平野啓一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
毎度この方の文章を読むたびに、文学、歴史、音楽等の広範な知識とそれに基づく深遠な視点と思想に驚かされる。ややニヒリスティックに感じることもあるけれど。ともあれ、圧倒的な知識をとっても、それを反映させる筆力をとっても、この方は本当に天才だと思う。同じ時代に生きていることを感謝するくらい。
本書が書かれたのは同時多発テロが起こった2000年頃。BSEやライフスペース、そんなこともあったなとなつかしく思う一方で、その視点や発想は今読んでも全く色褪せることがない。むしろ今こそ議論してもよいのではとさえ思う。特にパトリオティズムやナショナリズムのくだりは今こそ日本人が考えるべき内容だと思った。 -
Posted by ブクログ
ここまで本当に長かったが、終盤はショパンの「最後」…である
ここで息がつけないような展開で一気にスピードアップしていく
ショパンに死が迫る
何度も喀血し、死と隣り合わせで生きるショパン
少し回復してはまた悪化…を繰り返す
そんな時期にショパンは周りの技術者(指揮者、調律師、医師など)たちの死について、
~一人死ぬたびに彼らばかりではなくその技術までもが道連れにされてしまう
自分が死ねば音楽もしかり
自分の演奏がその死の瞬間にこの世から一切消えてなくなってしまう~
このように考え、何か残したいという思いが強くなる
自らの音楽についての考えをまとめるべく「メトード・ド・メトード」(未完のピアノ -
Posted by ブクログ
ここでは各登場人物の紹介をしたい
個人的な目線なので偏っていることをご了承いただきたい
■ショパン
リサイタルを好まず、小さなサロンでの演奏会や作曲活動、教育活動の方が好きな音楽家
教え方は熱心だったようだ
繊細、優美、(この辺りは想像通り)感情的にならず、醜い心もできるだけ表に出さずジェントルな姿を披露
大きなリサイタルが嫌いなのも納得ができるほどの繊細ぶり(悪く言えば神経質)
一方身に着けるものなど、結構な浪費家
それほどお金があったわけでもない割に贅沢さを随所に感じる
人に対しては誠実な印象
とにかく愛された音楽家であることがよくわかる
皆がショパンを助けようと一生懸命で必死だ
ショ -
Posted by ブクログ
さて今回は全体の話の流れを紹介したい
ネタバレを含みますが、ネタバレは重要ではない作品なのだ(と勝手に強く思っている)
まず本書を読むにあたり、一番のネックは(ありがちな)横文字の登場人物の多さ
メモを取りながら読むのだが多過ぎて倒れそうになる
〇〇侯爵夫人、〇〇男爵、〇〇大公妃…次から次へと登場しおまけに名前が長い(ドストエフスキーのがマシ)!
メモを書いても正直わからなくなる
途中から主要人物ではなさそうな人はもういいや!と断念したが、まぁ話は繋がっていく
あまり完璧主義に陥らず読んでも大丈夫そうだ(モヤモヤしては読めない!という方は頑張ってメモしてください…)
「序」章はショパンの -
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幼少期からクラッシックピアノを習っていた
10年は習ったのだろうか…
世の中のクラッシックファンの前では口が裂けても言えないのだが、とうとう一度もクラッシックピアノを好きにならずに大人になってしまった
好きでもないことを練習するのは子供心に相当苦痛であったため、余計に屈折した拒絶反応を身に着けてしまった気がする
しかしながら、唯一ショパンだけは違った
ショパンだけはなぜか好きだった
理由は今でもわからないし、ショパンのことは何も知らない…(恥)
先日読んだ「また、桜の国で」の作中での「革命のエチュード」を久しぶりに聴いたこともあり、本書を読みたくなった
物語の舞台は19世紀中盤のパリ
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第四分冊でありシリーズ最終巻となる本書では、ショパンの死が中心にえがかれています。
本作は、「小説」という形式そのものが裏のテーマになっているということができると思われますが、ロマン主義的な芸術の理念をみずからの作品によって実現したショパンとドラクロワの二人を中心に、彼らや彼らを取り巻く人びとの「人間」としての側面に注目がなされているように感じました。忍び寄る死に直面しながら心の揺れ動きを見せるショパンと、彼に対してどのように振る舞うべきなのかさまざまに態度が分かれる周囲の人びと、そしてショパンのもとを訪れることのなかったドラクロワの自己省察などの心理描写が、リアルな「人間」のすがたを示して -
