エーリヒ・ケストナーのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレp.91
記憶は頭の中だけに関係している。~ いい記憶も悪い記憶も、頭の中にあるのだ。
頭の中には、ぼくたちが学んだことをすべて入れておくひきだしがある。 ~
思い出は、ひきだしの中には入っていない。思い出はぼくたちの真ん中に宿っている。たいていはうつらうつらしているが、生きているし、息だってしている。そして、たまに目をあける。 生きていて、息をして、まどろんでいる。手のひらに、足の裏に、鼻に、心臓に、そしてズボンのおしりにだって。ぼくたちがかつて経験したことは、何年も何十年もたってから、突然もどってきて、ぼくたちの目をのぞきこむ。すると、ぼくたちは感じるのだ。そうだ、思い出はなくなってしまったんじゃないんだ、ただ眠りこんでいただけなんだって。
p.228
ルートヴィヒ・リヒターは今も愛され、称賛されている。グスタフ・ニーリツを知っている人はもういない。時は残るべきもの、いつまでもあるべきものを選り分ける。そして、時の選択はたいてい正しい。
p.280 お母さんが下り坂でコースターブレーキをいつも忘れてしまったことについて。
さいわい、ぼくはプロの深層心理学者ではないので、現実の背後にひそむ意味を読み解くこうした論文や解釈は、書かずにすませることができる。ぼくにとっては、人間を描写することのほうが人間を解説するよりもおもしろい。描写すれば、じゅうぶん解説したことになるし。でも、今ぼくがおもしろ半分に書いた一文は、真実のひらめきをふくんでいるんじゃないだろうか。そうだとしても、ぼくは驚かない。 -
Posted by ブクログ
原著刊行年は1957年、ケストナーは58歳。15歳までの自伝。子どもに向けて語るように語る。しかし、ちょっと饒舌過ぎないか。
全16章。4章までは、長いファミリー・ヒストリー。ドイツという国が歴史的にどういう国だったのかもわかる。5章からが自分のこと。16章、1914年、第一次世界大戦の直前で終わる。
生まれ育ったドレスデン、当時人口は65万。その当時の喧騒、ケストナー少年が聞いていた喧騒も聞こえてくる。この大都市が未来に無差別爆撃で灰燼と化すことは、ケストナー少年の知らない話。
ホルスト・レムケの挿絵(60枚)がいい。これがなかったら、まったく別の雰囲気の自伝になっていたかもしれない。
(p.s. 母親はイーダ。父親はエミール、陰で噂の実父もエミール。よくある名前ではあるが、どこかで頻繁に目にしたような。) -
Posted by ブクログ
貧富の差がテーマとのことだったが、子どもたちが仲良しで偏見がないので、私はそれほどは感じなかった。それよりも、アントンが何でもできること、勇気ある子どもなことが強調されていたように思う。お金を数えて生活の算段をするところ、卵やじゃがいものお料理をするところは、私が子どもだったら、外せない場面だと思う。
点子ちゃんは友達思いで賢くかわいい、アントンも勇気ある少年。子どもはクレッパーバインを除くと良い子です。しかし、ケストナーが子どもを純粋な良い子とくくらないところが良いです。「人間の顔をした動物にもおとるやつは、子どもの中にもいる」と「立ち止まって考えたこと」の中で、ばっさり切り捨てている。本音を書いているように思う。
それに比べると大人たちは多彩。
ポッゲ夫人とアントンのお母さんが描かれているが、どちらにも共感するところがある。
ポッゲ夫人の自分を優先する気持ち、自分が一番でないと機嫌を損ねるところ。アントンのお母さんの子どもに自分を見ていてほしいという気持ち。期待するあまりに落胆してしまう。
どちらも自分が持っている部分です。
印象的なのは、アントンのお母さんだけ、心情の描写が多いところです。「窓の外に、自分のみじめで悲しい人生がひろがっているかのようだった。苦労しかなかった。病気と心痛しかなかった。息子が自分の誕生日を忘れたことには、なにかかくれた意味があるような気がしてならない。」あとがきでも、ケストナーはガスト夫人を特別扱いしていると書かれていますが、本当にその通りだと思います。
子どもが読むと、点子ちゃんやアントンに親しみを感じるのだろうが、私は大人なので、大人の登場人物に興味を持ちました。アンダハトさんの恋人の言いなりになって、悪事を働くところも、人間の弱さや狡さをついていると思う。
道徳的な部分に収まらず、いろいろな人間を描いているところが、ケストナーなのかな、と思いました。 -
Posted by ブクログ
青木省三先生の著書で本書が紹介されていて手にした児童文学。
子どもたちの心に寄り添う成熟した大人に見守られながら、様々な事情を抱えた個性あふれる思春期の子どもたちが青春を刻んでいく様子が活き活きと描かれていた。
前半は登場人物の多さに誰がどんなキャラクターの子なのかいまいち掴めず話についていけてなかったけど、禁煙さんが登場したあたりから俄然面白くなりどんどん話に引き込まれた。
禁煙さんと正義さんの再会やマルティンと正義さんとのやり取りには泣けた。
この本が書かれたのがドイツがナチス政権の手に落ちた年だったようで、子どもたちや国民に対するケストナーの命懸けのエールを随所に感じ、胸が熱くなった。
以下、心に残った文章
・人生、なにを悲しむかではなく、どれくらい深く悲しむかが重要
・子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない
・ただ、正直であることがどんなに辛くても、正直であるべきだ、と思うのだ。骨の髄まで正直であるべきだ、と。
・ただ、ごまかさないでほしい、そして、ごまかされないでほしいのだ。不運はしっかり目をひらいて見つめることを、学んでほしい。うまくいかないことがあっても、おたおたしないでほしい。しくじっても、しゅんとならないでほしい。へこたれないでくれ!くじけない心をもってくれ!
