苅谷剛彦のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
いきつけの料理屋がある。使用されるのは大将自らが収穫した旬の野菜。大将はこちらが好きな料理を熟知してくれていて,新しいおすすめをさり気なく紹介してくれる。常に新しいメニューが登場し,頻繁に通っても飽きることがない。自然と饗されるその一皿に,人知れぬ苦労があることを大将の所作から感じられる。さらに,遠方から来店した客への心配りも忘れない。客に美味しい物を提供したいという大将の心が,痛いほど感じられる。
本書を読んで,そのように相手に心を尽くすことの共通点を感じられた。
「教えることの復権」と題された本書。教育社会学者である刈谷剛彦らが,国語教育の大家である大村はまの指導法と対談をもとに,教 -
Posted by ブクログ
ネタバレ日本の教育を国際比較した本。日本の教育は一つの完成品である。ただ、時代の要望と合わなくなっただけ。変えなくても大丈夫だけど、変えたいとのこと。不安があるから。
日本の教育は’’学問としての誇りを捨てて人材訓練場’’になるべきか。そこが論点なのかなと思った。
でも、日本はまだまだ経済力があるからそんなに勤労意欲高くいかなくてもいいのになぁ…。
2006年のこの本から日本の教育はどれだけ変われているだろうか。2012年のPISAの結果は、①数学的リテラシー:日本7位(フィンランド12位)②読解力:日本4位(フィンランド6位)③科学的リテラシー:4位(フィンランド5位)、とりあえずPISAで -
Posted by ブクログ
対談になっているので、とても読みやすい。
小学校での英語教育批判にはなるほどなーと思った。
既に小学校に英語教育は導入されているが、これ以上増えたら…。
日本の教育はポジティブリスト主義(やりたいことをすべてリストアップする)になってきている。たとえば小学校で英語を必修化した場合、時間やエネルギーの制約もあるため、他のことができなくなってしまう、いろんな制約がある中で、リストにどんどん足したって、必ず何かはみ出る。必ずはみ出すものがあるのに、はみ出すものを何にするかという議論をしないまま、英語を入れたほうがいいと言う議論には反対だ。意識調査をするときに「英語を入れるかわりに国語の時間が減りま -
Posted by ブクログ
日本語に守られた日本の大学の特殊性と中世から伝統を持つ世界レベルの大学の特殊性を比較する。
日本の大学教育,いや,教育制度全般を変える時が差し迫っている。大学教育を小手先の改良をしても全体に波及するのに長時間かかる。全体を変えるには手続き上長時間かかるし,コンセンサスを取っていくのにも時間がかかる。
多くの国民が高度な教育を受けられることは国力の高さに反映される(はず)。名ばかりの大学,名ばかりの高等学校となっていないだろうか。その国の最高学府で学問をする矜恃を教員・学生は持っているのか。
本の中で入学試験を受ける者の知的水準の違いを述べていた。知識量は日本も見劣りはしないであろう。その -
Posted by ブクログ
戦後日本にとって、地域間格差をなくすことは、大きな課題であった。
日本の教育システムはどのようにして、平等を実現してきたのか、また、それが意味する平等とは何であったのか。
これからどこを目指そうとしているのかも含めて興味深い1冊だった。
”1950年代を通じて、その後の日本の教育と社会を特徴づける「標準法の世界」が制度化された。それは、明治以来、日本の教育にとってトラウマともいえた地域間格差の問題を是正するために、教育財政の仕組み(義務教育費国庫負担制度)と、教育資源としてもっとも重要な教員の定数・配置に関する制度(「公立義務諸学校の学級編成及び教職員定数標準に関する法律」、いわゆる義務教 -
Posted by ブクログ
本書は,1992年に玉川大学出版部から出版されたものを新書版にしたものとのことです.
実際,タイトルにもあるように,書かれている内容は,TA,シラバス,授業評価に関する話題が中心で,既に日本の大学で導入され,運用されています.しかしながら,少なくとも私が勤務しているの大学のそれは,あまりにも形式だけの導入にとどまっており,一体どんな効果が期待されるのか全くもって不明です.私の推測では,その主要因は,教員,学生がともに当該制度の導入意図を十分に認識できていないこと,仮にできたとしても我々の業務過多を増長させるに過ぎないことが挙げられると思います.
従って,1992年に問題提起された本書のテー -
Posted by ブクログ
ネタバレ<概要>
『知的複眼思考法』で有名な(少なくとも個人的には…)苅谷剛彦氏の著書。
日本に特有な「大衆教育社会」が成立した経緯及び生み出される問題、隠されている問題を検討する。「大衆教育社会」の特徴は以下の三つである。
①教育が量的に十分供給されており、国民に広く行きわたっている。
②学校における成績によってエリートが選抜され、エリートがその後の人生において非エリートに対する相対的な優位に立てることが社会的にある程度認められており(メリトクラシーの大衆化)
③エリート層はあくまで「学歴エリート」であり、独自の文化を持たず大衆に基盤を置いている。
まず日本における教育機会に関する検討が行われる -
Posted by ブクログ
読後感は、暗い。
内容が悪いのではなく、日本の状況を振り返るととてつもなく暗くなる。
「日本社会という閉じたコップの中」で大学改革は遅々として進まない。
教育の質を高めるには学修時間を増やせば良いというような答申が未だに出てるような状況だし、最近就任した大臣は裁量逸脱で混乱を招いている。
この本を読むとこのように暗くなるのであるが、あのオックスフォード大の専任教授としてこのような貴重なレポートを発し続けていただくことがコップを割るような改革につながっていかないだろうか。
潮木先生の解説がまた素晴らしい。
「我々は人材を失ったのではなく、強力なイギリス観察者をオックスフォードに送り込んだので -
Posted by ブクログ
ネタバレ戦後日本の教育史は「面の平等」といったキーワードを用いて説明できるとしている。
財政面の配分方法の分析から「面の平等」=個の平等ではなく「学級」単位の平等が標準法の制定のなかで実現したことや戦後の大きな地域格差のため次善の策としてとられた「学級」単位の平等が教育条件の均質化につながったことなどを示している。
その過程は上からの一方的な指導ではなく下からの自主的な動きも伴っていた。
単なる言説研究だけではなく統計的な手法を有効に使っていて説得力があった。特に筆者が「知られざる革命」とよぶ学校教育費の配分が逆進的なものから累進的なものへと変わっていくことを示した部分は非常に説得力があった。