あらすじ
乙女のカリスマ作家・嶽本野ばらの名作、「下妻物語」がとうとう電子書籍化!四方八方田んぼだらけの茨城県下妻。そんな田舎で浮きまくりのバリバリロリータ少女 ・ 桃子は、大好きなお洋服欲しさに始めた個人販売で、これまた時代遅れなバリバリ ヤンキー少女・イチコと出会う。見た目も趣味も全く違うこの二人。わかり合えるはずはないのに、やがて不思議な友情が芽生えて……。 ギャグぶっちぎり! 思いっきり笑ってほんのり泣ける爆走青春ストーリー。あの「温泉卓球」コマーシャルを撮った CFディレクター・中島哲也氏が自ら監督を名乗り出た素敵な素敵な映画化原作!
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桃子ちゃんの生き方に強く共感した。今までのわたしならしなかっただろう。わたしも刹那的に、ロココ的に生きたい。苦しいことなんて味わわず、甘いところだけを食べて贅沢に生きていきたい(おフランスに生まれたかったとまでは思わないけれど)。映画との違いもあったが、どちらにも良さがあるなと感じた。
嶽本野ばらの文章には不思議なリズムがある。とにかく句読点が多い。また、なんとなく児童書に似た雰囲気も感じ取れる。主人公が読者をめちゃめちゃ意識している。それから、お洋服に関する描写は目を見張るものがあった。どこまでが元々の知識でどこまでが調べた知識なのだろう。7/8
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嶽本 野ばら
(たけもと のばら、1968年1月26日 - )は、日本の作家、エッセイスト。本名:嶽本 稔明(たけもと としあき)[1]。代表作は『下妻物語』など[1]。京都府宇治市出身。デビュー当時、誕生年は1745年(ロココ朝全盛期)であると自称しており、実年齢は非公開としていた。幼少時代は読書に否定的な両親のもとで、横溝正史などを隠れて読み育った。大阪芸術大学芸術学部文芸学科中退後、1987年から美術、音楽、演劇などの活動を行う。1990年、雑貨店「SHOPへなちょこ」の店長となる。1992年から1997年まで、関西のフリーペーパー『花形文化通信』にエッセイ「それいぬ――正しい乙女になるために」を連載し熱狂的支持を受けたことがきっかけとなり[2]、1998年『花形文化通信』での連載をまとめたエッセイ集『それいぬ――正しい乙女になるために』(国書刊行会)が単行本化され、以降雑誌などにエッセイを発表して少女たちの支持を集める。2000年、知り合いの編集者のすすめにより初の書き下ろし小説集『ミシン』(小学館)を執筆し小説家としてデビューし、翌年には『ミシン』に収録された「世界の終わりという名の雑貨店」が映画化された。小説家としてデビューした理由は、エッセイが純粋なエッセイストではなく作家や著名人によって書かれており、作家という肩書きを持ったほうがエッセイの依頼が来やすいと考えたためである。2003年、『エミリー』が三島由紀夫賞候補となる。2004年、『ロリヰタ。』が三島由紀夫賞候補となる。同年、『下妻物語』が映画化された。2007年9月2日に大麻取締法違反(所持)の現行犯で逮捕され[2]、同年10月31日に懲役8か月、執行猶予3年の判決を受けた。2010年11月、猶予期間満了。復帰第一作の『タイマ』はこの事件をモチーフにした物語になっている。2014年、2月に『破産』が舞台化された。2015年4月23日、麻薬取締法違反の疑いで逮捕[3]。3月上旬、台東区上野の路上で麻薬成分「5F-QUPIC」を含む植物片約2グラムを所持した疑い。同年7月15日に懲役2年6ヶ月、執行猶予5年の判決を受けた。同年8月2日に自身のブログにて、事件の経緯ならびに謝罪を公表している。2023年、映画『ハピネス』の制作発表。2024年公開予定。中原淳一、高橋真琴らの少女文化の後継者を自任しており、ロリィタ趣味、怪奇趣味などを織り込んだ作品を発表している。極端な作風から好みの分かれがちな作家であるが、『下妻物語』はこの作家としてはやや異色で軽快なストーリーが広く人気を博した。吉屋信子の少女小説をはじめとする日本の少女文化に広く精通しており、作品にそれを生かしていることや、太宰治などの文学作品の影響をうまく消化して現代小説に生かしている点は評価されるが、性描写の乱用、破滅的なストーリーが多いことがよく批判される。このことについて作家曰く「魂の双子達が必然に迫られ永遠を求め結合に至ります。」