赤坂憲雄のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
200ページ足らずの薄い本ではあるが物足りなさは感じない。
本書では、いただきます、ありがとう、すみません、などのような、あまり深く意味を考えず習慣的に使ってしまいがちな言葉の成り立ちや元来の意味について、各地に残っている膨大な数の方言を手掛かりに考察している。
結論の出し方はやや感覚的であいまいであり、もう少し明確化する余地があるようにも感じられるが、言葉を使う際は何も意識せずに周りを真似るのではなく、その意味をきちんと理解し、使うべきかどうか、使うならどういう場面で使うべきかを考えてほしい、という柳田の切なる願いはひしひしと伝わってくる。それは言葉に対する柳田の考察が真摯な態度と豊富な -
Posted by ブクログ
この本に収められた文章は、どれも「言葉」をめぐる民俗学的検証である。だから見ようによっては、言語学がなすべきだったかもしれない仕事を、民俗学者柳田国男が博識を注入して、独特の視点でやってしまっているという奇妙さが感じられる。
たとえば「ありがとう」「もったいない」といった、極めて日常的な言葉をとりあげ、歴史的な文献をもとに、それは「元はそういう意味ではなかった」という指摘を次々に繰り出してくる。
柳田はここで、みんながそれぞれの日本語の由来をより深く学び、もっと美しい日本語を話して欲しい。という思いを打ち出している。しかし言語は通常、誰が規定するのでもなく、人々のあいだで自然に成長・変容してい -
Posted by ブクログ
20年ほど前にみすず書房から、また2010年頃ちくま学芸文庫からシリーズ本として岡本太郎の本が刊行され、今でも文庫本の『今日の芸術』などは書店で良く目にするが、彼は現在、どのように評価されているのだろうか。
彼の絵を見てもあまり自分の好みではないなあと感じていたのだが、何冊か彼の本を読んだときには、その感性・直観の鋭さに大いに感心したことも印象に残っている。
本書は、主として岡本太郎の著作を通して、<思想家>としての太郎にその本質を見出そうとする試みである。
太郎の思想形成に何と言っても大きかったものは、太郎のパリ体験だと著者は言う。1929(昭和4)年、18歳のとき、父母の渡欧に同 -
-
Posted by ブクログ
東北学の赤坂先生の被災地をめぐる軽いエッセイ。
ときどき光る言葉あり。
(1)この泥の海に回帰した干拓地をいかに復興するか。誰もが描く水田への復旧のシナリオには、すでにリアリティが失われていることを、あきらかにしておく必要がある。(p195)
(2)民族芸能はなぜこれほどまでに素早い復興をとげることになったのか。おそらく、東北の夏の祭りや民族芸能が、多くは鎮魂、供養、そして厄払いをテーマとしていることと深いかかわりがあるにちがいない。(p160)
(3)被災地の現実はこの国の未来図です。(p66)
復興に苦しむ東北のことは、いつか全国でもっと高齢化が進み経済力が衰退している日本