河崎秋子のレビュー一覧
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続いてゆーき本さんの本棚から
硬軟両極端な河﨑秋子さんのこれはもちろん硬の方
河﨑秋子さんの本はいつも「生きる」ってことが重要なテーマな気がする
「生きる」理由について考える
様々なものがあるようにも思う
またそんなものはないようにも思える
ただ「生きる」のみのような気がする
理由なんてないのかもしれない
理由なんて必要ないのかもしれない
ところでタロットカードの大アルカナ「愚者(The Fool)」のカードには「新しい始まり」「自由」「無限の可能性」を意味するという
解釈としては「 決まった形に縛られず、自分の直感を信じて新しい一歩を踏み出すタイミングを示す」ということだそうだ
そんなラストだったようにも思えた
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ネタバレ面白かった。
知らない世界について想像力を掻き立てられた後の満足感はやっぱりいいね。
さて、『ともぐい』は熊小説ではあるけど、歴史を扱った小説でもある。時代は明治時代で、日露戦争に突入する以前の北海道におけるある地域で生きる主人公を描いた物語。
日露戦争といえば、日本がそれに勝利し、本格的に西欧列強の仲間入りを果たした画期となった戦争として有名で、それ以前には日清戦争に勝利を果たしている。ただ、この戦争で勝利してしまったがゆえに、日本は西欧的な帝国主義へと本格的に歩を進めてしまう。
日露戦争以前の日本は、ロシアとの戦うかどうかに関する様々な論戦が活発に行われたり、日英同盟を結んだり、対ロシアを想定した準備がなされたりする時期にあたる。そんな時代状況の中で、小説の前半ではその波がまだ押し寄せてきていないが、後半になるとついに波及することになる。
実は、それと並行するように、熊爪の人生も変容を余儀なくされる。熊爪のアイデンティティに揺らぎが生じた第一の出来事は余所者熊との死闘による重症であるが、第二の出来事は商い先である屋敷の変化(衰退)と言える。屋敷は熊爪にとって人間が多くいる煩わしい場所である一方で、食糧や鉄砲の玉など、必需品を購入するのに必要な金を得る唯一の場所でもあった。したがって、屋敷は熊爪の生活にとって必要不可欠な場所であった。
屋敷の人々はどれも気味が悪く、理解不能で、苦手な部類に入る人もいたが、それでも生活になくてはならないため通い続けた。極めて合理的な判断と言える。
だが、日露戦争が現実味を帯び始めると、屋敷の商売も立ち行かなくなり、戦争を支えるための炭鉱に手を出すようになる。熊爪はそれに誘われるも、半端者であるが故に決めきれずにいる。
そして、この時点で、熊爪は屋敷の変化を既に感じ取っており、以前から思慕を抱いていた片目盲目の娘を連れ去ることを決意する。そして、屋敷から離れて、と同時に事実上猟師を引退し、山で再び生活し、死を迎える。
最初、なぜ明治という特定の時代を設定したのか分からなかったが、振り返ってみると、熊爪自身が気付かぬうちに時代の流れに巻き込まれていることを示すためで、またそれに抗うことは不可能であることを示すためだと思う。熊爪は作中で何度も、「俺には関係ない」と言っているが、残念ながら時代の流れは確実に熊爪の生活に影響していた。
『ともぐい』は自然界の論理を反映した小説であるとともに、近代化の途上である明治日本における人間社会と自然界との接触により生じたある個人の人生の過程を描いた小説でもあると思う。 -
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ネタバレ読みながら頭の中に情景が浮かび続ける。かなり生々しい描写も多く、こんなにリアルに読者に想像させるのはすごいと思った。熊と人の対峙がテーマだと思っていたが実際はそれだけではなく、人間の内面や生き方について考えさせる小説。ラストは全く想像していなかった展開で、なぜそうなったのかとずっと考えている…。
熊爪は自身が熊になりきれない事を悟った。
人間になろうとしたがそれもなりきれなかった。
『殺されなきゃ死ねないんだし、あんたは』という陽子の言葉は、熊など野生の生き物にも当てはまる言葉。陽子は熊爪を熊と認識したんだろう。
熊爪が兎を殺す所を見ていたのも殺す決意を固める伏線だったのか。
熊同士。人同士が殺し合った。
そういう意味でこの『ともぐい』というタイトルなのかなと。 -
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プロローグ
肉と肉とがぶつかり合う
ほとばしる汗と体液
叡智を超えた技と体位が繰り広げられる
やがてお互いが絶頂を迎える
それが……
本章
『肉弾』である
壮絶な肉弾戦に★5
いゃ〰、本作も素晴らしいかった
河崎秋子さん『愚か者の石』に次ぐ2作目であるが
両作ともに素晴らしい!
