児玉雨子のレビュー一覧
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出産入院中に読むか〜と購入。
スカート履くのが嫌で泣いてた自分が出産か〜、、、という気持ちにマッチするエッセイがいくつか。
自意識についてがテーマなので当然っちゃ当然なんだが、「こういう私、どう?」が何気ない振りして3日目の経血くらい滲んでる文章も結構あったなかで、(そのヤンキーという修飾語いるか?みたいな)藤原麻里奈、すごすぎる。
女を捨ててるのに"女なのに"のリングの中で評価されることに気持ちよさを感じる、ってところ、こんな素直に自分の欲求捉えられるのすごすぎる。(2回目)
自分も自分しか見ないような日記ですらすぐ滲ませちゃうので、ああいう文章を書けるようになりたい。文章というか、自分の考えとか心の動きをカッコつけずにそのまま捉えられる力?
2024/10に読んだのを電子の方で書いてたので転記 -
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ネタバレモー娘。の「最kiyou」という曲の歌詞がすごく好きで、歌詞とリズムをマッチさせているところも好きで、そういえばモー娘。の歌詞を書く人が芥川賞候補になったよなーと思ったらこの方だった!
「特に美砂乃ちゃんは、今みたいに不自然なほど強引に話を変えた」
先に綴った会話を「今みたいに」って言う人初めて…
若い人が書く小説読まないから分からんけど、これって今わりと使われてる表現なんかな?
自分に喋りかけられてる感じがする、臨場感が出る
すごい
美砂乃ちゃんはお家の収入源でお金を稼ぎに行ってたのか…キッズモデルとかする人はそんな人っていっぱいいるのか
主人公と違って勉学を一番にしてないのは読んでてこの先を思って辛くなったけど…生まれってこんなに悲しいかねって本当思う
アイスキャンデーってそれの象徴なんだ…
美砂乃ちゃんとの日々が大事だったって、それが一番大事なことでいいんだ
「闇というのはそこにいる人々に出くわした時の、手に負えない現実を見切る時の呪文であり、未知に遭遇した興奮にはしゃぐ時のかけ声」
ね、簡単に闇深いって言うよね
界隈にいた人とかにとっては懐かしく嬉しい話なのか、いいなあそれもまた
ああ〜そっか〜ジャニーズもそれに近いのか…
だいぶ読みやすかった!
読みやすい長さと文体で集中しやすくなる一冊をガッと一気に読むのはかなりの気分転換になるし、それができることが分かってよかった
キッズグラビアっていう仕事のことも分かったし、最近の芥川賞候補を追っていったら最近の社会問題が知れるのもいいかもな -
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ネタバレジュニアアイドルとして小学生の頃から事務所に所属し放課後レッスンに通い、CMのオーディションを受けていると聞けば普通だけど、水着での撮影レッスンや、撮影後にアイスキャンディーを舐める様子まで写真に撮られるとなると、普通・・・ではない。
知らず知らずのうちに被害者になっていた彼女が、デジタルタトゥーに悩まされてゆく物語です。
と書くと、主人公は、過去は忌まわしいものとして葬りたいと思っているようですが実際には違います。
知らずに受けていた性被害は被害としてあるけれど、当時同じくレッスンに通う親友がいて、彼女との日々はかけがえのない楽しい日々だったのに、その思い出まで全否定されることに戸惑い、途方に暮れ、善意のコトバにも傷つく様が痛々しかったです。
こういう闇の需要はなくならないだろうから、巧妙な手口で今も被害者としての認識はなくアイドルを夢見る女の子が活動していると思うと胸が痛いです。
子どもでは判断が付けられないから親が悪いけど、物語に出てくる母親はある意味毒親なんだろうけど無理強いしているわけではないし、だったらただのバカなの?能天気なの?それともお金のためにグルだったの?だからこそなんか複雑でした。
また、ジャニーズ問題みたいな露骨な事件でも、被害者ひとりひとりが、他人には理解しがたい複雑な心境が交差して余計に苦しい思いをしている人がいるのかもしれないなと思って、改めて憤りを感じたりもしました。
結局、過去の楽しい思い出を葬るためではなく守るために改名を選択したので、うまく折り合いがつけられればいいなと思います。ガンバレ雪那ちゃん。 -
