アーサー・C・クラークのレビュー一覧
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映画『2001年宇宙の旅』は映画史上に燦然と輝く名作である。歴史上最高のSF映画として名を挙げる人は数知れず、その影響力は計り知れない。本作がその映画版と並行して執筆されていたこともまた、あまりに有名であるが、映画と異なる部分もかなり多い。
まだ人類が月面着陸を果たしていない時代に、宇宙ステーションや月面基地、また木星探査に向かう宇宙船等をこれだけ微細に設定し描写していることにただただ驚くばかりであるが、2024年現在これを読んでもほとんど違和感を感じないことも本当に驚嘆すべきことである。ディスカバリー号が土星を目指していく後半から結末に向けては何とも形容できない世界観が提示され、クラークの本領が存分に発揮されている。しかし、個人的には映画と並行して執筆されたことで、アイディアやストーリー展開にどうしても制約がかかり、クラークが自由に書いた時の思い切りのよさが感じられない部分が多々あったように思う。HAL9000の反乱については一般的に了解されている解釈があるようだが、私にはどうしても「ストーリー展開上必要だからやむを得ずそうなった」ように思え、乗り切れない残念感があった(当時の状況に関する情報を見ると、実際にそうだったようである)。それ単独では確かに重要な問題提起をしているのだが、本作のメインテーマと合致しないような気がして違和感が残った。「科学技術の進歩と人類の進化」が本作のテーマとの主張は数多いが、私には物語の主軸が何なのかははっきりとはつかめなかったように思う。本作が誰にでも発想できるような代物でないことは確かであるが。
また、多くのことがそれなりに説明されているので映画よりはだいぶスッキリするようだが、本作だけではなぜモノリスが存在するのかもわからないので、続編を読む必要はあるだろうと思う。 -
購入済み
あまりにも壮大過ぎる
この作品は間違いなくSFにおける名作の一つだろう。
人知を超越した文明・世界・概念との出会い。
それに触れ合った末、新たな境地へと辿り着いた人類は"人類"でいられなくなる。
それは良いとか悪いとか、単純な価値観で測れるものでなく、
ただただ壮絶な人類史の終焉に圧倒されるばかりである。
この壮大なストーリーを巧みに表現し切ったクラーク氏と、
それを訳した福島正実氏の功績を称えたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこの作品はどれだけパ...影響を与えたのだろう。テクノロジー関係もそうだが、VRゲーム、頭の周りを飛ぶ珍妙な生物、お供のロボット、ニュータイプ、さらに昨今の登山・キャンプブーム、局所的異世界ブームも先取りしており、挙げれば限りがなく驚異的な先見性だ。それにも関わらず、この作品の名をあまり聞かないのは不可解だ。その理由は、わざわざカンニングしたと名乗り出る者がいないのと同じなのではないかと疑っている。多分この作品ひとつで漫画アニメ映画ゲーム小説など1000作品ぐらいはカバーしていると思うので、非常にお得な一冊だ。
70年代ぐらいと予想したが、1956年発表という事実にもビビる。日本では白黒テレビなどが普及してきて、「もはや戦後ではない」などと言ってた時代だ。更に構想はそのずっと前だ。これがメンサ会員の力か。
他に知らないので間違っているかもしれないが、ネタ帳としてもそうだが――そのアイデアの提示の仕方を――漫画的な現代の冒険劇のフォーマット(目的地を移動してミッションを達成して、謎を解き明かし、次の目標を目指す物語のような)自体を確立したというのは言い過ぎか。しかも著者は設計図を書いた上に、ネジや釘まで自作して家を建てているようだ。
今でもこの内容のどこかを少し変えてジャンプにでも投稿すれば、絶讃ランキング急上昇に違いない。
もっとハードなものかと思ったら、意外にも硬質感のない平易な文章だった。ただ、翻訳は少し微妙で、もしかすると旧訳の方が良いのでは?という疑念でモヤモヤした。
