エーリヒ・ケストナーのレビュー一覧
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ネタバレ久しぶりの再読。
双子が入れ替わるという話は、今では陳腐ですらあるのだが、この時はすごいアイデアだったのだと思う。
大人になって読むと、こんなことあるはずがないと思ってしまうが、ケストナーもそれは重々承知なのである。双子は出会わず、元夫婦が再び夫婦に戻ることもまずない。双子はそれぞれ孤独を抱えて育ち、父はイレーネと再婚するのがリアルだ。しかしあえてそうしなかった。それは読者である子どもが「こうなってほしい」と考える結末を裏切りたくないという気持ちと、(書かれた時代を考えれば)敗戦、ナチス支配という負の歴史に叩きのめされたドイツ人に希望を取り戻してほしいという思いであったろうと思う。そこのところ -
- カート
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試し読み
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「終戦日記」と読み比べると元々書かれていない事をケストナーが加筆している個所が多々ある。グデーリアンの邦題「電撃戦」で書かれている宣伝省次官ヴェルナー・ナウマンから依頼された談話は「戦争日記」では単に彼の発言を引用しているだけだが「終戦日記」ではポーランド人の地主からダイペンホーフを略奪したグデーリアンに代表される当時の国防軍の軍人批判を書き加えているので「終戦日記」は「青い本」こと「戦争日記」を元にした日記体の実録と見た方がいい。「終戦日記」は1961年に刊行されているので1951年に刊行されたグデーリアンの回想録をケストナーが読んで書き加えた可能性はありそうだ。
邦訳者のあとがきには第三帝 -
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先日、観劇に劇団四季を訪れたところ、劇団四季「ふたりのロッテ」のポスターが!
わぁ、懐かしいと思いながらも詳細を全く思い出せなかったので再読。
児童書は私のインターバルとして、とてもいい仕事をしてくれる。
ケストナーはうまく表現できない子どもの気持ちを代弁するのがほんとに上手いなぁ…
訳者の池田香代子さんがあとがきで「おとながときどきケストナーを読んでひやりとするのは、とてもいいことです。」
と書いていらっしゃるように、ケストナー作品を読むと子どもも大人以上にいろんなことを感じたり傷ついていることを忘れないようにしなければと思う。
我が子達は、特に海外の古典的な児童書は物語の背景が想像で -
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いつでも点子ちゃんの
あとをついてまわる、
ちょこまかとカワイイ
ダックス犬のピーフケ。
ぴょこぴょこ跳ね回る
姿が目に浮かびます。
さて、ナチス政権下の
ドイツに生きた作者の
ケストナーさん。
ケストナーさんは言い
ます。
いつでも公平に物事が
運ぶわけではないよと。
隣の人の答案を写した
生徒ではなく、
写させてあげた生徒が
罰せられるようなこと
があっても、
あまり意外に思っては
ならないよと。
でも、だからといって
それでよいというわけ
ではなく、
公平な世になるように
心がけてほしいと、
新しい世を築いていく
子どもたちにやさしく
呼びかけています。 -
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Posted by ブクログ
こんなにも純粋なチビッ子どもが昔はいたんやなぁ、、というのはおそらく幻想だろうけど、多分、著者の願望が色濃く反映されているんだろうけど、にしてもなかなかである。
ベルリンに着いていきなり構築されるチビッ子どもの輪。これがもう怒涛のように広がっていって、あれだレミングスとかピクミンみたいなイメージ。このチビッ子どもが最後にワルモノを捕まえるシーンとか、もうわちゃわちゃとしてるのよ。何これ楽しそう。
そして最後のおばあちゃんの演説もちょっと異色というか、なんでこんなこと言わせにゃいかんのか。検閲なのか。
と、色々と時代がかっていて楽しげで好きなのだった。 -
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戦中日記第四弾。高見順「敗戦日記」、「大佛次郎敗戦日記」、「吉沢久子、27歳の空襲日記」の次にお読みください。1945年5-6月の日記。ここで、初めて田辺聖子の日記が登場して、大阪空襲を語る。更には、ケストナーにとってはヒトラー死亡が確定して、ドイツでの「内的亡命」が終わりを告げるのである。また、高見順たちの鎌倉文庫は予想外の好調を示した。
エーリッヒ・ケストナー(1899-1974)。「エミールと探偵たち」「飛ぶ教室」などで、既に著名な児童文学作家であり、詩人で脚本家であった。翻訳者の酒寄氏は、ドイツ文学者は迎合者、亡命者、内的亡命者の3つに分かれたと書いているが、ケストナーは3番目の内的