素晴らし過ぎる!
気弱で人生を惰性に生きてきた青年が、父親に連れられて狩猟にでるが、そこに突如ヒグマが現れ
狩る側から狩られる側へ
人は絶体絶命の窮地に立った時、文字通り!?
一皮剥けるのだ!
そして野犬と共闘し狩る側へ
ヒグマを追い詰めていくさまは圧巻だ
納得の大藪春彦賞である
エピローグ
野犬と共闘する場面が何とも荒唐無稽な物語であるが、そんなものは吹っ飛ばしてしまうほどの圧倒的な筆力である
そして、肉弾戦後には得も言われぬ達成感と充足感が漂っている
やりきった、やりきったのだ
もう思い残すことは何も無い
お互いが絶頂を迎え、そして逝ったのだ
完
※日本は、行く
欧米だと来る
不思議だ、何とも不思議である
なんか、エロチックだな
そう思った(¯―¯٥)8v♪ -
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生と死 自然界の生き方について
『ともぐい』を読み終えて、まず強く残ったのは、フィクションなのにノンフィクションのような生々しさだった。熊と人間が生きる山の世界があまりにも現実的に感じられ、物語を読んでいるというより、実際にそこで生きている人間を見ているような感覚になった。
特に印象に残ったのは、自然界の本質や、生と死について描かれているところ。
食べるために殺し、殺したものを食べて生きる。人間も動物も、結局は自然の循環の中にいる一つの生き物にすぎない。そうしたことを、綺麗にまとめるのではなく、生々しいまま描いているのがよかった。
その中でも熊爪は、とてもいいキャラクターだった。
人間社会の善悪や常識よりも、「どう生きるのか」という本質だけを見ているような人物で、熊爪の生き方そのものが作品のテーマを体現しているように感じた。
死ぬこと自体は、なんとなく最初から予想していた。だからこそ、最後まで気になったのは、「熊爪がどのように生きるのか」だった。
途中では自分なりに先の展開を予想しながら読んでいたが、良い意味で予想とは違う進展もあり、最後まで楽しめた。
最後に陽子とのストーリーも展開や結末が良かった。熊爪が最後まで熊爪として生きた、その生き方の延長にあの結末があるように感じた。
そして、何より犬が可愛かった。
ただ、熊爪自身が犬を人間的な意味で「愛している」というより、犬を犬として、狩りをする上での存在として見ているところも含めて、熊爪らしい関係だったと思う。
読み終わったあとには、中孝介の「サンサーラ」が頭の中でずっと流れていた。
生きること、食べること、殺すこと、死ぬこと。そしてまた別の生命へつながっていくこと。『ともぐい』の読後感と、あの曲の持つ「生きる」という感覚がすごく重なった。
今回は何の下調べもせずに読んだので、先の展開を自分なりに予想しながら読めたのもよかった。
何年か経って、自分自身の感じ方が変わった頃に、もう一度熊爪の生き方を読み返してみたいと思える作品だった。 -
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明治後期の北海道。猟師として自然の中で生きる熊爪は、一頭の熊との因縁や人との出会いを通して、生と死、人と自然の境界に向き合っていく。圧倒的な自然描写と命のやり取りが胸を打つ、直木賞受賞作。
圧倒的な自然描写と、熊との息詰まる攻防に引き込まれた。しかし、私の心に最も残ったのは熊爪の死生観だった。
熊爪は命を奪うのではなく、「いただく」という感覚で生きているように感じた。必要以上には求めず、自らが与えられた生も、いつかは自然へ返すもの。その循環を受け入れているからこそ、生にも死にも執着しない。彼が見つめていたのは、生き延びることではなく、生と死の均衡を崩さず、自分にふさわしい生を全うすることだったように思う。
