河崎秋子のレビュー一覧
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明治あたりから現代に至るまでの北海道の産業の栄枯盛衰。それに携わった人々の喜びや悲哀が書かれてる短編集。
中でも、羽毛や毛皮を採るために動物を殺す職業の、動物は生きてるだけではなんの価値も無い、こうやって羽をむしって売ることで価値を付けてやってるんだという考え方。人間はどこまで傲慢なんだと思う一方で、現代だって羽毛布団を使い、革の靴を履き、蚕を殺した絹を纏っているじゃないか。なんの変わりもない。
産業の廃れによって、人知れず堕ちて行った人々。その怒りや感情や諦めた希望が、最後の「温む骨」の頭骨に宿る。
ここに集結させるという河崎秋子の筆力に感服。
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ステイヤー(stayer)は競馬用語で長距離レースの得意な馬のことだそうです。
北海道・静内の小さな生産牧場で誕生した葦毛(白っぽい毛並)の競走馬・シルバーファーンが持ち前の負けず嫌いでクラシックを制覇し、そのヤンチャっぷりで人気馬となり、6歳の引退レースまでを描いた作品。
人物像が見事。男性陣も良いのだけど、特に女性たちが良い。自ら鉄子を名乗る調教助手の大橋姫菜、生産牧場の先代の奥さんで今は専務の社長の倍おっかない千恵子、馬が好きすぎて周りと摩擦ばかり起こす従業員のアヤこと綾小路雛子、馬主でやり手の広瀬夫人。それぞれに癖があって、でも根っこで良い人。
『颶風の王』『肉弾』に代表されるような、泥臭くそしてとても力強い、それ一本やりのちょっと不器用な作家さんだったあの河﨑晃子さんが、こんな爽やかな物語を書くなんて。
競走馬を題材にした小説と言えば宮本輝さんの『優駿』という名作がありますが、私はこちらの方が好きですね。 -
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ネタバレ芦毛の馬は昔から好きで、何で好きなのか考えるとやはり目を引くからだと思う。そして、ドラ夫と同じようにヤンチャで気まぐれな乗馬クラブにいた芦毛の馬を思い出して懐かしくなった。
大人しくて言うことをよく聞いてくれる優等生な馬ももちろん可愛いが、ヤンチャで騎乗者を無視するが負けん気は強くやたら人間らしい馬(ドラ夫)はもっと可愛い。手のかかった子ほど可愛いと言うのは、こう言うことなのだろうか。
馬だけでなく、登場人物も良かった。ドラ夫の生産牧場のオーナーは良い馬を生産したいという飾らない気持ちを持っているのが良い。問題児のアヤはオーナーにも楯突くし、なかなか大変な性格ではあるが、間違いなく馬が好きなんだろうと思える。(ドラ夫に懐かれたり、騎乗のセンスは羨ましい限り。)騎手の俊基も流石、見事な走りを見せてくれるし、落馬してもドラ夫から離れないところに拍手したい(騎手なら日常茶飯事とはいえ、やはり落馬して酷い怪我をしたら再び同じ馬に乗るのは怖いと思う)。
見事なデビュー戦からハラハラさせられた日本ダービー、忘れられない菊花賞、どのレースも大切だった。全員の気持ちが一つになってレースを見ていたシーンは、読んでいて鳥肌が立った。
結局、競馬は人間のエゴで馬にとって酷いことをしているという意見は甘んじて受ける。けれど、自分の育てた馬が優勝する興奮と喜びを味わえるのは、競馬業界に関わる人たちだけなのだ。
この本は文句なしに、競馬と馬の育成の面白さを教えてくれた。 -
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河﨑秋子さんの初期の作品ということで、興味を持ち読んでいる間に直木賞受賞となりタイムリー?な読書でした。
「鯨の岬」は出だしからもう磯の匂いや魚の匂いがゴメの声と共に立ち上ってくるような描写。五感を刺激されるようなつかみ。
主人公がショートトリップに出向いた展開からなにか楽しい展開になるのかななどとのんびり読んでいたけれど、最後には思いもよらないところへ連れて行かれて絶句。こんな始まり方の河﨑さんの作品が、そんなのんきな小説であるはずないのに。それにしても…。鯨の肉を目にしたらこれからはこの小説を思い出しそうです。
「東陬遺事」北海道文学賞を受賞されたということでずっと読んでみたかった一作。遺事というからにはこれも誰かが亡くなるのだろうなと推測しつつ読み進めていたけれどこれも壮絶な物語だった。淡々と改まった文体で、海の氷原や空の月や鳥などの自然の描写が抜群にうまいと思いました。河﨑スタイルとでも呼びたくなるような独特の命の捉え方のスタンスはもうこの頃には固まっていたのだなぁと感じました。こういう小説が北海道文学賞なのだなと、改めてその文学賞のレベルの高さをも思い知りましたね。