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大学時代に国文学科だったにも関わらず、古典作品をほぼ覚えていない…自業自得でありながら、その状態にコンプレックスを感じていた。そんな私にとって、江戸文学を現代のカルチャーと交えて見事に伝える本作は大変救いになった。異種ヤンデレやほんま草生い茂って山、都会コンプレックスなど、作者の秀逸な言葉のチョイスによって難解な古典文学でも驚くほどスムーズにイメージが湧いたし、所々に挟んであるリメイク短編小説も、現代風に書かれており読みやすい。文化が異なる分、今では理解できない話があるものの、昔も今も人々は娯楽が好きで、物語を編むことをやめないのだな、と改めて実感。
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読み始めて、あこういうテーマかと気が重くなった。芸能界の闇。読んでると辛くなる児童ポルノの闇。
闇っていうのは「自分の知らなかった領域やそこにいる人々に出くわした時の,手に負えない現実を見切る時の呪文であり、未知に遭遇した興奮にはしゃぐ時のかけ声」という一文があった。そのとおりで闇っていう言葉は思考や行動から逃げている立場からの言葉だと思う。
そんな闇という言葉と対照的に様々なの光の表現も出てきた。撮影時のストロボや夏の暑い日差しは、主人公のせつなを圧倒して潰してしまうような強い光。
でも、最後のシーンでせつなは日傘をさして日差しから自分を守っていた。せつなは自分を苦しめるものから自分を守る術を得たのだと思った。
色んな種類の“名前”も出てきた。
本名(親がつけた名前)、ハンドルネーム、あだ名、芸名、自分で選んだ名前。
昨今、自分を表す固有名詞が複数ある人はたくさんいる。複数の名前を持つことが普通で、それによって自分の属性を変化させたり。不都合があれば世の中から抹消できる名前もあれば、一生付き合って行かねばならない名前もある。生きていく限り自分の名前とは離れることができない。
私は女性アイドルが好きで応援している。私の応援している事務所では近年になってようやく未成年の水着写真集の発売がなくなってきた。一昔前までは水着写真集を出してこそ一人前、みたいな風潮があった。今までそれにどれだけの女の子が流されてきただろう。
自分の真意をもって決断できるまでは自分の身体を自分で守れる社会であるべきだと思う。絶対に加担もしたくない。 -
購入済み
読むのに気力のいる本だった
息子が中学にあがり、性教育を考えると男性視点の情報では難しいと思う事が多々ある
SNSでこの本のことが流れてきて書評を見た時、長男の女性に対する理解に何かしら寄与するかと思い、つい反射的に購入した。
男より女性の生き方はある意味で難しいが、性を持ち出すと安易に楽な選択を選ぶこともできる。
でも、それを選ぶと多くの場合、後でツケがまわる。だから、安売りするな、という言葉を親の世代は言う。
でも、若い世代が持て余す感情は大人の説教なんて聞き入れない。で、大人になって、同じように若い世代に言う。
そこに使える武器があってもそれを使わないって難しいこと。男が腕力で相手を従わせる選択をなかなか選べないのにどこか似てる。
それでも、男は無言の圧力を与えてる。そして、女性も無言の魅力を巻き散らかしてる(人もいる)
本当に、性というものは複雑で厳しいものだ。
女性の、子を成す性の役目は特権でもあり重しでもある。セックスは多様な価値を持ち、時に持て余し、崇高なものにもなり娯楽にもなりうる。。
そんな世界で、女性は男にどう見られるかに迷い陳腐化する。パンツを売り、安易に自己承認も得ている一部の女性を男が「女はずるい!」と叩く。
でも、そんな事ができる性の生き方は辛いだろうな、とも思う。
男と女、どちらが辛いと比較するものじゃないけど、男よりも女性の辛さは複雑で、どれを選ぶにしても(選ばないにしても)自己責任を押し付けられる生き方は厳しいと思う。男の辛さも簡単ではないけども、女性は年齢とともに役割と身体がめまぐるしく変わり、それにつられて求められ方も変わる。
