井上章一のレビュー一覧
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日本は戦後、利便性・個人の願望ばかりを追い求めて建築の美、都市景観を壊してきたという筆者の意見。
都内在住の人間として、街並みの汚さは感じるところがあるので納得。
パリを訪れた時も、繁華街であっても昔ながらの美しい街並みに驚いた。
日本はごちゃごちゃとして一つ一つの看板、広告も視覚的にうるさい。
都内では細長いペンシルハウス隣の住宅とほとんど隙間なく立ち並び、不動産の高騰から住宅の狭小化が止まらない。そんななかでも豊かな生活を求めて日本人は設計事務所に依頼をする。
一般人が小さな住宅に対して建築家に設計を求めることは世界では珍しいと書かれていた。
おそらく世界から見たら、庶民が狭小住宅に建築 -
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はじめに ではこんな文章がある。教科書で学ぶ歴史は「歴史のココを見ろ」と指定されたミカタ。ちょっと大人になって司馬遼太郎などの歴史小説を読むのは「団体バスツアー」の歴史のミカタ。歴史の本当のおもしろさはある程度歴史知識ができた時点で、大人の人生経験をもとに、自分のみたい歴史の部分を「自分のミカタ」で見るところにある。
井上章一と磯田道史の対談の本だったが、楽しく読めた。
日本は中継ぎとはいえ、女帝が多い(8人10代)というのは意外だった。
本当にさまざまな観点から歴史は捉えられるんだなと、いうのが感想。ただ、やっぱり対談形式は内容が薄い気がしてしまう。 -
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西洋を舞台にする小説を著する佐藤賢一と、国際日本文化研究センター教授の井上章一による対談方式の本。
まだまだ個人的には世界史的視点は、乏しいところであるが、二人の軽妙な語り口に、面白味と首肯けるところが多々あった。
話は神話から現代までと守備範囲は広く、特に第二章の、遊牧民という世界史に与えた影響、インパクトについては、今日の研究で少しずつ浮き出されつつあるも、一般的にはまだまだ西洋史と東洋史が主流なため、そういった異なった俯瞰はとても興味深かった。
果たして現代について、過去から学んでどのようにそれを活かせられるのか。結局は過去を学ぶことでしかそこに解決策を見出せないのか。それは一朝 -
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海外、特にイタリアと日本の都市の建築物を比較して日本人の景観に関する価値観について批判する本。エッセイ風で手軽に読める。「海外では」という論調になりがちなのと、読む人によっては不快な思いをするかも、とあらかじめ断わりながら書かれている。
言われてみれば、日本の建築は海外と比べて「昔からの建築様式」を捨て去り、逆に昔ながらの建物にはイベント性も伴うような懐かしさを感じてしまう。著者は日本の建築行政は安全性には事細かだが景観や文化の継承に関しては無頓着だと批判している。
お堅い話しばかりではなく、薬局の店頭のマスコットキャラ、日本独自のものらしいKFCのサンダースおじさん、ラブホテルの建築様式 -
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ネタバレあくまでネタとしてではあるが、京都の人は気位が高く、底意地が悪くて、排他的…というイメージがある。テレビでも他府県の人、特に大阪、滋賀あたりをバカにする演出を映像で良く見るし、その中では他府県の人側も「せやから京都は…」と対立構造を作ってネタにする。
この本も、その手のよくある「だから京都は…」的ネタ本だが、なんで学術系の親書で出したのだろう?これってミーツ当たりのエッセイで読み、量がまとまったら、しりあがり寿あたりのイラスト満載で薄手の単行本で出す類じゃないのかな?
本の体裁があるんで、文中によく出てくる「私の思い込みだが」的な記述に、そこを掘り下げてから書けよ!と思ってしまう。京都文化 -
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洛中洛外差別は現在も本当にあります。と、声を大にして言いたい。京都府民全員の共通認識ではないだろうけれど。私が出会った差別は前職のお局から受け、彼女は右京区出身だった。彼女に限らず選民意識が強い人が多く、住んでいる地域は言うに及ばず血液型から容姿まで(太ってるか痩せてるか)何かにつけて優劣つけたがる人が集まる会社だった。彼らも昔差別に遭遇し、その優越感や味わった悔しい気持ちから、また差別が連鎖していくシステムに組み込まれたように思う。まぁ、私は京都市にも属さない地域在住だが。
ゆえに差別に遭う可能性を少しでも減らすため、洛中の家族経営の中小企業や個人商店には二度と就職しないと決めている。も -
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京都市ではあるけれども「洛外」の嵯峨に育ち、現在は宇治に暮らしている著者が、「洛中」の人びとの差別意識に対するルサンチマンをみずから笑いながら、京都について語っている本です。
国立民族学博物館には日本全国の方言で「桃太郎」を語る音声が流される装置があり、「京都府京都市」の音声は西陣出身で民博初代館長の梅棹忠夫本人の声が録音されています。梅棹の評伝などでもこのことは触れられており、京都生まれである梅棹の自意識が指摘されているのですが、著者は「全国の方言がまんべんなく録音されたこの装置に接し、多くの来館者は思うだろう。お国言葉に優劣をつけない、公平かつ民主的なしかけであると。猫をかぶったとしか言