苅谷剛彦のレビュー一覧
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「学校制度は画一的で個性を潰す。だから市場化しなければならない」というお決まりの言葉に待ったをかける一冊。
戦後日本の義務教育制度は6・3制という、先進的である意味実験的な挑戦をした。
その際に最も問題になったのは、教育資源の配分、それによる学力格差の問題だった。
1930年代は1教師が平均63.5人の生徒を受け持っており、80人を超える県もあった。
この教育条件の貧困さは教育資源の配分の問題で、戦後各地方自治体間の格差を是正するため、1952年に義務教育費国庫負担法が制定された。
最も小さな単位である学級間の教育条件に格差を作らないため、「標準法」が制定され、資源配分が細かく設定され、執 -
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米国と日本とでは大学の仕組みがだいぶ異なるのだという。確かに「米国の大学は入学するのは簡単だが卒業するのが難しい,それに対して日本では入学しさえすれば卒業は簡単だ」などということ耳にすることも多い。本書は,英国の大学に籍を置く教育社会学者による,TA(ティーチング・アシスタント)制度,シラバス及び授業評価,入学者選抜制度などの視点から書かれた日米大学比較論である。
ところで,本書は20年前に出版された同名の著書の新書版である。新書化にあたって元の著書の一部が削除され,替わりに一章及び各章末の新書版付記が追加された。しかし本書の内容は現在でも十分に読むに値する。例えば日米の大学教育を比較した第 -
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90年代の名著「大衆教育社会のゆくえ」の続編であり、大衆教育社会を成立させたのは何だったのかについて論じている本。
著者は、その原点を、学制ができてから常に問題視された教育公務員の予算(日本は階層差よりも、都市と農村(僻地)の差が大きいこと)、それによる教育標準化の流れ(学級の人数、学習指導要領、学力テスト)の中で、明らかにしようとしている。
そのような中で、学級というシステムを使って平等を作ろうとしていた面があるとも指摘している。
文章はやや難解であるので読み直す必要はあると思うけれど、自分が受けてきた環境を当たり前とせずに、史料から丁寧に読み解くことが大切だということを教えてくれた本 -
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これは非常に面白かった!!
文句なく人にオススメできる本。
「階層と教育」の問題に切り込み、この問題が戦後の絶対的貧困の解消から現在に至るまで人々にどう扱われてきたか、そしてそれらが日本人の教育観にいかに影響して、最終的にいかなる教育が生成されたかを語る。
最終章が秀逸すぎて震えた。
アメリカの社会哲学者フィッシュキンの「トリレンマ」の話もさることながら、最後の一言。
「教育に何ができるかではなく、何ができないかを語りなさい。教育に何を期待するかではなく、何を期待してはいけないかを語りなさい。」
教育関係者、特に教員志望者をはじめとする学校教育を考える方々に是非ぜひ読んでほしい!
「教 -
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東京大学大学院教育学研究科教授(社会学)の苅谷剛彦(1955-)による大衆化する教育社会における階層問題の考察。
【構成】
第1章 大衆教育社会のどこが問題か
第2章 消えた階層問題
第3章 「階層と教育」問題の底流
第4章 大衆教育社会と学歴主義
第5章 「能力主義的差別教育」のパラドクス
終 章 大衆教育社会のゆらぎ
「大衆教育社会とは、教育が量的に拡大し、多くの人びとが長期間にわあたって教育を受けることを引き受け、またそう望んでいる社会で」あり、本書で挙げられる特徴は以下の3点である。
(第1の特徴)高い高校進学率・大学進学率
(第2の特徴)「メリトクラシーの大衆化状況」の現出
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新書で体が震えたのは「ビジネス・インサイト」以来かな。
ゼミ論で使えそうだと思ったから丁寧に読書ノート取りながら読んでたけんども、考えさせられる事が非常に多い。いかに今までの自分の考えがうわべだけだったのかを実感させられる。批判的な態度で臨んでもこのざまか、という自分に失望クリスマス。歴史は偉大でした。やはり歴史的布置連関もしっかり追跡しますよ。
戦前から90年代にいたるまでの学校教育史の本。メインは戦後いかに「大衆教育社会」が成立したのか、であるよ。能力主義を嫌って平等主義をうたった方針がいかに確固たる能力主義制度を作り上げたか、またいかに不平等を覆い隠すシステムを作り上げたか(←教育の -
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[ 内容 ]
「ゆとり」か「詰め込み」か―いつまで二項対立の愚を繰り返すのか?
