保坂和志のレビュー一覧
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「13年ぶり」の「長編小説」だそうだが、これを「小説」と言われると、正直、ちょっと戸惑う。
エッセイあり、論考あり、批評ありのフィクション、ノンフィクション取り混ぜた文集のようだからだ。
やっぱり「カンバセイション・ピース」や「プレーンソング」みたいなのが読みたいなあと思い、「ガンバセイション・ピース」を久しぶりに手に取ったら、「沢井綾子」がいた!(すっかり忘れてた)
どちらも魅力的な女性でキャラはカブるが、ほんとに同一人物か?
それとも著者にとっての「理想の女性像」的な存在なのか?
他にも、「現在」と「過去」との距離感や、「個」と「総体」の関係、ベケットからの引用、そしてお馴染みの愛猫たちなど、基本的には「カンバ…」と同じことを言ってる。
「今はこの形式、文体で楽しんでください」ということか?
作品後半で、現在執筆中の新作に触れているが(これはリアルであってほしい)、こちらもきっと既存の「小説」の形式を逸脱した新しい「文学」を表現するものになるのだろう。
また「13年」は待てないので、早く筆を進めてください! -
Posted by ブクログ
ネタバレ著者のことは知らなかったけれど、作家さんで、小説を書くことについてなど自身の考えを伝える本となっています。対談形式で、いろいろな作家や出来事などに話は飛んだりしながらも、様々な本を読んだり思考を重ねてきたんだなーという感じがしました。
三浦岳(編集者)さんが質問をする、対談形式になっている。質問の感覚が親しみやすく、そうそう、と思いながら読み進められた。2013年刊行なので、3.11、原発が社会的にも争点化していた時期だったみたい。
_この本が自分や自分の世代(30代半ば)の人間や若い世代の支えになるようなものになればと思い、ちょっとした人生相談、悩み相談のような質問をしている。ー三浦岳 -
Posted by ブクログ
書きあぐねているわけではなく、別に小説を書こうともしていない会社員だが、ここで書かれていることは、小説に限らない表現全般、あるいは「表現」とは言わない仕事にも当てはまるような気がしていて、時々本棚から引っ張り出して再読してしまいます。
「…『自分にとって』と言うときの『自分』が、小説を書くためのいちばんの障害なのだという風に考えてみてほしい。ここで、『自分にとって』と言った人の『自分』とは、一つの作品を書く前と書き終わった後で変わっていない『自分』のことでしかな」い。(P.196)「…一度書き終わった作品にこだわらず、同じモチーフにもこだわらずに『次へ』『次へ』と行ってみる過程できっとわかるはずだ。小説(小説家)にとって、『自分』や『自分の作品』、『自分のアイデア、イメージ』は、意外なことに、”躓きの石”なのだ。」(P.196-7)
度々説明に登場する「プレーンソング」も再読したくなります。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ弟子の高橋くんからいただいた。
保坂和志の本は『季節の記憶』を読んだことがある。当時住んでいた下北沢でできたばかりのヴィレッジヴァンガードですごい山積みで売られていて、絶対に読んで欲しいという力強いポップがあって思わず買った。そんな記憶が鮮明に残っているのだけど、内容はさっぱり思い出せない。
創作に関する本はたいてい面白くて、この本も面白かった。具体的なメソッドよりも、より大事な心構えについてたっぷり書かれている。「小説とは一体何か、常に問いかけろ」というような内容で、それは漫画でも言えることだ。しかし、そんなことは全く気にしたことがない。気にしていたらここまでやってこれなかったかもしれない。重要だけど危険な問いかけだ。今後も気にしない方がいいような気もする。
小説も前からちょっと書いてみてもいるのだけど、小説に取り組む際には少し気にしてみたい。この本の時点までの作品について創作ノートがかなりの分量で収録されている。記憶にほぼ残っていない『季節の記憶』以外は読んだことがないため、あま
り意味がなかったかもしれないけど、言及されている作品を読んでみたくなる。 -
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6人の作家さん毎に色が異なる厚手の紙の本。
写真はもちろんカラー。
角田光代さん
「トト」は2冊フォトエッセイを読んだので知ってる。
「トトが来る前は自分中心で、辛いことがあると全身で向かい合っていたのでしんどかった。」が、
「トトが来てからは、とりあえずトトにご飯をあげなきゃ、といった気持ちの逃し方ができた。」そうだ。
角田さんは犬が好きで、「トト」は犬の要素を持っていると言っていたのを思い出した。
他の猫よりも人懐っこいのかな。
村山由佳さん
猫が大好きなんですね。
「もみじ」に対する想いは尋常ではなく、エッセイを何冊も出しているみたい。
「もみじ」の生まれる瞬間にも立ち会ってるし、亡くなる時まで17年も一緒にいたら、そりゃ愛情だらけになりますね。
「犬は子供で猫は対等な大人。」と言ってたが、子供は従順で大人は自分勝手ということか?
