平野啓一郎のレビュー一覧
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人に薦められて読んだ。
最初は分人主義やら「散影」やらいろいろ近未来要素がたくさん出てきてよくわからなかったり、登場人物の相関関係が把握できなかったりしたけれど、読んでよかった。最後まで読んで、もう一度、読み直すと、よりいろいろわかりながら読める気がする。
近未来のお話。火星に初めて降り立った宇宙飛行士の佐野明日人を中心に、火星でのミッションを「無事」終えて帰還してからの、それぞれの事情、環境に翻弄されながら、そして、いつしか大統領選に巻き込まれながら、それぞれが自分がどうしたいのかを悩んだり、立ち止まったり、時に暴走したりしながら、選び取っていく。
宇宙飛行士は誰でもなれるわけではない -
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初のSF小説。SF小説はフィクションでありながら、実社会の問題を定義していると思っているため、社会情勢、経済や政治の歴史であったり、社会が向かっている方向を知っていなければ理解できないジャンルであると思い敬遠していた。
本作は火星探査船「ドーン」で、人類初の有人火星探査から帰還した医師であり宇宙飛行士・佐野明日人。帰還後に火星で撮されたある映像により英雄から転落。
探索船「ドーン」をタイトルにしながらも、火星探査までの過程の小説ではなく、帰還後の社会について、大統領選挙、テロという社会問題をテーマに近未来を描写し、現実社会の課題を示唆している。
一方で、本作で提唱されている「分人」なる新し -
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ネタバレ自由というのは、一人ひとりが、尊厳を持った状態で暮らせる社会
・『私とは何か』を読んだ時にも感じたことですが、改めて平野さんは凄い人だと思いました。『私とは何か』では、私が中々腑に落とすことができないでいた構造主義についての疑問に「分人」という言葉でヒントを与えてくれました。この『自由のこれから』では、人類が一度は獲得したかのように見えた自由が、新自由主義の元、レコメンドという「仮想的な自由」によって束縛を強めているのではないか?という新たな問いを生む機会を作ってくれました。また、慶大法学部教授である大屋雄裕さんとの対談では、教授の見解「満足」を引き出しています。
・『私とは何か』は、私の人 -
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最愛の子を失った夫婦が、互いが知らなかった、それぞれの「分人」を認め、受け入れ、「個人」として新たな一歩を踏み出す物語。
「火星プロジェクト」「大統領選」「戦争」。ストーリーは壮大。一方で、物語の終末が「個人」の歩みに還るのは、それらの物語を紡ぐのが、あくまでも「個人」であり、人類は地球で「個」を認めた唯一の存在だからか。
役立つものが生きているのではなく、生きているものが役立とうとする。
分人 ディヴ 何種類の「自分」が発生しているか
死を乗り越える 認める
圧倒的に強いリーダー 寄り添う隙のあるリーダー
主語の大雑把さに注意
散影
国民として認められるということ
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決壊。
社会全体のことなのか、沢野家のことなのか、崇なことなのか、、、全て含むのか。
すごく考えることと、感じることを絶え間なくさせられる本で、そして終わりも、途中から予想はつくものの救いがなく、一言「疲れた」。
私は、どうも哲学的なことを、論理的に(?)的確に(?)言語化することが苦手なので、読後に改めて皆さんのレビューを拝見して、自分が感じたことが、整理出来たような状況で。なので、分人と言う平野さんの考え方とか、赦すと言うことについてとか、その辺りはここには書かない(書けない(笑))が。
ネット社会の孕む怖さ・危険性とか、警察の捜査のあり方とか、死刑制度の是非とか、現代の多くの問題を描きつ -
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2008/11/13開始
対談形式で読みやすいと思いきや、お二方とも頭の良い人なので、逆にちょっとだけ読みづらかった(笑)
ウェブ進化論に関してつっこんだ内容を、平野啓一郎氏による文学的検知からひたすら語りまくった内容をログしただけの本であるが、ウェブ進化論で語られなかった部分についてもかなり深いところまで話し合われているため、梅田氏の一連の「ウェブ〜」を補完する内容としては読んでおいて損はないと思う。
特に「リンクされた脳」というセクションで語られる、その人の能力というものが、その人本人の力ではなく、自分の力を補完してくれる人や引き出しをどれだけ持っているか?というものに変わっていくとい -
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タイトル通り「カッコイイとは何か」について考察した本。カッコイイは巷で特に若い人達の間で使われるが、その語源、定義は曖昧で、何をもってカッコイイというのかは、人それぞれである。
著者は古今東西のカッコイイ事例を取り上げ、思想、歴史、芸術、ファッション等様々な観点で考察している。著者の定義によると主に3つの分類がある。
・1 見た目のカッコよさ
・2 一見平凡だが、本質的に優れている。そのギャップがカッコいい
・3 優れた本質が矛盾なく外観に現れ、存在自体がカッコいい
自分もこの分類は間違っていないと思う。自分の周辺にもそれぞれの定義で思い当たる事例があった。人生で出会った友人知人、テレビや映画 -
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ネタバレ今日でも私たちは、ルーヴル美術館でドラクロワの≪サルダナパールの死≫の前に立ったり、ブルーノ・マーズがコンサートで≪Just the Way You Are≫を歌い出したり、ワールドカップでメッシがスーパーゴールを決めた瞬間などには、激しく「戦慄」し、「しびれる」ような生理的興奮を味わう。何かスゴいものを目にした時には、「うわっ、鳥肌が立った!」と、その証拠に服の袖を捲って、わざわざ見せてくれる人までいる。
ドラクロワは、美を端的に、「戦慄」をもたらす感動の対象と捉えていた。「戦慄」があれば、つまり、それは美なのだという彼の確信は、それだけ、芸術家としての自らの感受性に自負を抱いていたから