いつまで「左右対立」の図式に乗るのか?
観念論を排しデータに基づく政策科学を志す、まったく新しい教育論。
[ 目次 ]
序 教育の論じ方を変える
第1部 学力低下論争の次に来るもの(もう、学力論争は終わった 一九九九年風は「ゆとり教育」のほうに吹いていた ほか)
第2部 なぜ教育論争は不毛なのか―メディア篇(独立行政法人化報道に欠ける「そもそも論」 消費される「動機理解」の事件報道 ほか)
第3部 なぜ教育論争は不毛なのか―行政・政治篇(「学習指導要領」の方針大転換 教育改革国民会議を読み解く ほか)
終章 隠さ -
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北欧の子育てが絶賛されて久しいが、簡単に比べてよいものかわからなかった、そんな時、この本と出会いました。
日本の教育のよさと北欧の教育のよさを二人の対談形式で比べた、とてもわかりやすいいい本でした。
北欧の子育ても、先生のレベルも高いが、今の日本の社会の考え方や、親たちの意識や考え方では、北欧のすべてのよさを取り入れることは困難だと思えてきました。
日本の教育はいろいろな意味でもっと懐が深かったのだと納得し、この本を読んだおかげで、私なりに、小学校での親の位置づけがわかった気がします。親も、先生達も、社会も日本なりの良さの上に、北欧のいいところを取り入れられたらいいなと思っています。
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大衆教育社会がどのように完成されてきたかを述べている書。
全国学力テストが復活したことを受けて、以前のものとの比較も試みている。
その結果として、「60年代には存在していた格差が縮小したことは確かである」。
格差(都市部と農村部など)を縮小させる手段として、教育資源の独特の仕組み(劣等な教育条件の排除)があったと本書は解説している。
その細かな仕組みについては本書を参照していただきたいが、その仕組みは学習の個別化にはなじまなかったと本書は言っている。したがって、少人数学級の実現が難しく、いくつかの科目についての「少人数授業」という形をとっているのだとしている。
言葉は難し -
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苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書、2009年)を読む。
まさしく研究者の仕事だなあと感服する。
大きくいえば、戦後日本教育史の書き換えの試みである。けれど、それが圧倒的なデータに基づいて論述されるので、実に説得的なのである。
ところで、私は、2年前の2007年に「全国一斉学力調査」の結果が公表されたとき、わが国は教育の機会均等がなされているというようなことをこのBlogで主張した(タイトルは「全国学力調査(全国学力テスト)の結果が公表された 」2007年10月)。このとき、『産経新聞』は社説で、都道府県間において学力格差が生じているという主張をしていて、その原因が日教組の組織率とさも相関関係 -
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小学校英語、総合学習から始まって
現在の日本の教育需要について
対談を通して詳しく述べられた一冊。
キーワードは「ポジティブリスト」。
つまり、日本に求められる過剰な期待のおかげで
相対的に最低限果たすべきことに力が割けなくなる、
そういった実態が、この本でリアルに述べられている。
この書の最大のメッセージはまさにそこで、
いち学者といちジャーナリストの対談とは思えない
リアルさが窺える。
思えば、教育予算や授業時間は削減されているのに
教育に求められていることはどんどん増えている。
そしてできなければどんどん責任追及が始まる。
冷静に考えれば非常に酷な話であろう。
この本は教育の