太田肇のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
タイトルのインパクトだけで即買い。
著者は日本の組織論の第一人者であり、これまで何冊か著書を読みました。
著者曰く、本書は組織を変えるためのハウツー本ではなく、私たちがこれまで当然だと思ってきた前提を疑うために書いた本だということで、日本の組織についてかなり辛辣な分析が並んでおり、目次だけを見てもなかなか面白いので紹介します。
(目次)
・プロローグ 「優秀」な人たちが組織を歪めるメカニズム
・第1章 なぜ「賢い人」が集まってしょうもない意思決定がなされるのか
・第2章 なぜ鳴り物入りの新入社員が凡庸な中堅社員に育つのか
・第3章 なぜ社内で抜擢されるのは結局、保守的な人材ばかりなのか
・第4章 なぜ時給の高い役職者が「誰でもできる仕事」に時間をとられているのか
・第5章 なぜコンプライアンス万全なはずの一流企業で不正が起こるのか
・第6章 どうすれば日本型組織の悪弊から脱却できるか
・エピローグ 「部下を持ったら、まずネコを飼ってみなさい」
大手テレビ局の不祥事からも分かるように、本来は「機能集団」であるはずの企業が「共同体」と化し、共同体の論理が社会規範より優先されてしまう現象はままあること。
共同体化は組織の同質化でもあり、多様な個性や意見を排除するという点において危険な現象だと思います。
著者は、組織や上司に忠実・従順なようにコントロールする「イヌ型」マネジメントではなく、個人の創造性や責任感を引き出す「ネコ型」マネジメントへ転換していこうということを、組織の閉塞感を打破する処方箋として示しています。
また、著者の他の書籍とも通じる論点として、日本人は利他的・勤勉・従順である、という暗黙の前提を疑い、実は日本人は利己的であり、組織で生きていくために勤勉・従順を装っているのではないか(つまりイヌの仮面を被っている)、との疑問が呈されます。
物事を判断する際、この件について上司はどう考えているのだろう、ここで反対すると評価に響くのではないか、周囲との関係が悪くなってしまうのではないか、という表に出ない判断基準があり、その基準に基づく行動が組織内での「合理的な」振る舞いになってしまうということです。
この積み重ねがどういう結果を招くかということはご想像のとおりでしょう。
以前読んだ「知性の罠」(デビッド・ロブソン著)では、高いIQや専門知識を持つ人が、必ずしも優れた判断や意思決定をするわけではないということが示されていました。
このことを個人ではなく組織で考えてみると、組織でのそのような現象はまさに集団浅慮(グループシンク)となる危険性を孕んでいます。
データに基づく分析というよりは、著者独自の分析による主張が多く見られますが、組織のあり方を考える上でなかなか刺激的かつ面白い一冊でした。 -
Posted by ブクログ
日本型組織の特徴とその原因を分析し、その問題点を見事に明らかにしている。
組織を崩壊の危機に陥れる背景には、独裁的な権力を握るトップが存在する絶対君主型、制度化された権限の序列構造がある官僚制型、伝統の継承を大義名分として堅固な上下関係が受け継がれる伝統墨守型の3つのタイプがある。どれも、内部に厳格な命令・服従の関係が存在することが共通している。
マックス・ウェーバーは正統的支配の方法として、ある人物に対する帰依に基づくカリスマ的支配、成文化された秩序による合法的支配、伝統や日常的信念に基づく伝統的支配の3つをあげており、上述の3つのタイプにそれぞれ対応している。
本来、企業は目的集団だが、崩壊したか崩壊する危機に瀕した組織には、利害を共有する仲間である共同体としての側面が色濃く現れている。目的集団と共同体の両方の性質を備えた「共同体型組織」は、日本型組織と言える。
日本の組織が共同体型になる理由として、新卒者の一括採用や終身雇用、正社員の制度による閉鎖性があげられる。集団が閉ざされていれば、仲間内の利益を優先しようという動機が生まれる。また、社員を採用する際に選別することによって同質性が生まれ、それが利害の共通性を生む。仕事の分担が曖昧で、個人が未分化であることは、同僚同士が協力したり、助け合ったりする半面、相互に仕事ぶりを監視し、牽制し合うことにもなる。
共同体型組織は、高度成長期のように少品種を大量生産することによって企業と社会の発展をリードするという時代には適していた。
暴力行為やハラスメントが明るみに出た事例では、組織から脱退した人や外部者による告発によって発覚したケースがほとんどで、内部からの告発や抗議が発端になった例は少ない。個人が未分化の共同体型組織では、ひとりひとりの成果や貢献度を把握することが難しいため、減点主義になりがちになる。そのため、組織の中では、リスクを冒して自ら行動することなく、何も言わずに無難な道を歩もうとする態度が働く人たちの処世術として定着している。この傾向は、組織の内外格差が大きく、メンバーにとっては組織を去ることの損失が大きい一流の組織において見られる。