とTwitterで解説を述べていた。過去に小説家としてデビューする前に1度だけ毎日放送で1992年から1994年までに放送されていた関西ローカルの深夜番組「テレビのツボ」に出演したことがある。“赤・青・黄色の三原色”について、この時、赤-主役、青-クール・キザ、黄色-へタレ・笑われキャラ、というテレビにおけるキャラクタのイメージを色彩によって表現するパターンを展開した。音楽活動については関西在住時代に現代美術家を目指し個展を開いた時に行われた「嶽本野ばらwith unit noise」、赤星のメンバーに誘われ結成された「ジャーリンカーリン」、「嶽本野ばらとひめゆりの楽隊」、世界で一番音の小さなパンク「死怒靡瀉酢」をしていた。1994年9月に放送された「輝け!ロック爆笑族3」に出演したことがある。2015年からアマリリス改の研究生として参加している。“乙女のカリスマ”として、ロリータファッションの世界を牽引しつづけている。2009年頃からアニメ作品、同人など、いわゆる二次元文化に傾倒し賛否両論を受けるが、好む作品の傾向は、この作家のかねてからの少女文化、百合、エスへの追求に準じたものである。執筆について、Mac Proのwordを開き、20文字設定にし、日本人作家では珍しく横書きで執筆をする。プロットは作らず、綿密な下調べ、現場へ足を運んで取材をしていくうちに頭の中で物語の形ができていくという。過去には『下妻物語』での現地取材にて土浦のキャバクラへ行き、キャバクラの店員さんにヤンキーはどのルートをバイクで走るのか?とテーブルに地図を広げて取材したり、『ハピネス』では、なかなか許可の下りない火葬場への取材に黒い服と黒いネクタイをして突撃潜入取材を敢行したり、『通り魔』では岐阜の縫製工場を取材し、直接現場へ足を運び取材することを大切にしているとトークショーで語っていた。近年はどんぐりの実を好み、作者自身の眼鏡のストラップの先にも、作者自身の手芸で作ったどんぐりのアクセサリーを装着したりしていた。どんぐりを使ったアクセサリーを手作りし読者へ頒布したりしていた。手作りがマイブームの時には「イーハトー坊」という名で手作りグッズを頒布していた。2017年7月25日~30日には、澁澤龍彦没後30年に際し澁澤をリスペクトし作者発案の展覧会「ノバラ座」を京都ライト商會にて開催した。期間中は作者が解説を担当した澁澤龍彦アンソロジー本「極楽鳥とカタツムリ」(河出書房)、作者自ら創作のボタニカルスペシメント(押し花)、コキヤージュ、鉱物などを展示販売、作者が創作した極楽鳥のモニュメントなども展示。29日30日にはトークショーと作者書き下ろし戯曲「鱗姫」を作者の指導の下で参加者が朗読し演じるイベントが行われた。2017年9月17日~18日には、7月に京都で行われた「ノバラ座」の東京公演「ノバラ座ANNEX」が神保町北沢ビルブックハウスカフェの2階ギャラリーにて行われた。このイベントでは、作家が所蔵しているオーブリー・ビアズリー、J・J・グランヴィル、H・ヴィルビーク・ル・メールの他、ジョンテニエルのアリスの絵など展示。京都での展覧会同様に作者自ら創作のボタニカルスペシメント(押し花)、貝殻、鉱物、マッチなど展示販売された。2018年1月19日から1月27日まで京都ライト商會にて「ノバラ座-make a book project-」を開催した。このイベントでは、アルフォンス・ミュシャ、高橋真琴のイラスト、作者が創作した極楽鳥のモニュメント、縛られたクマのぬいぐるみの展示の他、作者自ら創作のボタニカルスペシメント、コキヤージュ、鉱物、栞など展示販売。作者執筆の戯曲「劇版鱗姫」全章の販売、CD-ROM販売、直接、戯曲「劇版鱗姫」のレーザープリントアウト販売もされた。26日27日には作者の満50歳の誕生日会が開催された。「make a book project」とは「劇版鱗姫」の校正を校正班有志と校正のやり取り、プリントアウトされた原稿を読者の各々が劇版鱗姫を製本する作業の過程で、主に作者自身は和綴じ製本をすることを推奨していた。27日には麻紐群舞パフォーマンスが披露された。麻紐群舞とは、作者によって参加した読者、会場の空間が麻紐によって縛られていくパフォーマンスのことである。2018年9月11日~16日まで京都ライト商會にて「ノバラ座 TUNTSU AMOR RADICORUM 中井英夫のために」を開催した。このイベントでは、会場の床に薔薇の造花が敷き詰められた空間がディレクションされ、中井英夫をテーマとした展示が行われた。作者の50歳記念トランプが販売された。他には、ポートレート、貝殻で作られたネックレス、鍵で作られたネックレス、使用済み切手の標本、鉱物、当てものくじが販売された。15日16日には作者のトークショウ、演劇の稽古、50thトランプを用いてババ抜きが行われた。
