太田肇のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
目から鱗だ。
■日本企業では入社した直後から「ホウ・レン・ソウ」,すなわち上司に対して常に報告,連絡,相談をするように指導される。ところが「ホウ・レン・ソウ」を徹底して求める管理職の指導は,欧米人の目からすると細かいところまで管理する「マイクロマネジメント」そのものに映り,しばしば嫌悪される。
■欧米などではマニュアルはあくまでも作業者が参考にすべきものという認識であり,状況によって臨機応変に対応することが求められる。それに対して我が国ではマニュアルを絶対視し,厳格に守ることが要求される。さらにマニュアルに書かれていない部分まで推測し,それに従おうとする。
■人事評価についてもわが国ではより細かく,厳格になりつつあるのと対照的に,アメリカなどでは人事評価の比重をむしろ軽くしたり評価制度そのものを廃止したりする動きがみられる。
・従来のパフォーマンスマネジメントが個人や組織のパフォーマンス向上につながっていないとみなされ始めた。
・一方で,社員に対して目標設定とフィードバックをリアルタイムで頻繁に繰り返すようになっている。
■グローバル企業のトレンドと「マイクロ化」する日本企業のマネジメントとの間にはギャップが広がっており,ギャップの拡大に拍車をかけているものがある。それが日本社会特有の同調圧力である。
■稟議制と呼ばれる日本型意思決定システムは独特。
・関係する人すべてが参加するので慎重な検討が行われる長所がある反面,決定にとても時間がかかるという短所がある。
・見逃してはならないのが「全員が決定に参加する」とか「慎重に検討する」という大義眼分の背後に,処遇の論理に端を発する大きな無駄が隠れていること。
・年功序列制の下で年齢に見合った地位と給与を保障し,社員のモラールを維持しようとすれば,組織にとって必要かどうかは関係なく,処遇のために役職を置かなければならない。
■「職能」とは本来職務遂行能力のことであり,額面どおりなら能力主義的な人事制度になるはずであるが,能力そのものを正確に評価することは難しい。まして個人の仕事の分担がはっきりしていない日本企業では発揮された能力を見定めることもできない。そこでやむなく経験,勤続年数を能力の代理指標として用いることになった。このような背景により能力主義を標榜した職能資格制度は皮肉にも年功主義にお墨付きを与える制度になってしまった。
■「完璧」が思考を停止させる。
・限定された範囲で完璧を目指すことは無限な広がりを持つ外部の要因,不確実な将来を考慮しないことを意味するもの。
・完璧な仕事をしているつもりでいると,思わぬ欠点に気づかなかったり,機転が利かなかったりすることもよくある。それはしばしばマニュアル至上主義と結びつく。
■完璧主義は減点主義と極めて関連性が強い。社員の採用にしても部下の評価にしても減点主義をとるのは自分自身が減点主義で評価されるからである。
・仕事をする上での「事なかれ主義」にも通じる。
・日本企業ではトップから末端までが「攻め」より「守り」重視,すなわち自らの保身のためにリスクを最小化するよう動機づけられている。
・それがたとえ組織にとって不合理だと思っても完璧主義にこだわる大きな理由だと考えられる。
■仕事に対する意欲やかかわり方を表す指標として近年「エンゲージメント」という尺度がよく使われるようになった。シャウフェリ(W.B.Schaufeli)らによって開発された仕事に対する積極的なかかわり方を表す概念であり,「活力」「熱意」「没頭」の三要素からなる。
■小さなムダの排除が大きなムダを生む。
■細部にこだわる微視的なマネジメントが,突出した意欲と能力の発揮を抑制し,イノベーションを妨げるといったマイナス効果をもたらしている。
■改善活動に象徴される製造現場の生産性向上と,アイデアやイノベーション,ブレークスルーが求められる現在のホワイトカラー職場とは理念や価値,目標,思考方法などが極端に言えば正反対である。
■改善と革新の違いはいわばパラダイム(思考の枠組み)の違い。
■物事にはたいてい長所と短所の両面があり条件が変わると長所が短所になる。したがって条件が変わったときパラダイムを転換しなければならない。
■企業のパラダイム転換について経営学者の加護野忠男は「①過去の成功が大きければ大きいほど,②成功期間が長ければ長いほど,③企業が同質的であればあるほど,④企業の政治的権力が分散していればいるほど,企業パラダイムの革新は難しい」という。
・長年にわたる工業社会の繁栄によって培われた我が国の「改善型」パラダイムは,四つの条件をすべて備えている。
・「適応が適応を妨げる」という言葉どおり我が国は工業社会にあまりにも適応し過ぎたためポスト工業社会への適応が困難だった。
