、三越は長い間抵抗しつづけた。外履きの客に商品を売るいとなみは、露天商や夜店のそれを思い起こさせた。由緒ある老舗は、店を道ばたのそれなみにしてしまうふんぎりがなかなかつかない。三越も、1914年まで抗いつづけた。

    土足厳禁の施設は、下駄箱を設けないと履物が処理しきれない。公共性のもとめられる場では、土足を許容したほうが入室しやすくなる。靴のあふれる状態を解消しうる。三越も、この問題で根を上げたのだろう。店舗を大きくし、商品数を増やせば、来店客がいやおうなく増え、下足番の人員も補充しなければならない。収納スペースも拡張を強いられる。

    井上靖「しろばんば」という自伝的小説にそえられた、洋画家・小磯良平の挿絵では、鉄道の座席仲の郎女性だけが、下駄を床におき、脚をたたみながら座っている。1910年代の伊豆辺りが舞台になった小説。

    かつて「お座敷列車」と呼ばれた車両が東北地方で運行された。1960年から。そのさきがけは、名古屋鉄道の「お座敷温泉列車」で、1932年から名古屋と下呂間に通された温泉への直行便だった。車内の半分が畳敷きになっていた。

    敗戦後、都市部のあちこちで、路上に靴磨きが出現した。道ばたへ座り込むその姿を写真(1948年ごろ)で見ると、女性の磨き手はたいてい頭巾を被っている。足許を見ると、彼らの多くは履物を脱いでいる。低姿勢であることをしめす記号的な構えだったのだろう。

    幣原喜重郎は英米との協調を重んじた。幣原外交とはやされたが、軍部や右翼から非難された(満州事変後に外相辞任)。彼は畳の上で靴を履いていた。そこには西洋的な椅子も用意。
    平沼騏一郎は、法務官僚として頭角を現し、1923年に司法大臣に。右翼団体をひきいた国粋主義者。1939年に総理職をつとめ、同年1月に組閣を命じられた彼は、皇居の親任式へ向かうため家を出るさいに、自分で靴を履くところが移された写真がある。玄関のたたきではなく、和室で足先を通している。絨毯こそ敷いてあるが。国粋主義者の彼が、生活面では日本の習慣にそむいていた。その点では、英米協調路線の幣原ともつうじあう。思想信条の違いをこえるエリートの文化が、往時はあった。

    五・一五事件(1932年)では、官邸の日本間、応接用の和室で犬養毅が銃撃された。将校たちはそこへ土足で上がり込んだが、余裕をみせるためだろうか、靴ぐらいは脱げと犬養は言ったらしい。だが、有無を言わさず、彼らは引き金を引いた。

    1868年、日本は政体を改めた。1880年には今のイランへ外交使節を派遣。当時のガジャール朝ペルシアへ、通商の許可をとりつけるため吉田正春らを送り込んでいる。一行は王宮へ出向いたが、ペルシア側は邸内へは靴を脱いでから入れと要請した。だが、日本側は拒絶。国王の前へも、靴を履いたまま進んでいった。自分たちは礼装でここへ来ている。靴をとってしまえば、その正しい姿が保てない、だから靴ははき続ける、と。十数年前までは欧米から同じことを強要されてきた。kンドは、日本がそれをペルシアにおしつけている。日本外交が急速に西洋化したこと物語る。


    ときおり宮内庁から提供される天皇家の家庭生活に関する写真をみると、ロイヤル・ファミリーの日常生活は、屋内までふくめて靴と共にある。その点では、大帝国時代の旧華族らと、生活感を分かち合う。

    ストリーキングの写真が3枚。
    1974年3月15日、六本木。走っているのは欧米系男性、全裸だが靴を履いている。靴下も脱いでいない。本当の意味で全裸ではない。
    1970年9月、名古屋市中区。日本人の青年たち。靴も靴下もつけていない。
    1981年春、原宿。日本人女性。全裸、裸足。

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    2026年09月05日
  • 日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか―土足禁止の精神史―(新潮選書)

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    ネタバレ

    <目次>
    略

    <内容>
    いわゆる比較文化史の本ですね。最初に書いてあるように、書題の疑問は解消しません。つまり「わからなかった」ということになります。ただ江戸期から戦後60年代くらいまでを、さまざまな絵や写真から分析していきます。欧米と日本(韓国やミャンマーも靴脱ぎ文化だそうですが)の違いははっきりしましたが、もう少しその理由を読み解いて欲しかったですね。

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    2026年08月08日
  • 京都ぎらい

    Posted by ブクログ

    京都で生まれ育った著者が「京都ぎらい」を綴るという変わり種の新書。京都市民の中華意識、生臭坊主の生態など、愛着あるが故の不満を漏らしている。

    京都の人は序列意識、差別意識、排他意識が強いと言われがちですが、内から見た具体例を示されると説得力があります。
    私個人が知る京都人に悪い人はいないですが、すべてでは無いにしても傾向としてはあるのかもしれないですね。

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    2026年06月21日