高橋源一郎のレビュー一覧
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よい文章とは何かという問いに、この本ははじめから答えを言っている。綺語を弄した文章ではなくて、誰かに伝えたいと思って腹の底から出た言葉だ。
技術論というよりも心構えの書。「文章教室」と銘打っているが文章読本にありがちな必読リストは無く、あまり美文という訳ではない文章が範として引かれる。文字を知らなかった老婆が必死に学んで残した文章であったり、はちゃめちゃなパロディ小説であったり、労働の中で書く文章であったり、ぼけつつある人が書き残した文章であったり、美しいと言うよりも、どちらかといえば重点が置かれているのはもの凄い文章の方だ。中にはジョブスのスピーチもある。
書き口は語り口調で馴染みやすく、大切なことは何度でも繰り返しているため判りやすい。 -
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書店でみかけて、その場で買った本はひさしぶりだ。あの災害のあとにのぞいたものを、圧倒的な新しい日常の力に流されてしまう前に、考えておきたという気持ちが私にもあったからだ。
その意味ではたしかに役にたった。加藤典洋の「死神に突き飛ばされる」や、ジュネの「シャティーラの4時間」など、貴重なテキストを知ることができたし、それらをつなぐ著者の言葉が、読者にいろんな脱線を許す感じなのもいい。
しかし、最後まで読み終えて、何かが足りないという感じがする。最後の章で著者が語っていること、「自分」から出発しないこと、言葉をもたない存在を起点において語ることは、とても大事なことだと私も思う。しかしこの結論にたどり着く前に、もう少し回り道が必要なのではないだろうかと感じるのだ。
あの災害の直後、ほんの一瞬のぞいた社会の深い裂け目、そのなかに見たものは、ひとによって、おそらくまったく異なる姿をしていたのではないのだろうか。同じ言葉を使っていても伝わらない、共有できないほどに。「非常時」という言葉を、私だったら使いたくはないが、言葉の危機には、そういうことが含まれていたのではないだろうか。その裂け目をすばやく被いつくした、共苦共感を強調する言説。その圧倒的な力に、言葉はどう加担したのだったか。それは、かならずしも政治家やマスメディアの問題だけではなかったはずだが。うつくしい言葉、ここちよい言葉をさがす作業も大事だが、言葉の作用をもうすこし批判的にみつめる作業を欠いてもならないと思うのだ。 -
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62点。読み終わってみてまったく面白くなかったので、半ば言い訳的に「読んだ時代が悪かったな」と時代のせいにした。
リオタール的に言えば、ポストモダンとは近代を支える「大きな物語」や「深さ」が消え、「小さな物語」や「表層の戯れ」が優位になるモダン後期だ。
まさにこの本が出た80年代の日本はポストモダンや現代思想ブーム。しかし、そもそもモダンがなかったのもあって90年代後半からどんどん廃れて今や「現代思想ってなんだったの?」みたいな。ただのフランス趣味かよ、みたいな。
この作品を支持してた人ってまさに新左翼からポストモダンへ的な知識人層じゃないかと思う。近代的な人間観の終焉とかデカルト的な理性中心主義批判を叫ぶような。
つまり、それまで一般的だったマルクス主義的な知がいよいよ限界を迎えてきて、体系的な記述を着実につみかさねていく従来の思想観からすれば、「は?お前ふざけてんのか」と思われそうな脱体系的作品はマルクシズムどっぷりな人には、斬新で魅力的だったのではないか。
反小説的とか脱小説的とかいっても今さら新しい何かは感じない。しかもポストモダン文学だって結局流行っちゃいないじゃないか。
世界文学の水準と一部では激賞を浴びているけど、共通の理解が得られない、世界水準レベルが存在しないのがポストモダンじゃないか。
加藤典洋の春樹批評は僕にはお手上げだし、この解説もちょっと意味がわからなかった。加藤先生曰く、そういうヤツは感受性に乏しいアホらしい。
現代詩的なコンテクストをもつ長編小説だっていうのはわかるけど、結局は失語症だった著者のリハビリのために書かれただけなんじゃないかとも言いたくもなった。
要はこの小説は僕にはちょっぴり、いやかなり難しすぎたってこと。 -
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タイトル通り、オースターの「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」の日本版。
当然様々な人が寄せた体験談が集まっているので、それぞれが短く、細切れの時間にパラパラっと読むのにピッタリ。
ハラを抱えて笑えるものあり、背筋がスーッと寒くなるものあり、ほのぼのとさせられるものあり、短い中に人間の本質が現れているような深い話あり、正直、どこかで聞いたような…という話もありですが、肩ひじ張らずに楽しめる。
最後の柴田氏と内田氏の対談の日本人論みたいなのが面白かった。
アメリカ人との精神性の違い、っていうのよくわかるな~。国民性というか、環境や文化が違う中で生きるってこういうことだよね。 -
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書店で内田樹、高橋源一郎、という名前と題名をみて、「おお、オースターの日本版だね!」と思って購入。
読んだ感想としては、ううん、面白いんだけど、なんだかどこかで読んだことがあるような感触。よくある読者の体験談を集めた本の一つみたいな感じ?もちろんそこに、内田センセイの解説(?)や、柴田元幸との対談があったりするのはいいんだけど、、、
日本人の文章はとても均質だ、ということを内田先生はおっしゃっていて、その通りだろうとは思います。社会階級や地域による話し方の違いは、日本では例えばイギリスなどに比べるとすごく小さいし、とくに書き言葉になるとその差はさらに縮まるでしょう。でも、Web雑誌ではなくて、NHKとか大手の新聞みたいに、ネットを使いなれない人でも目にする媒体で募集したら、もっと違う文章が集まったような気もしました。昔ほどではないにせよ、今もネットを使っているのは比較的若い層、比較的インテリ層、比較的富裕層(少なくともものすごく経済的に困窮しているわけではない層)が多いと思うので。
ちなみに何も書いてなかったけど、ポール・オースター他関係者の皆さんの許可は取ったんでしょうか。まあ、柴田先生がからんでいるならオースター本人には連絡してそうですけどね。