・へこたれるな!くじけない心をもて!わかったかい?出だしさえ凌げば、もう勝負は半分こっちのものだ。なぜなら、一発おみまいされてもおちついていられれば、あのふたつの性質、つまり勇気とかしこさを発揮できるからだ。
・かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!世界の歴史には、かしこくない人々が勇気を持ち、かしこい人々が臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。
・ぼくらを成長させたいんなら、自分も成長しないではいられない教師が必要
・平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある
・ぼくが願っているのは、何が大切かということに思いを巡らす時間をもつ人間が、もっとふえるといいといこと -
Posted by ブクログ
天真爛漫でなんとも独特なキャラクターの点子ちゃんと、健気で母想いのアントン。
お互いを思いやる2人の友情と、それぞれの家庭の事情やいくつかの出来事が絡んで物語は進みます。
2人も(もちろんワンコのピーフケも!)とっても魅力的なのですが、周りにいる大人たちが様々すぎる。いろんな種類の大人を集めた図鑑みたいで、コレ子どもも楽しく読むだろうなぁ。
そしてやっぱりケストナー、まえがきからガンガン話しかけてくるのですが、そこで「章が終わるごとに立ち止まって考えるよ」と前置きがあります。
章の終わりに差し込まれるこの部分、語り口は軽快なんだけどなんかもう深くて重い。
この作品が発表された1931年のドイツの状況を思うと、ケストナーの叫びにも感じてしまう『立ち止まって考えたこと』。大人にはけっこう強烈なんじゃないかなぁ。私はかなりくらいました。 -
Posted by ブクログ
ケストナーの作品は、決して夢見る甘い出来事ばかりが起こる物語ではない。そこにリアリティがあるが、ちゃんと希望を持てる話しであるところが好き。
登場する子どもは、真っ直ぐで、目の前の出来事に夢中で一生懸命で、それ故に無謀さもあるけれど、とっても勇敢だ。
読んでいてスカッと、そして胸が震えるのは、主軸のストーリーに加えて、物語の主役としては地味でも本質的に素晴らしいことをした登場人物にも万遍なくスポットライトをあてる大人が登場すること。
そして、胸がキュンとするほどいじらしく、勇敢な子ども達とその周りの大人とのやりとりに心底気持ちがあたたまる。 -
Posted by ブクログ
ケストナー作品では『飛ぶ教室』『二人のロッテ』『点子ちゃんとアントン』をこれまでに読んでいて、どの作品でも子どもの健気さや、親子の関係性にぐっと来ていたけれど『エーミールと探偵たち』でもエーミールとお母さんの関係性に憧れてしまう。エーミールと教授くん、2人が親について話し合う場面、かなり好きなんだよなあ。
登場する子どもたちは《こんな子いたな》《いそうだな》と思わせられるリアリティがあるのに、絶妙なバランスで《こんな子(友達)いたら良いなあ!》が混じる。現実的で理想的って、そりゃあ夢中になれる物語じゃないか。
探偵たち全員、エーミールを助けたいって動機はたぶんあるのだけれど、それより何より、最高に楽しい遊びが始まったぜ!なマインドなのが実に良い。
エーミールを応援しながら、それよりちゃっかり自分が楽しもうとしてしまう。でも目的達成のためにはガマンも必要で、ってこういうところ、子ども時代に読んでたら教科書にしたのにな笑
深緑野分さんの『ベルリンは晴れているか』を読んでこの本も読んだけれど、、、
この本が戦中戦後の荒廃すさまじいドイツの子どもたちの心を明るくしたり、英語版で読んだ他国の子どもたちがドイツの子どもも素敵なんだなって思ったりした歴史があるのだと思うと、感慨深い。本にしか照らせないものがある。