赤坂憲雄のレビュー一覧
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最初1986年に単行本として刊行され、その後文章が追加されたもの。
赤坂憲雄さんの2冊目の著書だが、人類学等の知識を縦横に活用して現代社会に様々な形で現出する「排除の構造」を解明してみせた、実に興味深く面白い本だった。
第1章は1980年代の当時顕在化した学校での「いじめ」が分析される。現代日本の子どもたちの「いじめ」が、昔のそれやアメリカ辺りのそれと比較して陰湿さや構造的特徴において著しいものがあると指摘。その特殊性の原因は現代日本の学校制度の特色そのものにあると著者は主張する。
養護学校、特別支援学級などに異質な子どもを隔離した末に、通常の学級は恐ろしく等質的な集団として閉鎖された -
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Posted by ブクログ
2023/04/18
再読。
『童夢』を扱った最終章が読みたくて初めから読み直してみました。
排除という観点からだけでなく境界線や異人を意識しながら。
社会学であり考古学であり文化人類学であるような視点であり、異なる者に対する見方の変遷を眺めながら「排除」という現象を理解して行く。胸が苦しくなるような迫り来る著者の熱意に引き込まれながら。
最終章を読み、4つあるあとがきを読み…そして不思議と安らかな気分になる。
圧倒的な迫力と中身の力強さに再び引き込まれる個人的には名作と思う一冊です。
2023/03/17
いじめや暴力などの社会問題に対する興味のある方は必読。
最初に出版されたのは1986 -
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や~、おもしろかった。
世界中の民族文化や神話から導き出される、性と食についての考察。食べることは生きること、なんてよく言われるけど、知らず知らずのうちに、セックスも生きることなのにそれは退けられてる。でも、読めば読むほど、言われてみりゃー両者の共通点が山ほど・・・普段意識しないけど縛られているタブーの感覚にも気づかされ。「文化的」に生きてるけど、やっぱりもっと自然に戻りたいし野生にあこがれる。・・・それにしても、こういう人類学やら民俗学やらって、なるほど~そういう考え方もできるネ~!っておもしろいけど、真実かどうか確かめようがないし、やっぱり解釈の問題って気がするけど、そしてこの著者の「こう -
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前半の「新章東北学」が素晴らしい。著者はご自分のことを中途半端なフィールドワーカーと言うが、それは専門職だからこそ言いうる。その謙遜、ある意味での沈黙こそが本書を豊穣なものにしている。
後半は、民俗学がベース。前半との重複も散見される。
・そこで見たこと、感じたこと、考えたことを起点にして、これからの表現がはじまるはず。
・時給300円の仕事場。もの作りの拠点の現実。
・原発から自然エネルギーへの転換は、東京一極集中の中央集権的なシステムを地域が主役となる地域分権型のシステムへ変えることにつながっている。
・「までい」。汚染の中にというのではなくて、この困難な状況のなかに踏みとどまって、覚 -
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序章
鈴木敏夫 スタジオジプリプロデューサー
鈴木敏夫は「風の谷のナウシカ」の制作背景やそのテーマについて語っている。彼は、作品が発表された当時の社会的・環境的状況がどのように影響を与えたのかを考察し、ナウシカというキャラクターが持つ強い意志や優しさが、現代においても重要なメッセージを持っていることを強調している。
風の谷のナウシカの題材は『新諸国物語』(NHK ドラマ1952年)。
ナウシカが旅をして、見聞きしたものによって、読者が世界の秘密を知っていく。宮崎駿は「勧善懲悪」が好きで、それが「自然を守る人がいいひとで、自然を破壊するのは悪人」と言う物語にした。
赤坂憲雄の『ナウシカ -
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Posted by ブクログ
赤坂さんの本を読むのは、『異人論序説』、『性食考』、『武蔵野をよむ』に続いて4冊目です。書名をみて、これは読まなきゃ、と感じた著作は購入して読む、という感じです。先に挙げた三冊と比べて、この『災間に生かされて』は、文章の構成がかっちりとはしていません。それは「あとがき」に書かれているように、語りの形式がとられているからです。p16に登場する経済界のリーダーたちのように、数字の出てこない学問を「ポエム」と揶揄するような人々への静かな抵抗として選ばれたスタイルではないか、とも感じます。読む側としても、夜の能舞台に経つ著者の姿をなんとなく思い描きながら読みました。
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Posted by ブクログ
東北学を生み出した赤坂憲雄の挑戦的な考察ーいのちの根源。
なんと刺激の強い本だろう。これが、お堅い岩波書店から出ているので、襟を正して読まなければならない。「食べる。交わる。殺す。」の三角関係について、赤裸々に語られている。
そして、総合的、俯瞰的なユニークないのちの根源の概説となっているのである。
食べることは、交わることにつながる。食べることは、殺す行為によって成立する。
交わることと殺すことは、カマキリのような人生だ。
確かに、食べることは、交わることの同じ神経回路の中にあり、興奮するのだと思う。
芥川龍之介が「ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまひたい位可愛いい気がします」と言っ -
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ネタバレ言葉の語源。
結構詳しいほうじゃないかと自負していた。
けれども、一般的に言われる語源のさらに先、そこから説明されると、もういちいち新鮮でたまらない。
「挨拶」というのは近世の漢語で、もともとそんな言葉のなかった頃は「言葉をかける」「声をかける」という行為を挨拶としていた。
「挨拶」という言葉とともに、ある種の形式が伴うようになり、「言葉かけ」のような言葉が消えていく。
と言われると、確かに挨拶の決まり事を守ることが第一義となり、相手の様子などはろくに見もしなくなったのかもしれない。(ビジネスあいさつの場合)
今挨拶の言葉として使われている「おはよう」「こんにちは」「さようなら」などは、そ