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ショパンの演奏会が開催されることになり、多くの人びとの注目が集まるなかで彼の芸術観が反映された演奏を、著者が緻密な文章で描写しています。しかしその後、フランス革命の勃発によってパリの街は混乱の渦に飲み込まれ、ショパンはジェイン・スターリング嬢にみちびかれてイギリスへわたることになります。しかしそこでの生活は、彼の意に染むものではありませんでした。
一方ドラクロワも、フランス革命の混乱のなかでみずからの作品を守る術を考えます。そんななか、親友で銅版画家のフレデリック・ヴィヨが、ルーブル美術館の絵画部門部長に就任したという報せを受け、さまざまな思いが彼の胸を駆けめぐります。ヴィヨの家を訪れたドラ -
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ドラクロワとショパンの二人の芸術家を中心に、ロマン主義の大きな潮流に包まれる19世紀パリの社交界をえがいた作品です。
著者は、作品におうじてさまざまな文体を使い分ける作家ですが、この作品では翻訳小説を思わせる文体と、とくに第一分冊となるこの巻ではドラクロワの芸術観が長いセリフを用いて描写されており、独特の雰囲気にどっぷり身を浸すことができました。
ドラクロワは、感性の表層的な動きにしたがうような流行の芸術をしりぞけつつも、古典的な美の理念を墨守することも拒否し、ダイナミックな理念を追求しようとする意志と明確に示しています。そうした彼の芸術観が、パリのサロンにおける名士たちとの交流のなかで語 -
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世界が壊されて、また再構築されるような感覚を得られる短編集。
なかでも私が気に入ったのは、「火色の琥珀」。
火にしか恋愛感情や性欲を抱けない男の独白である。平野さんの好きな、三島由紀夫の「仮面の告白」に似ている。
あちらが同性愛なのに対し、こちらは無生物への愛。そんな本作は火に関する描写がとても緻密でうつくしい。
おもしろく、シュールで、しかし切実だ。居場所がないと感じる者の切実な独白というのはえもいわれぬ美しさがあり、良いものだ。
表題作「透明な迷宮」は、海外で悪趣味な富豪に捕らえられ、衆人環視下での性行為を求められる話。
その後も二転三転と驚くような展開があり、割と荒唐無稽な話なのだけ -
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ネタバレ人間のアイデンティティと愛の形をいろいろな視点から実験的に考察した短編集。
私の定義とは?
私は誰かに代替しうるのか?
愛も代替しうるのか?
私は他人や映像を通しても私そのものなのか?あるいは別の私が映るのか?
独立した短編作品の中で問われるのは、このように
私をいろいろな切り口、視点で見たときに、
何が見えるか、どうなるのか?
またそこに愛が存在しうるか?という問題だ。
他者の前で見知らぬ男女が性交する時に他者が見る私達。映像を通してもう一人の自分を観る恋人や私。近しい誰かと入れ代わる私。他人を真似るある行為が得意な人、、。
非日常的なエピソードもあるが、結局その人を特定するもの、また -
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「カッコいい」という現代的な美意識について、美学や社会学などの観点から考察をおこなうとともに、ジャズやロック、ファッション、文学についての著者自身の意見を交えながらの議論がなされています。
著者は、アメリカにおける「クール」の概念やヨーロッパにおける「ダンディ」の概念などをたどり、「カッコいい」という美意識にかんする概念史的な検討をおこない、さらに1960年代以降の日本で「カッコいい」ということばがどのように用いられてきたのかを明らかにしています。そのうえで著者は、「カッコいい」とは民主主義と資本主義のなかではぐくまれてきた美意識であるとしながらも、つねにあたらしい「カッコよさ」を提示するこ