井上章一のレビュー一覧
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最近では、「京都ぎらい」(朝日新書)で話題になった日本文がについて幅広い観点から研究している著者の最新書。
とは言っても京女はあくまでも一例にすぎず、主に美人について論じている。「私見によれば、美人はよく噓をつく。とりわけ、当人自身の美貌をめぐる会話では、いろいろ言葉をつくろいやすい」と言うように、美人に切り込んでいくのが今回のテーマだ。
京女の話す「かんにん」は、男どもを勘違いさせる強力な武器になりうるそうだ。その一方で関西の男子が「好きや」と言っても東京の女子には通じないことがあると書かれている。威力のすごさを知っているからなのか、首都圏の会社で働く京都出身若いOLは -
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【2016年20冊目】
京都を巡るトピックが満載です( ^ω^ )
京都の人にとって、洛中と洛外でそんなに差があるなんて初めて知りました!
私は大阪出身なので、京都は割と近いですが、近くて遠いそんな場所ですね。
古都保存協力税の話は憲法裁判になった事件として知ってましたが、その後の顛末は知らなかったので勉強になりました!
歴史的な検証の箇所は著者の嵯峨への想いが熱くて、良かった!最後の方は敵が洛中から中央政府にすり替わってましたね(°_°)
天龍寺は後醍醐天皇(南朝)の鎮魂のための建築物だったのか…
歴史の知識がすっかり抜け落ちてますが、読むとそれなりに記憶喚起されました!
薄い本です -
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男が覗くから女が隠すのか、女が隠すから男が覗くのか? 「なぜ男はスカートの中を見ることに、これほど興奮するのだろうか」という下世話な謎は、「つい数十年前まで、和装の女性はパンツすら履いていなかったのに」(つまり、覗いたところにパンツがあるというのは、男にとって残念でありこそすれ、喜ぶことではなかったはずなのに)という本格的な疑問へと展開される。井上章一は、当時の京大生にとっては必読書だったものだが、おそらく『美人論』以来、20年振りくらいに読んだ。
有名な白木屋ズロース伝説(白木屋の火事で、和服を着ていた女性店員たちが、陰部が野次馬に晒されまいとするあまり、命綱を手放して転落死した)を断定的 -
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ネタバレタイトルと表紙だけ見ると「引く」タイプの本ですが、非常に真面目に「パンツが見えることに対する女性たちの羞恥心」がいつ頃、どのように作られていったのかについて述べられています。著者が(多少のスケベ心は当然あるにしろ)真剣にこのテーマに取り組んでいるということは、本書で取り上げられている参考文献や新聞記事などが非常に多いことからも分かります。
女性が下着を日常的に身につけるようになったのは洋装が普及してから、という漠然とした知識はありましたが、その辺は服飾史とかを繙けば簡単に調べられるのでしょう。一方で、羞恥心などといった人の「感覚」に関する歴史は、調べようと思ってもなかなか難しいと思います。そ -
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ネタバレ近世・近代日本のキリスト教に関する様々な言説を取り上げ、そこから日本におけるキリスト教受容史を考察した書。「空海による景教日本伝来」・「由比正雪キリシタン説」・「キリスト教仏教由来説」等、今日からすると珍説奇説にカテゴライズされるような数々のキリスト教言説を紹介し、そこから日本においてキリスト教がどのように捉えられてきたかを考察する。
本書は様々な資料を通して、近世・近代の日本のキリスト教解釈を考察することを試みている。本書の中では実際に語られたキリスト教にまつわる種々の珍説奇説が紹介されているが、無知や誤解・時代的制約から生み出されたこれらの言説は、その性質故に当時のキリスト教観を如実に示し -
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今の日本史観は関東中心に作り上げられており、それゆえ大陸の歴史、世界史的区分と不整合を起こしている。史実における東西の勢力関係を再検討すれば、日本に古代がなかったのではないかという疑問が生まれてくる。
以上のようなことがこの本の主張である。戦前日本での古代概念がマルクス主義でいうところの原始と混同されていたことには言及していないなど、通俗的な論にしても多少難のあるものではあるが、戦後日本史批判としては非常に面白い一冊。また、ざっくりとではあるが、戦前日本史の研究史に触れており、渡辺義通と早川二郎の論争、内藤湖南から宮崎への道筋など、重要だがまだ研究が進んでいない側面に光を当てている。
近代日本 -
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●:引用
●プロ野球の世界に、沢村賞という賞がある。(略)その名は、往年の名投手・沢村栄治に由来する。沢村はプロ野球がまだ職業野球とよばれていた時代に、活躍した。当時の東京巨人軍(現読売ジャイアンツ)で、マウンドをまもったああエースである。(略)戦時下の日本にあって、沢村は三回兵役についている。そして、その三度目に、戦死した。(略)巨人軍はあの戦争で偉大な投手をうしなった。巨人軍もまた、戦争の被害者であると、(略)たしかに、沢村は巨人軍の大エースであった。しかし、三度目の出征命令がきた時には、もうその力をおとしている。投手としては峠をこえ、みかぎられていた。そのため、巨人軍は沢村の解雇に、ふ -
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[ 内容 ]
私たちの歴史観は、時代区分の位置づけにより大きく左右される。
日本では明治以後、武家の台頭が中世の起点となるが、中国の中世は日本より数世紀先んじている。
一方、西洋には古代がない国もある。
ユーラシアの東端にある列島は世界史のなかにどう位置づけられるのか。
律令制、荘園制、封建制など、さまざまな観点から時代の変わり目を考察し、従来の歴史観にとらわれず、ユーラシア史との関わりのなかで日本史に新たな光をあてる。
[ 目次 ]
宮崎市定にさそわれて
内藤湖南から脈々と
ソビエトの日本史とマルクス主義
弥生に神殿はあったのか
キリスト教と、仏教と
応仁の乱
鎌倉時代はほんとうに鎌倉の時 -
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女性と会話したい欲求を解消すべく、まるで生物界の擬態のように「ネカマ」という存在があった。しかし、この存在も完全に「異性」に向けたものから、擬似的に女性に変身してみたいという「自己欲求充足」的なアバター、性自認を実現した「同性愛」を目的としたものなど実際には混在している。
リアルな世界に登場してきたコスプレとも混ざったサブカルチャーが「男の娘(こ)」だろうか。本書が取り扱うのは「騙し討ち」のための変装だ。しかし、その行為にどこか「自己欲求充足」を感じてしまうのは、なり手が綺麗な外見だと言われているからだろう。あるいは、人間は潜在的にも異性への変身願望をもつのかも知れない。まんざらでもない、感 -
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ふんどしの近代史を風俗写真などから読み解いている。主に述べられているのは、近代になり男性の間では洋服を着るのがわりと一般的になっても、下着はふんどしという時代が1950年代くらいまでは続いていたこと。男性のふんどしは日本(男児)の魂を表すシンボリックな存在という位置づけだったのではないか。一方、女性のほうが和装から洋装に変化した時期は遅かったけど水着やズロースといった洋ものに移行した早かったようだといったこと。
何か決定的なふんどしの歴史を明かしてくれるのかと思いきや風俗写真をネタに考えや想像をめぐらす止まりという感じ。まあ、ふんどしが単なる下着ではない神聖なる存在らしきことは理解した。