苅谷剛彦のレビュー一覧
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本書は,1992年に玉川大学出版部から出版されたものを新書版にしたものとのことです.
実際,タイトルにもあるように,書かれている内容は,TA,シラバス,授業評価に関する話題が中心で,既に日本の大学で導入され,運用されています.しかしながら,少なくとも私が勤務しているの大学のそれは,あまりにも形式だけの導入にとどまっており,一体どんな効果が期待されるのか全くもって不明です.私の推測では,その主要因は,教員,学生がともに当該制度の導入意図を十分に認識できていないこと,仮にできたとしても我々の業務過多を増長させるに過ぎないことが挙げられると思います.
従って,1992年に問題提起された本書のテーマは,現時点においても有効な議論となっており,一読の価値があります.と同時に,如何に日本の大学教育が構造改革を怠ってきたのかを象徴しているのではないでしょうか? -
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ネタバレ<概要>
『知的複眼思考法』で有名な(少なくとも個人的には…)苅谷剛彦氏の著書。
日本に特有な「大衆教育社会」が成立した経緯及び生み出される問題、隠されている問題を検討する。「大衆教育社会」の特徴は以下の三つである。
①教育が量的に十分供給されており、国民に広く行きわたっている。
②学校における成績によってエリートが選抜され、エリートがその後の人生において非エリートに対する相対的な優位に立てることが社会的にある程度認められており(メリトクラシーの大衆化)
③エリート層はあくまで「学歴エリート」であり、独自の文化を持たず大衆に基盤を置いている。
まず日本における教育機会に関する検討が行われる。戦後に関しては親の経済力が子供の教育機会に如実に表れる傾向があった。経済成長を経てこの傾向が希薄化された後も、親の階層(学歴・職業)によって子どもの教育機会は強い影響を受けたが、この相関関係は大きな社会問題としては取り上げられなかった。
この要因として筆者は、以下の二つを指摘する。
第一に国民に根付いた学歴社会観であり、「誰でも学校で成功すれば成り上がることができる」と思われたために、学校教育が階層に関して中立的とみなされたことである。
第二に、生徒の受ける差別感をなくすために日教組が唱えた「能力平等論」であり、これは学力差を(出身階層にも由来する)能力差としては見ず、高い学力を努力の成果だと捉えるものである。
しかしこのように形成された「大衆教育社会」も近年(本書の出版は95年)揺らぎ始め、教育に全てを求めるのではなく教育に「できないこと」を検討すべきである。
<所感>
極めて雑な概要でまとめてごめんなさい。所感は以下の三つ。
①能力の平等を日教組が主張したことが、表面的な平等感を作り出し社会階層と教育機会の問題を隠蔽した、という部分の議論展開は面白かった。理想理念が日教組にとってより深刻で重大そうな問題を隠蔽したと。
②エリート層と非エリート層の間に文化的・精神的な隔絶がないことが労使協調に寄与した、というのは興味深く、新しい観点を得られた。
③大学に進学した際のことを回顧すると周りの友人の出身社会階層がかなり限定されていたことが思い出される。多くの友人は、親が有名企業勤務のサラリーマンだったり、公務員だったりする場合が多くて、ブルーカラーが少なかったため、個人的な経験からも筆者の主張は実感できる。
加えて地方格差が酷いと受験期には思っていたので、筆者の議論に何か付け足すとしたらその辺かと。 -
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読後感は、暗い。
内容が悪いのではなく、日本の状況を振り返るととてつもなく暗くなる。
「日本社会という閉じたコップの中」で大学改革は遅々として進まない。
教育の質を高めるには学修時間を増やせば良いというような答申が未だに出てるような状況だし、最近就任した大臣は裁量逸脱で混乱を招いている。
この本を読むとこのように暗くなるのであるが、あのオックスフォード大の専任教授としてこのような貴重なレポートを発し続けていただくことがコップを割るような改革につながっていかないだろうか。
潮木先生の解説がまた素晴らしい。
「我々は人材を失ったのではなく、強力なイギリス観察者をオックスフォードに送り込んだのではないか(p198)」
ホントにそうだと思う。続編に期待したい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ戦後日本の教育史は「面の平等」といったキーワードを用いて説明できるとしている。
財政面の配分方法の分析から「面の平等」=個の平等ではなく「学級」単位の平等が標準法の制定のなかで実現したことや戦後の大きな地域格差のため次善の策としてとられた「学級」単位の平等が教育条件の均質化につながったことなどを示している。
その過程は上からの一方的な指導ではなく下からの自主的な動きも伴っていた。
