平野啓一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
全4巻、やっと読み終わった。去年の秋くらいから読み始め、ゆっくり併読しながら読み進めていった。
ドラクロワとショパンが邂逅するフランスを描いた重厚な大作だった。この二人を中心に様々な人が登場し、それを通して二人の天才の姿、芸術が語られる。僕の中では、トルストイの小説のような手触りに似ている。トルストイはロシア文学だが、似ていると思ったのは、狙ったと思われる古めかしさだけではなく、きっとその当時の国の姿、そこで生きる人々の姿が、主人公達の強い輝きとともに生き生きと語られていたからだろう。
最も素晴らしかったのは、ショパンの演奏会のシーン、ドラクロワの天井画のシーン。それぞれ、聴覚と視覚、別個の芸術を言葉で描き切ってくれた。
これだけの大作だからこそ、読み終わった時に強く感じるものがある。終盤にショパンが亡くなった事での不在と、現代にも残ったショパンの楽曲の不思議なコントラストで、この話はフィクションなはずなのに、実際にあった不在として感じてしまう。 -
Posted by ブクログ
芥川賞作家・平野啓一郎氏による時事に関するエッセイです。この本を読んでいてとき、狂牛病の話が九州であって、 平野氏はそれより先にこの話題を書いていた箇所を読んで 平野氏の先見の鋭さに驚いたことがあります。
実のところを申し上げますと、僕が平野啓一郎氏の一連の作品を読もうと思ったのは、ツイッターで平野氏に送ったメッセージになんと、平野氏ご本人から返事を貰ったからという実に単純な理由からでした。でも、高校時代に『日蝕』で挫折して以来、彼が文句なしの天才なことは分かっているのですが、正直言ってどうもとっつきにくかったので、小説はともかくとしてエッセイからまずは始めてみようと思って手にとって読んでみたのがこの本でありました。
ここで取り上げられている主な事象は、狂牛病や9・11や荒れる成人式やロボット犬のアイボなどのことを『あぁ、こんなことあったなぁ』と思いながら読んでいると、衝撃的な写真が目に飛び込んできました。それは、2000年にイギリスで発生した口蹄疫についての写真で、殺処分された牛がクレーンで吊り上げられているものでありました。
その傍には蹄を上に向けて並べられている牛の屍骸がありました。おそらく、これから埋設されるのだろう。うろ覚えで申し訳ないのですが、こういう結びだったと思います。『飛行機や船が行きかっているのだから、こういうものだって「輸入」されることは十分にありうる。だから決してこの問題は「対岸の火事」ではないんだ』と。
僕はここを読んでびっくりしました。平野氏がこういうことを既に予期していたのだということに。その後、宮崎県では口蹄疫が蔓延していたころに他の県にまで飛び火するかもしれない、といわれていたことが発生し、いまさらながらのようにこれを書いていて思い出されてきました。僕は平野氏のような透徹したまなざしを持つことはできないのだと痛感しつつ、平野氏のつむぐ『言葉』には謙虚な気持ちでこれからも耳を傾けていきたい、と思っているのです。 -
Posted by ブクログ
★★★★= 80~100点 = I like it.
インターネットが人間に与える影響を考えさせられる本です。
こんな人に特にオススメ
・ネットなしの生活には戻れない人
以下、本の内容に触れます(ネタバレあり注意!)。
内容
「ウェブ進化論」の梅田望夫と「決壊」の平野啓一郎の
ネット社会をテーマにした対談。
感想
本書に出てくる「ネットは増幅器」とは、
インターネットの特性を見事に表現した言葉だと思います。
ネットを使えば、自分の興味のある分野に、
どこまでも詳しくなることができるような、
知の増幅器としての機能。
スーザン・ボイルに見られるように、
人の感動が、さらに大きな感動を産む、
感情の増幅器としての機能。
チュニジアから始まった草の根革命の灯が、
世界の独裁国家の歴史をひっくりかえしている、
行動の増幅器としての機能。
これからの私たちは、
その「増幅器」の扱い方で、
人生の多くが決まってしまう可能性があります。
ということで、「増幅器」の扱い方を学ぶ意味で、
読んで損のない一冊です。 -
Posted by ブクログ
この巻で主に語られているのはサンド夫人の娘・ソランジュの結婚をめぐる一連の騒動で、それに引っ張られてどんどん読み進めることができたんだけど、読み終わって印象に残るのはやっぱりドラクロワの煩悶だったりします。
ようやく完成した議員図書室の天井画とそれを見るドラクロワの描写で第一部が完結するからかも知れないですが(しかしこの天井画、ほんとうに見たい……!)
