工藤精一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2007年03月04日
「マイ・ボス☆マイ・ヒーロー」というとても好きだったドラマにツルゲーネフという作家が出てきて以来、何かその作家の作品を読みたいな、と思っていました。たまたま池袋サンシャインで開催されていた古本市で『父と子』の文庫本が6冊ぐらいあったので、一冊買ってみました。
ニヒリスト故に何もかも切り捨てるバザーロフは、自分の頭が考えることと心が感じることの葛藤に苦しみながら、最終的に自らも切り捨ててしまったのかもしれません… 対してアルカーヂイとカーチャの恋模様はワトーの絵画のようにふわふわとしていて、自分の考えに固執するバザーロフが哀れにさえ感じられます。
おそらく初めて読み終えたロシア文学でしたが、ツルゲーネフの他の作品も含め、ロシアの文学作品もこれから読んでいきたいです。 -
Posted by ブクログ
初めてロシア文学を読んだ。最初に感じたのは「とにかく読みづらい」という戸惑いだった。名前が長く、人によって呼び方が違い、「今、誰の話だろう?」と何度も迷宮に迷い込んだ。さらに、一人語りが異常に長い。まるで永遠に独白を聞かされているような感覚に陥った。
しかし、上巻を終える頃には、ようやくこの作品と少し親密になれた気がした。呼び名の法則が見えてきて、長い独白も「クセ」になってきたからだ。
この作品の魅力は、表面的な物語ではなく、深層心理の奥深くまで入り込んで描かれた人間描写にある。あまりにも細かく心理が描かれるため、世界がリアルでありながら、どこか非常識に感じられた。登場人物のほとんどが「異常者」のように思えた。だが、それがリアルなのだと思う。心の声をすべて吐き出す世界は、現実にはあり得ない異常な世界だからだ。
この物語は「本当の愛」を表現しようとした作品だと感じた。ラスコーリニコフは「非凡な人間は、法を犯し殺人を犯しても、その偉大な功績によって許される」という思想に囚われ、行動する。しかし、自分が「凡人」であると気づいた瞬間、思想的な破綻が起き、心は闇に沈んだ。その闇から彼を救い出したのは、愛の力だった。流刑という状況にあっても、愛を知ったラスコーリニコフは、かつてない自由と幸福を感じたのである 。
併読していたユヴァル・ノア・ハラリの『21 レッスン』を通じて、ある畏怖を抱いた。今日、ラスコーリニコフの「超人思想」は、現実になるのではないかという恐怖だ。AI の進化により、一部のエリート富裕層は、富だけでなく、生命力・身体機能・認知機能をアップグレードし、真の「超人」になっていく可能性がある。AI は人間の能力を圧倒的に上回り、仕事を奪う。多くの人が存在意義を失う世界で、「超人思想」は現実のものとなるのではないか。その恐怖を覚えた 。 -
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思想と信仰の物語。
信仰と愛によって、救われたような結末を迎えます。
ドストエフスキーは信仰心が強い作家なのだろうなと感じました。
主人公のラスコーリニコフは誇大妄想を抱いているのに、罪を犯した後はあまりにも挙動不審でした。その挙動不審ぶりは、まるで喜劇のようでした。
差別的で気持ち悪い性癖を持ったスヴィドリガイロフは、自ら命を絶つという形で報いを受け、一方でラスコーリニコフは正直さと過去の善行によって罪が軽くなりました。人間の葛藤をしっかり描きながらも、最後は読者が安心できる方向へ着地させる。そのバランスこそが、人気文学たる所以なのかもしれません。
『罪と罰』は文学として面白いので評価されていることには納得なのですが、私の名著への期待が大きすぎたこと、ラスコーリニコフを冷めた目で見てしまったこと、共感できる登場人物が出てこないこと、グッとくるシーンがなかったこと、テーマ(殺人、貧困、売春、自殺、宗教、罪、死など)が重すぎて全体的に極限状態であること、ラストの展開が優しすぎたとこで、あまり私の好みではなく、評価が辛目です。 -
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あらすじのみ読んだ状態で読み始めたら思ってたんと結構違った。
上巻は登場人物の名前を覚えることが大変だった。
主人公は「我非凡人だし、ババアはくそなので死んで然るべきだし」みたいなスタンスを基本的に取りつつ、殺人をしてからというもの悪夢にうなされたり、記憶が曖昧になったり、病気になったりと、自分の信念や意思とは裏腹に、意識の外でしっかり苦しんでいることが伺えるのが印象的だった。
母、妹、友人からの信頼に触れてそうなっていったのかも。
自分の信念とは裏腹に思いもよらぬ愛を受けて、非凡人となりきれなかった自分に苦しむことが罰なのかなぁと思った。
貧困により人を殺したり、立場が苦しくなったり、頭がおかしくなったりと、追いつめられた人々を登場させることで、貧困に対するドストエフスキーの考え方がかなり描かれていると思った。そんな中でもどこまでも献身的で聡明なソーニャが非常に印象的だった。
時代背景や聖書を理解していた方がもっと面白かっただろうな。
私は三島由紀夫の「美徳のよろめき」を読んでいた際にも思ったのだけれど、正論を言われるより説得されるより、ただただ正しく聡明な人が目の前にいること、身近にいること、そのような人物に「私はあなたを信じている」「あなたと一緒に苦しむ」と言われることや態度で示されることが、何よりも倫理観を取り戻させるのだと感じた。
最近は一日一話古畑任三郎を見ているので、ポルフィーリーののらりくらりした雰囲気で相手の隙を狙っている感じが古畑任三郎で脳内再生された。
主人公と二人で対話する場面は主人公の緊張感が伝わってきて緊迫感があり、面白かった。
スヴィドリガイロフの存在の解釈が難しい。
彼は自らの欲望のために人を殺すし(噂)、ロリコン(噂)だし、地位もお金もある。周りにどう見られていようと、のうのうと、飄々と生きている。けど、周りに人がいない。そばにいて欲しいと願ったドゥーニャには拒否される。
そう思うと主人公と対象的な人物のように思える。
けどクライマックスで主人公がもし自分が孤独であったら、と考えていたように、主人公も周りに母や、妹や、友人がいなかったらスヴィドリガイロフのように、モンスター的存在になっていたのではないかとも思う。そして彼は自決する。主人公のif的な存在だろうか。
言い回しがくどくどしていたし、ずっと救いようのない展開が続いていたけれど、最後は主人公も人間らしさを取り戻しハッピーエンドを迎えたように思う。
意外と「孤独でないことが人を救う」という普遍的なテーマの物語であったのかも。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ高利貸しの老婆を殺害する前、殺害時、殺害後の心境の変化が面白い。
殺害時は焦って冷静な判断ができず、紙一重の所で逃げることができた。ただ、その後は心身ともに疲労困憊している中で証拠隠滅をしていくが、それも理性的な判断が出来ないまま進んでいくのが、罪を犯した後の心境として納得できる。
上では、自分が犯した罪を暴露して楽になりたい気持ちから、自分の罪を正当化しようとする気持ちへ移行していっている感じがする。
後者については、社会主義(人類は皆平等であるべき)の思想を持ち出して老婆の殺害を正当化しようとしていて、当時のロシアの時代を感じた。