嶽本野ばらのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
野ばらちゃん(今回はそう呼ばせてもらいます)の本はこれで12冊目。私の読書遍歴の中で、野ばらちゃんほど特異な位置にある作家は居ません(ちなみに私は乙女でもなければ女のコでもありません)。これには正直、自分でもよく分からないのですが、でも結果として、私は文庫本『ミシン』を初めて読んだ時から、Vivienne Westwoodなんて全く知らなかったのに、野ばらちゃんの小説に、そして野ばらちゃんの書く強い乙女たちに魅了されてきた男性読者の一人だったのです。そんなことを最近、『それいぬ』等の代表作を読むようになって強く感じます。
私話が長くなりましたが、本作『下妻物語』も『それいぬ』同様野ばらちゃんの代表作です。いよいよ野ばらちゃんが大好きになった今だからこそ読んでみました。
めちゃめちゃ良かったです。アカデミックでペダントリーな野ばらちゃん作品も大好きですが、今作みたいなギャグも、そして変わらない野ばらちゃんらしさも、すごく好きです。
ロリータに生きる竜ケ崎桃子ちゃんがロリータを語る序盤の段階で、「これぞ嶽本野ばらの描く乙女だ」「私が憧れ、自分に正直になろうと思わせてくれた乙女だ」と、早すぎる涙をほろと流したのはいい思い出です(笑)。どこか別の感想にも書きましたが、「我を貫く」ことがどれだけ勇気のいることか! 人は最後には結局1人で死んでいく。どんなに愛し合った後でも異なる夢寐に生きる。それなら自分が見つけ出した価値観を尊重せずしてなにになる! それで自分が排されるならそれでいい。一人でいい。人間じゃなくたって構わない! ……と、こう考えられる桃子ちゃんは本当にすごいなぁと、自分もそうなろうと……ウッ……
ロリータに生きることとは、超ワガママであることであり、アナーキーであることであり、パンクであることである! という思想は、『ミシン』から綿々と私の根底に備わっています。今作でそれを体現してくれたのが桃子ちゃんであり白百合イチゴちゃんでした。イチゴちゃんもとっても素直でバカだけどカッコいい子でした。高校デビューからの日々が意外と壮絶でしたが…。
ヤンキーもロリータも根底にあるのは同じ、自分を曲げないこと。それは本作の中にも様々なエピソードとなって現れています。桃子ちゃんはヤンキーを「ダサい」と言い、イチゴちゃんはロリータを「ヒラヒラ」だと言いますが、決してお互いの主義を否定することはなく、受け入れてくれます。イチゴちゃんが泣いても桃子ちゃんは言葉こそかけませんが、 イチゴちゃんが泣き終わったあとに「大人になったんだよ」と言ってくれるのです。だからこそ、このふたりがお互いに作用し合い、影響を受けあって、とうとう物語の最後の最後に「サイコーのダチ」となる瞬間は感動ものです。……それも、その辺に転がってそうな、甘ったるい「感動モノ」ではないのです。私は野ばらちゃんの作品が持つこういった側面…なんだろう、本当の物語というか、そういった感慨を含んだ小説をずっと求めてたんだと思います。だから、野ばらちゃんのお耽美な文体もも、ギャグも全部好きだし好きになりました。『下妻物語』は、決して簡単ではない感動を私に与えてくれたのです、本当に。
