保坂和志のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「NHK ネコメンタリー 猫も、杓子も。」で紹介された、
作家たちと猫の関わりを、たっぷり盛り込んだ猫愛溢れる本。
1 はじめての猫・・・角田光代、吉田修一
2 いつでも猫・・・村山由佳、柚月裕子
3 これからも猫・・・保坂和志、養老孟司
猫対談、猫写真、猫作品(小説、エッセイ、短編)での構成。
「NHK ネコメンタリー 猫も、杓子も。」紹介有り。
PROFILEは作者と猫たちを紹介。
インタビューでは、著作に関する話と飼い猫の話。
あ、飼い・・・じゃなくて相棒とか家族っていった感じですね~。
それらと小説、エッセイ、短編には、猫に対する眼差しと
愛を感じる言葉が迸っています。そして作家と彼ら -
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Posted by ブクログ
ネタバレ社会派、ミステリー、殺人、恋愛等々、様々なジャンルのもの書きの人達。
年代もタイプも違うのに共通していることは"猫好き"。
そして揃いも揃ってもみんな"もふもふ"の猫達。
飼い猫と一緒にくつろぐ姿や猫を見つめる優しい眼差し。
写真を見ているこちらも、つい微笑んでしまう。
各々の巻末にある猫エッセイや短編からも猫愛が真っ直ぐ伝わってくる。
生活を変えてくれた存在でもあり、昼寝仲間でもあり、相思相愛の同志でもある猫達は、顔を見ていれば、ただそこに居てくれればそれでいい、大切な存在。
もの書きの傍らにいる猫達から安らぎと癒しを貰った。 -
Posted by ブクログ
これは…小説なのか? エッセイのような感じに思えるのですけれども、小説コーナーにあった本だからおそらく小説なのでしょう…。
ヽ(・ω・)/ズコー
私小説みたいなものですかねぇ? まあ、それはともかく相も変わらずの保坂節でして、何の事件も起こりませんねぇ…まあ、それが保坂氏の持ち味なんですけれども、こうも何も起こらない小説ですと読み手を選びそうなことだけは確かです。
ヽ(・ω・)/ズコー
まあ、僕は慣れていますからいいんですけれど…そうですねぇ、結構アレですね、慣れたら保坂氏の文章は心地よいですよ! まさに読書の喜び、みたいなものを教えてくれる作家さんだと思います…。
さようなら… -
Posted by ブクログ
10年くらい前に読んだ時に、この本で紹介されている、田中小実昌「ポロポロ」、アフリカ文学のエイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」に衝撃を受けた、この2作品を紹介しているだけで、この本が確かな本であることを感じた。
前回読んだ時にはあまりグッとこなかったフレーズが、今は心に響くものが多々あった。(人は歳を取り、感じ方が変わるから。経験を得ることで、若々しい張りのある気分がうすれ、また同時に人の醜さ弱さを受け入れられるようになるから)
逆に、前回はあまり感じなかった、ロジカルなくどさのようなものも感じた。(哲学に対する叙述など。)
小説は1970年代ですでに飽和している、これから小説を書くにあた -
Posted by ブクログ
「いつかは小説家」、そう思ってる人も多いだろう。私もそのうちのひとりだ。とはいえ本書は「書きあぐねている人」へのハウツー本ではない。一定の着想やプロットの齧りは説明しながらも、「本書を忠実に守る人は成功しない」と語っている。本書は小説に対する著者の愛溢れる本であり、これから小説家を志す人へのエールである。私自身、本書を読むことで小説とは何なのか、多少腑に落ちた理解を得られた気がする。
同時期に春樹氏の『職業としての小説家』を読んだが、「とにかくたくさん本を読め」「伝えたいことが要約できたら小説なんか要らない」「小説を読んでるプロセスが小説の楽しみ」などなど、全く作風も考え方も違いそうな保坂氏 -
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物語の現前性という言葉が、純文学を堪能するためのフィルターというのはすごくしっくりきた。あるものをあるがままに。メタレベルで小説を読み解こうとするからダメなんだな。現実と混淆する物語ではないんだな。決して交わることのないパラレルな世界が広がっていて、そこにあるものを新しい視点で。読み方は頭では理解できた。しかし、その楽しみ方が出来るかどうかは甚だ不安である。小説が考えを深化させていくものだというのもなるほどーと嘆息。だけど、腑に落ちない。考えを深めるだけなら、他人にお金を払ってまで読んでもらおうとしなくても、一人で書いていればそれでよろしいやん。書きながら考える。書いたことで考えられる。アウグ
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小説家志望者だけじゃなくて、漫画家志望者も、あるいは編集者もみんな読むといいと思った。
P21 …「まったくわからない」芸術に出くわすと、人はその制作者に向かって、よく「その意図を説明せよ」と言うけれど、それはとても無意味なことだ。日常の言葉で説明できてしまえるような芸術(小説)は、もはや芸術(小説)ではない。日常の言葉で説明できないからこそ、芸術(小説)はその形をとっているのだ。日常と芸術の関係を端的に言えば、日常が芸術(小説)を説明するのではなく、芸術(小説)が日常を照らす。
P23 …「面白い小説」のほめ言葉として、よく「一気に読んだ」というのがあるけれど、だからそれはほめ言葉ではな -
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この著者の小説論を読んでいると、ほとんどマゾ的な快感を覚える。今までの自分の小説の読み方が全否定されている気持ちになるからだ。文体、印象、構造などはどうでもよく、大事なのは言葉の「現前性」、小説じたいがもつ「能産性」だという。そのうえで著者は情景描写とそこでの視線の運動に着目するのだが、その例証の手つきがすばらしい。特に情景描写を読む態度によって読者が二つにタイプ分けされ、それぞれのタイプによって「いい文章」の定義が違ってくるという主張は説得的だった。『フランドルの冬』(クロード・シモン)と『告白』(アウグスティヌス)を今まで面白いと思えなかった自分が恥ずかしい。読めていなかったのだ。
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ネタバレネットに情報が溢れ出る昨今。考えないでもわかった気になる時代である。そんな時代だからこそ読みたい一冊だ。第一講から、思考に「公式」は役に立たない、「わかった」と思わずに考え続ける、とくる。
実に多くのテーマを論考しているが、一貫して流れているテーマは、『学問は「頭」でするものではない、本当は情緒でやるものだ』という岡潔の言葉に集約されていると思う。保坂和志の文章は実に論理的なのだが、一方で「文体とはペンの動きやためらいである」とか、「小説を書くことは、最初の何フレーズかのメロディが与えられればあとは即興を引き続けられるっていうのに近いようなイメージ」であるとか、「辺縁的な観念を大事にする -
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たとえば村上春樹に「何枚レコード持ってます?」って訊いて、「ずいぶんたくさんあるみたいだ。しかしまだ十分ではないとしか答えようがない」って云われて、「は?なに言ってんのおまえ」ってなったとします。
そんな村上春樹ってどんな思考回路してんのかを、噛み砕いて言語化してくれたような、そんなイメージの本です。
「考える」こととは、いつも決断を下すためにあるのではない。出来事をあるがままに一旦受け止める。本能的に感じた違和感を逃さない。いかにも正論だったり、あまりにも理にかなってたりすることに対して素朴な疑問を持つ。そもそも「意味」って何?みたいな疑問も持つ。ようなことをいうのではないかしらと思いまし