共同体では、メンバー同士がひとりひとりを受け入れること(受容)と、メンバーが主体的に共同体に貢献して、責任を果たすことによって成り立つ。また、外に向けては、社会的な正義と自治を果たすことによって、その存在と独立性が認められる。しかし、組織の中で不正があっても告発したりしなければ、共同体を健全に保つ自治が果たされないことになる。今や、共同体型組織は自治の機能を失い、メンバーは上からの要求を無批判に受け止める忍従に変わった。自治は共同体を健全に保つためのものだが、忍従は個人がメンバーとしての身を守るためのものという点で異なる。
組織が利益共同体となって、メンバーの既得権益を守ろうとする意識が強まると、積極的に異分子や反逆者を排除するようになる。しかし、このような共同体は権力者や体制側にとって都合がよく、強権を行使したり、ルールや慣行を盾に無理難題を押し付けることができるようになり、自戒の精神も鈍らせる。不正やハラスメントに対する抑止力も働かない。一方、メンバーにとっても、上からの要求をエスカレートさせて、それが心身のストレスや不調をもたらしたり、過労死や過労自殺に追い込まれる事例もある。
このような組織を改革するためには、構造的な要因である閉鎖性、同質性、個人の未分化に対して、手を加えればよい。閉鎖性を改める方法として、企業の場合は通年採用や中途採用の比率を高めること、PTAや町内会では入退会のハードルを下げたり、幹部の任期に制限を設けることがあげられる。同質性を改めるには、性別、年齢、国籍などが多様になるよう、少数派の人たちがそれぞれ一定割合を占めることをルール化するアファーマティブアクションが有効かもしれない。ひとりひとりの分担を明確にすれば、個人の仕事や活動、発言の自由を拡大することができ、組織内で受ける同調圧力を小さくする効果がある。
ギャラップ社の調査によると、日本の従業員のうち、自分の仕事と職場に深く関与し、熱意を持つ人は6%で、そうでない人が70%、全くそうでない人が24%に達する。
日本経済が長期にわたって低迷しているのも、日本型組織から脱却できないことが大きな要因になっているとしか思えない。 -
Posted by ブクログ
フジテレビ、ジャニーズ、ビッグモーターなど、様々な日本型組織が今なぜ崩壊しているのか。
本書では、「共同体」をキーワードにその原因を深掘りしていきます。
著者の主張のポイントは、主に次の点に集約されると思います。
・これまでは、共同体型組織の必要条件となる「受容」(メンバー同士の支え合いや包摂)と「自治」(共同体のために自らが責任を果たす)が、いわば権利と義務のように車の両輪の役割を果たしてきた。
・しかしながら、「自治」が「忍従」(上からの要求を無批判に受け止める)に変わってしまうと、消極的利己主義や集団無責任体制が蔓延し、組織の崩壊が始まる。
つまるところ、組織に自治が働かず、一部の権力者が強い力を持つことにより、その意向が組織のルールとなり、構成員が誰も逆らわず責任も負わないという無責任体質がはびこる、ってのが崩壊へのルートなのか。
それ以外にも、組織の規範や常識が社会のそれよりも優先されてしまう(フジテレビがまさに好例)ところに、大いなる問題が潜んでいるのだと思います。
日本人は個人としては優秀なのに組織になるとダメだ、とも言われます。
日本型組織にはもちろんいい面も多々あるのですが、組織も人もダメにならぬよう、今こそ体質改善が求められているのでしょう。 -
Posted by ブクログ
■テレワークに切り替えることが困難な理由を深く追求していくと、技術的な問題よりも社会的・心理的な要因が大きな比重を占めていることが分かってきた。その中でも働く人にとってテレワークで満たされない大切なもの。それは、一言でいうと「刺激」である。
会社に行けば無意識のうちに様々な刺激が得られる。通勤には多少の負担が伴っても、同時に新鮮な空気に触れられ、体を動かせば爽快感が味わえる。職場では同僚や顧客と仕事の話だけでなく世間話や情報交換もできる。その都度、脳は活性化される。
職場で沈んだ顔をしていたら周囲の人が心配して声をかけてくれるし、悩みを打ち明けられる同僚もいる。時には苦手な人と顔を合わせることもあるが、好意を抱く人に会えば胸がときめく。お客さんからちょっとした感謝の言葉をもらって元気づけられることもある。客から苦情を受けても上司が後ろからサポートしてくれれば上司への感謝と信頼感が倍増する。
仕事だけではない。昼休みに同僚とランチに行き、休憩時間にスイーツ食べながらおしゃべりをするのもささやかな楽しみだ。帰りにカフェに立ち寄ったり、仲間と居酒屋に行って仕事のうっ憤を晴らしたりしてストレスと解消をする人もいる。いずれも職場に行ってこそ得られるものだ。
