三浦綾子のレビュー一覧
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素朴な疑問、牧師や神学者などの解答、そういわれてみれば確かに、そういえばこんな話がありました、という具体例。
前半はいいんだけど、後半にちょっとついていけず。一部の人物を誇張したりとか、ヨブ記での神とサタンのやりとりスルーしたり、旧約聖書で戦争の愚かさを説くとか。戦争の多さをネタに愚かさを説くならまだしも汝殺すなかれをベースにするのはちょっときついんじゃ。異教徒は人間じゃないって断言するならいけるだろうけどさ。
著者はクリスチャンだから基本的に新約が大前提の旧約なんだろう。そういった意味で同じ聖書を読んでるつもりでも、人によって全然ちがうストーリーが紡がれてるんだなあっと勉強になった。 -
Posted by ブクログ
本当の私は、意地悪で性格が悪い。
心の中で思ってる事とは反対の事を口に出すことが多々あるし、愛想笑いだってお手のものだ。思ってもない事を言ったり、取り繕ったりすることだって出来る。
そして思う。
いつもニコニコして話を聞いてくれるあの娘の心の中にも、「悩みがあるなら、いつでも言って。私口かたいから。」って言うあの娘の心の中にも(自分で口かたいと言う人ほど信用できないものはないと思うけど)、意地悪や嘘が潜んでるんじゃないかと。
どんな人も心に棘を持っているー
家族だって、夫婦だって、心の中全てを分かり合えるなんてことはありえない。
取り繕ったり、嘘をついたり、後ろめたくなったり。
それで -
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だれも救われない物語。
どんなに思いあっても結局結ばれない貴乃や孝介の悲恋がテーマだが、二人が時々向ける他者に対する冷やかな眼差しの描写に真の善人などいないことを分からされる。
自覚のあるなし問わず、人間は罪という十字架を背負いながら生きなければならないのだ。
そして、ただ大好きな先生に嫁いだだけのあき子が一番哀れに思った。
孝介だってまさか完治の妹だから、物さえ与えればいいと思ったわけじゃなかろうに…。
ただここまで真面目に生きる人と、欲望のままに生きる人が極端に描かれると、あり得ないよと白けた。
いくら戦時中で、男尊女卑が不自然でないといってもね。 -
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ネタバレ【嵐吹く時も 上】 三浦綾子さん
北海道苫幌村でただ一軒、日用品・雑貨から食料品まで扱う「カネナカ」。
その「カネナカ」の娘志津代は母親に似て美しく賢しい子どもであった。
父親の順平は温厚で人望もあり、母親のふじ乃は美しく鉄火肌の人であった。
両親は二人で力をあわせ「カネナカ」を苫幌一の店に育て上げた。
志津代は幼き頃より、苫幌村の宿屋「山形屋」の次男文治に思いを寄せる。
文治もまた、志津代に思いを寄せるが、内なる思いを打ち明けることが出来ずに居た。
ある日、順平が東京へ出かけている時、ふじ乃が行商人の増野と過ちを犯し
新太郎を身ごもる。
順平は新太郎が我が子で無いことを察し、志津代 -
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旧約に続き、課題でした。以下レポートの一部です。著者三浦綾子が、自身が聖書を手にしてキリスト教を信仰するようになるまでの心境の変化などを織り込みながら新約聖書について解説している。彼女の心ひかれた部分により多くの文字数を割いているため『マタイによる福音書』は一際長い章となっている。 『旧約聖書入門』と同様、口語体であるとともに初めは著者自身も私のように信仰があったわけではなく、むしろキリスト教に反感さえ持っていたところから書かれているため大変読みやすかった。『イエスの死と復活』では簡単な年表まで掲載されており、聖書に通じていない場合にも理解しやすいようになっていた。「心は熱しているが、肉体が弱