表現は簡潔でそれぞれの詳細もあまり語らないので、各自勝手に想像するしかない。このシンプルさも、そこにある以上に真似できない理由だろう。
《ダイアスパー》なにやら地方のパチンコ店のような名前だが、この都市はクラウドサーバ、ストレージ、冗長性やデータの復元、インターネット、VRやVX、スパコン、AIなど、まさしく現代のIT・IoT技術に通じている。主人公は都市内において、情報流出を目論むウイルスのようだ。そしてやはりバックドアがあったりする。
てっきりこの都市の機構上で構築していくのかと思いきや、物語はどんどん外へ拡張する。展開はタイトで半分も過ぎてない内に当初の目途が立ち、この先どうするのかと思ったが、かなり斜め上から切り込んで予想外のところにポイントして展開していったので、けっこう先の読めない話だった。
主人公は抗えない初期衝動だけで行動し目的は外に出たいのみで、その先のことは考えない。外に出てすぐ帰りたいと言い出したり、村長もいきなりプレッシャーをかけたり人が悪く、序盤は少し苛々した。
やがて途中手に入れた強力な力で難局を打破し、雄弁を奮い相手を懐柔していく。ここらへんは、やはり異世界チートなんたらみたいな願望達成作品群を思わせる。
途中訪れた惑星には都市環境への重要な指摘があった。
DSP住民は生殖機能がないことから不死と引き換えに絶滅し死んだ存在だとしたが、群体生物のくだりを読んで、考えを改めた。これが生命と呼べるなら、人工知能もやがて生命と呼ぶ日がくるだろう。
完璧に近い都市の快適と安全は、逆に崩壊への恐怖が潜在し、必ずしも安定するわけではないという説明は興味深い。たしかに予測不可能性への耐性がないことは、脆弱性のはずだ。だから都市は必要最低限の犯罪要素を予め設定しているという。この発想は目からうろこだった。
リベラル色が相当強く、特に終盤の展開などは強烈なショックがある。この作風も日本人には相容れない部分だろう。
結論に至る経緯も釈然としないものがあり、プログラムされてたとはいえ、主人公の行動も強迫観念以外いまいち不明瞭だ。そもそもこれは自発的と言えるのだろうか。
取り敢えず、人間本来の性質の追求――愛情や自由が幸福であること――以外は納得する説明は特になかったと思う。
正直ここにはかなりの欺瞞があり、双方が困難であると語っているが、リスの人々は今までとほぼ変わらず全くと言っていいほど影響はない。恩恵もあるだろう。それに比べDSP側の変化は凄まじいものがある。
DSP側は先ず持っている生活の知恵、身体や精神力で劣り、非常に不利な条件を突きつけられている。
明らかに種族からして違い、種族間の能力差も大きい完全に異なる文化同士が、切迫した問題も理由もないのに融和するには不安要素が多すぎる。
しかしアルヴィンと中央コンピュータによってDSP民は強制的に変革への道を歩ませられる。
これは30年引きこもった人のところに突然ドカドカ押しかけ、外に引き摺りだして働けと言っているようなもので、そんな酷な話もない。
この革命は双方が高い知能や理性があるという前提条件の元に成立しているが、現実的に考えれば、聖域無き構造改革などと謳って構造自体を破壊した例もあるので、この流れはちょっと受け入れ難かった。上手く行っているのなら手を付けない方が良いこともある。
また、扇動者がDSP住民だということも罪深い。
特異タイプとは謂わば、保守の中から誕生したリベラルのことだった。自分が思うリベラル像はこの作品の主人公アルヴィンだと直感的に思った。
リベラルとは享受されたり習得するものというイメージは間違いだった。
淀みのあるところに必然的に生まれ、理想に向かい、とにかく行動、行動、行動である。
人類社会のデザインを構想し、取り敢えず絵が完成しても満足することはない。
強迫観念はDSP住民だけではなく、アルヴィンも一歩間違うと危険である。
アルヴィンの行動はDSP(リス)の住民が寛容だから許されているのであり、寛容はなにもリベラルだけの資質ではないことが分かる。