■管理職特有の承認欲求とは
マズローは承認欲求を二種類に分けている。
一つは「強さ、業績、妥当性、熟練、資格、世の中に対して示す自信、独立と自由に対する欲望」である。(=自尊の欲求)
もう一つは、「他者から受ける尊敬とか尊重と定義できるいわゆる評判とか名声、地位、他者に対する優勢、他者からの関心や注意自分の重要度、或いは他者からの理解に対する欲望」である。(=尊敬の欲求)
■コロナ禍でテレワークを始めた多くの人たちは物理的にも人間関係の面でも会社共同体から切り離された。それによって社員は経済的な面だけでなく、社会的、心理的にもどれだけ会社に依存していたかを実感したのではないだろうか。それはとりわけ日本人にとって会社という組織が圧倒的な存在感を持っているから。
社員の視点から会社を見るとそこには二つの顔がある。一つは家族や村などの自然発生的で情によって結びつく「基礎集団」。
もう一つは、特定の目的を達成するために結集する「目的集団」である。F・テンニースの「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」、R・M・マッキーバーの「コミュニティ」と「アソシエーション」などの分類もおおむねそれに相当する。
■承認の相互依存が歪める人事
日本企業では仕事の分担が不明確なので一人一人の成果を捕捉しにくく、その分評価者の感情や利害関係が評価に入り込みやすい。
日本企業と欧米企業のホワイトカラーを対象として2001年に行われたある調査によれば、「感じのよい部下」に対して「甘い人事評価をつけることはない」という回答は欧米企業では75%、日本企業では29%。逆に「甘い人事評価をつけることがある」という回答は欧米企業で6%、日本企業で20%と大きな差がある。
一般に個人的なつながりが深いほど特別扱いしやすいことは「内集団ひいき」や「ネポティズム」などとして知られているが、物理的な近接性も感情や利害関係を左右する。互いに近接しているほど相手に対する情報も、また承認の機会も多い。もちろんそこには正の承認だけではなく、負の承認も含まれる。
そのため近接しているほど承認するにしろしないにしろ、相手に対するインパクトが大きくなる。つまり離れている人なら自分を認めてくれるか否かはさほど問題ではなくても普段接している人から認められるか否かには無関心でいられないわけである。
■承認の返報性原理
多くの場合、承認する側もまた相手を承認することで承認される。即ち双方が相互依存関係、さらに互いに相手を認めれば相手からも認められるという互酬的な関係にある。
■筆者は承認を「表の承認」と「裏の承認」に分類する。
優れた能力や業績、個性などを讃えるのが「表の承認」で、規律や序列を守り、輪を乱さないのが「裏の承認」である。端的に言うなら加点評価と減点評価に近い。日本社会では昔から、いくら能力や業績が優れていても欠点や落ち度があると認められないことからわかるように、「裏の承認」に偏る傾向がある。
■仕事に対する意欲や働き甲斐の指標として近年しばしば「ワーク・エンゲージメント」という尺度が用いられている。これはW・B・シャウフェリらによって提唱されたもので、活力、献身、没頭の三要素からなる。
■日本人の承認欲求の表れ方、満たし方には二つの特徴があった。
一つは濃密な人間関係の中で仕事の能力や業績にとどまらず、全人格的に認められるということ。
もう一つは、「偉さ」の序列が存在し、それを見せびらかすことによって承認欲求、とりわけ「尊敬の欲求」を満たそうとすること。
二つとも共同体型組織という日本特有の組織を前提にしている。ところが、共同体型組織そのものがグローバル化やデジタル化、それに経済水準の向上や社会インフラの整備などによって時代に合わなくなってきた。そこへ突然やってきたコロナ禍とテレワークが共同体型組織の限界を決定的なものにしたといってよい。 -
Posted by ブクログ
p.48
ストレートに表現したら顰蹙を買うことがわかっているので、わざわざ迂回する戦略をとり、認められようとしている。それだけ、他者から認められることへの執着が強いからである。
p.74
彼はその道の大家である師匠に「いつまでたっても社会的に評価してもらえない」とこぼした。すると師匠は「実力があっても評価されないのは幸せだ。私のように実力以上に評価されるのはどれだけ苦しいか」と答えたそうだ。
たしかに私の周りを見渡しても、なかなか認められないと嘆く人は何人かいるが、実際に多少なりとも認められた人を思い浮かべてみると、その人が幸せな人生を送っているかといえば、必ずしもそうではないようにみえる。
→ 過小評価されている方が気楽なので幸せなんだな。
p.91
