工藤精一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
高校生の時に読んだ、ロシア文学史上最も有名な一作。そのあまりに有名なタイトルからすると結構個人的な話、でも重くて暗くて、主人公ラスコーリヒコフがずっと悩む、というより文字通り、精神と肉体の病に犯されている。
ラスコーリニコフの老姉妹殺害シーンや、検事とのやり取り、娼婦の少女とのやりとりなど、物語の輪郭だけでなく、その時感じた文学の匂いを思い出すことができるのが、さすが名作なんだなぁと感じる。
余談ではあるが、高良健吾主演の同名NHKドラマ、たしか漫画原作もなかなかエッセンスを拾って現代の日本の話にしていて、斧で叩き殺される橋本愛や、なかなかシビアな人生を送りながら凛と生きる水川あさみなど、こちらも記憶に残る作品だった。名作のインスパイアは、結構嫌いじゃない。 -
Posted by ブクログ
『罪と罰』は、ドストエフスキーの五大長編の一つであり、貧しい元大学生ラスコーリニコフが、「非凡な人間は社会のためなら法や道徳を踏み越えることも許される」という自説のもとに殺人を犯し、その後、罪の意識と自身の思想との間で苦悩していく物語である。
『カラマーゾフの兄弟』に続いて読んだが、登場人物たちが怒りや悲しみ、愛情を激しく表に出し、時には長々と自らの思想を語る姿は本作でも印象的であった。多少の誇張はあるのだろうが、人間の内面にある感情や思想を会話としてむき出しにするところに、ドストエフスキーならではの面白さを感じる。特にラスコーリニコフが、理屈では犯罪を正当化しようとしながら、現実には罪悪感に苛まれていく姿が興味深い。人間は理屈だけでは割り切れない存在であり、その矛盾を徹底して描くことが本作の魅力なのだと思う。一方で、彼の周囲には娼婦ソーニャや妹ドゥーニャ、友人ラズミーヒンといった心根の美しい人物がおり、彼らの存在が物語に救いを与えている。
序盤は本名や愛称、父称が入り乱れ、人物を覚えるだけでも一苦労であった。それでも読み進めるほど人物像が鮮明になり、思想と感情をぶつけ合いながら「罪」や「救い」を問い続ける作品として楽しめた。五大長編では『白痴』も気になっており、次はまた異なる角度からドストエフスキーの人間観に触れてみたい。 -
Posted by ブクログ
もし、猿にこの本を渡せば『罪と罰』を枕にして眠るかもしれませんし、羊に渡せば美味しく食べてしまうかもしれません。そんな風にこの長大な文章を読みながら、ラスコーリニコフの背負った『罪と罰』を愉しむのには人それぞれのやり方があるのだろうと思います。
僕はとても楽しませてもらいました。1行もつまらない文章はなく、ドストエフスキーの小説家としての格の違いを見せつけられました。どうして素晴らしいと思ったのかを説明するにはおそらく一万字以上の言葉を費やす必要があるため、割愛させていただきます。
ただし、一つ言えることはもしたった今、自分の犯した罪について苦悩している方がいらっしゃれば、あなたの前でこの物語は人生の伴走者となってくれるはずだということです。ミステリーの中ではたった数ページでしか描かれない殺人や、数分間に圧縮されたニュースでは決して感じることのない犯罪者という名札を貼られて捨てられることになる彼らについて丁寧に描いています。言い換えれば世界に蔓延る罪の形を捉え、読者に向けて物語として再構成し、その実寸大の感情をそのまま紙とペンで表現したものです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ
読書を初めてからというもの、脳内で目覚ましのスヌーズの様に「ドストエフスキーは読まないの?」と聞こえる度に先延ばしにしてきたが、この度遂に本作に手を出した。堅苦しくて読みにくそうだなぁと勝手に想像していたのだが、展開が気になって夢中になって読み終えた。上巻の最後の頁、急に訪れたスヴィドリガイロフの自己紹介で終わっているのがドラマや漫画でいう来週までの「引き」で、何だか1人で面白くなっていた。
