エーリヒ・ケストナーのレビュー一覧
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子供の頃に読んだけど
たしかサマースクールに行ったことが
ふたりの出会いだったような気がして再読。
そうそう、やっぱり。
ウィーンに指揮者の父と住むルイーゼと
南ドイツに出版社勤めの母と住むロッテが
夏休みの児童宿泊施設で出会い
実はふたごだったことに気がついて
もう一度両親と一緒に暮らそうと画策する話!
ロッテがルイーゼに、ルイーゼがロッテになって
それぞれの親のもとで正体を隠して過ごすけど
ふたごといえど性格も行動も違っていて
バレやしないかとヒヤヒヤする。
あと、父親に言い寄ってくる女性がいた。
そんな展開だったっけ!?
この妙に現実味を帯びているところ
私がケストナーを好きな部分。 -
Posted by ブクログ
ケストナーが戦後(1952)に書いた戯曲。独裁者がすでに亡くなり、影武者たちが交代交代で代役を務めるというブラックユーモアあふれる作品。
まず、独裁者が議会の推薦の元、終身職に就くってどこのロシアよ、と勘繰りたくなってしまうが、結局今も昔もやっていることは変わらないということ。またその演説も最近ロシアでよく聞いたなぁという保護の名のもとの侵略正当化と何でもかんでも外国のスパイに仕立てるというこれも最近よく耳にするフレーズ。
その後状況は二転三転するが、結局あまり変わらないのが世の常という落ちもまた現実でもよくある話。同じことを繰り返して人間飽きないのか。
独裁者やって飽きたら交代する/交代させられるシステムという小話があったが、変革しているつもりのマンネリを人は尊ぶということか。 -
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ネタバレ冒頭はケストナーのエッセイ、そして少年たちの物語へ。
ギムナジウム5年生の少年たちがクリスマスを迎えるまでの物語…というと萩尾望都的美少年が出てきそうだが、1933年に出版された本作はまったくそんな内容ではない。背景にナチス政権の暗い世相を感じさせつつ、物語は少年たちの争い、友情、見栄、大人(先生)との関係を描く。
私は女で、子供も娘しかいない。もし私に息子がいたら、この話はもっと自分に近寄せて読めたのかもしれない。それでも読後感は心がほんわか温かくなった。いい話だった。
最後に、もしかしたら「私」の母親は、ジョニーの船長の姉かもしれない、と思ったのだがどうだろう。 -
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自分の中高男子校時代を思い出しながら読みました。
この物語に出てくる生徒たちはお互いの性格とか境遇とかをなんとなく理解し合いながら学生生活を送っている。その一方で自分の中高時代は、仲の良い親友とか仲間とかはいたけど、ここまでお互いを思いやる関係だったかというと、そこまでではなかった気がする。その違いはなんだろうと思った。笑いのツボが合うとか、趣味が合うとか、一緒にいるとなんだか楽しいとか、そういうことが仲間となる要素だったように思うけど、その友が何を頑張っていて何に悩んでいるかとかは気にしたことがなかった。ちょっとしたこととか特に理由がない「なんとなく」で仲間の関係が出来たり解消されたりする程度の弱い連帯で、この物語の彼らのように相手の幸せを思うほどの絆は少なくとも当時は意識していなかったように思う。部活でも大学受験でも一緒に頑張って当時はかけがえのない仲間だと思っていたけど、過ぎてしまえばさっぱり会わなくなる関係がほとんどだ。それって自分の時代だからなのかなとか、日本はそうなのかなとか、はたまた自分だけなのかな、とか思った。必ずしも自分の中高時代が不毛だったとは思わないけど、もう少し相手の目線を持って学生生活を送っていたら違った人生もあったかもしれないなと思う。
それと、池田香代子さんという訳者、どこかで聞いたことのある名前だなと思ったら、新訳版「夜と霧」と同じ訳者さんだった。どなたの翻訳かを意識してみるのも面白いかもと思った。 -
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うーむ。
人物の造形はおもしろく、点子ちゃんなんかとてつもなく可愛いんやけど、、、ちょっと好かんかな。なんか説教くさいっつうか。
勧善懲悪とまで言うとおおげさやけど、でも、そう。ひねりがないって感じ?