DSP住民はプライバシーもあまり無く、その意味では共感性も高いと言える。
更にリスは原始共産制のような共同体で、DSPも資本主義経済ではない。おそらく貨幣も銀行も無いのではないか。
もしこれらの性質を持ち合わせておらず、住人が強固に反発していたら過激な手段に出ていた可能性もある。
最終的にメモリーバンクを破壊する案も示唆しているが、作中にはないこの先の人類の発展模様に凶兆を感じるのは考え過ぎだろうか。
リベラル的経済政策で凋落した国を見ると、寛容のイデアに到達するのは何十億年かけても無理なように思う。あるいは科学や技術がそれを解決するのかもしれないが、現状それも阻まれている。
しかし、そんな心配は主題ではないとするのがリベラルなのだろう。
おそらくこの熾烈なリベラル体質が、いくら換骨奪胎したとしても、後続の作品がなにやらメッセージめいたものを残したまま中途半端に終わる理由であり、あまり語られない理由でもあるかもしれない。アイデアだけごちそうさまです。といったところだろう。
徐々に上昇して高みを目指し、そのピークから滑らかに滑空して着地するラストシークエンスの流れは流石だ。これがクラーク節か。
おそらく影響を受けたと思われる星を継ぐ者より高揚感も説得力もあった。まさに宗教だ。
後半は非常にキツイものを投げつけてくるが、停滞したサイクルの連続は同じ話題を何度も繰り返し続ける人のように、安堵感がある一方で成長は期待できない。やはりこれが念頭におくべき正しい道なのだろう。
最後にロボットが深宇宙へ飛ばさせられたのは哀しかった。
たまにリベラルっぽいことを言ってみたりするが、これを読んで所詮自分は保守的な人間だと分からせられた。これを心から楽しめる人はかなりリベラル度が高く、非常にリベラル力が試される挑戦的な作品である。 -
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原題 2001 : A SPACE ODYSSEY
D'où venons-nous ?
モノリスに与えられた〝きっかけ〟により、
Que sommes-nous ?
道具を駆使することで世界のあり様を変え、
Où allons-nous ?
ヤペタスを通って似合の玩具を手に入れる。
HAL(アルファベット順で一文字ずらすとIBM)9000の反乱は、人が作り出した道具に人が除外されるという、進歩の昏迷に息苦しくなります。
相対性理論(光より速くは移動できない)が足枷となって知的な存在との邂逅はないでしょうし、宇宙で孤立していることに変わりはないですね。
それじゃつまんないなぁ、となると存在として飛躍するしかないわけで、モノリスを作った存在に導かれる300万年の長い旅、になったのかな…
ゴーギャンの絵にも超越者?が描かれてますね。
49年前のアレシボメッセージに返事こないかな。
Dieser alte Heilige hat in seinem Wälde noch nichts davon getötet. -
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「2001年宇宙の旅」といえば、スタンリー・キューブリックの映画で有名ですが、その原作者(というか小説版)がビッグ3、アーサー・C・クラークであることは、たぶん知ってる人は知っている。本書は、映画版「2001年宇宙の旅」を下地にした続編です。なぜ映画版と記載したかというと、原作と映画版では舞台が違うんですね。原作は目的地が土星であるのに対して、映画版は木星。ということで、本書では木星を舞台に話が展開していくことになります。
素晴らしい作品の続編、かつ、特にその続編が当初計画されていなかった場合においては、どうしても続編自体が蛇足と思われたり、一作目と比較されて下にみられる印象があります。ところがどっこい、本書は一作目をうまいこと補完しつつ、この宇宙に対して新たな示唆を与える内容で、とても興奮に満ちた作品でした。序盤〜中盤は、ただ物語が進捗していく感じですが、終盤に繰り広げられるスペクタルは想像力を刺激されます。