ラスコーリニコフが自首しないことについて、作中では良心の呵責という解釈にもなっているが、これは本当にそうなのか?と思いながら読んだ。遠藤周作の「海と毒薬」のテーマの一つの様に「人は罪が絶対に暴露され(裁かれ)ないとしたら罪の意識を背負わずに犯罪を行うのではないか」、つまりラスコーリニコフは良心の呵責に苦しんでいるのではなく、罪が暴露されることを恐れているのではないか、ということ。しかしその狡猾さも、虚栄心、猜疑心、自負心も、物語途中から投獄後まで続くソーニャや家族、友人の愛により氷解し、それがラスコーリニコフを新しい世界に解き放ったのではないだろうか。大変良い読書だった。 -
Posted by ブクログ
全巻約2,500ページ前後
765P
歴史小説の最高峰
ナポレオンがロシアを侵攻した時の話
サマセット・モームが10冊の中で一番偉大な作品と言っている。
戦争と平和って戦争シーンほぼ全く出てこないんだな
ナポレオン戦争
戦争だけでなく、平和にも葛藤や矛盾がある。
トルストイの戦争と平和、エピローグが論文みたいになるの知らなかった。
「アンドレイ公爵は、見たところ、そういう抽象的な話には興味がなさそうだった。「君、場所柄もわきまえずに、心にあることをなんでも口にするってことはよくないよ。え、どうなんだい、いよいよなにかやる決心でもついたのかね? 近衛騎兵にでもなるのかい、それとも外交官かね?」とアンドレイ公爵はちょっと口をつぐんでから聞いた。 ピエールはソファの上にあぐらをかいた。」
—『戦争と平和(1)』トルストイ著
「ピエールには、みんなが彼を好いてくれるのはきわめて自然なことに思われたし、だれか自分を嫌う者がいたら、きわめて不自然なことに思われたにちがいない、だから彼は自分を取りまいている人たちの誠意を信じないではいられなかった。その上、彼にはそういう人たちが誠実か不誠実かについて自分に問うてみる暇もなかったのである。彼はつねに暇がなく、つねに自分は心おだやかで愉快な酔い心地にあるように感じていた。また彼は自分をなにか重要な全体の運行の中心のように感じ、自分はつねになにかを期待されていて、それをしてやらなかったら、多くの人を悲しませ、彼らの期待するものを奪うことになる、もしもそういったことをしてやれば、なにもかもよくなるというふうに感じていたので、彼は要求されることはなんでもしてやっていた、がしかしそのなにかいいことというのは、いつも将来にのこされたままだった。」
—『戦争と平和(1)』トルストイ著
-
Posted by ブクログ
745P
「この頃の娘は自由に恵まれすぎているために、人にちやほやされる喜びに自分のほんとうの感情がかき消されてしまうことが多いんですのよ。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「彼は手あたり次第なんでも読み、家へ帰って、下男にまだ服をぬがせてもらっているうちから、もう本を取って読み――読書から睡眠に移り、睡眠からサロンやクラブでのおしゃべりに、おしゃべりから酒と女に、酒からまたおしゃべりや読書や酒へと移るというふうだった。彼にとって酒を飲むことはますますもって肉体的、と同時に精神的な欲求になってきていた。医者たちに、あなたのような肥満体には酒は危険だと言われていたにもかかわらず、彼はふんだんに飲んでいた。彼は、自分でも気がつかずに、大きな口に何杯か酒を流しこんで、体に快いぬくもりをおぼえ、自分のどんな隣人にもやさしい気持ちを感じ、頭がどんな思想にも上っ面だけの反応を示してその本質に深入りすまいとするような状態のときになってはじめて、完全に気分がよくなるのだった。ぶどう酒をひとびんか、ふたびんあけた頃になってはじめて彼は、最前まで彼をおびやかしていた、入りくんだ、おそろしい、人生の結ぼれも思っていたほどおそろしくないと、漠然とそう意識するのだった。頭のなかががんがんしながらおしゃべりしたり談話を聞いたり昼食や夜食のあとで読書をしたりしているときには、彼の目に絶えずその結ぼれのどっち側かが見えていた。だが、酒の影響下にあるときばかりは、自分にむかってこんなことが言えた。『こんなものはなんでもないんだ。こんなもつれはいま解いてみせるさ――おれにはこのとおり説明の用意ができているんだもの。だけど、いまは暇がないから、こういうことはあとでとっくり考えることにしよう!』だが、この『あとで』はけっして訪れなかった。