池央耿のレビュー一覧
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ネタバレ著者のピーター・メイルさん、2018年に亡くなったのですね。もっともっと長生きして、諧謔味のある文章で、老いの先達になって欲しかった・・・・。
プロヴァンスシリーズで知った、翻訳者の池さんも大好きです。歌語かと思うような非日常語を、褻(ケ)の日々の描写にさらりと織り交ぜてくるのがたまらないです。御長命と御健硯を祈ります。
今回も振り仮名つきでやっと読める言葉がいくつか出てきました。しかし漢字は表意文字だし、前後の文脈で意味は十分通じますから、読めなくても意味は取れます。
ただ、「曰く」と「言わく」と書いていたのは誤植だよね?
さて、内容ですが、移住当初は吹けば飛ぶようなエトランゼだったメイル氏が、宮殿晩餐会に招待されたり勲章を貰ったりしていて、大立者になったなあと思います。
大立者なんだけれど、ぶれない小市民感がうれしいです。
プロヴァンスシリーズの新作を読めないのは残念ですが、そこは旧作を再読して凌ぎましょう。大丈夫。再読に耐えるというのが名作の条件ですから。 -
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やっと読み終わった。。読み終えるのに読者にかなりの忍耐力を要することになる、と作者が言っていたそうだが正に。「月長石」が類似作に挙げられてるけど、月長石はこういう忍耐は要らなかったな。
イギリスの歴史や宗教宗派に馴染みがないことも理由かも知れないが、それだけではない。最初の語り手コーラはいいとして、2人目と3人目がまあ何というか好きになれない。何で誰も彼も引っ叩く。。。耐えて読み進め(謎は気になる特にコーラが)、それを乗り越えた先にウッドが居てくれてよかったが、何しろ疲れ切っててちゃんと読めない。ウッドごめんよ。ザーッと読み飛ばして、終わってから読み直しました。
最後まで意味わからないジョークとか何を含んでいるのか分からないこともあり。
一つ言えるのはオビに書かれた「薔薇の名前」やましてクリスティとは異種だったということ。
宗教と歴史知って読むと全然違うんだろうなということ。
ちょっと疲れた。サラとウッド、コーラは心に残るかな。
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18世紀末のロンドン・パリを舞台にした、世界中で読み継がれている傑作であるが、個人的にはそこまで良いとは思えなかった。なぜならば、各人の行動原理がどうにも理解できなかったからである。とくに理解不能なのは名もなき民衆たちで、もちろんフランス革命の熱に浮かされていて正気ではいられないという理窟はわかるのだが、どうにも胸にストンと落ちない。しかも、その民衆が随所に登場して、時には重要な役割さえ果たしている。そのような調子ゆえ、物語じたいも素直には吞み込めず、読み進めることにだいぶ難儀した。また、物語の展開じたいにも理解しがたい部分があって、最終盤のミス・プロスが誤ってマダム・ドファルジュを殺してしまう場面などは、はたして本当に必要であったのかと考え込んでしまう。逆にいえば、フランス革命の狂躁を的確に描いているからこそのある種の「異常」性をうまく表現できているともいえるが、個人の印象としてはやはりそこまでの高い評価はできなかった。
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18世紀末のロンドン・パリを舞台にした、世界中で読み継がれている傑作であるが、個人的にはそこまで良いとは思えなかった。なぜならば、各人の行動原理がどうにも理解できなかったからである。とくに理解不能なのは名もなき民衆たちで、もちろんフランス革命の熱に浮かされていて正気ではいられないという理窟はわかるのだが、どうにも胸にストンと落ちない。しかも、その民衆が随所に登場して、時には重要な役割さえ果たしている。そのような調子ゆえ、物語じたいも素直には吞み込めず、読み進めることにだいぶ難儀した。また、物語の展開じたいにも理解しがたい部分があって、最終盤のミス・プロスが誤ってマダム・ドファルジュを殺してしまう場面などは、はたして本当に必要であったのかと考え込んでしまう。逆にいえば、フランス革命の狂躁を的確に描いているからこそのある種の「異常」性をうまく表現できているともいえるが、個人の印象としてはやはりそこまでの高い評価はできなかった。