手に取ったのは文庫だったので解説は直木賞の先輩である桜木紫乃さん。この解説がまたいい。桜木さんらしさが全開で、短くてもクオリティがもう一編のエッセイでした。
時々はこのような文学的刺激のある小説をこれからも読まねば、と思いました。 -
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明治の初めの頃でしょうか。東北の庄屋の娘が雪崩の被害に遭いながら、偶然生じた雪洞の中に乗ってきた馬と共にまぎれる。助けの望めないまま、長い間馬とその雪洞に過ごす娘は、空腹のためにその馬を食べ、生き延びるのだけれど……。
娘が生んだ捨造は一頭の馬と共に開拓民を募集していた北海道に渡り、以後、根室にて主に馬の生産で食べていく。その捨造から5代にわたる家族の話です。
力強いストーリーテリングでした。僕が通ってこなかった道に咲いている言葉の花たちを多く所持しているような著者、という印象がまずありました。時代小説として始まることもあり、その語彙の種類や言葉の用い方が、僕のカバーしていない領域にあるものみたいな感じなのでした。しかし、自分と近い言語感覚では無いから面白くはないということはなくて、序盤から惹きつけられるのです。すごかったです。そして、語彙や文体や内容から、著者はこれまで手を抜かずに生きてこられたのではないかなぁというような強い感じを受けました。
作者のデビュー作なのですが、その時点での持てる力を最大限に発揮してつくった、自身として渾身かつ最高のものといったような、力のある作品という感じで第一章を読み終えました。第二章も素晴らしく、第三章に入ると舞台は現代にうつるので現代小説といった向きが強くなり、文章の持つ匂いが少々薄まったように感じられましたが、読み進めるうちにそんな第三章の現代小説の文体になれてきたためか、その奥からそれまでの章に宿っていた匂いが再び立ち現れてくるのでした。
物語を作ることへの「挑む」というその精神のあり方がうかがえて、「素晴らしいな!」と作家を一人の人として見た分へのリスペクトの気持ちが生まれます。これってたぶん、作家の生きる態度なんでしょう。負けてられないぞって思っちゃいます。
フィクションを作るのって、油断すると無味乾燥というか張りぼてと言うか、空疎なものができあがりがちなのだと思います。血が通っていて、現実と地続きで、それでいて眼前にまざまざと浮かび、温度や匂いまでをも感じるような夢を見させてくれるのがこの作品でした。心して最後まで読みましたし、そうした分のお返しを存分にしてくれる作品でした。楽しみました。
最後に、引用を。
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及ばぬ。
人の意志が、願いが、及ばぬ。
ひかりの脳裏に強い文言が蘇る。オヨバヌ。祖母が繰り返していた言葉だ。地も海も空も、人の計画に沿って動いてはくれない。祈りなど通じず、時に手酷く裏切ったりもする。それは人がここで生き、山海から食物を得るうえで、致し方ないことなのだと。(p198)
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→自然の姿をそのままのものとしてとらえている箇所です。僕も同じ意味のことを秘密のファイルにメモっていたりしますが、自然とは人間のためにあるのではなく、時に人間にとって非道なふるまいをするものです。温かで優しいと人間が感じる面を見せたかと思うと、情け容赦なく人間をゴミのように蹴散らしたりもする。もともと人間が自然環境に合わせて適応したのであって、自然が人間に合わせて出来上がっているわけではないのだし、人間の適応についても、自然の「人間にとって都合のいいおだやかな範囲」が比較的幅広いため、それに合う形でそうなっていたりするんだと思います。そもそも、温かいとか優しいとか穏やかだとか、擬人化して自然を近しく感じるのは人間の勝手。そしてそれは空想の範囲の話であって、自然そのものとしっかり相手するときには、そういった空想のフィルターを外して考えないと、命取りにもなり得るものではないでしょうか。本書のこの文章は、そういったことが端的に表現されていて、深く肯いたところなのでした。
ネタバレになりますが、この「オヨバヌ」が、馬を食べた娘から始めて6世代にわたるこの物語の幕を引く鍵になるのでした。
こういった、挑んで書いて成し遂げた作品に触れると、やる気になったり生きる気持ちが強くなったりと好い影響を受けるものですね。おもしろかった。