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「「服装もフランスふうなら、思想もフランスふう、感情までフランスふうじゃありませんか! 現に、あなたは、メチヴィエはフランス人でやくざ者だというんで、首っ玉をつかんで追いだしなすったそうですが、わが国の夫人連は這わんばかりにしてやつのあとを追いまわしているようなありさまじゃありませんか。きのうだって、わたしは夜会に出ましたが、五人の奥さんのうち三人はカトリック信者で、法王の許しを得て、日曜に刺繍などしているような状態ですよ。それでいてご本人たちは、こんなことを言っちゃなんですが、銭湯の看板よろしく、裸も同然のかっこうで坐ってござるんですからな。いやまったく、わが国のわかい連中を見てごらんなさい、公爵、いっそのこと博物館からピョートル大帝の昔の槲の棍棒を持ちだしてきて、ロシア式に横っ腹をなぐりつけてやりたいくらいですよ、そうすりゃばかな考えも抜けるでしょうから!」」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「彼は賭博好きではなかった、すくなくともけっして賭博に勝って儲けたいとも、負けてすりたいと思ったこともなかった。彼は虚栄心の強い男でもなかった。自分が人にどう思われているかなどということは、彼にはまったくどうでもいいのだった。見栄っ張りなところがいけないなどとはなおさら言えなかった。彼は何回か、自分の出世コースを台なしにして父親を怒らせたこともあり、名誉などはすべて一笑に付していた。彼はけちではなかったから、人から無心されれば、だれにもことわったことはなかった。彼の好きなことといえば、ただひとつ、遊びと女だけだった。そして、彼の考えからいくと、こういった趣味にはなにひとつ下劣なところはないのだし、自分の趣味を満足させればほかの人々にとってどういうことになるかというようなことは反省できない男だったので、心中ひそかに自分は非の打ちどころのない人間だと思い、卑劣な男や悪人を心から軽蔑し、良心も安らかに昂然と頭をあげて歩いていたのである。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「 りんごは熟すれば落ちる、――それはなぜ落ちるのか? 地球の引力によるのか、茎が枯れるからか、日光で乾燥するためか、風に揺さぶられるからなのか、下に立つ男の子がそれを食べたいと思うからなのだろうか? どれも原因ではない。それはすべて、あらゆる生命ある、有機的な、自然発生的事件が起きるときの諸条件の一致契合にすぎないのである。だから、りんごが落ちるのは細胞が分解するとか、そういったたぐいのことが起きるせいであると見る植物学者の考えが正しくもあればまちがってもいるその程度は、樹下に立つ子供が、りんごが落ちたのは自分がそれを食べたいと思って、落ちるようにと神に祈ったからだというのとおなじ程度なのである。ナポレオンがモスクワ遠征に出かけたのは彼がそうしたいと思ったからであり、彼が敗北したのはアレクサンドルが彼の敗北を望んだからだという人は、何万トンも掘って崩れかけていた山が崩れおちたのは、最後の人夫がその山裾で最後のつるはしの一撃を加えたからだという人とおなじように当たってもいるし、当たってもいないのだ。歴史的事件においてはいわゆる偉人なるものは、事件に名称を与えるレッテルみたいなもので、レッテルとおなじように事件そのものとはいちばん関係が薄いのである。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「もしも双方の司令官が理屈に合った原因どおりに行動していたとすれば、思うに、二千キロも深入りして、軍隊の四分の一も失う確率の多い戦いをおこなえば、確実な破滅への道を歩むことになることは、ナポレオンにとってこれほど明らかなことはなかったはずだし、クトゥーゾフにしても、戦いに応じて、同様に軍隊の四分の一を失う危険を冒せば、かならずモスクワを失うことになることはおなじくらい明らかだと思ったはずである。クトゥーゾフにとってそれは数学のように明白であって、それはちょうどもしも将棋のときにこちらの手駒がひとつ足りないのに駒の交換をすれば、かならずこちらの負けになるから、駒の交換をしてはならないのとおなじである。 