下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん (小学館文庫)
by 嶽本野ばら
ロココの代表画家である中の一人、ヴァトーの絵画を構成するロココ的な要素を更に過剰にして作品に反映させたブーシェに対し、同年代に生きたディドロ(何をした人なのかはよく 解らない。百科事典を 編纂 したことがあるということしか、私は知らないのです。おフランスの 金田一京助 みたいなものか? 金田一は国語辞典の編纂だし……多分、違うな)という人はこんな発言をなさっています。「道徳的に堕落しており、優雅というものを理解せず、真実というものを知らず、自然を決して見たことがない人物であり、趣味に欠けている」。また彼はこうもいってます。ブーシェの絵画は「優雅さ、甘ったるさ、空想的なギャラントリー、コケットリー、安易さ、変化、輝き、化粧っぽい肌の色、みだらさ」しか持ち合わせていないと。この人、優雅というものを理解せずと一方ではいいながら、優雅であるといったりして、 非道 く矛盾したご意見を発表なさっているのですが、とりあえず、ロココ的なるもの全てが大嫌いだったのでしょう。でも彼の悪意に満ちたブーシェ、そして彼の絵を通して批判したかったロココという文化への酷評は、そのままロココを愛する者にとっては 誉め言葉にすら読めてしまうのです。道徳や真実よりも、優雅さや甘ったるい感情、空想 癖 などを尊重し、これからどうなるか解らぬ人生に意味を与えることより 刹那 の恋に 溺れ、論理も慣習も無視して自分が今、確かに体験している享楽にしか価値を与えない――それがロココなココロ( 洒落 てみた。笑ってね)なのです。どんなに考え抜いて苦悩した結果、導き出した結論であっても、つまんなければ、美しくなければ認めない。冗談半分に作ったものであっても、生理的にお気に召してしまえば、それに価値を与える。他人の評価や労力を査定の対象とはせず、自分自身の感覚…
私はお祖母様から、自転車を買わないとここでの生活は何かと不便だよと引っ越してきた日に教えられましたが、どうしても自転車に乗る気にはなれませんでした。だって私はロリータなのです。学校に行く時は制服なので、自転車に乗っていても違和感はありませんが、学校以外の日常で、つまりロリな格好をしている時に自転車を使うことは、ロリの道に反しているような気がするのです。
そんな茨城、そして下妻に、ロリータなど生存する 筈 もありません。多分、ロリータというジャンル自体を、茨城の人々は知らないのではないかと思います。制服姿でいる時以外、つまり私が BABY, THE STARS SHINE BRIGHT のお洋服に身を包み、自分本来の姿、ロリータに帰る時、周囲の人々はですから、まるで珍獣を見るかのようにじろじろと眺めまわしました。同世代と思われるヤンキーの男子の一団から「あそこに変な格好した女がいる」「どれ? わ、何あれ」「頭、おかしいのかな」「テレビの撮影が来てるのかも」「それじゃ、芸能人かな」「それにしてはブスだぞ」「ブスでも芸能人ならサイン 貰わなきゃ損だぞ」と談義され、追いかけられ、猛ダッシュで逃げ、しかし靴は厚底のロッキンホースなので途中で転び、地面に顔面を 強か打ち付け、鼻血まみれになることもしばしばでした。それでも私はロリータであることを 止めませんでした。どんな困難があろうと、ロリータは私の存在理由。難しくいえばアイデンティティ。それを捨て去ることは自分を 欺くことだからです。
