斎藤真理子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
女性キャラクターが「男性性」を、男性キャラクターが「女性性」をあからさまに担わされているところがある。
本書のプロテストは「男性」に対するものにとどまっており、「男性性の称揚」自体は認めているように感じられてならない。
また、作者が「女性」という性にかなり肩入れしており、シソン一族の女たち=被害者vs外部男性=加害者の構造がはっきり分かれすぎているきらいがあるが、こうした二元論的な描き方はちょっと古臭くないか。
今のところ現代の男性ほどには意識しないでいられる自身の加害性を、女性(あるいはその他の性)もまた自覚せざるを得ない時代が来た時、はたしてこの作品はその時の人々の鑑賞に耐えることができるのだろうか…。
と、ちょっと否定的なことばかり書きましたが、魅力的なキャラクターのかき分けは見事で(特にジスとウユンのパートは清々しい気分になる)、一本気なところの感じられる作品でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「回復する人間」というタイトルがぴったりの、7つの短編集。
さまざまな種類の痛みが描かれていた。
私の経験にかなり近い感覚を登場人物たちの中に見たり、語られる言葉によって気付かされることもあり、興味深いながら苦しい読書でもあった。まるで自分の抱えた問題のようにも感じられてくる。他人事と切り捨てることはできない。
折り合いをつけて生きようとする女性たちの、揺れている心が魅力的に見える瞬間もあった。真剣に向き合いながら傷ついている姿は痛ましいはずなのに。
この中では「左手」という作品の印象が強い。自らを追い詰めていく主人公に、ひとつの救いも用意されていなかったからかもしれない。ひとつ間違えば、自分だって同じような状況になるかもしれないという怖さがあった。この短編をもう一度読みたいとは思わないけれど、揺さぶられるものがあった。 -
Posted by ブクログ
出張で行った高松市の素晴らしい書店、ルヌガンガで購入。
血縁との葛藤の苦しみや寂しさを知っているつもりだったけれど、著者の家族の苦しさを読むと、自分は甘えてるのだろうかと思う。
猫のジュンイチとの二十年間の愛を誇らしいというランさんを羨ましく思った。
子どもとの関係は、自分が人間として欠けている部分、未熟な部分に向き合う辛さもあるし、親にしてもらえなかったことを、見よう見まねで親として子どもにしてあげるときに、苦しい気持ちになることがある。相手が別個の人間だから、ずっと触れていられる時間は赤ちゃんから幼児期くらいまで、その分言葉で話し合って、分かち合えることも多いのかもしれないけれど。
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Posted by ブクログ
ネタバレノーベル文学賞で話題になったハン・ガンの作品を2025年最初に読んでみました…
とにかく…すごかった←
#別れを告げない
幻想的で静謐な語り口で、一九四八年に済州島で起きた虐殺事件について掘り下げていく。人が人にたいしてなし得るもっとも残酷なことを、語り手の女性と、その友人は、生死の境があいまいな空間で話し続ける。
すごく不思議な世界観の中で残虐的な歴史が解説されていくのが…少し読みにくいと感じたりもしたけど…一回読んだだけではこの本の半分も理解出来なかったんだと思うけど…訳文がものすごく美しく…そして悲しくてせつなくて…こんな歴史があったんだなと…読めてよかったと思いました。 -
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50人の主人公が韓国の郊外の大病院をハブにして、それぞれの人生を繰り広げる。
一人ずつの人生が、各10ページ前後の章にわけて展開される。登場人物たちは、他人の章にちょくちょく顔を出し、一つの病院をハブにして、たくさんの人達の人間関係の繋がりが感じられるところが面白い。
また本の中に、韓国で起きている様々な社会問題が取り上げられているところも、現代の若手小説家っぽさを感じられて良かった。
シンクホールなど、最近の日本でも大きく取り上げられている問題もあるが、韓国の医師の労働環境の劣悪さは衝撃的だった。
