汐見夏衛のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
泣いた。
ジブリの猫の恩返しのような、繁華街にひっそりと佇む一食100円の夜食食堂には、今夜も「呼ばれた」人たちが温かい優しさに包み込まれにやってくる。どれもじんわりと心に沁みるストーリーばかりで涙腺が緩んだ。予想外で嬉しい誤算だ。
── 食べ物と同じように、悲しみも咀嚼して、反芻して、消化して、吸収しないと自分の中に取り込めない。
あぁ、うまい言い方だなと思う。
たとえ逃げ続けて時間が経ったとしたも、月日は悲しみを癒やしてくれない。噛んで噛んで、少しずつ消化するんだね。たぶんそれが、成長と呼べるもののひとつなのかもしれないな、と思った。
食べることは生きることだとしたら、悲しむことまた、生きることか。嬉しいことは…デザートかな?
さよならごはんという妙なタイトルの響きが、読み終わった時にはスッと入ってくるような心地よさだった。
いま見ると表紙の絵までがジブリっぽい。ややダサくもあるが。
思わず周囲にも勧めたくなる一冊。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ[初投稿]
パッケージに引かれ、スマホが普及し活字離れが多く見られるこの現代に久しぶりに読んで見た。フラッと入った本屋さんでふと目についたからだ。正直に言うとこの小説家さんのことは知らなかった。何気なく読んで見ただけなのに、読み進めていくうちにどんどん面白くなっていった。元々眠くなる体質ではないけれど、ハマっているゲームもあり小説から少し距離をとっていたのだ。そして終盤になると泣いてしまった(電車の中で)笑。本で泣いたのは初めてだった。
※ここから少し内容に入るので自己責任でどうぞ
光夏はいじめられていたのに、自分はいじめられてなんかないと思い込ませて過ごしていた。自分もいじめられていたことがあったので光夏の気持ちが良くわかる。誰だって自分のことを「私はいじめられている」なんて認めたくないし、思いたくもない。信じたくもない。周りの大人たちはよく「気づいてあげられなくてごめんね。もう少し早く言ってくれたら良かったのに。」とか言うけれど光夏もそうだったけれど気づかなかったんじゃなくて気づかれないようにバレないようにしていたから当然だ。知って欲しいし気づいてくれたらどんなに楽になるかとも思うけど気づかれないようにしてしまうのが現実だ。だって、心配かけたくないから。
千秋君が光夏がいじめられてる時に教室で庇ってくれた時がとても印象に残っている。涙が止まらなかった。自分のことじゃないのに自分のことのように嬉しかった(笑)。辺り一面が金色に染まって光夏が消えそうになったシーンで最初はよく状況が掴めなかった。でも、分かった時には「あー、そういうことだったんだ。」と納得して、悲しさと共に鳥肌が凄かった。鈍感な千秋が告白してくれたときも「千秋なのにすごいストレートやん。」と感動した。
自分は今を生きている若者たちに是非読んで欲しい作品だと思った。スマホが手離せないこの現代にせっかくまだ小説という物が生き残っているのだから。特に今いじめられている人、又はいじめられていた人、いじめをしていたことがある人に読んで貰いたい。いじめられていなくても今が辛い人の心に刺さると思う。いじめをしたことがある人にはこんなに酷いことだったんだと気づくことが出来るし、ここまで人を追い詰めて苦しめていたんだと自覚してくれる人が少しでも多く増えることを願う。たしかに、いじめはかなり重くてセンシティブな内容だけれどそれを敢えて扱っているということはきっと誰かの役に立つ、心に刺さる人がいるからだと思う。だからこそ今を生きている全ての若者に伝えたい。
かなりの長文になってしまったけど、長々と読んでくれた方はありがとうございます。
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Posted by ブクログ
みんな、重荷を背負っているのかもしれない。
でもきっと、人それぞれ、色も形もちがうから、他人の荷物には気づきにくい。
重荷を背負ってるのは、自分だけじゃない。
手ぶらで軽やかに歩いているように見える人でも、目に見えない重荷を背負っているかもしれない。
それを忘れずに、相手を思いやれる人が、優しい人のんだろう、と思った。
このままの自分じゃだめだ。
変わらなきゃ。
自分の可能性を、自分の限界を、自分で決めるのは、とても楽だ。
限界を決めてしまえば、それ以上は頑張らなくてもよくなるから。
高いハードルに挑戦しなくてよくなるから。
ときには、自分の心や身体や未来を守るために、そうやって限界を見定めることが必要なこともある。
でも、わたしは___きっと景くんも、挑戦するまえに諦めてしまっていた。
まだまだ頑張れる余力があるのにまだまだ成長できる余力があるかもしれないのに、それを自分自身で塗りつぶしてしまっていたのだ。
臆病だった。
わたしも、景くんも。
臆病だから、傷つかないように予防線を張って、あるかもしれない未来から目を逸らしていた。
でも、そんなの、もったいない。
心から『楽しく幸せに』生きていくために、わたしたちには、もっともっとやれることがある。
今につながるたくさんの命や思いが積み重なった上に、わたしはいる。
わたしの命は、たくさんの命に背負われている。
だから、生きなきゃいけない。
わたしの命は無価値なんかじゃない。
たとえどんなにわたしが、なんの取り柄もない役立たずでもわたしには、ここにいる意味がある。
価値がある。
たくさんの命に背負われて生まれてきた、そして生まれてきた、という価値がある。
生まれてきただけで、生きているだけで、意味がある。
価値がある。
自分の存在は無価値で無意味だなんて、思っちゃだめだ。
そんなふうに卑下するのは、わたしの命をつないでくれたたくさんの命に対して失礼だ。
ちゃんと自分の命の価値を、生きる意味を、真正面から認めて、受け入れて、ちゃんと生きる。
それが、わたしを背負ってくれた命に報いることになるのだ。