僕は、見ず知らずの女性に数万円払えるほどお金もないし、あったとしても自分の為か家族の為にお金を使おうと思う人だけど、世の中にはお金で女性を買う事に躊躇のない人がいるのも知ってる。ひょっとすると僕がいつも遊んでいる連中にもいるのかもしれない(彼らがそんなにお金をもってると思えないが)
それだけのお金があるのは一部の男なんだろうけど、多かれ少なかれ男は性の対象として女の人を見てるというのは分かる(逆に比べればその対比のバランスの悪さが本当に悲劇でしかないと思う)。そして、女性は男性の欲望を当たり前として受け止める事に疲れ果てて諦めて、で、今、怒りを示している。
いろんな価値観がアップデートされている。「ねーちゃん、えぇケツしてんな」は失礼な事。
そのアップデートがで -
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腑に落ちなくてずっと何が言いたいのかを掴み損ねたまま読み終えてしまったけど、好きな本だなと思った。なんかわからんけどとてもおしゃれな感じがして良かった。表紙が合ってる。
奪ったり奪われたりしながら生きてるって感覚、よくわかるな…
この世界の片隅に原作ラストの右手のポエムを思い出した。あっちはもっと穏やかなニュアンスだったけど。
凸撃も苦しかったけど良かった。
ケンカの配信なんてものがあるんだなあ。
私も人生でそれなりに惨めな思いしてきたつもりだけど怠惰でいられるのは本当に心の底からは惨めで悔しい思いをしてないからなんだろうなと思った。幸せな人生だ…
あと、全体的になんか資格の話めっちゃされるから息が荒くなった。やっぱ取ったほうがいいよね、資格… -
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児玉雨子さんによる江戸(近世)文芸の紹介エッセイとリメイク短編小説を収録した本。そういえば江戸(近世)文芸ってあまり話をしている人たちも見ないな…?と思って読んだ。あと単純に児玉雨子さんの『##NAME##』が超よかったので他の著作も読んでみたくて。松尾芭蕉の創作者メンタルや平賀源内の異種ヤンデレ純愛幼馴染ハーレムBL、江戸時代のスラングや遊女たちのシスターフッドなど、そんなこと書いてたの!?と衝撃を受ける作品の数々を紹介しており、そりゃ当時といまの価値観であわないこともあるだろうけどそれと同時に変わらないものもあるんだよな…人間って今も昔も似たようなことで喜んだり悲しんだりしているよな…と当然のことを思ったのだけど、やっぱり今は大河の影響で平安文学ブームなのか江戸(近世)文芸ってなかなか特集されてるのを見ない気がする。俳句なら俳句の括りで小林一茶と松尾芭蕉が一緒に紹介されたりみたいな。だからこういう他の時代の文学を紹介するようなとっつきやすい本があるのはありがたい。とりあえず平賀源内の異種ヤンデレ純愛幼馴染ハーレムBLは読みたいですね…
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たまたま同級生がジュニアアイドルをやっていたので、どんなものなのかは昔から知っていた。雪那と同じように、情報の授業で同級生が名前を調べて、ひそひそ噂をしていた。その子はキャラクターの問題もあってかいじめのようなものはなかったけれど、やはりなんとなくみんなその話題については触れてはいけないものと認識していたのを思い出した。
作者をあまり意識せず読んだんだけど、この方作詞家の方か……!
何曲か知ってる曲(なんなら好きな曲)があって驚いた。
夢小説だの、前略プロフィールだの、出てくるもの的に同年代くらいの作者さんかなと思っていたらバッチリ同い年だった。 -
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私は作詞家、児玉雨子さんのファンです。
雨子さんの歌詞はいつもフラットで、偏ってない。でも私たち女子に(きっと男子も)明日からも生きていくエネルギーを与えてくれます。
本書は全く前知識なく読んだので、古典文学の話と思っておらず日本史超苦手な私はひるみそうになりました。
でも、いつもの歌詞のようにフラットな目線で語られる江戸時代文学に「へ~知らなかった」と興味深く読めました。
「ありがた山のとんびからす」っておもろ(泣きながら笑う絵文字)
本の中で何度も触れられていますが、江戸時代という時代的に女性蔑視な世の中で生まれた作品たちだから私は結構内容に引く部分も多かったです。
