【感想・ネタバレ】考えあう技術 ――教育と社会を哲学するのレビュー

あらすじ

「ゆとり教育」は「学力低下」の事実によって追いやられ、「学びのすすめ」へと方針転換された。さて、では「学び」と「教え」との間に生じる関係性、つまり教師と生徒の間の知識伝達の共有は、どのように起こるのだろうか。本書では「わかる」の現象学的な試みを、教育社会学者と哲学者との間で徹底してつめていく。「いま、なぜ勉学をするのか?」という問いかけから、「私」よりも「公」を重んじようという風潮に疑問を投げかけつつ、個人の自由と社会的平等の両方が成り立ちうる地点をめざして、「ともに考え、わかりあう」みちすじを模索・考察する。

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Posted by ブクログ

「なぜ学ぶのか」。
これを哲学者と教育社会学者が語りあった、対談とエッセーを収めた本。

「学び」は「自分のため」か。
他者との関わりの中での、他者のための学びの可能性を展開できないか。
そのような可能性を探る意味でも、非常に参考になる一冊。
教員志望者には特にオススメ!

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2012年03月16日

Posted by ブクログ

 教育の哲学的な模索を対談形式でまとめたもの。非常に参考になった。ただ、現場の視点ではなくあくまで原理原則から論じたものである。お二人の述べる理想的な教育を実際にどれだけの学校が、何人の教師が実現できるのかと問えば、かなり厳しいのではないか。
 本書はそういう現実を超えて語られるところに意味があるのだろう。著書の方々が例えば5年現場で勤務すればかような意見は言えなくなるかもしれない。教室での教育だけに集中できる教員など実際にはほとんどいない。
 では、仕事の山で遭難しかかっている現場の教員こそが偉いのかといえばそんなことはまったくない。教育学の先生方には大いに理想を語っていただきたいし、現状に批判の声を投げ続けていただきたい。
 そういうことを感じさせる内容であった。

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2018年06月17日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
「ゆとり教育」は「学力低下」の事実によって追いやられ、「学びのすすめ」へと方針転換された。
さて、では「学び」と「教え」との間に生じる関係性、つまり教師と生徒の間の知識伝達の共有は、どのように起こるのだろうか。
本書では「わかる」の現象学的な試みを、教育社会学者と哲学者との間で徹底してつめていく。
「いま、なぜ勉学をするのか?」という問いかけから、「私」よりも「公」を重んじようという風潮に疑問を投げかけつつ、個人の自由と社会的平等の両方が成り立ちうる地点をめざして、「ともに考え、わかりあう」みちすじを模索・考察する。

[ 目次 ]
序章 教育と社会を哲学するために
第1章 今なぜ「学ぶことの意味」を問い直すのか(「学ぶことの意味」の変遷 個人のさまざまな自由と「学校へ行くこと」)
第2章 「自由な思考」と「知識の共有」は両立するだろうか(個人の自由と公共の利害について 知識とはどういうものか ほか)
第3章 考えあうこと、理解すること(「わかる」を掘りさげる 役割と責任)
第4章 「学ぶ意味」をどう再生するか

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2014年10月27日

Posted by ブクログ

教育の役割を社会の成員として生きていく基本能力を身につけさせることと定義づけ、読み書きソロバンや知識の類もそうだが、特に少人数でコミュニケートしていって考えを鍛え上げていくプロセス(たとえば、起業にもそれは必須なはず)を実践させる場としての重要性の指摘は、「話し合い」の形骸化があらゆる場で弊害を及ぼしている現状からして妥当なものと思える。
安直な「受験戦争」弊害論に否定的なのもうなづける。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

考え合う技術、根拠とは追体験のこと。レイブ、ウェンガー正統的周辺参加 状況に埋め込まれた学習 何かを学んでいくプロセスを個人による獲得とみなすのではなく、共同体への参加とみなす。集団との関係の変化 職業集団のように周辺から中心に行くにしたがって、他者からの承認によって生まれる学習

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2010年02月20日

Posted by ブクログ

教育の目的がぼやけている。目的を再構築しようとする本。リベラリズムに立脚しすぎていて、リベラリズムを受け入れない人には無意味な議論な気がする。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

どうして弁証法ってつまらない結論しか生まないのだろう、と深刻に考えさせられてしまう本。真剣なのは分かるし、手堅いアプローチで問題を解決しようとしている誠実さも伝わってくる。
でも、「良い子」すぎないか?話者は「良い子」がいかに現実社会で役に立たたないのか、という現状があまり理解できてないような気がする。

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2009年10月04日

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