便利さや豊かさを追い求め、「もっと」を望みがちな現代だからこそ、「足るを知る」という言葉の意味を改めて考えさせられた。そして、『ともぐい』というタイトルもまた、生と死の均衡という、本作が描こうとしたものを象徴しているように感じた。熊爪の生き様は、読み終えた今も静かに問いを投げかけ続けている。 -
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河﨑秋子『ともぐい』新潮文庫。
以前から読みたいと思っていた河﨑秋子の第170回直木賞受賞作がようやく文庫化された。
所謂、クマ物である。
古くは苫前三毛別事件を題材にした戸川幸夫の『羆風』に始まり、吉村昭の『羆嵐』『羆』、同じく苫前三毛別事件の詳細を描いた木村盛武のノンフィクション『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』、吉村龍一『光る牙』、樋口明雄の『約束の地』、北林一光『ファントム・ピークス』、熊谷達也の『ウエンカムイの爪』『邂逅の森』、白土勉の『火の獣』、佐藤友哉の『デンデラ』、久保俊治の『羆撃ち』、増田俊也の『シャトゥーン 〜ヒグマの森〜』と数多くのクマ物を読んで来たが、河﨑秋子の『肉弾』には驚かされた。
そして、この『ともぐい』という作品である。『ともぐい』は単なるクマ物というだけでなく、独り山で暮らす猟師の生を超えた死への渇望と破滅の姿を描いている点で、他のクマ物と少し次元が異なるようだ。
何の疑問を持たず、自分の力だけを頼りに独り山の中に生きる猟師が穴持たずの羆や若羆の赤毛と対峙し、命のやり取りを繰り返す中、何時しか死への渇望に絡め取られていくのだ。
明治後期、北海道東部の山の中の小屋で独りで暮らす熊爪という35歳ほどの男が居た。熊爪は時々、猟で仕留めた鹿や羆を里にある白糠の町に運び、門矢商店に買い取ってもらい、その代金で必要な物を揃え、再び山に戻るという暮らしをしていた。
そんな熊爪の暮らしに興味を持った門矢商店の主人の井之上良輔は熊爪をもてなし、猟の話を聞くことを楽しみにしていた。良輔は何処からか盲目の洋子という少女を引き取り、屋敷に住まわしており、その姿をたまに目にする熊爪には気になる存在になっていた。
ある日、熊爪が山に入ると、羆に襲われたのか瀕死の状態で倒れている太一という男を見付け、自分の小屋に連れ帰る。太一の話によれば、阿寒湖から穴持たずの羆を追い掛けて、この山に来たのだが、狡猾な穴持たずの止め足に引っ掛かり、手負いにしたものの、激しい攻撃を受けてしまったのだと言う。
熊爪は太一に出来るだけの手当てをし、体力が回復するのを待って、門矢商店の良輔の元に連れて行き、医者に診てもらった。
熊爪は自分の縄張りの山に迷い込んだ穴持たずを仕留めるべく山に入ると、穴持たずとこの山に暮らす若羆の赤毛が争っている場面に出食わす。すると、熊爪を目に留めた穴持たずが襲い掛かり、銃を発砲するも急所を外してしまう。
さらに襲い掛かる穴持たずの攻撃を躱すうちに、熊爪は崖下に転落してしまう。転落で背中を痛めて悶絶する熊爪の上に崖を降りて来た穴持たずがのしかかって来たが、赤毛の穴持たずへの攻撃により熊爪は絶体絶命の状況から逃れることが出来た。しかし、熊爪は骨盤を骨折したのか、激しい痛みに襲われ、必死の思いで自分の小屋へと戻る。
本体価格710円
★★★★★ -