さて、ごちゃごちゃな感想だけどこのくらいにします。わたしは、自分を棄てたくなってしまった時、野ばらちゃんの本を読むことにしています。『下妻物語』も、今を生きる私にとってのバイブルと足り得る、とってもステキな作品でした。 -
Posted by ブクログ
「乙女のバイブル」と呼ばれた本作には、野ばらさんの美的観念が結晶のように凝固しています。あとがきで野ばらさん本文を「ペダンチック」「青臭い」などと述べていましたが、私はこの増幅系の、歪みきった野ばらさんの文章が大好きだと言うことに今更、本当に今更ながら気がつきました。
『ミシン』や『エミリー』を読んで受けた衝撃、蜂蜜を嘗めるように読んだ甘美な文章、我を貫く少女たち、──「君」と寄り添い、「乙女」と寄り添ってきた数数の文章──それら全てが『それいぬ』に始まり、『それいぬ』に帰趨するのは当然のことでした。今回、ある程度野ばらさんの著作を読んでからこの『それいぬ』を読めたこと、そしてどんな姿の自分であっても、それが傍目からは歪んでいたとしても、それを貫く強さ、「根性」を観測できたこと……私は私を好きな私でありたい。私はいつまでも変わらぬ私でありたい。本書は私にとってもバイブルです。どれだけ朽ち果てていても、美しく、廓寥が静謐であり続ける廃墟となった教会で、いつまでも、いつまでも読んでいたいバイブルです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレここまで物語の前半と後半で印象の違う小説はそうないと思う。
今まで自分が読んできた嶽本野ばら作品の中でも、秀でて告白ぐあいがすごい。どうしてこんなに倒錯した美しい世界を書くことが出来るのだろう。自分にはどう足掻いたって届きそうもない恋物語が、この小説にはある。それに恍惚として、ちょっと哀しくなる。この感覚は一生忘れない。自分は嶽本野ばらさんの作品の他に、醜いとみなされているものに具備する美しさを赤裸々に語れる作品を知らない。
印象に残ったのは「僕」と「館主」のマリアについての会話と、「貴方」がyohji yamamotoを着る理由、そして、「貴方」の「僕」に対する思いだ。
ブルーフィルムに生きるアングラ世界の住人、「館主」に「僕」は「最低ですね」と言うが、読んでいて自分もそう思った。しかし、「館主」が話を進めていくにつれ、彼の「美学のあるエロス」を聞いていくにつれ、印象がガラリと変わっていく。醜いと思っていたものが、突如、眩しいまでの美しさをまとい始める。
「貴方」は「僕」を閉じ込める監獄であり続けた。「僕」は「貴方」を憎み、愛し、求めた。が、それゆえに「貴方」はまた、不安になっていったと語る。永遠の幸せを信じることが出来なかった、と。やはり「貴方」に対する自分の印象も、ここでガラリと変わる。そして「貴方」――「永久に枯れない薔薇」は、気高くyohji yamamotoをまとった女性であり続ける。このような嶽本野ばら独特の、「貴女」=yohji yamamoto といったファッションの役割が、ものすごく好きだ。
今、この本にはたくさんの付箋が貼られている。すべて自分が興味を持った、或いは心を動かされた会話や表現だ。これ以上語ることも難しい。今はとにかく余韻に浸りたいような気がする。そこで、この小説で心に残った文章を引用して、強引であるけれども感想としたい。・・・・・・本当に大好きになった本でした! ありがとうございました!