高校生になり、私はその決意を実行に移すべく、尼崎から 阪神 電車に乗り、 梅田 のマリアテレサに向かいました。Jane Marple のお洋服も MILK のお洋服も、雑誌で見るより本物を見る方が 遥かにキュートでした。が、私はそんな 憧れのメゾンのお洋服と一緒に扱われている、聞いたことのないメゾンのお洋服に心を奪われ、魂を抜かれ、帰らぬ人となってしまったのです(合掌)。私の心を撃ち抜いた憎いあんちくしょう、オレンジ色の憎い 奴(それは夕刊フジでしょ、と、うら若き乙女達には 解らぬであろう、オジサマ向けのギャグも織り込んでみました)、それこそが BABY, THE STARS SHINE BRIGHT のお洋服でした。私が求めているものの全てが BABY のお洋服には存在しました。どうしてここまで私の趣味 嗜好 を具現化したお洋服が存在するの、ねぇ、このお洋服は、 否、このメゾンは 沢山 の女のコに支持されてこそ成り立っているのだろうけれど、私だけの 為 に存在すると思ってもいいですよね。私はストロベリー型の大きなピンク地の上にハートっぽいゴールドの飾り 罫 が 施された赤地が重ねられ、その中に華麗な金の書体でメゾンのロゴが入ったプライスタグの付いた、その時、並んでいた BABY のお洋服の中でも 一等、気に入ってしまったフロントの胸の部分がシャーリングになっていて、それに 被さるように三段のレース切り替えがサイドに施された、各所にアクセントとして付けられた赤いリボンとコサージュ風の 薔薇 のモチーフが劇的にラブリーな赤いギンガムチェックのワンピースを抱えてそう 呟きました。試着をして、私は迷うことなくそのワンピースを購入しました。そして持ち合わせのお金が少し余っていたので、BABY のマークが入った白いハイソックスと、上部がリボン通しの付いた大きなレースのやはり白のハイソックスも買うことにしました。お財布の…
BABY, THE STARS SHINE BRIGHT の直営店は、代官山駅から徒歩で約三分、 八幡 通り沿いの白い代官山東急アパートメントというビルの一階にありました。代官山といえば昔から、渋谷や青山あたりでは物足りないというお洒落 上級者さんの 集う場所であり、そこにはそれらの人々を満足させるハイセンスなお店が建ち並んでいることで知られている地帯です。ですからそんな場所にお店を構えるには、お金がかかる、でもその代わりお洒落リーダーさんの称号を手に入れられる訳ですが、私が BABY のお店を訪れた時、お店の外にも中にも、「私達はお洒落な場所でお洒落なことをやっています!」という気負った空気は、 微塵 も感じられませんでした。というよりも、代官山で身構えるお洋服のお店にしろカフェにしろ他のショップが、競ってそのような空気を漂わせている中で、BABY だけはひっそりと、「 否、 偶 々、代官山に居るだけで、別に渋谷でも 三軒茶屋 でも良かったんですけど……」という控え目な態度を取っているようにさえ思われました。いい意味でも悪い意味でも、BABY, THE STARS SHINE BRIGHT は、代官山にそぐわないお店でした。東京でロリータ系のお洋服のメゾンのお店が集中しているのは原宿です。最近は新宿のマルイワンの中にロリータ系のお店が増えてきたので、新宿もロリータの活動地域となりつつありますが、やっぱり基本的な拠点は、ロリータの聖地、ラフォーレ原宿を中心とする原宿にあります。ロリータというファッションは、ソリッドさや機能性、流行や洗練というものとは、 敢えて逆の方向に 矛先 を向けて成立するものです。引き算の美学がデザインの基礎ならば、やり過ぎの美学こそがロリータのベースとなります。普通に 穿けばドレッシーなスカートなのに、中にパニエをどっさり仕込んでシルエットを誇張し、エレガントと悪趣味のギリギリの…
私はこの人の手紙も無視することにしました。手紙自体に問題はなかったのですが、私は見知らぬ男性と電話で話すなんてことが出来ないのです。見知った男性でも私は親しくするのが苦手でした。私は多分、軽い男性恐怖症なのです。というより、男性 嫌悪 症かな? だって男子って、汚いし、臭いし、ガサツだし、気持ち悪いのですもの。 結局、私は茨城県、そして同じ下妻市に 棲むという 白百合 イチコという人にだけ、連絡を取ることにしました。「竜ケ崎さま。ベルサーチのものを、どーかゆづってください。
ダサい。やっぱり全てが 半端 でなく、ダサい。センスとか、そういう問題ではなく、何か全てが狂おしく、絶望的にダサい。笑えないくらい、悲しくても涙が出ないくらいに、ダサい。大丈夫か、こいつ。そう思いながら、私は爆音を立て、髪をなびかせて田んぼの前の道を改造原チャで走り去っていく彼女を見送るしかありませんでした。