週100時間労働は平均値で、今は制度が変わってきてはいるものの、週88時間までは合法らしい。日本で週80時間働いてる人って会社員ではめったにいないんじゃないか。医師の友達もいるけど、そこまでではないと聞いている。地方の大病院などはまた違うかもしれないが。
50人の主人公の中に推しがみつからなかったこと(あえて挙げるなら、ウナムの奥さんのソンミには憧れるなあと思った)と、韓国人の名前が覚えにくくて所々に度々出てくる登場人物の識別が大変だったことは、少しだけしんどかった。 -
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植民地時代の朝鮮にも
モダニズム文化は日本から流入した
そしてやはり古い文化との軋轢が生じたんだ
李箱という人は新旧文化の…
別の言い方をすれば日本と朝鮮のはざまで
一足早くポストモダン的なものに目覚めたらしい
将来の家父長たるべき若旦那として
消費社会の恩恵もいっぺんに受けたいという
ぼんくらの願いそのもの、と僕には見えるんだけど
でもまあそれが人の本音というものですよね
ドストエフスキーなんか捨てちゃって
マルメラードフのように生きたいね
「烏瞰図 詩第一号」
群衆のなかに「私」は存在しない
透明な存在として溶け込んでいる
「翼」
妻に飼われて生きてる亭主
飯を出してもらった上に寝てばかりいて
そのうえお小遣いまでもらっている
酒も煙草もやらないセックスレス
ひょっとしたら童貞の、子供みたいな彼だったが
街をうろつく快感を知ってからというもの
夫婦関係が壊れはじめる
帰宅時間の早すぎることが問題であった
「線に関する覚書Ⅰ」
観念のプリズムによって
観念のスペクトルを見てみましょう
観念上に光の粒子が拡散していくだろう
そして思うのです
光速を超えて時間を逆行し
私は懐かしい封建時代へと帰ってゆきたい
「烏瞰図 第十五号」
無責任な私、あるいは責任感ある私
もうひとりの私が
鏡の中にいて
私はそいつを殺したい
鏡のなかの私を相手に、無理な相談をしている
「蜘蛛、豚に会う」
画家を志すも人生に行き詰まってる
彼の妻はカフェーの女給だった
女給といっても当時のカフェーは
チップに応じて性的サービスを提供する場所だ
彼は穀潰しの分際で妻を軽蔑していた
蜘蛛みたいな女だと思っていた
痩せてる奴は蜘蛛、太ってる奴は豚
実のところはこの世のすべてを軽蔑していた
しかしいちばん軽蔑してるのは自分自身のことだ
脈絡なしに人称が入れ替わる文体を見ればわかるんだぞ
(李箱は一時期、自分でもカフェーを経営してたとか)
「山村余情」
都市と農村は地続きであるし
それ以前に私が私である以上
逃げ場はどこにもないのだった
素朴な娘たちには憧れる
「逢別記」
「蜘蛛、豚に会う」と「翼」の種明かしをすると
じっさい若い頃に娼妓と入籍していた
肺病を患って職も失い自暴自棄になっていた頃だ
彼女は10代で、すでに経産婦だった
数ヶ月で生活は破綻したのだが…
「牛とトッケビ」
豊島与志雄の童話を朝鮮向けに翻案したもの
最後に李箱じしんの意見がつけ加えられているのだけど
作品としては、言わぬが花じゃないかなー
ケアの見返りって話になっちゃうから…
李箱が死ぬ直前に発表された
「東京」
極東モダニズムの中心地、東京
そこに行けばなにかあると期待してたのだろうか?
じっさい来るとやはり空虚だった
白昼のネオンサインはまるで骸骨のようだった
ここで李箱は客死する
「失花」
無邪気な新妻の裏切りに傷つけられた自尊心は
ポストモダン思考でどうにかなるものではなかった
それで東京に逃げてきたらしい
再生のきっかけとなる何かを求めたのかもしれない
「陰暦一九二六年大晦日の金起林への手紙」
東京ではぶらぶら遊んでいたようだ
どこからそんなカネを捻出したのか知らんけど
本人は新しい路線を見出そうとしていた
「失楽園」
6つの断章からなるもので
本人の死後まとめられたという
自由主義によって旧来のロマンが否定された結果
文明は衰亡・滅亡の運命をたどるだろう
時間を止めることはできない
ここでおそらく李箱は
今でいうところの加速主義にたどり着いてしまった
「烏瞰図 詩第四号」
バイオリズムは右肩上がりと見せかけて
十を刻むごとにリセットされる
生きづらいことだ
縦読みだろうと裏読みだろうと好きに読めばいい
死はいつも隣にあるんだから