エーリヒ・ケストナーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
河合隼雄さんの『子どもの宇宙』にて紹介されていた一冊。
子どもって親が考えているより何倍も大人のことよく見ていて、色んなことを考えている。
正反対の性格のロッテとルイーゼ。
入れ替わり期間に今まで一緒に暮らしいた父母と離れ、異国の地で暮らすのは、9歳の女の子達にとってどれほど勇気のある行動だろう。
初めての環境に弱音を吐くこともなく、ピンチにも機転をきかせて立ち回る姿は読者をワクワクさせてくれる。
大人目線で読むと、一度別れた夫婦が元サヤに戻ることの難しさを感じる部分はあるが、父親に近づくヒール役の女性の存在が物語のスパイスとなり、リアリティを演出してくれる。
個人的には、入れ替わったロッテが父親にピアノのレッスンをつけてもらったり、ルイーゼが母親とガルミッシュに旅行をしたり、今まで知り得なかった幸せに触れる場面が印象的だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ洒落たまえがきにはじまり、
職人技のような流麗たる筆で語り尽くすラスト、そしてまた飄々としたあとがきで終わる なんともケストナーさんな1冊でした。
ご両親の生まれから 出会い ドレスデンのかつての美しさ。
ケストナーが生まれてからは まるでエーミールと探偵そのままで、下宿人の先生のことなんて懐かしいとさえ感じてしまいました。
でもやっぱりお母さま。
それはそれはやり手なお母さんですが
しっかりと悩みを抱えていました。
クリスマスの贈り物を父と母それぞれが競うように用意していたのを感じ取ってしまう繊細な少年ケストナーには、
何度も母を探し歩く不安な日々がありました。橋の上で川の流れを見つめる母を見つけるまた小さな男の子の姿は、今はもうどちらの気持ちもわかる歳になった読者を泣かせます。
_彼女は完全な母親になろうと思い、そうなったのだから、彼女の賭け札であるわたしにとっても疑いの余地はなかった。つまり、わたしは完全なむすこにならねばならなかったのだ_
つらい…
エキセントリックなフランツおじさんや小学校のレーマン先生とのロッククライミングなどなど ほんとに鮮やかに子ども時代が描かれますが、
1914年の8月 休暇先から満員の汽車に乗ってドレスデンへ帰る人々。
_世界戦争がはじまった。わたしの子ども時代はおわった。_
この悲しみを含んだ鋼のような言葉の後に
おわりのあとがきがあります。
正直私はここが1番好き
猫たちとのたのしい会話で このおはなしに書いたことと書かなかったことを照れくさそうに言い訳しているというか
羊飼いの少年の靴下が下がりそうなことを心配しつつ 飄々とサヨナラするなんて
やはりマエストロでした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ久しぶりの再読。
双子が入れ替わるという話は、今では陳腐ですらあるのだが、この時はすごいアイデアだったのだと思う。
大人になって読むと、こんなことあるはずがないと思ってしまうが、ケストナーもそれは重々承知なのである。双子は出会わず、元夫婦が再び夫婦に戻ることもまずない。双子はそれぞれ孤独を抱えて育ち、父はイレーネと再婚するのがリアルだ。しかしあえてそうしなかった。それは読者である子どもが「こうなってほしい」と考える結末を裏切りたくないという気持ちと、(書かれた時代を考えれば)敗戦、ナチス支配という負の歴史に叩きのめされたドイツ人に希望を取り戻してほしいという思いであったろうと思う。そこのところを訳者があとがきでもやさしい言葉で書いている。
必要以上に会話や心情を描くことなく、ちょっとした行動や言葉から登場人物の人となりが伝わり、物語が動くところなど、ケストナーの上手さも堪能できる。
母は娘に頼り過ぎていたこと、娘に大人びたふるまいをさせていたことに気づき、父は娘をほったらかしにしていたこと、家族は自分の仕事に邪魔になる存在なのではなく、仕事の活力になる存在だということに気づく。ここらあたりは現代の親が読んでもはっとさせられるのではないかと思う。
時代的に仕方ないが、ミュンヘンで編集者をしていた母が再婚してウィーンに来てから、仕事のことが語られないこと。夫はウィーンフィルの常任指揮者兼作曲家なのだから、戦後すぐなら仕事をやめて専業主婦っていうのは自然なのだろうが、現代なら仕事を続けるのではないだろうか。ここはちょっと残念な気がする。