『背が高い、顔がいい、手先が器用だ。――そのようなことと同一に、ハンディキャップを飽くまでポジティブに捉えようとする者達がいる。館の女優達は皆、そうなのだ。彼女たちは女優として生きることに己の誇りを持っている。彼女達は強い。しかしそれは最初からあったものではないでしょう。誇りと強さを内に秘めるまで、どれだけの煩悶と挫折、葛藤と自己嫌悪を乗り越えてきたことか。彼女達は美しい。何よりも美しい。』(本文より) -
Posted by ブクログ
信頼を置いている野ばらちゃん作品。
今回は他の作品に比べてかなりハードな性描写で休憩を挟みながら読んだが、「貴方」の痛いほどの女らしさが眩しくて心を奪われた。
見返すと殆どのページが性描写。(ただし、厭らしさ<耽美)
こんな内容なのに(だからこそ?)愛してると一言も言わなかったのが最初からねじ曲がった愛だなーと思う。
「貴方」は他の人ができないことを簡単にやってのけて、他の人が簡単にできることができないタイプの人間かな。
また、最初にいた主人公の彼女も中々に大人だと思った。
プラトニックラブがあるように、性的な魅力だけを愛する愛を肯定しているあたり。
やっぱり魅力的な女の人は考えすぎて何考えてるかわからない人。
あと、野ばらちゃんお得意のメゾンの名前を並べる表現、私はあれ大好きです。
野ばらちゃんの作品を読んでいると現代でよく言われている「モテる女の子の特徴!」みたいなのがよりいっそう馬鹿馬鹿しく感じてくる。
本当にモテる「女のコ」はそんなんじゃないのにねーって野ばらちゃんと語り合いたいな。
周りの人に勧めることは絶対にしない、わかる人に分かればいい作品。
野ばらちゃん作品を一通り読んだらまた戻ってくると思います。 -
Posted by ブクログ
映画を見て原作に興味を持った。エンドロールの途中で、「え、原作とかあんの。」って。
シンプルに面白い。映画よりも作者の色が濃く出ていて笑える。
割と初めの方にある「(頭の悪い人、少しだけ我慢してくださいね)」で、声出して笑った。
お馬鹿さんにロココは少し難しいですわね。
桃子(の中の人、野ばら先生)の強気な感性が光っていて好きな部分だ。
ヤンキーの才能がある桃子と、性根が真面目なイチゴ、この対比が堪らなく愛おしくて、好きで、大切で、もはや幸せにしたい。
桃子みたいに、ブレない自分の哲学を持ちたいなあ。
彼女の飄々とした生き方は憧れるものがある。
おちゃらけていて不真面目感満載で危険な気がする。
けどそれも悪くないのかな。とか思うのは既に影響を受けてしまっているのか? -
Posted by ブクログ
14歳の時、自分がどうだったか、どの様な考えで日々を過ごしていたかを振り返ってみるが、思った以上にぼんやりとしていたんだなあ、と気付く。
部活に打ち込んでいた訳でもなく、勉強も悪目立ちしない程度、見てくれも無頓着、社交的でもなかったので当然の様に恋なんて縁が無かった。
ところがこの小説の主人公・仲葦さんと藤森君は確固とした自分を持っていて、周囲から浮いていようが後ろ指を指されようがひたすらに愚直である。今の感覚で読めば幼い恋模様だと思うが、デートひとつに全力で悩み、走り、喜ぶ。
その姿がすごく羨ましく、生き生きとして、まぶしい。
そんな二人の様子を共有してきた我々読者にとって、物語の終わりはあまりにも淡々と、あっけないもので「無難」である。この終わり方も何とも言えず胸を締め付ける。
どうしても藤森君の強烈なキャラや過剰な名古屋弁に目を奪われがちだが、心情の変化と街の変化を重ねたりと嶽本野ばら氏による感情の繊細なくすぐりが大変心地よい。
栄の三越屋上の観覧車の場面とか最高。
名作だと思う。
1刷
2021.1.15 -
Posted by ブクログ
面白かったです。
美意識の高い、美しく高慢なハードコア乙女の楼子さん大好きです。所々、発言が過激なのが良いです。
美肌に固執する楼子さんが発症した、龍烏家の女性特有の遺伝病・鱗病。エリザベート・バートリーも鱗病だったのでは…からの血塗れなお話でした。黎子叔母さまも素敵。
現代を嫌悪する…という美意識が出てくるからか、今回のお洋服はVivienne Westwoodでした。兄の琳太郎さんはCOMME des GARCONS。コム・デ・ギャルソンは後程検索してみよう。。
「外見をどう取り繕うかを決定するのは内面」という楼子さんの言葉はとても腑に落ちる大好きな言葉です。わたしはまだまだ乖離しているけれど、いつかきっと。
醜悪な鱗病、黎子叔母さまはその為に恋や愛を失ったけれど、楼子さんと琳太郎さんはふたりの世界で強く生きていくことでしょう。それは幸せだと思います。
なんだか、「鱗姫」を読むと心が強くなります。わたしに美しさは全くないけど…不思議。