苅谷剛彦のレビュー一覧
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ネタバレリンガフランカである英語を母国語として教育を行う国は、常にグローバルな競争に晒される。その一方日本では「日本語」という障壁のため、人や資金や情報の国境を超えた行き来が遥かに少ない。そこでいう「グローバルな競争」は「リアル」なもの(実感できるもの)ではない。現実味がないから、「グローバル化戦略」もインセンティブに欠け、改革も形式的で実らないのである。
グローバル化は、新自由主義経済と不可分の関係にあるが、それは「英国病」脱却のため、1979年に就任したサッチャー首相からスタートした。高等教育のグローバル化もその延長線上で、英語という言語資本を利用できる国々が、資金や人材を集めるためグローバル競 -
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この本の逸脱な所は、統計調査から精緻な分析を行い、
そこから導きだされたファクトを世に知らしめたことです。
この本の前半から中盤部分では、統計分析から、日本は既に「階層化」していると喝破し、
「親の学歴は、子の学歴や学習へのやる気」に多大な影響を与えているとしています。
出版されて、だいぶ経ちますが、このファクトを知った時は、かなり衝撃的でした。
「何となく、そうだろう」と思っていたことが、はっきりと社会科学的に証明されたからです。
また、この著作の後半部分は、より衝撃的な指摘を行っています。
それは、「今後、日本社会は、【学習能力】が資本になる」ということです。
そして、その学習能力の資 -
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刈谷先生の著書は教育問題を勉強する際に、何をおいても読むべきと考えている。
当時は、東大の教授をされており、文科省とは切っても切れない関係であったであろうことは想像に難くない。
しかし、例のゆとり教育論争では、文科省を正しい方向へ導く力にはあまりなれなかったようである。
学者らしく、きちんと論議を分けて展開しており、ロジカルでわかりやすい。
また、ごく当たり前の論理を冷静に記しており(たとえば歴史教科書問題など)、もっと教育行政に反映させるべき人物であると思われるが、文科省としては都合が悪いらしい。
最近、教育現場ではアクティブラーニングが大流行である。子供の学ぶ意欲も含めて違いがあるのに、一 -
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子供の大学の入学式で、この本の著者が来賓に招かれ、スピーチをしていたので読んでみようと思いました。
オックスフォード大学のチュートリアルという教育方法の話は全然知りませんでしたので、非常におもしろく、勉強になりました。マンツーマンに近い教育で学生を徹底的に鍛え上げ、インフォーマルな関係も含めて全人教育を施すというのは、現代の視点から見るとそうとうのアナクロニズムのようにも思えますが、これだけ世の中が効率化・均質化の方向に行ってしまった現代だからこそ、逆に極めて重要になってきているようにも思います。
子供にもぜひ読んで欲しいと思いましたが、本人は大学生活に忙しく、本には全く興味ない模様。この本に -
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「学校制度は画一的で個性を潰す。だから市場化しなければならない」というお決まりの言葉に待ったをかける一冊。
戦後日本の義務教育制度は6・3制という、先進的である意味実験的な挑戦をした。
その際に最も問題になったのは、教育資源の配分、それによる学力格差の問題だった。
1930年代は1教師が平均63.5人の生徒を受け持っており、80人を超える県もあった。
この教育条件の貧困さは教育資源の配分の問題で、戦後各地方自治体間の格差を是正するため、1952年に義務教育費国庫負担法が制定された。
最も小さな単位である学級間の教育条件に格差を作らないため、「標準法」が制定され、資源配分が細かく設定され、執 -
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米国と日本とでは大学の仕組みがだいぶ異なるのだという。確かに「米国の大学は入学するのは簡単だが卒業するのが難しい,それに対して日本では入学しさえすれば卒業は簡単だ」などということ耳にすることも多い。本書は,英国の大学に籍を置く教育社会学者による,TA(ティーチング・アシスタント)制度,シラバス及び授業評価,入学者選抜制度などの視点から書かれた日米大学比較論である。
ところで,本書は20年前に出版された同名の著書の新書版である。新書化にあたって元の著書の一部が削除され,替わりに一章及び各章末の新書版付記が追加された。しかし本書の内容は現在でも十分に読むに値する。例えば日米の大学教育を比較した第 -
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90年代の名著「大衆教育社会のゆくえ」の続編であり、大衆教育社会を成立させたのは何だったのかについて論じている本。
著者は、その原点を、学制ができてから常に問題視された教育公務員の予算(日本は階層差よりも、都市と農村(僻地)の差が大きいこと)、それによる教育標準化の流れ(学級の人数、学習指導要領、学力テスト)の中で、明らかにしようとしている。
そのような中で、学級というシステムを使って平等を作ろうとしていた面があるとも指摘している。
文章はやや難解であるので読み直す必要はあると思うけれど、自分が受けてきた環境を当たり前とせずに、史料から丁寧に読み解くことが大切だということを教えてくれた本 -
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これは非常に面白かった!!
文句なく人にオススメできる本。
「階層と教育」の問題に切り込み、この問題が戦後の絶対的貧困の解消から現在に至るまで人々にどう扱われてきたか、そしてそれらが日本人の教育観にいかに影響して、最終的にいかなる教育が生成されたかを語る。
最終章が秀逸すぎて震えた。
アメリカの社会哲学者フィッシュキンの「トリレンマ」の話もさることながら、最後の一言。
「教育に何ができるかではなく、何ができないかを語りなさい。教育に何を期待するかではなく、何を期待してはいけないかを語りなさい。」
教育関係者、特に教員志望者をはじめとする学校教育を考える方々に是非ぜひ読んでほしい!
「教 -
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東京大学大学院教育学研究科教授(社会学)の苅谷剛彦(1955-)による大衆化する教育社会における階層問題の考察。
【構成】
第1章 大衆教育社会のどこが問題か
第2章 消えた階層問題
第3章 「階層と教育」問題の底流
第4章 大衆教育社会と学歴主義
第5章 「能力主義的差別教育」のパラドクス
終 章 大衆教育社会のゆらぎ
「大衆教育社会とは、教育が量的に拡大し、多くの人びとが長期間にわあたって教育を受けることを引き受け、またそう望んでいる社会で」あり、本書で挙げられる特徴は以下の3点である。
(第1の特徴)高い高校進学率・大学進学率
(第2の特徴)「メリトクラシーの大衆化状況」の現出