エーリヒ・ケストナーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
親の離婚で生き別れた双子の女の子が、
サマースクールで再会して、入れ替わる話。
わたしにも地球のどこかに生き別れた双子…いたらいいなぁ、なんて思いながら読んでた。
海外文学って、名前が覚えられなかったり翻訳で文体が変わったり、読みづらくて苦手だったけど、
児童向け小説だと読みやすかったなぁ。
それにしても、登場人物は多いし、メモ取らないとすぐ、これ誰?ってなったけど。笑
なんでタイトル、ふたりの“ロッテ”なんやろう。
最初ルイーゼ視点やし、強いて言うなら『ふたりのルイーゼ』では?
もしくは、『ふたりのパルフィー』なんかな…?
タイトルはロッテ視点なんやぁ…って思っちゃった。 -
Posted by ブクログ
「ケストナーの戦争日記」という邦題で刊行された「青い本」の該当個所との異同や加筆個所が結構あるので「青い本」を元にした日記風の文学作品と見なした方がよさそうだ。「アンネの日記研究版」や「福音書対観表」のように「終戦日記」と「青い本」の該当個所を対照にした本があればいいのに。少なくとも「青い本」との異同個所を注に記したらどうだろうか?
邦訳者は旧訳の邦訳者の高橋健二を日本文学報国会の幹事や「大政翼賛会文化部長の要職にもついていた」と批判しているが「青い本」に引き摺られたのか?初刷ではグデーリアンの記者会見を記した個所で「そのひとつを朗読した」を落としている。担当編集者はドイツ語が出来なくても高 -
Posted by ブクログ
子供の頃に読んだけど
たしかサマースクールに行ったことが
ふたりの出会いだったような気がして再読。
そうそう、やっぱり。
ウィーンに指揮者の父と住むルイーゼと
南ドイツに出版社勤めの母と住むロッテが
夏休みの児童宿泊施設で出会い
実はふたごだったことに気がついて
もう一度両親と一緒に暮らそうと画策する話!
ロッテがルイーゼに、ルイーゼがロッテになって
それぞれの親のもとで正体を隠して過ごすけど
ふたごといえど性格も行動も違っていて
バレやしないかとヒヤヒヤする。
あと、父親に言い寄ってくる女性がいた。
そんな展開だったっけ!?
この妙に現実味を帯びているところ
私がケストナーを好きな部分。 -
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Posted by ブクログ
ケストナーが戦後(1952)に書いた戯曲。独裁者がすでに亡くなり、影武者たちが交代交代で代役を務めるというブラックユーモアあふれる作品。
まず、独裁者が議会の推薦の元、終身職に就くってどこのロシアよ、と勘繰りたくなってしまうが、結局今も昔もやっていることは変わらないということ。またその演説も最近ロシアでよく聞いたなぁという保護の名のもとの侵略正当化と何でもかんでも外国のスパイに仕立てるというこれも最近よく耳にするフレーズ。
その後状況は二転三転するが、結局あまり変わらないのが世の常という落ちもまた現実でもよくある話。同じことを繰り返して人間飽きないのか。
独裁者やって飽きたら交代する/交 -
Posted by ブクログ
ネタバレ冒頭はケストナーのエッセイ、そして少年たちの物語へ。
ギムナジウム5年生の少年たちがクリスマスを迎えるまでの物語…というと萩尾望都的美少年が出てきそうだが、1933年に出版された本作はまったくそんな内容ではない。背景にナチス政権の暗い世相を感じさせつつ、物語は少年たちの争い、友情、見栄、大人(先生)との関係を描く。
私は女で、子供も娘しかいない。もし私に息子がいたら、この話はもっと自分に近寄せて読めたのかもしれない。それでも読後感は心がほんわか温かくなった。いい話だった。
最後に、もしかしたら「私」の母親は、ジョニーの船長の姉かもしれない、と思ったのだがどうだろう。 -
Posted by ブクログ
自分の中高男子校時代を思い出しながら読みました。
この物語に出てくる生徒たちはお互いの性格とか境遇とかをなんとなく理解し合いながら学生生活を送っている。その一方で自分の中高時代は、仲の良い親友とか仲間とかはいたけど、ここまでお互いを思いやる関係だったかというと、そこまでではなかった気がする。その違いはなんだろうと思った。笑いのツボが合うとか、趣味が合うとか、一緒にいるとなんだか楽しいとか、そういうことが仲間となる要素だったように思うけど、その友が何を頑張っていて何に悩んでいるかとかは気にしたことがなかった。ちょっとしたこととか特に理由がない「なんとなく」で仲間の関係が出来たり解消されたりする程 -