しかし、なんか人間に対してすごいドライな印象を受ける結末でしたね。その辺は続編以降で明らかになるのかな?ただ、続編以降の評価がよろしくなく、なんとなく先に言及した蛇足感のある内容でないことを祈るばかり。。。笑 -
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途方もないスケール感に圧倒される内容だった。
時は22世紀、地球に飛来した大隕石を契機として、小惑星や彗星の活動を監視する宇宙システムが構築されたが、深宇宙から太陽系に向かってくる、ある飛翔体の異常さが見つかった。自然界のものではあり得ない完全な対称系の形状から、探査船がドッキングして調査することが決まる。地球の文明以前の百万年以上も前から飛び続けてきた時間のスケール感、長さ50kmで幅20kmという超巨大なサイズのスケール感、いずれも人智を超えた驚異であり、完全な円筒形という神秘さからも異星文明との遭遇が期待される。
この飛翔体はラーマ(インドの英雄神)と命名され、物語はラーマ内の探索へと進む。回転する遠心力から内部の重力分布が作られていくが、中心軸から外縁に向かっては重力が増していくという不思議な感覚のなか、驚くべき展開が待ち受けている。著者の類稀なる創造力から紡ぎ出される面白さに、ぐいぐい引き込まれながら、先へ先へと期待感が増す。どのような結末が控えているのか、一刻も早く読み終えたい気持ちが高まる。太陽に近過ぎる危険から近日点までにはラーマから離れなければならないが、その後の太陽に向かっていくラーマの運命はどうなるのか。異星文明の驚異、かくありなん、と驚くべき内容ではあるが、妙な納得感に包まれる。 -
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木星付近で発見され、太陽に向かって進む謎の円柱。直径約100kmの物体は「ラーマ」と名付けられ、その動向が注目された。探査船エンデヴァーで到着したノートンたちはラーマの北極の面に着陸し、そこで入り口らしきものを見つけた。その入口を入ると、内側に広がっていたのは、小型の生態系であった…。
古典SFを読む月間。宇宙、SF、物理学、生物学、環境、機械その他諸々を網羅し尽くし、さらには未知の環境を探索する冒険小説も含む、いたれりつくせりの全世代対応のSFである。すばらしい。
ラーマの内部が、まず凍りついているが、回転をすることで重力を生み出しているというアイデアから、太陽に近づくにつれて温度が上昇、その事により大気の対流が発生しての自然の猛威。さらには謎の生物の設計に、それらが生き残っているメカニズムなど、ここまで網羅されているSF作品は、そうそうないだろう。
また、シロアリなどの生物の知識なども細かく散りばめられていたり、稲妻とラーマ自体の動きとの関係など、相当緻密に組み立てられている。
それらが無機質にばらまかれているわけではなく、一章一章をこまかくして、ノートンたちの冒険を印象づけるような、子供向けの記述の配慮や、中盤からの(結局よくわからなかったが)ラーマにおける生命体の出現による盛り上がりなど、数あるSFの中でもここまで要所要所で興奮させられる小説もないだろう。
無機質でハードな宇宙ものというアシモフの難しさで、当たり外れが大きいといいう印象を持ちがちな読者(ワタシもである)は少なくないと思うが、これは間違いなく当りだ。
宇宙版『十五少年漂流記』に、大人も納得するメカニズムである。
「ラーマ人は3つ組でないと納得しない」
続編あるの? -
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ネタバレ映画2001年宇宙の旅を製作50周年記念上映で視聴しており、帰りに本書を書店で購入して帰って以来積んでいたがようやく消化。アーサー・C・クラークは地球幼年期の終わりを途中まで読んだ程度。
本書と映画の関係がいまいち掴みきれていなかったが、どうやら原作でもノベライズ化でもなく制作は同時進行だった模様。途中までは足並み揃えていたが……ということらしい。訳者あとがきに試写会に参加したレイ・ブラッドベリの逸話が載っており、ちょっとクスッとした。