ほかのレビューを少し見ると、説教くさくない、と書いておられる方も多いけど。私には、しっかりと説教くさかったです‼️汗
正しい人、、、アントンや点子ちゃんやお父さんによき結末があり、自分勝手な母親、ナニーを騙していた婚約者の泥棒は憂き目にあう。
まあ、そうして終わってくれた方が、安心できるけどね。こどもにとって、ワクワク面白く読める教育的なストーリーかな。そこがきにくわない笑 -
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親の離婚に振り回される双子の話。ルイーゼとロッテのわくわくドキドキする入れ替わり、2人だけの秘密の大冒険の背景にはこんなにも悲しい理由がある。
こんなに重いテーマだと知らずに読み始めたから途中で驚いた。
ルイーゼとロッテの願いはただひとつだけで、お母さんとお父さんと一緒に暮らすこと、子どもたちの願いは非常に殊勝で大人の身勝手さが浮き彫りになる。
ルイーゼとロッテが小さいながらにも頑張って幸せを掴もうとする姿は見ていると勇気づけられるし大人も見習うべきだと思った。
私は未婚だけど、子どもを持つ親の立場で見たらもっと色々なことを考えるんだろうと思う。
ケストナー作品をもっと読みたいと思った。
ドイツが舞台で実際の地名やそこでの文化が登場するので、それもまた面白い。登場人物も個性的で離婚という重いテーマを扱いながらも楽しく読むことができる。子どもにとっても読みやすい作品だと思う。 むしろテーマの重さに囚われない子どもの方が楽しめるのかな…?気になる点である。 -
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岩波少年文庫版ケストナーの最後は『点子ちゃんとアントン』。点子ちゃんという魅力的なキャラクターでソフィスティケートされてるけど、これはけっこう問題作なのでは。
お金持ちのお嬢さんである点子ちゃんと、貧乏で病気のお母さんを支えるアントン少年。ふたりの格差を考えるとラストはハッピーエンドなのだろうか。
点子ちゃんのお母さんの育児放棄ぶりとか、アンダハトさんが点子ちゃんにさせていたことだってよく考えるとけっこうひどい。
説教くさいケストナー節が今回は炸裂してるのもこの物語自体が問題提起だからなのかと思ったり。1931年という出版年を考えると「かしこい大人になってほしい」というケストナーの願いは切実なものな気がしますね。
点子ちゃん(本名ルイーゼ)が「双子だったら」と夢見る場面がありますが、これがのちに『ふたりのロッテ』(ふたごの名前はロッテとルイーゼ。ケストナーのパートナー、ルイーゼロッテから命名)になるわけですね。
黒柳徹子がこの話を朗読してるそうですが、点子ちゃんの不思議ちゃんぶりはたしかにトットちゃん。点子ちゃんと比べるとアントンはちょっといい子すぎるよな。
以下、引用。
「じっさいに起こったかどうかなんて、どうでもいいんです。たいせつなのは、そのお話がほんとうだ、ということです! じっさいに、お話のとおりのことが起こるかもしれないなら、そのお話はほんとうなのです。おわかりですか? これがわかれば、みなさんは、芸術の重要な法則を理解したことになります。わからなくても、まあ、べつにどうってことはありません」
点子ちゃんは、もしふたごだったら、と想像して、満足そうに、ふうとため息をついた。
「あたしなのか、もうひとりなのか、だあれもわからない。あたしかと思ったら、もうひとりのほうで、もうひとりのほうかと思ったら、あたしなの。あーあ、そうだったらよかったのになあ」
アントンは、勇気のあるところを見せた、と考える人がいるかもしれない。でも、これは勇気ではない。蛮勇だ。このふたつは、ひと文字ちがうだけでなく、ちょっと別の物だ。
勇気は、冷静であってこそ、持てる。
教授は、あざ笑われたって、ばかなことをするよりましだ、と考えるほど、勇気があったのだ。
勇気は、げんこつだけでは証明されない。頭がなくてはいけない。
ベルリンはすばらしい。とりわけ、この橋の上はすばらしい。それも、夜がいちばんすばらしい!車は、フリードリヒ通りを、押しあいへしあいしながら走っていく。ヘッドライトがまぶしい中、舗道には人があふれて、どんどん流れていく。汽車は汽笛をひびかせ、バスはけたたましく走り去り、車はクラクションを鳴らし、人びとはおしゃべりをし、笑いさんざめく。ねえみんな、これこそ、生きてるってことなんだよ!