作中ドラクロワは仕事をするためにアトリエへ行くことへの「抵抗」を、単なる「怠け癖」ではなく「時間の問題」ではないか、というようなことを考え続けていて、最後に完成した天井画の下で「奪われたのは享楽の時ばかりではなかった。彼の生の時そのものであった。そして、削り取られたその痕跡を、画家はただ自分を見捨てゆくもう一つの生の、彼の不在の未来に於る持続を夢見ることによってのみ慰めねばならな」いことに呆然とするのですが、確かにひとりの人間が生きている現在をそれこそ食い潰すほど膨大に費やさなければ芸術は生まれず、あらためて残酷なものだと思いました。
百年後のドラクロワの評価を知っているし、彼の絵を見てのんきに感動していたので感慨深く読みました。「自分だけが置き去りにされてゆく。今こうして家の中に取り残されているように、この十九世紀という時代の中に。そして彼ばかりが、自分から離れてずっとあとの時代にまで生き残っていく」という愛人・フォルジェ男爵夫人の嘆きもせつない。
ジョルジュ・サンドは支離滅裂なくらい感情的に描かれていて、ショパンとの関係が破綻する経緯も一方的にショパンに同情するしかないような感じなのですが、……それでも私はサンド夫人がショパンの何を煙たく思うのかちょっとわかるような気がするなあ。
ショパンを「現実には目を背け、何時も夢のような考えで頭をいっぱいにしている」としか理解しなかった彼女こそが世間知らずのお嬢様で、現実認識ができていなかったのは全くその通りなんですが。
ところでこの小説、どこまでが創作なのか気になります。 -
Posted by ブクログ
襟を正して読んでいた長編がようやく読み終わった。
昨今主流のストーリィを追いかけ、言葉を読み飛ばしてはいけない小説。
思いの他、時間がかかったのもやむをえない。
一昨日、「ショパン伝説のラストコンサート」横浜公演で
平野氏のお話と朗読を聴く。
人間ショパンと天才ショパンを描きたかったのだそうだ。
四巻は人が死ぬこと、いなくなるということの実感について
絶えず問われ、答えを求めていたように読める。
フランショームとドラクロワ、ショパンの親友だけが
真の寂しさと戦い、そして芸術家として飛翔することを
思わせる結末に、19世紀を生きた彼らの姿が
今現代の私たちの生活と関わっていくような気がした。 -
Posted by ブクログ
『ウェブ進化論』は読んだことがなかったけど、平野啓一郎の『本の読み方 スロー・リーディングの実践』は読んだことがあったので手にとってみました(ちなみに小説はまだ読んだことがない)。
同じ新潮新書の対談集としては『14歳の子を持つ親たちへ』(内田樹/名越康文)以来で、これはそれとは主題が違うので比べられないのですが、どちらかというとこちらの方が刺激的だったような気がします。というのも対談している二人が文学とITという、全く異なる世界で生きている二人だから。
随所に見られる二人のネットに対する捉え方の微妙な違いが面白い。おおまかな部分についてはお互い同意している部分も多いけど、もっと深く探っていくとやはり捉え方の相違が徐々に鮮明化してくる。例えば二人の”島宇宙”という語に対するイメージとか。
そういうところから、恐らく彼が作家であることも関係あるんだろうけど、年の若い平野の方が「やや古い(というか従来的な)考え方なのかな」という印象を抱かせたり、またあるところではその印象が逆転したりして、そこもまた面白い。
僕もやや平野寄りの考え方に近い部分があるなあと、彼寄りの視点で見ていたものがオープンソースのところでは逆に梅田寄りの視点になっていたり。
個人的に興味深かったのが資本主義と(ある部分では)対峙するオープンソースの概念とか、後は本書の後半で述べられるウェブ時代の教養の話のあたり(ただし「魅力ある人間とは」における梅田の意図が十全に読み取れなかったのがやや残念ではある)。逆に平野が(作家という立場もあるのだろうけど)必要以上にこれからの本のありかたにおける自身の不安などをぶつけているあたりは冗長だと感じた。
(2006年12月17日)