映画が観念的すぎてよくわからなかった……と消化不良に陥る人は多いのではないかと思うが、本書はかなり丁寧にさまざまな事柄が説明されているため読後はスッキリする。ただ映画版は語ることが少ないために自由な解釈ができその余白が不思議な魅力となっているので、しっかりと設定が語られる本書とはあまり相容れないようにも思える。相互補完的に読むよりも、あくまでも各々の創作者が同じお題で自由に創造したらどうなる、くらいの気持ちで読むと丁度いい気がする。
内容的には、前半はややゆったり話が進行するものの、有名なHALの反乱が始まる中盤から後半にかけて物語は一気に加速する。アーサー・C・クラークは個人的にかなり言葉を尽くして状況や設定を説明してくれる作家だなという感想があり(そしてわかりやすい言葉であまりにも全て説明してくれるため壮大なスケールの物語が逆にチャチに感じられるときがある)、HALの「心情」までもが丁寧に描写されている。その結果、ボーマンによるHALの「殺害」描写はより生々しく感じた。
宇宙船そのものになる知的生命体(のちにそこからも解脱)であったり、「(向こうは)星でいっぱいだ!」というセリフであったり、あの作品の元ネタはこれかと膝を打つ機会がたびたびあった。往年の名作を読む楽しみのひとつだなと思う。
訳者あとがきにあったボーマンの代わりにHALが人類代表としてスターゲートに辿り着いたらどうなっていただろうと考えるのも面白い。一方で本書を読んで何よりも心に残ったのは、HALとの死闘や偉大すぎる知的生命体ではなく、骨格のデリケートな宇宙世代の人類のことだった。続編に期待したい。 -
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宇宙エレベーター(軌道エレベーター)建設の実現を目指す技術者の壮大なSFロマン。
21世紀に入って実現の可能性が高まっているらしい、軌道エレベーター建設を1979年に描いた小説。全体の構成としては「プロジェクトX」風とどなたかが書いていた通りの感じ。不可能を可能にしていく建設への積み重ねと、現地スリランカの架空歴史ロマンや、地球外知的生命体との接触もからめて物語は進んでいく。ハードSFとして技術的な話も多く、中盤まで起伏がやや緩やかな展開に感じたが、未知の事象に向かっていくセンス・オブ・ワンダーは健在。アクシデントが続く終盤のスリルと緊張感には映画のような迫力があってのめり込んだ。圧巻の結末にクラークの偉大さを再度思い知らされた。やっぱすげえ。 -
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ヒューゴー賞/ネビュラ賞/ローカス賞/その他、燦然たる受賞歴を持つアーサー・C・クラークの傑作。西暦2130年、未知の人工物体が太陽系に進入し、宇宙船エンデヴァー号の調査隊が探索することになるが、「ラーマ」と名づけられたこの謎の宇宙船は驚異に満ちていた……。
いわゆるファーストコンタクトもので、王道ともいえるセンス・オブ・ワンダーにしびれ、終始ワクワクが止まらなかった。惑星連合や重婚制度など、さりげなく22世紀の未来社会を独自の世界観で描いているのも面白い。これほどのタイトルにもかかわらず、いまだ映画化されていないせいか、一般の知名度は今ひとつな気がする。初代プレイステーションでゲームにはなっているので気になるところ。
2017年に発見された、天体観測史上初となる太陽系外から飛来した恒星間天体オウムアムアのUFO説が、本書を想起させるとして話題になったようだ。 -
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銀河宇宙に進出した人類はその後滅びの道をたどり、地球にただひとつ自己完結型のユートピア都市を建設してその殻に閉じこもった。十億年の停滞を経た後、未知への探究心をおさえられない一人の若者が、ついに外の世界への扉を開く。