・過剰なサービス,無意味な完璧主義,重箱の隅をつつくようなマイクロマネジメントがいまだにまかり通っているのはパラダイムの転換がいかに困難かを物語っている。
■わが国ではこれまで敵対的な買収を防止し,安定した経営を行うため複数の会社が相互に株式を持ち合ってきた。そのため,欧米企業に比べて会社経営に株主の力が働きにくい。このような立場に置かれている経営者は大胆なリストラを行ったり,社員の反対を押し切って合理化を推し進めたりするより大過なく任期を全うしようという意識が強くなりがち。
■日本企業では組織のトップから末端に至るまで組織を効率化するより会社共同体を維持することで利害が一致する。
■日本企業の特殊性といわれるものの大半は日本の大企業の特殊性だということ。
■中小企業が直面している内外圧の中でも特に深刻なのは人手不足。 -
Posted by ブクログ
201603/
そもそも「やる気」は、何らかの原因(理由)があって生まれるものであり、原因抜きのやる気はあり得ない。/
例えばスポーツでも楽器の演奏でも、上手にできたときはたいていリラックスし、無心になっている。だから「無心になれ」とか「リラックスしてプレーしろ」と言う。しかし、たまたま無心になれたから良いプレーができたのであって、無心になろうと思っても簡単になれるものではない。そもそも無心になろうと意識していること自体、無心になれていない証拠である。実績を残して自信をつけるとか、場数をこなすといった条件を整えることではじめてリラックスし、無心になれるのである。/
やる気もそれと同じだ。サラリーマンの場合、やる気の原動力として、仕事が楽しい、おもしろいとか、認められたい、出世したい、給料を上げてほしいといった動機がある。したがってやる気を出させようとするなら、仕事を楽しく、おもしろくしたり、認められる機会を増やしたり、仕事の環境や待遇をよくしたり、キャリアアップの機会を与えたり、あるいはどうすれば技能が上達し目標が達成できるかを教えたりしなければならない。しかし、それには手間や費用がかかる。あるいはどうすればいいかわからない。そこで安直にも、原因への働きかけを抜きに「やる気を出せ」の言葉を浴びせ続けるわけである。けれども、それこそ無理と言うものだ。/
金魚すくいの法則/
おもしろいもので、強いチームをつくろう、試合に勝たせようというこだわりを捨てると肩の力が抜ける。そうすると自ずと視野が広がるし、一人ひとりの良いところも見えてくる。心からほめることもできるようになる。/
「管理」に対応する英語のmanagementは、物事をうまく取り扱う、遂行するという意味であり、日本語とはあまりニュアンスが違う。/
やっかいなことに人間には「人を管理したい」、「相手をコントロールしたい」という欲望がある。/
部下を管理したい、コントロールしたいという欲望を抑制できることは、優れたマネージャーの必要条件だといえよう。/
「片手間」なら面子や意地を捨てて柔軟に対応できるし、弱みも見せられる。/
舞台俳優が役柄になりきって演技しているとき。ピアニストが自ら陶酔しながら演奏しているとき。野球のピッチャーが調子に乗ってきて、躍動感あふれるピッチングをしているとき。生徒が夢中で計算問題を解いているとき。そこでは監督や教師などの存在は意識されていない。会社でも技術者が新製品の開発に没頭しているときや、営業スタッフが客に対して自社製品の特長を懸命に説明しているとき。そして最高のパフォーマンスをあげているとき。彼らの頭のなかに組織や管理といったものは存在しない。しかし、その背後には目立たなくても組織があり、マネジメントを行っている人がいる。/
スイーパー・リーダーシップは、先に述べたスイーパーの役割と重なる。すなわち、①部下が直面する障害を取り除き、②目標へ向かう動きを見定めながら、③成果が上げられるように支援するのである。この三点だけを頭に入れておけばよい。それ以外の深入りは無用だ。/ -
Posted by ブクログ
著者が描く理想の公務員像・役所像と自分のそれとが近く、かなり深い共感をもって読めた。
公務員をテーマにした本は、霞ヶ関の官僚についてのものが多い(気がする)中で、市町村の職員にフォーカスを合わせている点も評価できる。
安易な「民間の手法を官公署にも取り入れるべし」型の議論になっていないところもイイ。もちろんそのような議論が全くないわけではないけど、民間と官公署の違いを論じたうえで、何が公務員に適した方法かを検討しているので、かなり説得的。「欧米では~」式の話も結構多く出てくるけど、他のそのような議論展開にありがちな嫌味はない。むしろ、なんで日本でそれをやらないんだ!と歯がゆくなるばかりである。
最終章では転職支援やヘッドハンティング、副業、兼業を認め、職員個人のモチベーションを上げれば役所が活性化するはずだという、かなり刺激的な議論が展開されている。どの案も決して荒唐無稽ではない。十分検討する価値がある!