主観的価値と客観的価値のギャップに目をつけて利益を得るのがビジネスである。いわゆる「やりがい搾取」、そして「承認欲求の搾取」もまたそのギャップにつけ込んだものだといえよう。
→ 客観的価値を意識できないほどに、それそれの顧客にあわせた付加価値を前面に押し出すことが大事。
p.119
やりがいであれ、承認であれ、本来それは働く人にとって望ましいものであると同時に、それによって意欲が高まり、仕事の成果があがれば企業もまた利益を得る。その恩恵を正当な形で本人に配分するのが筋だろう。企業はそこから経済的な利益を得ながら、働く人には心理的(主観的)報酬だけですませようというのは、やはりフェアではない。
→ 承認目的ならタダでも働いてくれる。だから、ボランティアなどと言ってタダで人を働かせる企業は犯罪として処罰の対象として良いのではないか。そうすることで、みんなの意識が変わって健全な社会になりそう。スタートアップ企業を潰さないために10人まではセーフとか、特例は必要だろうけども。
p.190
そもそも仕事内容や環境の変化が激しいポスト工業社会では、能力や貢献度も変動しやすい。花田光世(1987)が明らかにしているように、これまでの日本企業の人事制度は敗者復活の機会が乏しいトーナメント型に近かったが、これからは敗者復活の容易な人事制度に切り替えていかなければならない。
p.192
このようなゼロサム型の組織や社会で成功体験を積ませるには、どうすればよいか。それは周囲との競合を避けることである。閉ざされた組織の中でも、一人ひとりの目標やキャリアが競合しなければ、他人の足をひっぱる動機は生まれない。組織の中で出世したい人、専門職を目指す人、ゆとりある生活を送りたい人など、それぞれが自分の道を歩めば良いからだ。
p.196
特に効果的なのは、自分の名前を出して仕事をさせることだ。名前を出すことによって、製品やサービスに対する顧客の評価が直接本人に返ってくるようになる。ある機械メーカーでは機械の組み立てを丸ごと一人に任せ、製品には製作者の名前を入れて出荷するようにした。すると社員のモチベーションが目に見えて高くなり、若手の離職者がゼロになったそうである。社内外に発表する文書を原則として署名入りにするとか、仕事上のアイデアについては発案者の名前を明示するといった方法もある。
→ なるほど、仕事の成果物に自分の名前が付いたら自己効力感が上がるよな。
p.198
何が賞賛に値するかをできるだけ文章にして具体的に示す。たとえば表彰する場合も、賞状には通り一遍の文言ではなく、理由を詳細に記述したほうがよい。またカードやスマートフォンのアプリを使って、ほめ言葉や感謝の言葉を伝える仕組みを取り入れている会社もある。口に出すのが照れくさい場合に使えるといったメリットもあるようだ。
→ ちゃんと自分を分かってもらえているという安心感、自分は正しい努力を続けられたという肯定感を満たすことが大事。
p.205
自己開示は、自分の弱みも包み隠さずみせることである。そして逆説的にいうと、弱みを見せれば恐れを抱かなくてもよいので強くなる。その意味でも大切なのが「失敗体験」である。
→ 失敗してもみんなに話せるネタを得られたくらいの気楽さが欲しい。みんなに話せば原因と対策の振返りができ、リトライする気力も養える。
p.208
「楽しむ」ことを徹底できれば、「承認欲求の呪縛」に陥らなくてもすむはずである。
p.214
もっとも、リアルな世界に居場所を見いだせないからこそ、ネットの世界にそれを求めた人が多いのは事実だ。それなら、せめて複数のSNSを使い分けるようにすれば、「承認欲求の呪縛」を軽減できるはずだ。ちなみに要領のよい若者は、匿名で複数のアカウントを使い、異なるキャラを演じている。
p.217
こうした問題を一挙に解決する方法はないのか?
ある。メンバーの「プロ化」、すなわち組織をプロフェッショナルの集団に変えればよい。なぜ「プロ化」によって問題が解決されるかを説明しよう。 -
Posted by ブクログ
今までいろんな生産性や効率化の本を読んで、なぜ日本が生産性が著しく低いのか、
なぜ長時間労働なのかそれでいて著しく賃金が低いのか、なぜ社員の満足度が低く幸福度も低いのか、簡単な解決方法が見当たらなかった。
原因はそれぞれ書かれていて解決する方法はあるが、日本の社会の慣習、会社の仕組み、法律、全てが複雑にからみあっていて解決できない絶望的な気持ちになる。
個人的には雇用の流動化が1つの突破口だと考えていた。
それがこの本で明確に書かれていて非常に納得した。
多くの企業で生産性の向上をうたって現場は改善を重ねるが、本書にも書かれている通りそれでは劇的に生産性が向上しないだろう。
本書で書かれている通り、必要なのは仕組み、組織、考え方の転換である。
それができるのは末端の社員ではなく経営者経営幹部しかない。