逆に犬は大人で猫は子供とも言えそうだな。
柚月裕子さん
「呼んでも来ないし、抱きしめても、するりと腕から抜け出す。」
「でも気がつくとそばにいて、いつも同じ瞳でみつめてくれる。」
猫との接し方は、養老孟司さんと似てるかな。
養老孟司さん
子供の時からずっと家に猫がいるようだ。
あまりかまわないで好きなようにさせている。
寄って来るのは餌が欲しくなった時。
人に手間をかけさせるのがペットの仕事。
猫は生きることのモノサシ。必要な物を手に入れたら、あとは寝ている。
毎日お互いに生きてますな、と顔を合わせてお終い。それでいい。
皆さん、猫に見られている感があって、自分以外で自分のことをよく知っている存在と捉えている。
猫はいつでも自分のことを気にしてくれているありがたい存在なんですね。 -
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ネタバレ4編の作品とあとがき。
(あとがきも素敵な作品だった)
これらはエッセイだと思う。
「、」は「読点」でいいのだっけ? この「、」の打ち方が独特なので、最初は読みにくい感じがした。そのうち慣れた。
表紙の写真がすてき。著者に寄り添って立つ花ちゃん。とてもかわいい三毛猫さんだ。
私は猫と長いこと暮らしているので、「かわいい〜」「癒やされる〜」だけではないと知っている。
生き物なので、老いるし病気もする。家はボロボロになるし手間もかかる。それが猫だもの。
存在してるだけでかわいい。いとおしい。美しい。
安心して暮らせるように心を込めている、つもり。
この著者が、本当に猫たちを愛して一緒に生きてきたと伝わるので、時々辛くなる。そして安心する。
読みながら私の愛する猫たちをおもう。
今そばにいる猫たちの中に、天国の猫がいる。
心に残る言葉があった。
◎猫は心に過る感触をそのままもつ。記憶は生きるのに必要だからあるので、生き物は全員記憶する能力をもつ。
言葉は記憶の、逆に阻害要因になるかも。人間は心に過る感触を言葉にしようとして、薄めたり逆にしたりしているかも。
それを忘れたら生きていけないようなことは、言葉を介在させずに記憶する。
◎チャーちゃんは何も言葉を残さなかったから、人間としての宿命で心の奥の声を探り続けることになった。それは祈りだからそこに言葉はなかった。光と風と波だけがあった。
人とおしゃべりする時って、何かのワードから違うことを連想して、「そういえば」とか「関係ないけどね」とかって話が展開していくと思う。
物語としての柱を持たないエッセイの場合、私はこのように頭に浮かんだことを次々と書くようなものが、わりと好きだ。
最初の話からズレていったり、また戻ったりする感じ。この本はそうだ。
そして著者の傍らには猫がいる。いつも。
音楽、映画、本、聖書、死んだ尾崎、街、父、小説のこと。。。。。
著者の記憶とその言葉。その時は気づかなかった言葉。言葉にするということ。
本は、ただ読めばいい。「この感じ!」っていうのを人と共有したいと思っちゃうけど、言葉は難しいね。
おだやかで、たまに熱くて、ちょっと切ない感じの本でした。 -
Posted by ブクログ
読んだのは単行本の方だが…まぁ、いいか…社畜死ね!!
ヽ(・ω・)/ズコー
昔の保坂氏の本よりも読みやすかったような気が…前はパソコンで原稿書いていたらしいが、今では手書きに変えたんだとか…ネコメンタリーという番組でおっしゃっていましたが…それの影響もあるのかもしれませんね。→読みやすさ 社畜死ね!!
ヽ(・ω・)/ズコー
どこがどうと言うよりも、なんだか小説よりもエッセイみたいな内容なんですけれども、それでもイイですね! 内容よりも文章を味わうような、そんな小説かもしれないですね…。
文章の意味よりも、リズムだとかそういうものを味わってほしいみたいな…あとがきにはそんな内容が書かれていましたねぇ…
さようなら…。
ヽ(・ω・)/ズコー -
Posted by ブクログ
ネタバレ片目がなく瀕死だった三毛猫の「花ちゃん」が著者に拾われ、18年生きて亡くなった。
様々な飼い猫たちの看取りと見送り。
猫かわいがりなのに感情が駄々洩れているわけでなくどこか遠い。
ベレーのお帽子を乗っけたような柄の花ちゃんが著者の足元で表紙写真に写っている。赤ん坊のころに膿を押し出し目薬を点して必死に治したという片目の目力は強い。
「こことよそ」を収録したことで著者が企図した「気まま。」という雰囲気が出ている。
P47 短い命を生きることだけがチャーちゃんちゃんのしたことで、短い命の子は言葉を残さず、最後の呼吸で月を見上げて鳴いたらそれっきり飛び散って、光や風や波になる、姿も形も動作も残さず光や風や波になった。祈りと同じだ。
P92 「コイズミ」「コイズミ」とメンバーの一人の名前を呼んだそのアクセントが頭に強いアクセントがあったのがわたしはとても横須賀ローカルな感じがしたがたんに尾崎の癖だったのかもしれない。
P103 テクノロジーはどれだけ発達しても昨日の写真を撮ることはできない、それは本当か、
「この社会の核には「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」などを伝染させ、人間を常態として委縮させ続けるという当地の技法がある」(酒井隆史)
【中略】昨日の写真は撮れなくても昨日がなくなるわけじゃない。昨日がなくなると思っているそれが人を常態として無力感で委縮させる。
P129 子猫は一般的に手足が細く、しっかり足場を確かめるためにいっぱいに前足を伸ばすその姿が、わたしはいつもヤモリを思い出す。
P150 「一生懸命やってあげたじゃない」という言葉は、本人に対しては猫が死んでしまったことへの慰めにはならない。その現実の慰めにはならなくても、そういう風に気にかけてくれる人がいるということは、別の意味での慰めにならないというわけではない。
P155 (「世界」にとっては別として)「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。ミルクを飲んで赤身を食べて、段ボールの中を動き回り始めた子猫を見て、それを実感した。
P168 「年寄りミュージシャンは気まま」「年寄り猫は気まま」