生きていくのは、きびしく、むつかしい。もしも、うまくいっている人がうまくいっていない人に進んで手をさしのべなかったら、未来は暗いものになる。
ぼくは、みんなひとりひとりが、いい友だちにめぐまれるよう、願っている。そして、みんなひとりひとりが、友だちの知らないところで、その友だちのためにひと肌脱ぐめぐりあわせにめぐまれるよう、願っている。みんなには、ひとをしあわせにすることが、どんなにしあわせかを、知る人になってほしいのだ。
ちがうんだよ、みんな、そんなことをしてはいけないんだ! なにかしてしまったら、おちついて考えて、申し開きをしなければならないのだ。罰がこわいなら、なにかするまえに、よく考えるべきだ。
自制する心は大切だ。注目すべきことに、自制する心は、学んで身につけることができる。アレクサンドロス大王は、われを忘れて軽はずみなことをしないように、いつもまずは三十まで数えることにしていた。ね、これはいいやり方だろう? 必要なときには、やってごらん。
もっといいやり方もある。それは、六十まで数えること。
それよりも、みんなが大きくなったとき、世界がましになっているように、がんばってほしい。ぼくたちは、充分にはうまいこといかなかった。みんなは、ぼくたちおとなのほとんどよりも、きちんとした人になってほしい。正直な人になってほしい。わけへだてのない人になってほしい。かしこい人になってほしい。
この地上は、かつては天国だったこともあるそうだ。なんでも、できないことはないんだ。
この地上は、もう一度、天国になれるはずだ。できないことなんて、ないんだ。
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『エーミールと探偵たち』続編。
物語の設定では『探偵たち』から2年後だが、『探偵たち』が1929年出版で、『三人のふたご』が1935年出版だから6年後。その間、ケストナーは児童文学作家としての名声を確立し、『点子ちゃんとアントン』(1931年)、『飛ぶ教室』(1933年)などを発表している。
『三人のふたご』ってまずタイトルがすばらしい。え、ふたごが三組なの? 三つ子なの? これ、子供の頃から気になってました。ネタがわかってしまうと、なんだ〜という感じなんだけど、それでもよいタイトル。
『探偵たち』が名作すぎるのでよくできた続編の域はでないのですが、続編だけにキャラクターが確立されていて、男の子たちのなかでは『探偵たち』では教授がいい味出してたんですが、今回はなんといってもグスタフ。ポニーをちょっと気になってる感じもかわいい。
そして今回はおばあさんの名言が満載。海を初めて見たときの「やっとわかったわ、わたしがこんなおばあさんになるまで生きてきたわけが」とかほんとに素敵。
『ふたりのロッテ』が戦争中に書かれ、戦後に出版されたことはわりと知られてますが、『三人のふたご』は戦争が迫りくる1935年出版。解説にもあるように、それなのに暗さが微塵もない明るい物語。そのせいでしょうか、コロナに押しつぶされそうな日常の中で、この少年たちの夏休みの冒険はなんだかとても落ち着いて読めました。
以下、引用。
ぼくは、自分が知らない、知り合いもいない町を散歩するのが好きなのだ。そうすると、なんだか外国に来たような気がする。そして、しんそこひとりぼっちでさみしくなると、急いで家に帰って、リヴィングでとっくりとコーヒーを楽しむ。
まあ、ぼくはそういう人間なのだ。
「てやんでい」と、グスタフ。「がっこはトロトロ行けばいいんだ。おれはビリから二番め。もんくねえよ」
お休み!そのことばは、ダブルのアイスクリームにホイップクリームてんこもり、みたいにひびく。
そして、二年前のときよりずっとはやく、列車はドイツの首都ベルリンに近づいた。
たいてい、そんなものだ。すぐそこまで散歩に行くのも、鉄道で旅するのもおなじこと。二度めは、おなじ距離なのに、一度めよりもうんと短くて感じられる。(距離は、メートルやセンチメートルではかれるものばかりとはかぎらない)
「あたしはどっち?」と、ポニー・ヒュートヒェン。
みんなは、思わず笑ってしまった。もちろん、ポニーは笑わない。むずかしい顔をしている。