敵が駒を十六持っていて、こちらが十四持っているときはこちらは敵よりも八分の一弱いだけだが、こちらが駒を十三交換すれば、敵はこちらより二倍強いことになる。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「「ですけど」と彼は言った。「人は、戦争って将棋に似ているって言うじゃありませんか」「うん」とアンドレイ公爵は言った。「ただちょっとちがうところがあるがね、将棋だとひとつ駒を動かすごとにいくらでも好きなだけ考えていられ、時間的制約を受けずにいられる、それからもうひとつちがうのは、桂馬はいつでも歩よりも強いし、二枚の歩はいつでも一枚の歩より強いが、戦争では一個大隊がどうかすると一個師団よりも強いこともあれば、ときには一個中隊よりも弱いこともあることだ。軍隊の相対的戦力なんてだれにもわかりっこないんだよ。ほんとうの話」と彼は言った。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「「戦いは、勝とうとかたく決意した者が勝利をおさめるのだ。なぜわれわれはアウステルリッツで戦いに敗れたか? わがほうの損害はフランス軍とほとんどおなじくらいだったのに、われわれはあまりにも早く自分に、戦いはわがほうの敗けだと言い聞かせてしまったから、負けてしまったのだ。どうしてそんなことを言い聞かせたかと言えば、それは、われわれにはあそこで戦う理由がなかったからなのだ。一刻も早く戦場から逃げだしたかったからなんだよ。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「君に言わせると、わが軍の陣地は、左翼が弱くて、右翼が延びきっているということだが」と彼は話しつづけた。「そんなことは下らんことだよ、そんなことはちっともないんだ。じゃ、あすわれわれを待ち受けているのはなんだと思う? 何億というじつに多種多様な偶然の寄り集まりさ。そしてそれらの偶然は、逃げだしたのが、またこれから逃げだすのが敵かわが軍か、どっちが殺されるのか等によって一瞬のうちにきまってしまうのだ。だから、いまおこなわれていることなんか、みんな遊びさ。要するに、君がいっしょに陣地をまわって歩いた連中は、全体の戦局に資するところがないどころか、その邪魔をしているわけだよ。あの連中は自分たちのちっぽけな利害だけにとらわれているんだからな」」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
-
Posted by ブクログ
『下』でこんなに物語に引き込まれるとは思っていなかった。
長ゼリフとロシア人名を脳が受け入れ出したのか、不思議とすんなり頭に入ってくるようになった。
どんどん面白くなってきて、Audibleのペースではもどかしくなり、途中からは本だけで一気に読み進めた。
やっぱり文字で見た方が断然わかりやすい。
そして3段組はページをめくる回数が減るので意外と楽、という発見もあった。
濃密な苦悩を描く心理描写に夢中になった。
何の悩みもなかった若い頃に読んでも、きっと当時の私にはこの苦悩は全く理解できなかったと思う。
年を取って自分も色々な経験をしてきた今だったからこそ、登場人物たちの苦悩にそれぞれ共感できるところがあった。
ずっと手が伸びなかったのに、急に読みたくなった今が、自分にとっての読み時だったんだと思う。
大好きなコロンボのモデルになったポルフィーリとのやり取りも面白かった。
「へっへ!」とヘラヘラ笑って、何を考えているかわからない態度は、考えすぎてしまう主人公にとって1番不気味で怖い存在だったと思う。
あと、『刑事コロンボ』の初回『殺人処方箋』でのとあるシーンを彷彿させるところがあって、コロンボ生みの親のレヴィンソン&リンクのこの作品への強いリスペクトも感じた。
つくづく160年も前に、読者を物語にぐっと引き込む術が完成されていたことに驚いた。
現代ミステリーの原点に触れたようだった。
それから、金や地位で人を支配しようとする浅ましい嫌な奴が、ドストエフスキーの手によって容赦なく暴かれていてスッキリした。
この本の最後の見返しページに、当時学生だった父が押した名前のハンコが残されていた。
その頃ラーメンが一杯50円だったというので、学生に450円は高価だったと思う。
