阿部和重のレビュー一覧
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『青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン! 』(リトルモア)にはかなり笑わせてもらったが、本書はそれよりやや真面目(!)に映画について論じている。読んでいて新鮮だったのは、ハリウッドの洗練されたスタジオ製作システムが崩壊し、映画の表現方法(あるいは技法)がリアリズムに近接するようになったとい「時代の流れ」について言及している部分だ。70年代に入ると、ルーカス、スピルバーグ、デ・パルマ、スコセッシといったニュー・ウェーヴが登場し、アクションを機軸とした展開の速い作品がもてはやされるようになるわけだが、たしかに僕らも「生々しい映像」が映画の醍醐味と考えるムキがあるように思う。そういう意味では、1968年のアンシャンレジームへの反対運動から世界の脱構築が進み、それまでなんとなく固定化していた「人生の枠組み」みたいなものが砕けてしまって、信仰心もブッ飛んで、日々の生活が希薄化したことが原因かもしれない。「刹那」が跋扈するようになった世界は日に日に「映画のイメージ」と境界が曖昧になりつつあるようで、先を見通すことのむつかしさに改めて思いを馳せる今日このごろ。
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Posted by ブクログ
「ぼく」という幻想。
この本は『インディヴィジュアル・ブロジェクション』と
『ニッポニアニッポン』という
阿部の代表作を1冊にまとめたものである。
感じたのは人称の問題だ。
それは「ぼく」という幻想のありかを
突き詰めていくことになる。
1作目のは主人公は自分をスパイだと思う映写技師だ。
「ぼく」という一人称で書かれることで、
本当にスパイなのか、
身の回りに危機が迫っているのかどうかが
曖昧なままで物語は進んでいく。
「ぼく」の実は平凡な日常が
Гスパイ行為」というフィルターを通すと、
非日常へ様変わりしていく。
本当の「ぼく」は何なのか?
存在自体が揺らいでいく。
これは今を生きる「ぼくたち」の
不在証明のようにも思えてくる。
もう1作は、トキを逃がそうとする「春生」の物語だ。
トキは学名ニッポニアニッポンであり、
まさに日本を解放するという比喩である。
その物語が3人称で書かれることで、
行動の滑稽さが立ち上がってくる。
これもまた「ぼくたち」のもうひとつの姿に思える。
日本の今という現実に閉じ込められて、
「ぼくたち」は歪んでいないだろうか?
「ぼく」という存在の
幻想を暴く1冊だ。 -
Posted by ブクログ
84点。特別な存在でありたいと願う主人公は、ひたすらに体を鍛え、思索にふける。主人公と語り手は同一人物なんだけど分裂し、ひたすらに自己言及しまくる。タイトルはトリュフォーの映画そのままだが、主人公が至るところはこの映画、もっといえばヨーロッパ映画的な主題に通低するもの。現実の虚構化、日常の演劇化、みたいな。
映画や小説を「泣けたわ」「笑えたわ」とシンプルな感想を吐くだけの一娯楽として、あるいはコミュニケーションのネタとして消費する昨今の潮流に逆らい、批判的精神を常にもちメッセージを見い出すべき、みたいな一昔前の教養主義的なお寒い考えで映画鑑賞や読書にひねもす明け暮れながらも、目的があるわけでもないので、当然仕事なぞするわけもなく、のんべんだらりとした生活を送っているか、そうありたいと心から思っているタイプには強く共感できる内容。
なんと気恥ずかしくもピュアな青春小説だと思うに違いない。