冒頭からVRゲーム?が出てきて面食らった。唯一都市の設定が面白く、人間のデジタル化、千年の寿命、心象の視覚化システム、オンライン通話などなど、これが1956年の小説であることに驚くばかり。地球全土は砂漠化しており、都市の外には何があるのか。主人公に共感して興味がおさえられないまま物語は引っ張られていく。探索の舞台はやがて星々の世界に広がり、人類の精神性とその進化にまで言及される。巨匠の先見性と想像力に度肝を抜かれっぱなしだった。脳みそが拡張されるような感覚を味わえる、とにかくクッソ面白かった一冊。 -
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ネタバレ12年振りのアーサー・C・クラーク。コロナの影響でどこにも行けないゴールデンウィークだからこそ、ハードSFでどっぷりと世界観に漬かりたいと思い読むことにした。
タイトルからは内容の想像が湧かないが、主人公である少年、アルヴィンの冒険譚といったところ。ただし、少年の冒険とそれを通じた成長を描くだけではなく、物語は人類の今後と宇宙の終焉まで見据えた壮大な物語へと発展してゆく。そのダイナミズムに圧倒される上に、人生の歩み方に関する哲学的な問いまで吹っ掛けられる心地にもなり、視覚的にも精神的にもガンガン揺さぶりをかけてくる、長期休暇に持って来いの小説だった。
この物語の舞台は、超絶凄いコンピュータに都市の全てをコントロールされ、あらゆる苦痛から解放された都市「ダイアスパー」から始まる。管理される世界というと、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、オーウェル『1984年』、ザミャーチン『われら』、ハスクリー『すばらしき新世界』……と、ディストピアと称されるSFを想起する。
私もこのジャンルは大好きでよく読むのだが、読んだ感想として必ずといってよいほど思うのが、「この世界はこの世界で、幸せはあるんじゃないかな」ということだ。自由という言葉の意味などは相対的なものなのだから、自分の周りの社会や、直近の過去や容易く想像できる近未来と比較しているのに過ぎないのだと思う。そうであれば、これから先に上述したような小説の世界観が到来したとしても、それがあまりにも急激な変化でなければ、自明のものとして受容できるのではないか、と。
で、本小説においてはその思いが極めて強かった(まあ、ざっと調べる限り、ディストピア小説なんて呼ばれていないのだけど)。ディストピア小説でよくある設定として、しっかり管理している体だけど結局崩壊する、といった世界観がある。ソ連崩壊的な。
これと対照的に、本小説の都市「ダイアスパー」では、実に十億年もの気が遠くなるような年月を、綻びもなく維持し続けている。もちろん、不穏なことも書いてはある。そこには子どもが存在せず、失意や悲劇という過剰がない故に失われてしまった「想い」がある。都市の外に出ることに恐怖感を植え付けられている。それでも、人はそうした揺りかごですやすやと眠るような幸せの中で生活しているのだ。ユートピアと呼んでさえ良いと思う。この均衡を崩す存在としてアルヴィンがいるが、その存在すらも都市の成立時に意図して組み込まれたものであり、人類はアルヴィンのような人物が現れないダイアスパーを作れた、ということになる。
小説の終盤でアルヴィンが自分の行動が本当に正しかったのかと自問自答する描写があるが、これも尤もなことだと思う。彼が行っているのは、見方によってはユートピアの破壊であるし、十億年単位で平和を維持できるシステムなど、現実には未来永劫出現しないかもしれない。
巻末の解説には、「宇宙に広がり、より高度の知性を身につけようとすることこそが知的生命の証なのだ」(p.476)とあるが、そもそもこうした前提自体に違和感をおぼえてしまう。