昔の作品だから仕方ないけど、私は結構引いてしまうタイプ。でもちゃんとその部分に触れて解説してくれてるから楽しく読めた。
女性蔑視を無視した書き手だったら最後まで読めなかったかも。
シスターフッドの物語に生まれ変わった山東京伝『青楼昼之世界錦之裏』は特によかったです。 -
Posted by ブクログ
わたしが初めて児玉雨子さんに触れたのは、アンジュルムの「乙女の逆襲」の歌詞だった。「テレビもなんにも夢さえ見てない、そうゆう世間もあたしを見てない」というちょっと後ろ向きな歌詞を、白いミニドレスで着飾ったアイドルたちに歌わせたMV映像が今でも印象に残っている。この楽曲がリリースされた2015年当時はまだ、テレビ文化は残っていただろうか。今ではもう若者たちの中心はYouTubeが台頭する動画文化にすっかり塗り変わってしまっていて、またニュース等の情報伝達もSNSのがはるかに迅速に行われているから、確かに「テレビもなんにも夢さえ見てない」時代が来てしまったように思う。
「誰にも奪われたくない」も「凸撃」も、どちらも閉塞感漂うコロナ禍を舞台に、鬱屈した感情の行き場を無くした人々の話のように感じた。「誰にも〜」の主人公のレイカは銀行員をしながら、アイドルに向けての楽曲提供を行っている兼業作曲家だ。仕事では突然の配置移動で慣れない金融商品の営業に従事させられ、その隙間に作曲を試みるも、思うようにコンペは通らない。またかろうじて採用されても、その曲は編曲の過程でレイカが思い描いたものとは違う形へと変化させられている。その中には原型がまったく残っていない箇所だってあって、実力不足に歯痒い思いをする。
仕事も作曲も、また一社会人としての生活も、毎日レイカは精一杯の努力をしている。しかしその努力が、必ずしも自分の望む形で昇華されるとは限らない。そうした誰しもが感じる現実へのもどかしさをかなりリアルに書き切っているので、自分が何かしらに行き詰まっているときに読むと、そちらに気持ちが引っ張られてしまいそうな気がする。
ヒトはそうした「ままならない気持ち」をどのように処理するのか。一番手っ取り早いのは、負の感情の掃き溜めを用意することだと思う。それは身近な家族や友人に話す、あるいはSNSの愚痴垢にひたすら書き込む等、いろいろな方法があるだろう。ちなみにわたしは愚痴垢派である。勿論人に話すことは悪くはないのだが、自分自身で処理出来なかった泥のような感情を勝手に押し付けておきながら、自分だけ楽な状態に、気持ちよくなってしまっているような罪悪感があるからだ。
所属グループに一、二曲提供しただけのぽっと出作曲家のレイカと、それを歌い踊るアイドルという立場の真子ちゃん。同性で歳も近い。全くの無関係というわけではないが、しかし、特別仲が良い訳でもない。このふたりの関係性を作中では「ちょうどよい距離感の他人」と表現されているが、わたしにとっての愚痴垢もそんな雰囲気だ。
ちょうどよい距離感の他人、まさにわたしのことが特別好きでも嫌いでもないような人だけを招待した場所。そこでひたすら自分の行き場のない気持ちを書き綴ると、少しだけ気が楽になる。勝手な感情の押し付けになりたくないから敢えて対人ではなく愚痴垢という手段をとっているので、フォロワーの誰からも反応は期待していない。しかし矛盾するようだが、自分以外誰もいないような無人のアカウントでこれと同じことをして、誰にも見てもらえていないという状況には孤独を感じてしまう。ただちょうどよい距離感で「誰かに見てもらえている」という事実が、なぜだかわたしを安心させる。
しかし、レイカはそうしなかった。彼女は感情の捌け口を真子ちゃんに求めようとして、思い止まった。しかし真子ちゃんはピザパーティーの際、握手会の様子を神社にたとえながら、彼女自身がファンからの「捌け口」になっていることを語る。「握手会って神社なんですよ。合格祈願とか、結婚しましたとか報告してくるんです。お参りされてる。それか懺悔室。友達とか身近なひとに言えないけど、どうしても聞いてほしいことを一生懸命吐き出してくるところは同じだと思う」。
また、作中には彼女がSNSのエゴサーチを日常的にしているような描写もあった。そこに呟かれる内容が賞賛であれ批判であれ、真子ちゃんは一方的に様々な感情の捌け口になっていた。真子ちゃんとレイカの交流は、真子ちゃんの窃盗癖が発覚し、彼女のアイドル生命が途絶えたことで終わりを告げる。窃盗は擁護できないが、そうして多種多様な感情の捌け口になり続けた結果、真子ちゃんの精神はどんどん摩耗していったのではないか。そう思うと心臓のあたりが苦しい。