「最初はさ、少しでもバイクのことが勉強したくて、それにいろんなパーツを安く手に入れられるかもしれないっていう計算もあって、面接を受けたんだよ。ところがさ、仕事を 憶えていくうちに、本当のバイクの面白さっていうかさ、奥の深さが 解ってきてさ。廃車寸前のバイクでも、エンジン修理したり換えたりして、ボコボコになったフレームは型を 先ずとって、その型を参考に新しいフレームを作ってチェンジすれば、見事に生き返るんだぜ。まさにモノホンの職人の 技 だぜ。そんな仕事を見せられているうちに、あたいも、カッコだけじゃなくて、モロにバイクというものに 魅せられていったんだ。二人の技術を習得して、自分もバイクの修理やカスタムを専門とする職人になりたいと真剣に考えるようになったんだ」
「嗚呼、マジ、感激だよ。ところでお前は、学校卒業したら、どーするんだ」 「何も考えて、ない」 「二年だぞ。自分の将来、きちんと考えろよ。まぁ、お前は進学校に行ってるし、大学に行くんだろうけどな」 「それも決めてない。大学ってつまんなそうだし」 「じゃ、働くのか」 「それは、 嫌。労働は私の趣味じゃないから」 「一生、ブラブラしてられないだろ」 「無理かな?」 「お前はさ、あたいより好きなものとか、自分が求めているものをよく解ってるだろ。それならそういうことに 携わる仕事を見つければいいじゃんか」 「好きなことを仕事にするのって、抵抗あるの」 「何で?」 「きっとお仕事にしたら、やりたくないこともやらなければいけないし、自分が好きだったものの裏側を見てしまうから。そうするときっと、つまんない」
「そんなこといってたら、社会で通用しないぞ。半チクのままだぞ」 「通用しなくても、何とか生きていけるよ」 「甘いな。世の中、ナメてると痛いメに 遭うぞ」 「世の中ナメて暮らしていくというのが、私のテーマなの。私はロココ主義だから。ロココは真のアナーキーなのよ」 「アナーキー? それって昔のゾッキーが夢中になったバンドだよな。今もバンドは続いてるみたいだけど」 「そんなバンド、知らない」 「物知らずだな、お前は。お前、どんな音楽、聴くんだ?」 「バッハとかヨハン・シュトラウスとか」 「そんなバンド、知らねーな」 貴方 の方がよっぽど物知らずです。 「白百合さんは、何、聴くの?」
「そうだよ。本当はイチゴなんだよ。何でそんなメルヘンな名前付けたのか知らねーけどよ、あたい、白百合イチゴなんだよ。でもそんな名前でヤンキーやってられないだろ。だから皆にはイチコって名乗るし、テストの名前を書く欄にも、わざとコにつく点々を書き忘れて、イチコにしてるんだ」 「イチゴ、 可愛いじゃん」 「それが 嫌 なんだよ」 「イチゴ、イチゴ」 「るっせーな。何でお前みたいなヒラヒラが桃子なんてイカした名前で、あたいがイチゴなんだよ」 「取り換えっこしたいよね」
「弱いよ、とても。だから強い振りをしているの。自分の中で自分の弱さを 赦してしまったら、なし崩しになっちゃうもん。自分を甘やかしちゃいけないと思う。弱いからこそ、自分だけは自分に厳しく接しなければならないと思っているだけ」
Posted by ブクログ
最高に面白いです
基本は推理小説だけど、桃子とイチゴの会話とか、桃子のぶっ飛び方、息をするようにつく桃子の嘘とか、はまりました
息をするように嘘をつくことに憧れる
Posted by ブクログ
中学生の頃、いじめられていた時に学校で読んでいた。大人になって改めて読むとそれはそれは当時のわたしの指針になっていたのだなぁと思い出して泣いてしまった。野ばら先生、生まれてきてくれてありがとう。
Posted by ブクログ
眩しい青春小説。
お互いの信念をリスペクトして、背中を押してくれる。
「なれると信じる自分となれると信じるダチがいれば、なれるんだよ。」
この言葉がこの本を表していると思います。
Posted by ブクログ
趣味が正反対でも、思想が合わなくても、学校の偏差値が天と地ほど隔たっていても人間は「ダチ」になれる。サイコーですね。人間が友達になるのに必要なのは自分の生き方に筋を通すこと……そんな友達がいるなら、絶対離しちゃだめなんだと強く思いました。
Posted by ブクログ
嶽本野ばらは、いつも気になる作家さんだ。
私自身はロリータファッションをする人でもなく若くもないけど、嶽本野ばらの作品からはロリータはただファッションではなく生き方そのものなのだ、ということがよく伝わってくる。
「スリーピングピル」、「シシリエンヌ」、「タイマ」と読んできて4冊目。
話のテンポもよく、夢中で読み進めてしまった。
他の作品も一通り読むつもり。
Posted by ブクログ
