苅谷剛彦のレビュー一覧
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多分ほかのレビューを書かれている方とは少し違う目線で。
私がこの本を読むに至ったきっかけは、大学受験で教育関連の小論文を書くことになったことでした。異なる形で教育に携わる二人の違った視点からの意見など、考えさせられるものが多かったです。
苅谷さんの本は教育系小論文を課されている方なら一度は読んだことがあるかもしれませんが、他の本に比べてこの本は苅谷さんと増田さんの対談形式で書かれているので、中身自体もとてもわかりやすいです。日本の教育問題に幅広く触れているので、教育学部・教員養成課程などを志望している方には良い参考書のひとつになるのではないでしょうか。 -
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教育における「平等」とは何なのか、
いかに日本は「平等」な教育を得てきたのかということを、多種多様な資料から紐解いてくれている良書。
その過程で、現代の日本中に蔓延する「誤解」も明らかにする。
帯にも「戦後日本にとって格差をなくすとはこういうことだった――」ともあり、
つまるところ目から鱗がボロボロな一冊なわけですよ。
言うまでもなく「戦後日本にとって」の「格差」というのの一つに地域格差の問題がござんす。
ということは本書の内容は、教育という側面を除いても、
その地域格差を日本がいかに縮小させてきたかという面で興味深い☆
ところで、本書の資料の中にはグラフや表もふんだんに盛り込まれているわ -
Posted by ブクログ
95年の著作でありながら社会学として普遍的な書だと思う。
流石は東大教官がすすめる100冊といったところか(まあその手のモノはむやみに信用しているわけでもないのだけど)。
この本ではデータを駆使して今まで全く論じられることのなかった点を追及している。
それは学歴取得以前にも不平等はあり、小学生レベルでも親の社会階層によって学力が違う、ということ。
正直これは子ども心に薄らと気付いていたけどある種触れてはいけないタブーのような部分があったように思う。
やっぱり団地の子とか軽く馬鹿にされていたし、そういうのは確実にあった。
また改めて振り返り、進学校と呼べる高校に入った子をカウントす -
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ネタバレ[ 内容 ]
本書は、欧米との比較もまじえ、教育が社会の形成にどのような影響を与えたかを分析する。
[ 目次 ]
第1章 大衆教育社会のどこが問題か
第2章 消えた階層問題
第3章 「階層と教育」問題の底流
第4章 大衆教育社会と学歴主義
第5章 「能力主義的差別教育」のパラドクス
終章 大衆教育社会のゆらぎ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・ -
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「ゆとり教育」より、教育に「ゆとり」を。
「子どもの無限の可能性」が生む親の不安。
時間は有限だから、何か(英語)を入れれば、何か(国語)がはみ出す。
理想を追求するには高度な技術を要し、その準備のために費用と時間がかかることを認識すべき。
★教育という「魔法の杖」、教育改革という「魔法のランプ」、教育論という「魔法の呪文」。(苅谷「教育改革を語る前に」079頁以下)
日本は社会全体で担うべき様々な負担を学校に背負わせ過ぎている~フィンランドの教育との比較から観えてくるもの。
学習資本主義社会。過去に習得した知識や技術よりも、学習能力が人的資本形成の中核になる。生涯にわたって学び続けるこ -
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[ 内容 ]
「教育改革」を語る前にフィンランドの教育を解剖してみると「格差」など日本の問題点が見えてくる。
[ 目次 ]
第1部 東京で教育の問題点を探る(親の不安はどこから来るのか;完璧な子育てはない;日本は学校に依存することで近代社会をつくってきた)
第2部 オックスフォードで分かり合えたこと(フィンランド型の教育を日本で実践できるか;なぜ日本人は右往左往するのか;絶対評価と相対評価)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人 -
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[ 内容 ]
二〇〇二年度より新学習指導要領が実施される。
この要領がめざす教育改革のねらいは「ゆとり」と「生きる力」の教育であり、それを実現するものが「総合的な学習の時間」である。
これらをつなぐ論理は「子ども中心主義」であるが、この教育方針は本当に子どもたちのためになり、学校を再生するに足るものなのか?
また、受験や詰め込み教育は本当に罪悪なのか?
さまざまなデータを検証し、教育と日本社会のゆくえを見据えて緊急提言する。
[ 目次 ]
第1章 教育の制度疲労(政策担当者の問題把握 これまでの教育改革の成果 ほか)
第2章 「ゆとり」と「新しい学力観」「生きる力」の教育(「ゆとり」をめざす -
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[ 内容 ]
「ゆとり教育」は「学力低下」の事実によって追いやられ、「学びのすすめ」へと方針転換された。
さて、では「学び」と「教え」との間に生じる関係性、つまり教師と生徒の間の知識伝達の共有は、どのように起こるのだろうか。
本書では「わかる」の現象学的な試みを、教育社会学者と哲学者との間で徹底してつめていく。
「いま、なぜ勉学をするのか?」という問いかけから、「私」よりも「公」を重んじようという風潮に疑問を投げかけつつ、個人の自由と社会的平等の両方が成り立ちうる地点をめざして、「ともに考え、わかりあう」みちすじを模索・考察する。
[ 目次 ]
序章 教育と社会を哲学するために
第1章 今な -
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フィンランドの教育への注目度が高まる中で、では実際にどこがどう優れているかということや、また日本と比較したときにどこに差があるかは、単に教育の側面だけをその社会や文化という全体的な文脈から切り取って論じるのでは無理があるし危険であり、不十分であると納得した。また「絶対評価」といっても、日本の教育における絶対評価は、共通の絶対的な基準に基づいてそれぞれを個別に評価するのでなく、個別評価という体系に往々としてすり替えられているため(その分すべての子供がonly oneになれる?)、何を測ろうとしているか曖昧になり、また、能力の向上には必ずしも繋がらないのでは、という指摘にも納得。
(本書)社会で求 -
Posted by ブクログ
「生きる力」を目指す新教育課程(ゆとり教育)であるが、好ましいと私は思わない。「受験教育」や「詰め込み教育」からの解放を謳っているがそれは役所の偉い人が陥っていた状態でマスが感じている部分ではない。むしろ、上流階級の子どもは少子化といえどさらなる受験戦争に巻き込まれているように思われる。「ゆとり」なんて感じられない。勉強の不得意な子どもはさらに勉強しなくなり格差の温床になっている。子どもの主体性を重んじるのはいいことだが家庭や社会階層を考慮しないのは言語道断だと思った。「総合的な学習の時間」は自分が行った事を振り返ってみてもたいしたことはやっていなかった。現場の教師に内容を決めさせるのはいいが