嶽本野ばらのレビュー一覧
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「可愛い」を馬鹿にするな、「可愛い」は全てにおいて尊厳をもち勇気や元気を司るもの。それは歳をとろうが性別がなにであろうが、「可愛い」はかわいいそのまんまでいい。まず赤いタータンチェックの表紙がとんでもなく可愛くて、秋のピクニックにタータンチェックのシートとサンペレグリノの瓶、アンティークのようなガラスのゴブレットと木陰の下で読む本は何がいいかと思って手に取った本。
初めての嶽本野ばらさん、読んでロリータのお店はわからないがロリータファッション洋服を見ていないのに細部まで可愛くて、更に上品である事に誇りをもっている洋服だと言う事。それを洋服はもちろんそれを愛でる人も同様だという事。
ブサとジュジ -
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桃子ちゃんの生き方に強く共感した。今までのわたしならしなかっただろう。わたしも刹那的に、ロココ的に生きたい。苦しいことなんて味わわず、甘いところだけを食べて贅沢に生きていきたい(おフランスに生まれたかったとまでは思わないけれど)。映画との違いもあったが、どちらにも良さがあるなと感じた。
嶽本野ばらの文章には不思議なリズムがある。とにかく句読点が多い。また、なんとなく児童書に似た雰囲気も感じ取れる。主人公が読者をめちゃめちゃ意識している。それから、お洋服に関する描写は目を見張るものがあった。どこまでが元々の知識でどこまでが調べた知識なのだろう。7/8 -
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初めての嶽本野ばら。次々と出てくるロリータ系ブランドの名などはほとんど知らないのだが、何も知らない人を置いていかない、独りよがりに陥ることのない筆力に脱帽。対象は人それぞれ違えども、愛するもの大切にするものを全力で守りたいという普遍的な気持ちに共感できるからだろう。1作目の「ブサとジェジェ」は想像だにしない切ないラスト、じわっと押し寄せる余韻。鮮やかな筆致に驚く。「ピクニック部」も最後の手紙がもう圧巻。「私は嬉しいのだ。源治君がずっとそのまま伸び続けていることが。成長してはいるけど、成長していないことが。源治善悟郎は源治善悟郎でしかなく、この先も源治善悟郎であり続けるしかないであろうことが。好
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「ブサとジェジェ」「こんにちはアルルカン」「ピクニック部」どれもテイストの違いはあるけれどキュンキュン(死語?)してしまう。
表題作
「ピクニック部」の後半、里見先輩が春野さん春崎さんへというメッセージの形をとった源治くんとの関係の独白はそれはそれは美しいものでした。
野ばら先生の本、「ミシン」「下妻物語」からずっと時間が経ってしまったけれど女の子の可愛いもの好きと同時にしたたかさも一種のズルさとかもキチンと描き出してもらっている事は健在でした。
素敵なファッションブランドの名称、全ては分からないけれどイメージは脳内で綺麗に色づいてます。 -
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若かりし頃、ロリヰタファッション小説と言えば「嶽本野ばら」だった。令和の世でも変わらぬ野ばら節。全くブレないところが清々しく、潔い。そして小説として面白い。懐かしいメゾン(VIVA YOU,MILK,NICE CLAUP)や本の名前が次々に出てきて、「嗚呼、我が青春の日々よ…」(といっても自分自身はロリヰタファッションに身を包んだことはないのだけれど)打ち震えた。でも敬愛する大森伃佑子さんのスタイリングやOliveは今でも私の中に確実に生きています!そして、まさかコバルト文庫や氷室冴子の名を再び目にするとは!未だ「クララ白書」「なぎさボーイ」を所有している私。野ばら先生の乙女心の揺るがなさをひ
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家に帰る時、雪が降っていたので再読。
美しすぎる書き出しに惚れてしまってからもう何度呼んだかわからないくらい大好きな一冊。
「世界の終わりという名の雑貨店」の中でお洋服の名前や土地名なんかは沢山出てくるのに、私と「君」の名前が一切出てこないという書き方に初めて読んだ時から驚かされて今となってもこの文の書き方を超える本に私は出会えていない。むしろ、物語において本当に読者と近づきたいのであれば名前を文中で出すことは野暮であるとすら思い始めてきた。確かに名前を呼ぶことは人と人との心的距離を縮めるのに大きな役割を果たしてくれる。しかし、私はこの文字を追う私たちと違う名前が呼ばれるということは寂しいこと