「ハレルヤ」「十三夜のコインランドリー」「こことよそ」「生きる歓び」の四篇が収録されている。
本書のあとがきには「感動したことを書く、あるいは心が激しく動いたことを書く、この本に集めた小説はすべてそういうシンプルなものです。」と書かれている。
同じ著者による『未明の闘争』でも見られたような、文法
...続きを読む的な逸脱や論理の飛躍が本書ではより多く現れ、「融通無碍」という言葉が浮かぶ。
『未明の闘争』での逸脱や飛躍は、読者の意識を操作するための意図的なものだというようなことを保坂はどこかで書いていたと思うが、本書でのそれは、保坂がひたすら「心が激しく動いたことを書」こうとしたことから生じた副次的なものだと思う。
「こことよそ」では、保坂のかつての映画仲間の死が描かれる。映画仲間として内藤剛志や古尾谷雅人の実名が登場する。名字だけしか出てこない長崎というのは映画監督の長崎俊一、諏訪というのはおそらく俳優の諏訪太朗のことだ。諏訪と一緒に出てくるクッキーとライムというのは誰なのか。「顔を洗ったり爪を研いだりしていた」「私はクッキーやライムや追さんや諏訪たちと…ニャアニャア騒いでいた」という記述があるので映画仲間が飼っていた猫かと思うけれども、『未明の闘争』に出てくる酔っ払い2人のシーンのモデルはクッキーとライムだ、ということも書いてあってよく分からない。よく分からないので自分はあえて猫とも人とも解釈せずに読んだ。
そういえば自分が悪夢ばかりを続けて見ていた時期に、めずらしく懐かしくて温かい感じの夢を見て目が覚めたことがあって、もう内容は忘れてしまったのだけど、あれはおそらく「こことよそ」を読んだ影響だったように思う。
「生きる歓び」は「え、ここで終わるの」というところで終わる。半ば宙吊りで置き去りにされた気分にもなるが、この小説が最後に読者を置き去りにする場所は、居心地が悪くないから不思議だ。