苅谷剛彦のレビュー一覧
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ネタバレ戦後日本の教育史は「面の平等」といったキーワードを用いて説明できるとしている。
財政面の配分方法の分析から「面の平等」=個の平等ではなく「学級」単位の平等が標準法の制定のなかで実現したことや戦後の大きな地域格差のため次善の策としてとられた「学級」単位の平等が教育条件の均質化につながったことなどを示している。
その過程は上からの一方的な指導ではなく下からの自主的な動きも伴っていた。
単なる言説研究だけではなく統計的な手法を有効に使っていて説得力があった。特に筆者が「知られざる革命」とよぶ学校教育費の配分が逆進的なものから累進的なものへと変わっていくことを示した部分は非常に説得力があった。
教育論議でよく行われる単純な二項対立的な批判に対して歴史的な経緯を用いてそのような単純な構造ではなく良い面と悪い面を併せ持つアンビバレントなものであるとしていた。 -
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教育における「平等」とは何なのか、
いかに日本は「平等」な教育を得てきたのかということを、多種多様な資料から紐解いてくれている良書。
その過程で、現代の日本中に蔓延する「誤解」も明らかにする。
帯にも「戦後日本にとって格差をなくすとはこういうことだった――」ともあり、
つまるところ目から鱗がボロボロな一冊なわけですよ。
言うまでもなく「戦後日本にとって」の「格差」というのの一つに地域格差の問題がござんす。
ということは本書の内容は、教育という側面を除いても、
その地域格差を日本がいかに縮小させてきたかという面で興味深い☆
ところで、本書の資料の中にはグラフや表もふんだんに盛り込まれているわけですが、
自分がいかにそういうものに弱いかを思い知った!><
やっぱり義務教育、せめて中等教育中にグラフの読み取り訓練とかするべきだな!
【目次】
プロローグ 平等神話の解読
第一章 対立の構図と問題の底流
第二章 戦前のトラウマと源流としてのアメリカ
第三章 設計図はいかに描かれたか
第四章 「面の平等」と知られざる革命
第五章 標準化のアンビバレンス
エピローグ 屈折する視線――個人と個性の錯視
あとがき
引用・参考文献 -
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95年の著作でありながら社会学として普遍的な書だと思う。
流石は東大教官がすすめる100冊といったところか(まあその手のモノはむやみに信用しているわけでもないのだけど)。
この本ではデータを駆使して今まで全く論じられることのなかった点を追及している。
それは学歴取得以前にも不平等はあり、小学生レベルでも親の社会階層によって学力が違う、ということ。
正直これは子ども心に薄らと気付いていたけどある種触れてはいけないタブーのような部分があったように思う。
やっぱり団地の子とか軽く馬鹿にされていたし、そういうのは確実にあった。
また改めて振り返り、進学校と呼べる高校に入った子をカウントするとその分布にも面白い発見がある。
最近ではAO入試というものが多いそうだが、この著者はそういったことに対しても「個性」や「創造性」が親の階層によって決められる可能性がある・・・と予言している。
これは事実そうなっているだろう。
また満足な職を得るにも親の階層が多いに関係している社会になっている。
しかもこの手の本を手にするのも親の階層が関わってくるのだ。
小学校入学時に親に配って感想を書かせるべき一冊。
因みに個人的な感覚だけど、進学校でも親の階層を感じる部分はかなりあった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
本書は、欧米との比較もまじえ、教育が社会の形成にどのような影響を与えたかを分析する。
[ 目次 ]
第1章 大衆教育社会のどこが問題か
第2章 消えた階層問題
第3章 「階層と教育」問題の底流
第4章 大衆教育社会と学歴主義
第5章 「能力主義的差別教育」のパラドクス
終章 大衆教育社会のゆらぎ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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[ 内容 ]
二〇〇二年度より新学習指導要領が実施される。
この要領がめざす教育改革のねらいは「ゆとり」と「生きる力」の教育であり、それを実現するものが「総合的な学習の時間」である。
これらをつなぐ論理は「子ども中心主義」であるが、この教育方針は本当に子どもたちのためになり、学校を再生するに足るものなのか?
また、受験や詰め込み教育は本当に罪悪なのか?
さまざまなデータを検証し、教育と日本社会のゆくえを見据えて緊急提言する。
[ 目次 ]
第1章 教育の制度疲労(政策担当者の問題把握 これまでの教育改革の成果 ほか)
第2章 「ゆとり」と「新しい学力観」「生きる力」の教育(「ゆとり」をめざす教育の問題認識 「新しい学力観」と「生きる力」の教育 ほか)
第3章 「ゆとり」のゆくえ―学習時間の戦後小史(子どもの「ゆとり」は奪われてきたのか 「勉強の時代」の復活―勉強のしすぎはゆとりを奪ったのか ほか)
第4章 「子ども中心主義」教育の幻惑(「ゆとり」と「生きる力」をつなぐ論理 「子ども中心主義」の教育 ほか)
第5章 教育改革の幻想を超えて(手段を欠いた理想のゆくえ 現実と理想のコントラスト ほか)
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[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「ゆとり教育」は「学力低下」の事実によって追いやられ、「学びのすすめ」へと方針転換された。
さて、では「学び」と「教え」との間に生じる関係性、つまり教師と生徒の間の知識伝達の共有は、どのように起こるのだろうか。
本書では「わかる」の現象学的な試みを、教育社会学者と哲学者との間で徹底してつめていく。
「いま、なぜ勉学をするのか?」という問いかけから、「私」よりも「公」を重んじようという風潮に疑問を投げかけつつ、個人の自由と社会的平等の両方が成り立ちうる地点をめざして、「ともに考え、わかりあう」みちすじを模索・考察する。
[ 目次 ]
序章 教育と社会を哲学するために
第1章 今なぜ「学ぶことの意味」を問い直すのか(「学ぶことの意味」の変遷 個人のさまざまな自由と「学校へ行くこと」)
第2章 「自由な思考」と「知識の共有」は両立するだろうか(個人の自由と公共の利害について 知識とはどういうものか ほか)
第3章 考えあうこと、理解すること(「わかる」を掘りさげる 役割と責任)
第4章 「学ぶ意味」をどう再生するか
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Posted by ブクログ
「生きる力」を目指す新教育課程(ゆとり教育)であるが、好ましいと私は思わない。「受験教育」や「詰め込み教育」からの解放を謳っているがそれは役所の偉い人が陥っていた状態でマスが感じている部分ではない。むしろ、上流階級の子どもは少子化といえどさらなる受験戦争に巻き込まれているように思われる。「ゆとり」なんて感じられない。勉強の不得意な子どもはさらに勉強しなくなり格差の温床になっている。子どもの主体性を重んじるのはいいことだが家庭や社会階層を考慮しないのは言語道断だと思った。「総合的な学習の時間」は自分が行った事を振り返ってみてもたいしたことはやっていなかった。現場の教師に内容を決めさせるのはいいが意味の無い学習だったなと個人的に感じる。私がそう感じるのだから世の中みんな感じているのだろう。早く元の教育課程に戻ってほしいの一言に尽きます。