外箱はかなり色褪せて茶色く変色してるけど、本自体はとても綺麗だった。
この本を当時から父がどれほど大切にしていたか、時間を越えてその思いが伝わってきた。
若かりし日の父の思いも同時に感じることができて、本を「形」として残す良さを改めて感じた。
次は『カラマーゾフの兄弟』に進もうかな。
本+たまにAudibleにて。
※ここからはネタバレありの感想です。
──────────────────
主人公のラスコーリニコフは「自分は選ばれし非凡人だ」と理屈を並べて、犯行を全く反省していない。
でも、いざお金を奪っても一銭も使うことができない。
心の中の罪悪感と、頭で考えている理屈とのちぐはぐさに、人間くさいリアルさを感じる。
何度自問自答しても、このちぐはぐさは自分だけでは解決することができなかったんだろうな。
そこに現れるソーニャ。
「他人」を殺した主人公と、家族のために体を売り「自分の心」を殺したソーニャ。
「殺人」と「自己犠牲」は全く違うんだけど、私には「殺した」という同じ痛みを抱える二人がお互いの鏡のように感じているように思えた。
彼に罪を認めさせたのは、彼女だった。
母や妹にも無償の愛と献身はあったけど、彼に心を開かせることはできなかった。
その違いは、ソーニャ自身も彼と同じ痛みを抱えていたからだと思う。
彼女はただ隣にいて共に苦しんだ。同じ地獄を見た者同士だから、彼の頑なな心を溶かすことができたのかもしれない。
ソーニャも彼を救うためだけではなく、彼女自身が「自分の心を殺してしまったこと」への償いでもあったのではないかと思った。
彼を支えることで、彼女もまた自分自身の魂を救おうとしていたように自分には感じた。
だからこそ、お互いを必要としていたのかもしれない。
物語の幕が閉じる時、小さい頃からこの本に抱いてきたイメージとは全く違って見えた。 -
Posted by ブクログ
子供の頃、父の本棚で異彩を放っていた分厚い一冊。大人になったら絶対に読むと決めていた『罪と罰』をようやく読めた。
長い年月、本棚の片隅で眠っていた父の本は、昭和33年刊行で当時450円!
子供の頃に分厚いと思っていた本は、今見ると意外に普通だったけど、開いてみたらまさかの3段組みで驚いた。
Audible(米川正夫訳)で聴きながら、父の本(小沼文彦訳)を時々開くスタイル。
米川訳の方が古く、小沼訳の方が少しだけ言葉がわかりやすい。
Audibleだけでは集中が続かず、ぼーっとしてしまったところを本で読み返した。
冒頭から「これはもしや、私の大好きな倒叙ミステリーでは!」と興奮したのものの、次に続くマルメラードフの延々と続く身の上話が全然終わらなくて、心が折れそうになる。
そういえば以前もここで挫折したなと思い出し、ぐっと我慢。
そこを越えたらまた倒叙の面白さが戻ってきた。
登場人物たちは、一度話し出すとなかなか止まらない。ここまで長いと「この人何の話してるんだっけ?」と要点がわからなくなってくる。実際にこんな人が近くにいたら、疲れて次の日寝込んでしまいそう。
「面白い→長い(-_-;)→面白い→今何の話だっけ(?_?)→面白い」の波に揉まれながら頑張って読む。
倒叙好きとして興味深いのは、罪を犯してしまった後のラスコーリニコフの揺れ動く心理描写。
完璧な計画だったはずが、いざとなると精神的にガタガタになって、自分で自分の首を絞めていく。その人間くさい失敗がリアルに伝わってくる。
何をしでかすかわからない彼の危うさに、目が離せなくなる。
罪悪感から考えすぎてじっとしていられなくなって、余計なことをしてかえって失敗してしまう。
考えすぎてしまう自分には、どこか重なるところがある。
そして、不意に現れる謎の男。
犯人の心理をえぐってくる手法や犯人の心理描写といい、160年も前にこんなにも倒叙のスタイルができあがっていたとは。
これって初の倒叙作品なんじゃ?と思うくらい、その完成度に驚いた。
ただ、慣れないロシア人の名前とセリフの長さが、なかなかのハードルになって立ちはだかっている。
そこはできるだけ気にせず、私の好きな「倒叙ミステリーのような心理描写」を全力で味わうつもりで読んでいる。
下巻では、あの大好きなコロンボのモデルとも言われる、ポルフィーリー判事との対決が楽しみ。
Audible+本にて。