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北海道と馬の話。第1話が相当に凄まじい。河崎秋子さん味が深い。
第1話 世は明治。祖母の家の最奥の部屋に母はいる。手折った野菊を渡す。母が妊娠期に病んだので、捨造は小作農家に養子に出された。養父母は困窮の中でも養ってくれた。養父母が亡くなったが、嫁取りなどは望めそうもない。ある日見かけた新聞記事に開拓民募集とあった。馬を買い、北海道に渡る。母から別れ際に手紙を渡される。捨造が産まれるまでの記録だった。
第2話 昭和で戦後。北海道根室地方。捨造の孫和子。馬を育てている。いくらくらいの値がつくか楽しみでいる。捨造は妻を第二子出産時に亡くした。
ワカと名づけられた手のかかる馬が、帰厩の時刻になっても帰ってこなかった。嵐が来た。和子は捨造に怒られる。ワカを探して森に立ち入ってしまい、夜の闇の中慌てて逃げ帰る。ワカがやってきて連れ帰る。やがて近所で種付けしていない雌馬が妊娠する。
昭和30年、大嵐が来る。崖が崩れて、崖の上に残った馬を見捨てざるを得ない。半数近くの馬を失い、一家は収入が少なくなった。祖父は釧路に、また母は地引網に出かけた。和子は住込み奉公に出る。結局一家は十勝に移住する。馬たちは売られた。
第3話 祖母の和子が脳卒中に倒れた。シングルマザーの母の娘であるひかりを育ててくれた祖母だった。目が覚めてから、祖母は花島に残された馬の話しかしなくなった。花島の馬たちはその後繁殖して一頭のみ現地に残っている。大学のサークルのツテでひかりは花島に赴く。 -
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「ともぐい」で直木賞の河崎秋子さんはもともと羊飼いだったらしい。作家として独り立ちするようになるまでの道のりを描いたもので、エッセイというには重すぎる。ああ、だからあの文章か、と私は思った。読んでよかった。
直木賞作家河崎秋子はもと羊飼い。今は北海道の十勝で保護猫二匹と共に暮らしている。羊の肉を食用にするために40-50頭飼っていた。
子羊を畜用の銃で撃ち、解体する。最後の子が屠殺されたのを見届けて羊飼いではなくなった。本格的に日本で羊が飼育され始めたのは明治以降。日本ではマイナーだが、海外では超メジャーな家畜である。ニュージーランドの牧場に分娩シーズンに留学を始める。食事と寝場所を提供してもらって、無休で働く。分娩がうまくいかなくて子羊が死んでしまった場合には革製品になる。あっという間に留学期間は終わった。
実家の牧場を手伝いながら、Sさんのところでの実習を半年、Iさんのところで山羊を学ぶ。メーメー教だからと言われるが、メーメー教には山羊派と羊派がある。さらに羊肉派と羊毛派に分かれている。
羊を2頭譲り受ける。父が羊小屋を作ってくれた。羊肉の販路を獲得しなければならない。なんとなく販路は広がった。
時がたち、小説が認められ、父が介護状態になり、羊と介護と家の酪農と小説をやっていたら、体力的にもメンタル的にもかなり厳しい状態になってしまった。優先順位がつかない。次兄が妻を連れてUターンしたいと言い出した。家を出る決意をする。新聞に記事が載ったことで繁殖羊が無事引き取られる。 -
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最初は暗くて救われない話が多かったけど、だんだんと時代と共に良くなった。好きな話が多かった。特に馬蹄屋さんの話が好き。