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フランクキャプラ監督の映画をみてすぐに原作を読んでみた。登場人物のコンウェイとチャンは同じ名前ながら、若い領事館マリンソン・当方伝道会のミスプリンクロウ・指名手配の詐欺師アメリカ人バーナードとなっている。映画が原作を丁寧になぞってつくり、シャングリラの描写も誠に綺麗にできていることを感じた。原作では大ラマ僧との対話そしてマリンソンとの口論をメインに挿げられているが、逆に原作ではなぜコンウェイがマリンソンと一緒に青の谷を脱出することを決意したのか明瞭な理由がない、プロローグとエピローグも映画のほうが丁寧に描写されていた。原作でようやく理解できたのが、シャングリラを認めずなにがなんでも脱出しようとするマリンソンの文明国ならではの価値観。ビートルズがあれだけ賞賛していたインドをあっさり離れたのと似ている気がする。
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ネタバレ1663年、クロムウェルによる護国卿政後の王政復古時のイングランド、オックスフォードで大学教師が殺害された。その殺害に関する手記が綴られる。
まず初めにヴェネツィア人医学生の手記が提示され、それに対する反論に近いものが第2(性格の悪い苦学生)、第3(教授であり偏屈な暗号解読者)、第4(歴史学者)の手記が出されていく。
面白いのは各手記によって翻訳者が変わること。これにより手記それぞれに翻訳された文体がガラッと変わる。
個人的にはミステリー部分よりも当時の社会風俗を楽しみながら読んだ。医術に占星術を絡めたり、ヴェネツィア人にとって味もマナーも最悪なイギリスの食事、土地の所有と相続の問題、権力争い、そして恋愛。
人によって「Aはいい人」だったのが違う人物の語りでは「Aは悪い人」になり、人の外面は1つではない、というのも面白かったし、4人の信用できない語り手とこの時代の歴史を感じられたのと、翻訳文が良かったけれど、では作品全体が面白かったかというと、とても微妙。
俺はすごい、俺は正しいという、マウンティングに次ぐマウンティングと自己正当化、(私が感じるところでは)善い人が一人もいないので、楽しんで読めた、という気はしない。。
恋愛が入る4人目の手記は別作品のよう…いやでも変わらず陰鬱だなと読み進めていたら、いきなりちょっと少年ジャンプ的な展開になって面喰いました。
「翻訳ミステリー大賞」と言われると納得はするけれど、人に勧めるかというとどうかなぁ。 -
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クリスマス・キャロルとはクリスマスを祝う歌のこと。1843年に出版された中編。タイトルからてっきりクリスマスを祝う温かい家族の話を想像したが、実際は守銭奴であるスクルージという男がクリスマスの精霊からその冷酷さを説法されるという物語だった。クリスマスの精霊は三体現れて、それぞれ過去、現在、未来のクリスマスの風景をスクルージに見せる。精霊は喋らず、ただ無言でスクルージに彼の姿と、彼に関わりのある者が彼のことをどう思っているのか見せつけるのだ。このスクルージは商人で、クリスマスを祝いに来た甥を「おととい来い!」と追い返すなど、およそ人の心の温かみの無い人物。そんな彼が本当に悔い改めて変われるのどうか、読者は付き合うことになる。
面白さはまあまあといったところ。ディケンズに求めている娯楽性とはまたちょっと違った気もするけど、あまり説教っぽくなく説法するのはディケンズならではなのかな。この人が描く温かい家族は本当に生き生きとしていて、その場に居合わせたくなる。半面、冷酷な男を書くとここまでうんざりさせられるのかと改めてディケンズの筆力に感服した。ただ精霊という超常現象に頼るあたりが、少し小説の魅力を損なわせている気がした。ディケンズならクリスマスを祝う温かい家族の物語を真正面から堂々と書けただろうし、そっちのがよかったのではと思ったが、そうなるとこのキャラ立ちの激しいスクルージが生まれなかったわけだから、やはり書かれるべくして書かれた小説なのかもしれない。 -
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プロヴァンスブームの火付け役となったエッセイ。1990年ごろは映画や雑誌などあちこちでプロヴァンスが取り上げられていてだいぶチャラいイメージがあったのですが、須賀敦子が書評でとりあげていたので、どこにもgo toできない今、気分だけでもと読んでみました。
イギリスで広告の仕事をしていた著者が何度か旅行して憧れていたプロヴァンスに移住し、最初の一年間を綴っている。この観光客でもなく、地元民にもなりきっていないという距離感のある視点がちょうどいい。
期日のまったく守られない工事、予想外に寒い冬など、苦労話もあるものの、基本的にはマイペースかつ堅実なプロヴァンス人たちとの交流が楽しい。これは著者が別荘にやってくる旅行者ではなく、ちゃんとプロヴァンスで暮らしていこうとしているから異国人であっても受け入れられているんだと思う。