トリアーの絵は大好きだが、今のイラストレーターのように主人公を魅力的に描こうという気持ちはあまりなく、双子の可愛い絵は意外と少ない。父パルフィー氏ももう少しかっこよく描いてもよかったんじゃないかと思うし、アンニ・ハーバーゼッツァーは怖すぎる。(しかも絵が大きい。)
でも、イラストレーターが「魅せる」ことに注意を払わなくていい時代もあったという歴史の証言ではある。 -
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「終戦日記」と読み比べると元々書かれていない事をケストナーが加筆している個所が多々ある。グデーリアンの邦題「電撃戦」で書かれている宣伝省次官ヴェルナー・ナウマンから依頼された談話は「戦争日記」では単に彼の発言を引用しているだけだが「終戦日記」ではポーランド人の地主からダイペンホーフを略奪したグデーリアンに代表される当時の国防軍の軍人批判を書き加えているので「終戦日記」は「青い本」こと「戦争日記」を元にした日記体の実録と見た方がいい。「終戦日記」は1961年に刊行されているので1951年に刊行されたグデーリアンの回想録をケストナーが読んで書き加えた可能性はありそうだ。
邦訳者のあとがきには第三帝国前後の日記としてケストナーが関わりを持ったコンラート・ラッテのUボート生活で深いつながりを持つルート・アンドレアス-フリードリヒの「ベルリン地下組織」と「舞台・ベルリン」が出て来ないので知らないのだろうか?「ペーター・シュナイダーが編纂したコンラート・ラッテの回想」つまり「せめて一時間だけでも」には「ベルリン地下組織」が言及されているが。278頁には「一九四五年以降に成立した長編小説のメモの中でも」ケストナーが「HJの記章をつけ、母親を連れてレオンに来た若いバウアー」と書いたとあるが「せめて一時間だけでも」ではラッテは「HJの記章」ではなく労働戦線の記章をつけて地下生活した記述があり、両親が強制収容所に送られて一人になってからケストナーと会っている事になっている。ラッテが強制収容所に送られなかったのは注釈にある田中路子とつながりがあったというDDR時代の有名人になったヴォルフガング・ハーリヒの裁判に証人として出廷する為。田中路子がゲスターポなどに面が割れているハーリヒが関わるKPDの組織と関係あったとは知らなかった。
「せめて一時間だけでも」によるとハーリヒは脱走した上にKPDのパンフを持って逮捕されたのに死刑どころか強制収容所や執行猶予部隊送りにもならずに「三ヶ月の禁固刑」で済んだとある。「除隊」とあるのは両親が有名人なので、それで済んだという事? -
Posted by ブクログ
先日、観劇に劇団四季を訪れたところ、劇団四季「ふたりのロッテ」のポスターが!
わぁ、懐かしいと思いながらも詳細を全く思い出せなかったので再読。
児童書は私のインターバルとして、とてもいい仕事をしてくれる。
ケストナーはうまく表現できない子どもの気持ちを代弁するのがほんとに上手いなぁ…
訳者の池田香代子さんがあとがきで「おとながときどきケストナーを読んでひやりとするのは、とてもいいことです。」
と書いていらっしゃるように、ケストナー作品を読むと子どもも大人以上にいろんなことを感じたり傷ついていることを忘れないようにしなければと思う。
我が子達は、特に海外の古典的な児童書は物語の背景が想像できないようでとても苦手。
写真は写真館でしかとれず、手紙でしかコミュニケーションが取れない…だから写真や手紙が貴重で、待つことの楽しみもある。
そんな時代は現代っ子にはわからないよな…
でもだからこそ、そういう時代の友情の緊張感みたいなものを物語から感じとってほしいな…と思う。
夏休みももうすぐ終わってしまうけれど、大人にも子どもにも夏休みにオススメの一冊。
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Posted by ブクログ
いつでも点子ちゃんの
あとをついてまわる、
ちょこまかとカワイイ
ダックス犬のピーフケ。
ぴょこぴょこ跳ね回る
姿が目に浮かびます。
さて、ナチス政権下の
ドイツに生きた作者の
ケストナーさん。
ケストナーさんは言い
ます。
いつでも公平に物事が
運ぶわけではないよと。
隣の人の答案を写した
生徒ではなく、
写させてあげた生徒が
罰せられるようなこと
があっても、
あまり意外に思っては
ならないよと。
でも、だからといって
それでよいというわけ
ではなく、
公平な世になるように
心がけてほしいと、
新しい世を築いていく
子どもたちにやさしく
呼びかけています。