現実にもがくレイカを通して、我々も「誰にも奪われたくないし誰からも奪いたくないのに、我々は誰かしらから奪い、奪われながらでないと生きていけない」人間のままならなさに気づく。感情の捌け口を求めること、また感情の捌け口とされることで、互いの時間や気力を奪い合っているのだ。
「凸撃」はレイカの同僚、林を主人公にした短編。レイカ視点で見ればそつなく仕事をこなして、容量良く生きているような彼だったが、終業後や休日は喧嘩凸待ち生配信という薄暗い趣味に興じている。そんな彼の配信にやってきた問題児、「金キング」は16歳の不登校児。いじめが原因で中学から登校できず、人生を悲観した金キングはこのまま数々の凸待ち配信で暴れ回り、インターネットの世界で有名になることでいままで彼を害した全ての人間を見下して乞食して生きるのだと豪語する。顔や実名や住所、個人にかかわる全てを暴かれてもなおも配信の世界に入り浸る金キングに、林はいじめや性犯罪の被害を受けていた自身の過去を明かすのだが……。
「誰にも〜」で描かれた林はまあ嫌なヤツ、みたいな印象だったのだが、凸撃を読むと彼の人間像が分かってきて、そんなに悪いヤツじゃないじゃん、という気になる。配信で暴れ回り、知名度を増すごとに悪い意味での自信を身に付けていく金キングはなんとなく昔のゆたぼんを連想させられた。
「俺やリスナーは可哀想なお前でいわばオナニーしてるんだよ。あー、俺こんなチンパンみたいじゃなくてよかったーって。お前みたいな神も諦めるレベルの救いようもない低脳クソガキがハサミぶんぶん振り回してネットの世界で暴れ回ってる、そんな絶世の猿を目の当たりにするとどうしようもなく安心するんだよ。下には下がいるって。人ってそういうもんなの。だからお前は人気なの。」
林が淡々と語るこれらの現実は、まだ子どもである金キングには知り得ない世界だったのだろう。絶望した金キングの叫びが響き渡る最中、林はモニターを抱きしめる。それは行き場のない感情の捌け口をインターネットに求めたひとりのか弱い子どもを慰めるようにも思えたし、そして同じくインターネットに捌け口を求めた林自身をも肯定するかのようにも感じた。
汚いもの、薄暗いものをなにも吐き出さずに生きていられたらいいのに。人間である以上そうも生きられないのだから難しい。 -
Posted by ブクログ
どんなことがあっても日常は続いてしまう、というのは最近の作品には多い終わり方だと思う。「オチ」があるわけではない、という意味で、この作品もそうだ。面白い終わり方でスッキリするわけではなくて、どちらかというと最後は開かれている感じ。委ねられていて不安になる。そんな終わり方。
著者の児玉雨子さんはずっと作詞家として知っていたから、読み進めていく中でどうしても作曲家の主人公を児玉さんに重ねてしまった。児玉さんは普段からああいうことを考えているのだろうか、と思ってしまった時点である意味負けだと思うけど、あえて負けにいくとするなら、児玉さんはもっと達観しているのかと思っていた。そんなことはなくて、かなり繊細な、そして確固たる意志を持って自分を自分たらしめているのだと読めた。これすらも「そう思わせる」書き方をしたのだとしたらうますぎる。私がこれを書くなら、自分がこう思ってないと書けない、というほど感情がリアルに描かれていたから。
読後の感覚の話で言うと同じ出版社から出ている「推し、燃ゆ」を読んだ時と少し似ていた。いや、全然違う、違うんだけど、これは感覚の話です。ただやっぱりこれも、この感覚すら作中のパクリ問題(これはほぼ本筋とは関係ないのでネタバレとはしません)を読むにすべて見透かされてるのかもと思ってしまう。分からない。わたしが児玉さんの歌詞を普段信用しすぎているし神格化しすぎているが故に全て「わかった上でこうしている」みたいに思ってしまう。
逆に、そこに意図がなかったとしても、そう思わせられる文章はすごいと思う。思わせるような詞を普段書いていることもすごいと思う。普段のアイドルとの距離も含めて。
色々書いたけれど、面白かったです。凸撃は結局少年がどうなったのかちょっと気になるからどこかで書いてほしい。