ヤンキーとロリータの女の子の友情物語…と言ってしまうと陳腐な感じがするけど、全然そんなことない。ふたりの生き様がかっこよくてしびれました。そして友情がないと言いつつもお互いの胸の裡にはたしかに友情が在って、とても胸があたたかくなりました。友情っていう安っぽい言葉がないからこその絆みたいなものを感じました。ふたりが将来どうなるのか楽しみですね。
Posted by ブクログ
野ばらちゃん(今回はそう呼ばせてもらいます)の本はこれで12冊目。私の読書遍歴の中で、野ばらちゃんほど特異な位置にある作家は居ません(ちなみに私は乙女でもなければ女のコでもありません)。これには正直、自分でもよく分からないのですが、でも結果として、私は文庫本『ミシン』を初めて読んだ時から、Vivienne Westwoodなんて全く知らなかったのに、野ばらちゃんの小説に、そして野ばらちゃんの書く強い乙女たちに魅了されてきた男性読者の一人だったのです。そんなことを最近、『それいぬ』等の代表作を読むようになって強く感じます。
私話が長くなりましたが、本作『下妻物語』も『それいぬ』同様野ばらちゃんの代表作です。いよいよ野ばらちゃんが大好きになった今だからこそ読んでみました。
めちゃめちゃ良かったです。アカデミックでペダントリーな野ばらちゃん作品も大好きですが、今作みたいなギャグも、そして変わらない野ばらちゃんらしさも、すごく好きです。
ロリータに生きる竜ケ崎桃子ちゃんがロリータを語る序盤の段階で、「これぞ嶽本野ばらの描く乙女だ」「私が憧れ、自分に正直になろうと思わせてくれた乙女だ」と、早すぎる涙をほろと流したのはいい思い出です(笑)。どこか別の感想にも書きましたが、「我を貫く」ことがどれだけ勇気のいることか! 人は最後には結局1人で死んでいく。どんなに愛し合った後でも異なる夢寐に生きる。それなら自分が見つけ出した価値観を尊重せずしてなにになる! それで自分が排されるならそれでいい。一人でいい。人間じゃなくたって構わない! ……と、こう考えられる桃子ちゃんは本当にすごいなぁと、自分もそうなろうと……ウッ……
ロリータに生きることとは、超ワガママであることであり、アナーキーであることであり、パンクであることである! という思想は、『ミシン』から綿々と私の根底に備わっています。今作でそれを体現してくれたのが桃子ちゃんであり白百合イチゴちゃんでした。イチゴちゃんもとっても素直でバカだけどカッコいい子でした。高校デビューからの日々が意外と壮絶でしたが…。
ヤンキーもロリータも根底にあるのは同じ、自分を曲げないこと。それは本作の中にも様々なエピソードとなって現れています。桃子ちゃんはヤンキーを「ダサい」と言い、イチゴちゃんはロリータを「ヒラヒラ」だと言いますが、決してお互いの主義を否定することはなく、受け入れてくれます。イチゴちゃんが泣いても桃子ちゃんは言葉こそかけませんが、 イチゴちゃんが泣き終わったあとに「大人になったんだよ」と言ってくれるのです。だからこそ、このふたりがお互いに作用し合い、影響を受けあって、とうとう物語の最後の最後に「サイコーのダチ」となる瞬間は感動ものです。……それも、その辺に転がってそうな、甘ったるい「感動モノ」ではないのです。私は野ばらちゃんの作品が持つこういった側面…なんだろう、本当の物語というか、そういった感慨を含んだ小説をずっと求めてたんだと思います。だから、野ばらちゃんのお耽美な文体もも、ギャグも全部好きだし好きになりました。『下妻物語』は、決して簡単ではない感動を私に与えてくれたのです、本当に。
さて、ごちゃごちゃな感想だけどこのくらいにします。わたしは、自分を棄てたくなってしまった時、野ばらちゃんの本を読むことにしています。『下妻物語』も、今を生きる私にとってのバイブルと足り得る、とってもステキな作品でした。
Posted by ブクログ
映画を見て原作に興味を持った。エンドロールの途中で、「え、原作とかあんの。」って。
シンプルに面白い。映画よりも作者の色が濃く出ていて笑える。
割と初めの方にある「(頭の悪い人、少しだけ我慢してくださいね)」で、声出して笑った。
お馬鹿さんにロココは少し難しいですわね。
桃子(の中の人、野ばら先生)の強気な感性が光っていて好きな部分だ。
ヤンキーの才能がある桃子と、性根が真面目なイチゴ、この対比が堪らなく愛おしくて、好きで、大切で、もはや幸せにしたい。
桃子みたいに、ブレない自分の哲学を持ちたいなあ。
彼女の飄々とした生き方は憧れるものがある。
おちゃらけていて不真面目感満載で危険な気がする。
けどそれも悪くないのかな。とか思うのは既に影響を受けてしまっているのか?