「だって、あたしはもう子どもじゃないし、でもまだおとなじゃない。あたしは、なんなんだろう?」
「おばかさんってとこよ」と、おばあさん。「罰として、おとなの車に乗りなさい。そしたら、わかるでしょ、あなたはまだ子どもなんだって」
むかしは、海に行くには、苦労がつきものだった。目的にたどりつくのをむずかしくするものを、見くびってはいけない。それなりに、いいところがある。
「すごいわねえ。わたしは、職業の選択をまちがえた。ライダーになるんだったわ、おばあさんじゃなくて」
おばあさんが言った。
「わたしたち若い娘はね、生まれつき踊れるの」
「おれっちの国語の先生は、引用、嫌いなんだよな」と、グスタフ。「本を写すな、自分で考えろっていうのが、先生の方針なんだ。本の丸写しは、となりのやつの丸写しと同じくらい、よくないことだって」
『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』
「いいから、おれのことはほっといて、これからは不規則動詞の変化を、四部合唱でやんなよ」
「おれたちは生まれつき、生きていくのに必要なものは、もうなんでももってる、まだかくれてはいるけれどって、言っているんだよ。それは、おのずとのびるものなんだ。いつもいつも、だれかがおれたちにちょっかいを出すなんて、とんでもないのさ。指図したり、見張ったり、テストしたりしてね」
「まあね、そうやって、人は年をとっていくんですな。で、ある日、もう年もとらなくなる」
「おれは了解」と、グスタフ。「でも、おれのバイクにも、いちおうきいてみないとな」
「わたしたちが、おたがいに満足だなんて、けっこうなことね」
「それは、わたしのほうがよくわかっているよ。わたしも、むかしはあんなわんぱく坊主だったんだからね」
ポニーは、うそ、と言いたげな目で、顧問官を見た。
顧問官は、わっはっはと笑った。
「うそじゃないよ、ポニー!昔むかしのことだけとね。でも、ほんのきのうのことのような気もする」
「おれが女の子だったら、生きてるのがやんなって、修道院に駆け込むな」
「あたしが男の子だったら」ポニーが言い返した。「いますぐあんたを二、三発、ぶんなぐってやるわ」
「あたし、大きくなったら園芸家になろうかしら」
「どうぞ!」と、おばあさん。「園芸家になったらいいよ!先週は、看護婦になりたいって、言ってたね。先々週は、薬剤師。そうやって、くるくるいろんなものになりたがってなさい。でも、消防士だけは、おばあさんが許しませんよ」
「自分にあった仕事をさがすのは、むつかしいわね。もしもあたしにお金があったら、冒険飛行家になるのにな」
「おまえのおばあさんはね、もしも車輪があったら、バスになるよ。」
「ヨハンナ、退場」ポニーは、なにかのまねをした。「そして、二度と登場しない」
「はっきり言わなくちゃならないんだよったら、ならないんだよ!だれかが口にしたがらなかったら、だれかが大げさに言わなければならないの」
「犠牲をささげる者は、犠牲の子羊みたいな顔しちゃいけないの。」
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ネタバレエーミールと探偵たちの続編。1作目から2年後の物語。
クラクションのグスタフは、バイクというクラクションの本体を手に入れた。教授はなんと、親戚から遺産としてバルト海のそばに別荘をもらった。
エーミールは相変わらず優等生で、お母さんが大好きなのだが、そのお母さんに再婚話がもちあがる。ずっとお母さんと二人で暮らしてゆくつもりだったエーミールだが、お母さんの幸せを思って結婚に賛成する
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そんな時、エーミールは教授からのバカンスの誘いにのって、バルト海の別荘へゆく。教授とその家族、エーミールのいとことおばあさんたち、グスタフ、そしてディーンスタークに、ホテルのボーイだったピッコロまでも登場。そこで、アクロバット曲芸をしている少年のピンチを聞きつけて、エーミールたちの活躍がはじまる。