でも、この物語を一人の少年の物語と見るならば、アルヴィンは、心の持ち方や生きていく指針を探し求めているだけだ。ダイアスパーとリスを繋ぐことの是非は置いておくとして、彼のそうした気持ちは素敵だなと思う。アルヴィンは確かにユートピアを破壊してしまったのかもしれないが、既存の社会を最適解だと考える必要はないのだし、完全なユートピアなど望むべくもない現実世界においては、こうしたエネルギーこそが世界を動かしてゆくのだろう。
この物語において、アルヴィンは子どもの象徴として描かれる。子どもがこうした気持ちを持つものだとするのであれば、子どもが生まれ続ける限り……生命が受け継がれてゆく限り、生命は変化し続けることを運命づけられているのかもしれない。 -
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NHKの100分de名著で取り上げられるということで、積読を消化したのですが、予想以上の面白さにビックリしました。古典SFって思索的なイメージが強かったのですが、この作品はそのイメージにプラスして、冒険小説のようなワクワク感があるのです。
物語の舞台となるのはダイアスパーという都市。そこでは人間の誕生や死の概念すらも、現代とは全く違います。生まれてくる人間は、始めから成人の身体。不老不死となった人間は、死のタイミングも自ら選ぶようになり、その記憶はメモリーバンクに保存され、新しい身体へ移されます。そして、その記憶は概ね20才前後で蘇る。
そんな人間の誕生から、都市のシステムまで全て管理しているのが、政府や国家でななく、ダイアスパーにある巨大コンピュータ。このコンピュータの管理により、ダイアスパーは完全・完璧な都市として常に機能し続けているのです。
こうした設定が70年前のSFで既に書かれていたという事実……。改めてクラークのすごさを実感します。
この作品の主人公となるアルヴィンは、そんな完全・完璧な都市に違和感を持ちます。そして、都市の外の世界に思いをはせます。しかし都市の他の人々は、外の世界に対し恐怖心を持っていて……
そしてアルヴィンは徐々に都市の秘密に迫っていきます。謎の怪人物の登場、都市の地下に眠る巨大な地図、そして都市の外、他の惑星への誘い……。
アルヴィンの強い好奇心に読者である自分も感化されたのか、都市の秘密にアルヴィンが迫っていく描写が、どうしようもなくワクワクするのです。何より都市の地下に潜る場面は本当にワクワクしたなあ。映画のインディ・ジョーンズを観ているようというか。
アルヴィンの冒険はついに都市の外へ。未知の惑星、文化や自然、超能力。しかし、クラークの想像力はまだまだ終わりません。物語は際限なく広がり、アルヴィンの冒険は、これまで何千年と続いてきた都市や文明の関係性を揺るがす事態にまで、発展していきます。
作品を読み終えた段階で、これはSFの何のカテゴリに当たるのかな、と少し思いました。それほどこのSFで使われるギミックや設定は多いのです。未来社会、テクノロジー、管理社会、宇宙、ファーストコンタクト、超能力、異生物、ロボット、コンピュータ、そして神……
こうした様々な要素を使いこなし、際限なく広がる世界観や作品のビジョンを表現する。本当にただただ圧倒されます。
しかしそうした圧倒的な物語、世界観、ビジョンが展開され示されるなかで、人間の普遍的なものの素晴らしさを謳いあげている作品であるようにも思います。
未知のものに対する好奇心
外の世界を恐れない心
アルヴィンのこの心と行動が、文明、そして銀河系の新たな胎動となるのです。それだけ壮大な物語でありながらも、その根底にあるのが人間の誰しもが持つ心にあることに、クラークの人間観が表われているように思います。
クラーク作品のイメージは『幼年期の終わり』のような思想的な作品のイメージが強かったのですが、困難な状況の中で人の強さや技術の可能性を描いた作品であったり、ジュブナイルを描いたりと、人に対する熱さや暖かさを感じる作品もあったことを、この作品で思い出しました。
思索的な部分もありながら、人間の可能性を強く信じた作品でもあり、ジュブナイルもののような冒険、そして成長物語でもある。様々なSFの要素を、そして様々なクラークの側面を楽しめる贅沢で、そして面白い傑作でした!