Posted by ブクログ
面白かった!桃子の世間に対して、冷めた落ち着いたような見解で、でも生きがいのロリータに関してはあついところ、すごく好き。人生の醍醐味ってそういうところだと思う。
いちごもとても好き。まっすぐで綺麗。
手を繋がない、2人だけど1人なれる、そんな友情が最高だった。お互いの大切なものを、理解出来ずとも、壊さずに隣にいられるって何より居心地のいいことなんだと思う。
Posted by ブクログ
好きな事への道を真っ直ぐに進む2人がかっこいい。ボケで桃子が大好きなイチゴ、ツッコミで何だかんだイチゴを気にかけて最後にはデレる桃子、デコボコだけど仲良しな2人が可愛くてほっこり(*´꒳`*)ロリータ服と刺繍が好き&頭お花畑な貴族に憧れる桃子が発する、庶民的で冷静なツッコミが好きすぎるww思いっきり笑った後の爽やかな読後感が何度読んでも良い!一番好きな小説です。
Posted by ブクログ
酸っぱいものじゃなく、甘いのだけで生きていきたいロココ精神を貫く桃子に憧れた。貸したものは返ってこなくても文句はない。だってそれって手放していいものなのだから。きゅーとでろっくで大好き。
Posted by ブクログ
映画を見て、すごくおもしろかったので原作を…と10年以上前に読んでからの再読。
映画と同じくらいおもしろい!!!
下妻でロココな生き方を貫こうとする桃子のシビアさ、それは筋の通ったブレない彼女の強さを感じてとても好き。
そしてヤンキーイチゴはまた義理堅くて、愛嬌のある頭の悪さでとても好き。
真逆なのに、だんだんと友情が芽生えてくる。
言いたいこと言いながら、お互いを尊重してる。
うん、好きとしか言えない。
桃子の一人称で語られるので、彼女の容赦ないツッコミや毒舌、お上品な物言いの中に隠しようのない生まれ育ちの環境ゆえの口汚い罵り…声出して笑いました。
なのに時折、桃子がイチゴを想う気持ちにほろり…。
とても良い作品でした。
大好きです。
Posted by ブクログ
尼崎から下妻に引っ越してきた高校2年生の竜ヶ崎桃子は、ロリータ服を身に纏い、ロココの精神を持つが故に、孤高の暮らしを送っていた。とあることから、地元のヤンキー娘で同じく高校2年生の白百合イチゴと出逢う。まったく趣味の異なる二人だが、次第に打ち解けていく。
二人とも自分の在り方に対して純粋なところが良い。馴れ合わない桃子、自分が決めた筋を通すイチゴ、それぞれ譲れない線をお互いに尊重しつつも、少しづつ近づいてゆく。物語としてのクライマックスもさることながら、所々に仕込まれた笑わせどころが見事。読んでいる間とても楽しい気持ちだった。
Posted by ブクログ
桃子とイチコ。このデコボココンビがなんとも愛おしい。
似た者同士、ではなく、正直に生きるもの同士、だからこその真っ直ぐな友情。
いつ読んでも元気が出る。
Posted by ブクログ
P.137「おう、歩きなのに早かったな」を読んだ瞬間、自然と笑みがこぼれた。素晴らしい伏線。パチンコのこのシーン大好きすぎる。映画のイメージが強すぎて読まず嫌いだったけど、単なるギャグじゃない。全てに意味がある。大好き。
Posted by ブクログ
嶽本さんの作品、初読みです。
大爆笑でした!電車で思わず吹き出してしまった。
冒頭のロリータの解釈というか、歴史?からしてすでに描かれ方がギャグ!
正反対の性格、趣味趣向のイチゴと桃子。なんてったってヤンキーとロリータ…どこをどう見ても交わるところがひとつもないのに、なぜかお互いのことを認めるようになって…
イチゴも桃子も自分の中に一本まっすぐ芯があるところがよいです。2人ともかっこいい!
思いっきり笑ったけれど、2人に芽生えた友情にほんのりと泣けて…まさに青春爆走ストーリー!