単なる言説研究だけではなく統計的な手法を有効に使っていて説得力があった。特に筆者が「知られざる革命」とよぶ学校教育費の配分が逆進的なものから累進的なものへと変わっていくことを示した部分は非常に説得力があった。
教育論議でよく行われる単純な二項対立的な批判に対して歴史的な経緯を用いてそのような単純な構造ではなく良い面と悪い面を併せ持つアンビバレントなものであるとしていた。 -
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多分ほかのレビューを書かれている方とは少し違う目線で。
私がこの本を読むに至ったきっかけは、大学受験で教育関連の小論文を書くことになったことでした。異なる形で教育に携わる二人の違った視点からの意見など、考えさせられるものが多かったです。
苅谷さんの本は教育系小論文を課されている方なら一度は読んだことがあるかもしれませんが、他の本に比べてこの本は苅谷さんと増田さんの対談形式で書かれているので、中身自体もとてもわかりやすいです。日本の教育問題に幅広く触れているので、教育学部・教員養成課程などを志望している方には良い参考書のひとつになるのではないでしょうか。 -
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教育における「平等」とは何なのか、
いかに日本は「平等」な教育を得てきたのかということを、多種多様な資料から紐解いてくれている良書。
その過程で、現代の日本中に蔓延する「誤解」も明らかにする。
帯にも「戦後日本にとって格差をなくすとはこういうことだった――」ともあり、
つまるところ目から鱗がボロボロな一冊なわけですよ。
言うまでもなく「戦後日本にとって」の「格差」というのの一つに地域格差の問題がござんす。
ということは本書の内容は、教育という側面を除いても、
その地域格差を日本がいかに縮小させてきたかという面で興味深い☆
ところで、本書の資料の中にはグラフや表もふんだんに盛り込まれているわけですが、
自分がいかにそういうものに弱いかを思い知った!><
やっぱり義務教育、せめて中等教育中にグラフの読み取り訓練とかするべきだな!
【目次】
プロローグ 平等神話の解読
第一章 対立の構図と問題の底流
第二章 戦前のトラウマと源流としてのアメリカ
第三章 設計図はいかに描かれたか
第四章 「面の平等」と知られざる革命
第五章 標準化のアンビバレンス
エピローグ 屈折する視線――個人と個性の錯視
あとがき
引用・参考文献 -
Posted by ブクログ
95年の著作でありながら社会学として普遍的な書だと思う。
流石は東大教官がすすめる100冊といったところか(まあその手のモノはむやみに信用しているわけでもないのだけど)。
この本ではデータを駆使して今まで全く論じられることのなかった点を追及している。
それは学歴取得以前にも不平等はあり、小学生レベルでも親の社会階層によって学力が違う、ということ。
正直これは子ども心に薄らと気付いていたけどある種触れてはいけないタブーのような部分があったように思う。
やっぱり団地の子とか軽く馬鹿にされていたし、そういうのは確実にあった。
また改めて振り返り、進学校と呼べる高校に入った子をカウントするとその分布にも面白い発見がある。
最近ではAO入試というものが多いそうだが、この著者はそういったことに対しても「個性」や「創造性」が親の階層によって決められる可能性がある・・・と予言している。
これは事実そうなっているだろう。
また満足な職を得るにも親の階層が多いに関係している社会になっている。
しかもこの手の本を手にするのも親の階層が関わってくるのだ。
小学校入学時に親に配って感想を書かせるべき一冊。
因みに個人的な感覚だけど、進学校でも親の階層を感じる部分はかなりあった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
本書は、欧米との比較もまじえ、教育が社会の形成にどのような影響を与えたかを分析する。
[ 目次 ]
第1章 大衆教育社会のどこが問題か
第2章 消えた階層問題
第3章 「階層と教育」問題の底流
第4章 大衆教育社会と学歴主義
第5章 「能力主義的差別教育」のパラドクス
終章 大衆教育社会のゆらぎ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
「ゆとり教育」より、教育に「ゆとり」を。
「子どもの無限の可能性」が生む親の不安。
時間は有限だから、何か(英語)を入れれば、何か(国語)がはみ出す。
理想を追求するには高度な技術を要し、その準備のために費用と時間がかかることを認識すべき。
★教育という「魔法の杖」、教育改革という「魔法のランプ」、教育論という「魔法の呪文」。(苅谷「教育改革を語る前に」079頁以下)
日本は社会全体で担うべき様々な負担を学校に背負わせ過ぎている~フィンランドの教育との比較から観えてくるもの。
学習資本主義社会。過去に習得した知識や技術よりも、学習能力が人的資本形成の中核になる。生涯にわたって学び続けることが求められ、学び方を知っている人、学ぶ喜びを感じられる人が、これからの「知識社会」を生き抜くことができる。(苅谷233,239頁)