自分の土地にある葡萄畑からの収穫を1000リットルのワインで受け取るとか、近所のおいしいビストロ、パン屋など、飲み食いしている話がたくさん出てきて、ワイン好きではない私でもうらやましくなる。
名前しか知らなかったようなイギリスの友人たちが、宿と食事と観光の足を目当てにいきなり電話をかけてきて訪ねてくるとか、いろいろありそうなのもおもしろい。
この本が出版されたのが1989年(日本語訳が1992年)。映画やドラマにもなり、プロヴァンスブームを引き起こしたことで、この土地の良さは失われたりしてないのだろうか。著者はその後何冊かプロヴァンス関連の本を出し、2018年死去。『南仏プロヴァンスの25年』という本も出てるのでこちらも読んでみたい。
以下、引用。
プロヴァンス人にとって、雨は自然が人に加える個人攻撃である。
ウサギを愛玩したり、アヒルに情が移ったりというのは都会人の感覚である。
プロヴァンスの田舎では、禽獣の死と食卓は直接結びついている。
肉屋は肉を売るだけではない。私たちの後ろに客の列が長く伸びるのもお構いなしで、その肉をどう料理して、盛りつけはこう、付け合わせには何、酒はこれこれ、とことこまかに講釈しないと気が済まない。
墓地はたいてい村で一番眺めのいい場所にある。ある老人がそのわけを説明してくれた。「死んだ者は特等席だ。なんたって、この先長いことそこにじっとしているんだから」老人は自分の冗談に大笑いして咳き込んだ。いよいよこの年寄りの番がきたのではないかと私は気が気でなかった。
カリフォルニアの墓地は景色のいい区画の方が平凡な眺めのところよりも値段が高い話をすると、老人は眉ひとつ動かしもせずに言った。「馬鹿は死ななきゃあ治らない。いや、死んでもだ」
「マムシに噛まれたら男は死ぬ。ところがさ、女を噛んだら……」マッソーは眉をひくひくさせて私に顔を寄せた。「マムシの方が死ぬっていうぜ」
食事を終えて仕事に戻る客たちは髭を拭いながらマダムに明日の献立を尋ねた。何かおいしいものを、と彼女は答えた。
彼らの仕事ぶりを見て以来、私の頭の中で鉢に盛られた葡萄の房と、腰痛、肩凝り、日射病の連想は切っても切れないものとなった。
メネルブの村のパン屋は気紛れで、何時に店が開くかわからない。マダムの化粧が済んだ時が開店時間だと聞かされたのがきっかけで、私たちは他所の村までパンを買いに出かけることを覚えた。
ハンターたちが大勢寄ってたかって容赦なくイノシシを撃つとはあんまりではないか、と私はマッソーに言った。
「そうは言っても、イノシシはうまいからな」マッソーは涼しい顔だった。
村では幼時のイエス選びが進められていた。年恰好のちょうどいい子供の自薦を募っているが、選考の基準は何よりも大切な場面を行儀よく勤めおおせる耐久力である。仮装行列は真夜中にはじまるからだ。
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ブンガク
かかった時間90分
光文社古典新訳文庫を古本屋で買ったので読んでみた。なんだかちょいちょい買って読んでしまう「クリスマス・キャロル」だが、マーレイって結局なんなの?とか、なんでスクルージああなったのか、とか、改めていろいろ疑問がわいて面白い。ちなみに訳者はものすごくスクルージを好意的に見ていて、よい。
クリスマスであるというだけで全てが幸せに包まれる、なんて、今はないよ…と思ったが、ディケンズの時代はすでにそれが、失われつつある文化であったらしく、「素敵なクリスマス」へのノスタルジーというか、もっといえば願いみたいなのがあるからこそ、あんなに、これでもかというほど幸せな描写なのかと思うと、なんだか切ない気はする。
個人的には第2章(過去)の、スクルージが元雇い主について精霊と話すシーンで、「雇用主は使用人の生殺与奪を握っている。それは給料とかではなく、その人のなんでもない一挙手一投足が使用人の幸福を決めるという種類のもので、金とかよりもっと重い」みたいなことを言っていたところが印象に残っている。
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Posted by ブクログ
もう25年も前なのか! ピーター・メイルの南仏ブーム。憧れを募らせたものだ。
2018年に亡くなった著者の遺稿で、その間のいろいろを軽妙につづる。レジオンドヌール受勲や、リドさまによる映画化のエピソードにも触れ、楽しい。
エピソードや描写の素晴らしさを際立ててるのが、池央耿さんの翻訳だと思う。「矍鑠たる」「踝」「按排されて」など、カチッと漢字を多用してプロヴァンスの豊かな自然を描写するってのが、イギリスからの移住者の視点という雰囲気を醸すおもしろさよ。ちょっと林望先生ぽいつーか。
メイルの新作が読めないのは残念だけど、いつか行ってみたいな、フランスの南部へ。