(ほんとに原付で爆走するんだよ…笑)
すごく元気をもらえました!映画も観てみたいです。
Posted by ブクログ
茨城県下妻市というド田舎を舞台にしたロリータ少女、桃子の物語。家庭の都合で越してきた彼女はロリータ服を買うために偽物ブランド品を売る過程で、地元のヤンキーであるイチゴに出会い――。
桃子の毒舌が何とも痛快。単純に青春小説としても楽しめますが、下妻周辺の事情を良く知る人にとってはさらに楽しめる内容だと思います。
Posted by ブクログ
むちゃくちゃにポップで分かりやすい内容でありながら、散りばめられる桃子とイチゴの美学と生き方がカッコよく思えます。
相手の好きなものをバカにしつつも、相手の大切な領域は侵さないという、一本芯の通った友情(というと桃子には嫌がられるだろうけど、「付き合い方」というとちょっと違ってきちゃうし)の貫き方が素敵。
Posted by ブクログ
10年以上前に読んで面白かった記憶があり再読した。
高校生のロリータ魂で生きる桃子と、ヤンキー魂で生きるイチゴが茨城県下妻市で出会う。
きっかけは桃子のダメ親父が大量生産したVersaceのバッタものをイチゴが買い求めに来たことから始まる。
普通に生きていたら交わることのなかったロリータとヤンキーだが、筋の通った生き方をする桃子と、頭脳は弱いが正直で真っ直ぐなイチゴはお互いを認め合う仲に。
しかし桃子は決してイチゴを友達だとは認めない。
その答えを明確な言葉にしてイチゴがミコさんに言い放つシーンは爽快で、イチゴが周りを良く観察し、よく考えて生きていることが窺われる。
しかしお互いに信頼できる存在というのはこの上なく羨ましい。
桃子もイチゴもお互いのファッションを心の中で『ダサい』と感じていたり、桃子はイチゴを『オツムが弱い』と思っているのに、それを傷つく言葉で相手に伝えたりはしない。
それぞれを個として尊重し、距離感が絶妙に良い。
序盤、状況説明が長いと感じたが、イチゴが現れてからの2人のやり取りが面白くあっという間に読み進んだ。
桃子とイチゴの今後はどうなるだろう。
エネルギーいっぱいのちょっと変わった熱い友情物語。
爽快さと純粋さと若さを味わいたい時に。
Posted by ブクログ
いや、面白い。
若かりし頃がフラッシュバックする。
好きなものは、とことん極めるのがいい。
周りの目なんて気にしない。
今さらだけど、本作がヒットして、映画化され、その映画も話題になるのもうなずける。
そして、やっぱりこの2人の友情がいい。
うらやましいね。
映画みたくなったぞー!
Posted by ブクログ
嶽本野ばらとの出会い
映画化してたけどそれは見ていなくて、お洋服に興味のある時期だったから余計に楽しく読めた
ポップででもしっかり芯があるキャラクターが最高
Posted by ブクログ
甘いフリフリで身を固めていても誰よりも毒っ気のある桃子と、ヤンキーだけど可愛いところのあるイチゴ。ミスマッチなのに筋が通る関係で、こんな青春送ってみたかったなと思える素敵な2人だった。
桃子のこざっぱりした人間関係と人生観が良かった。「好き」をあまり深く知りたくないところもよく分かる。
それにしても、縦ロールで特攻服ってカッコよくないか?
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おもしろい、、、!!!
はなもげって!
めちゃくちゃ笑わされたー。
桃子の自分を貫くロココな精神がとてもかっこいい。
「きっと好きなことをお仕事にしたら、やりたくないこともやらなければいけないし、自分が好きだったものの裏側を見てしまうから。そうするときっと、つまんない」
嶽本野ばら先生に共感できすぎて怖い。
野ばら先生は乙女心のカタマリなのかしらん?
ヴィヴィアンウエストウッドのロッキンホースバレリーナは永遠の憧れですね。
いつか手に入れてみせますが!
「どんな反則技を使おうと、狙った獲物は手に入れなけなければなりません。
我慢は乙女の天敵です。
自分さえ幸せになればいいじゃん。」
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再読。何も考えずに楽しめる作品。
当時も映画を見てから読んだけど、そのイメージが明確に蘇ってきて純粋に読むことはできなかったけど、可愛くて明るくて楽しくて、ファンタジー溢れる物語。当時大好きだったロリータのお洋服・世界にキュンキュンしながら一気に読み終えた。芯の通った、己の欲望に忠実な姿勢は改めて憧れを感じて、この気持ちを忘れないようにしたいなーと思った。
Posted by ブクログ
尼崎も下妻と同じくらいに馬鹿にされましたね。
下妻も尼崎も、ど田舎ということで描かれているんだけれども、
それは、東京(ないし大阪神戸)の圏内にあるど田舎、
であって、都心から近いのに、こんなに田舎で、文化的にタイムラグがあって、というおかしさなんです。
これが、たとえば、東北の山奥には、下妻なんぞよりも遥かに果てしなく田んぼが広がっているけど、多分この物語は成立しないでしょう。
そのへんの、典型的な「茨城の田舎者」の本質をちゃんと掴んでる辺りがすごいですね。
<追補>
その後、下妻も着実に進化。
電車で都内まで2時間半だったのが、今ではTXの開業により1時間強まで短縮。
「何でも売ってる」スーパジャスコは、イオンのショッピングモールに。
それでも、やっぱり本質は変わってないですが。