第1話 ヒトエは札幌の蚕種所で父が働いているので手伝っている。養蚕が広がるにつれ、桑畑に夜中に忍び込んで葉を取っていくなどされることが増え、桑の葉が足りない。兄が女工と出奔し、その女工の借金まで背負わねばねらなくなった。父が新種の苗をたくさん買ってきた。期待を込めて植えたが、北海道の寒さに耐えかねてあっという間に枯れた。養蚕は歴史の隅に追いやられる。
第2話 道東のバラサンでミンクを養殖している。毛皮を取るために繁殖させているのだ。日本は日清日露と大陸で戦ったが、寒さ対策がどうしても必要になった。戦後軍隊は消滅したが、ミンク養殖は続けられていた。父に先立たれた孝文はその事業を継いだ。
第3話 北見でハッカの収穫が行われた。ハッカは干してから、蒸留小屋で何日もかけて油にする。リツ子は光男に夜食を持って行けと母に言われてその通りにすると、押し倒された。翌年リツ子は光男に嫁いだ。光男は戦争に行った。貿易が中止されて、ハッカが輸出されなくなり、食べ物が少なくなってハッカは作られなくなる。
第4話 アホウドリの羽毛を輸出している。弥平は東北で生まれ、東京で募集を目にして鳥島に送られた。つぎは違う島に来た。本土に拾ってもらうはずの船が来ない。食糧も危ない感じになってくる。弥平だけが生き延びて助けられたが、この雇用者に見切りをつけて北海道は渡島にやってくる。今回はアホウドリではなくオオナギミスドリであった。
第5話 江別では馬が大活躍していた。小学校の畑にも馬が耕しに来てくれる。そこで馬が倒れた。足が折れて殺処分になった。父はみんなが納得できるような死に方など滅多にないという。馬頭観音の前でお葬式をやり、埋める。穴を掘るのも馬を穴に入れるのも大変だった。
第6話 江別にある太田煉瓦工場。粘土を成形して干し、焼く。吉正は最年少の頭目だった。
第7話 煉瓦工場で働く父はある日倒れて死んだ。口酸っぱく勉強しろと言われて育った光義は大学に進み、いまは陶芸家になっている。 -
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ネタバレ・あらすじ
明治30年代の札幌。養蚕工場を営む両親のもとに生まれたヒトエ。
昭和40年代の根室。ミンクを養殖業者の孝文。
戦前戦後の北見。ハッカ草栽培農家のリツ子。
明治後半の大島。羽毛貿易のためひたすら鳥を求めて南北を放浪する弥平。
昭和30年代の江別。蹄鉄屋家業の息子雄一。
昭和20年代の江別。レンガ工場で働く佐川吉正。
5作目の続編。陶芸家として生計を立てる佐川の息子、光義。
衰退した産業に従事していた人間たちを書いた6編の短編集。
・感想
これぞ文学、と感じた作品だった。
個人的な偏見だけどやはり文学ってのは「北」に限る。
北で育ち北で生まれ、北で生きてる全ての生命ってやっぱたくましさを感じる。すごい。
私は南生まれの人間なんでとてもじゃないけど雪が積もる場所じゃ生きていけないです…。
だからこれほど北が舞台の作品に惹かれるのかもなー。
明治、昭和という時代に地を耕し、地に足つけて踏ん張ってただ生きてただ死んでいった人たち。
この世界に「個人の幸せ」なんていっぺんも入る余地なし。
蚕もミンクもアホウドリも人間が人間のために殺す。
そしてそれらを加工生成した製品はただ商品として消費する人たちのもとへ渡っていく。
「頸、冷える」のミンク業者である孝文の父親が求めた毛皮はただのファッションではなく、シベリアで唯一手にした命綱だったんだろうな。
「毛皮(儲け)のために殺生をするろくでなし」ではないけども、同じ製品でも目的が変化すれば意味も変化し、そしてその社会の倫理観にそぐわない職業として消滅していく。
わざわざ毛皮を剥がなくても凍死する危険性がないほど豊かになったってことなんだろうけどね…。
自分の手で育て、自分の手で殺し、自分のために使う。