若手公務員が読めばモチベーションアップになるし、管理職が読めば効果的な組織運営を根っこから見直すきっかけになるであろう良書。 -
Posted by ブクログ
201107/
日本の社会では、人を評価するときにどうしても全人格的に評価してしまうのです。逆に言えば、全人格と切り離した評価は難しいということです。/
日本人は正しい褒められ方、すなわち有能感や自己効力感、平たく言えば自分の能力に対する自信につながるような褒められ方をしていない。/
一般に子どもは、近所の人たちに対しては親や教師に対するときほど上下関係を強く意識しません。したがって近所の人から褒められることは、自信をつけるのに効果がある一方、親や教師から褒められるより統制感は小さいと考えられます。ところが、小学生から高校生までを対象にした調査によると、近所の大人から褒められた経験がない(「全くない」もしくは「あまりない」)という子は高校2年生で4割、中学2年生で3割に達しています(世代間交流活動研究会「青少年及び高齢者の異世代に対する意識調査報告書」2000年)。地域社会に限らず、あらゆる生活の場において、欧米に比べるとわが国ではあまり褒められていないことが知られています。/
同じタイプの人間を集めておけばチームワークがよくなるという「迷信」はそろそろ捨て去って、多様な個性を持った人が共通の目的のために協働するという、一段上のチームワークを目指すべきではないでしょうか。/
京都にある1775年創業の老舗仏壇店、小堀では職人たちによる木地、漆工、金箔、仕立てという仏壇の製作工程が見学者に公開されています。また工房内には2台のカメラが取り付けられていて、だれでもインターネットを通して製作風景をライブで見ることができるようになっています。工房の公開は、作り手(職人)と客との間のコミュニケーションを深めることが目的だったそうですが、職人たちの間からは、公開されることでプレッシャーが大きくなった反面、自分の技を見てもらえることで仕事にいっそう張り合いが出たという声も聞かれました。高度な技能を売り物にする仕事なので、見られることによって、ウデを誇れる喜びや充実感を得られるようになったのでしょう。/
日常の仕事に於いても、人知れず苦労させられているときに不満がたまります。「営業所の売上が伸びたのは自分が頑張ったためなのに、外の人はそれをわかってくれない」とか、「おとなしい私がいつでも損な役回りを押し付けられる」といった不満はいたるところにくすぶっています。かといって、たいていの人はその分をお金や昇進で報いてほしいなどとは思ってはいません。ただ、それだけの貢献をしている、あるいは負担を被っているということを外部の人たちに知ってもらうだけでよいのです。つまり仕事のプロセスを公開すれば、承認という無形の報酬によって貢献や苦労が報われるわけです。/
愛知県豊橋市の樹研鉱業では、分業による量産体制が全盛だった30年前から、先輩が後輩に1から10まで教える一種の徒弟制を取り入れてきました。この会社における徒弟制の特徴は、「弟子」が「師匠」を選べるところにあり、技能の優れた「師匠」のところへはたくさんの「弟子」がやってきます。一方、「師匠」は自分の「弟子」を一人でも増やそうとウデを磨き、熱心に教えます。このようにして自然に形成された師弟関係はたいへん親密で、「師弟」が家族同士のつきあいをしたり、一緒に旅行したりするなど私生活でのつきあいも盛んだそうです。/
日本人の隠れた承認欲求を引き出すためには、「オレについてこい」という親分型リーダーや、不可思議な魅力で人を引き付けるカリスマ型リーダーのように自分が主役になるのではなく、部下を「役者」や「選手」のように売り出し、サポートできるリーダーこそが求められていると言ってよいでしょう。ちなみに、このようなリーダーシップを私は「インフラ型リーダーシップ」と呼んでいます。部下を売り出し、支援できるリーダーこそが部下の潜在的能力を引き出すことに成功し、最終的に自らも尊敬や名誉を手にすることができるのです。/