もう今更そういう社会には戻れないし(個人で実践してる人はいるけど)、私自身もできない。
でもどこかでこの状態は歪なのでは?という認識は持ちたい。
私は「それはそれ」で開き直れるタイプなので病まないけど。
殺虫剤、薬、化粧品を使う。
今でも見えないところで人間のためにいろんな動物が犠牲になっている。
スーパーに切り身や加工されて綺麗に陳列しているお肉や魚。
こっちは殺してもよくて、あっちは殺したら可哀想。
色んな矛盾を抱えてる。
南北海鳥異聞の弥平による「自分の手で殺生をした俺はまだましではないのか」という疑問に私は反論できないなって思った。
まっ弥平は鳥を殺したく殺しているというとんでもねぇ奴なんだけども。
こいつは最期も良かったなー。
殺し殺され、そして消えてなくなる。
綺麗なもんも汚いもんもみんな同じで、人間なんて所詮糞袋なんだわ。
解説にもある通り現代は大半が虚業となってしまった。
私自身も虚業や投資で稼いでるのでやはり実業に携わってる方々への尊敬や負い目があったりする…感謝!!!
そんな現代では、親近感や共感を得やすいのも都市に住む人間による都市に住む人間のための「個人の幸せ」を求める社会学的コメンテーター作品が多い印象。
別にそれはそれで当然っていうか構造的帰結というか仕方ないことなんだけど、私が文学に求めてるのは「共感してほしい!共感するでしょ!!」と共感を第一義とした作品ではないんだなと改めて思った。 -
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北海道の監獄で出会った相方の、来し方を探る旅。重厚な作品だけど、読み口は重くない。すごく良かった。
瀬戸内巽はボンボン育ちだったが、大学で革命思想に出会い、樺戸集治監に投獄された。雑居房。大二郎という同室の者が語り出す。大二郎は天皇が身体を壊して恩赦が出ることを祈っているようだ。
大二郎がある日、監獄内を覗き込んでいた女がいたと言ったが、中田看守はそんな女はいなかったと言った。大二郎はホラ吹きなのかもしれない。その夜巽は田淵に襲われかけるが、看守の見回りに助けられる。
巽は虫歯が痛くてたまらない。他の囚人たちは病の際辛かった話で盛り上がる。中田看守が虫歯を抜いてくれる。囚人たちは北の大地で雪かきをする。巽と大二郎は釧路集治監に送られる。釧路への移動の最中に吹雪に見舞われて、巽と大二郎以外の8人は死亡。硫黄採取に駆り出される。
大二郎が教誨師のもとに行ってみたらジャガイモをもらえたので、巽も行ってみる。ただの説教だった。硫黄採掘現場は非人道的すぎたので、採掘は中止されて、樺戸に戻される。
独房でボヤが起こり、大二郎が消える。脱走なのだろうか。
そのうち巽は釈放された。しばらくして中田看守が来て、大二郎を探すのを手伝えと言われる。
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とっても良かった!!
クマ´•ᴥ•`がニュースで話題になり始めた頃に『ともぐい』で直木賞を受賞されていて、気になっていた作家さん
さらに
表紙カバーイラストとタイトルも素晴らしい✨
イラストは阿部海太さん
このイラストに惹かれるひと多いはず…私もそのひとりです
(*´艸`*)♡
さて、本題
エッセイのイメージだったんですが…
NHKの『ファミリーヒストリー』(知ってる方いるかなぁ??)のようなドキュメンタリー調
作者さまのお父さまとご家族への思いがあふれてます
自然と命に向き合っているからこその言葉選びの数々にグッときました
作者さまの小説もぜひ読んでみたい!!