内田良のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
<目次>
序章 リスクと向き合うために~エピデンス・ベースド・ アプローチ
第1章 巨大化する組体操~感動や一体感が見えなくさせる もの
第2章 「2分の1成人式」と」家族幻想~家庭に踏み込む 学校教育
第3章 運動部活動における「体罰」と「事故」~ス ポーツ指導のあり方を問う
第4章 部活動顧問の過重負担~教員のQOLを考える
第5章 柔道界が動いた~死亡事故ゼロへの道のり
終章 市民社会における教育リスク
<内容>
教育リスクについて、きちんと科学的根拠(エピデンス)に基づいて考えていこう、という趣旨の本。著者はYahoo!のブログで、運動部顧問のことを書いているのを読んで、気になっていた名古屋大准教授(写真はかなりチャラいが…)。彼は教育リスクを考えない「感動」や「鍛錬」「善きもの」が、教育界の問題点であり、「体罰」の問題は表面化したが、他のもの(組体操・2分の1成人式・部活顧問問題)はかなりヤバい!という。内部にいる私にはよくわかる。教育界は感覚で動いているし、各自の成功体験のみで進んでいる。そろそろしっかりと「理論」的に動かないといけないだろう(部活顧問は世間の常識的に…)。 -
Posted by ブクログ
「教育」という言葉に守られて見過ごされてきたリスクに対して、具体的なデータや事例をもとに問題を浮き彫りにした1冊。
感情論で片付けられがちな組体操や部活動といっまトピックを冷静な目で分析してあり、今後の展望までしっかり書かれています。
生徒のリスクだけではなく教員のリスクへも目が向けられています。
結局、問題に向き合わないと、子どもだけではなく教員へのリスクも高まるわけで…。今でも十分すり減っていますが、「これは教育なんだ」という言葉で、さらに自分たちを追い詰めている様子が受け取られます。
そのように追い詰めてしまっているのも、学校をとりまく保護者にとどまらず私たち「市民」にも責任があるというところまで言及。
「教育」という言葉の眩さに目がくらんで、リスクが見えなくなってしまっている状態が一番危険。
感情に流されず、冷静な目で問題を認識するきっかけになりました。 -
Posted by ブクログ
子どもの人権をまもるというテーマに沿って……かな? けっこうそうそうたる人々が稿を寄せている。宮田雄吾(大阪共立病院・大村椿の森学園)、山野良一(名寄市立大学・専門社会調査士)、駒崎弘樹(認定NPO法人フローレンス代表)、仁藤夢乃(一般社団法人Colabo代表)、熊谷晋一郎(東京大学・当事者研究)、大塚玲子(編集者・ライター)、内田良(名古屋大学・教育社会学)、大貫隆志(「指導死」親の会共同代表)、大原榮子(「メンタルフレンド東海」世話人代表・名古屋学芸大学)、前川喜平(元文部科学省事務次官)、白濵洋子(佐賀女子短期大学・学校保健)、内藤朝雄(明治大学・社会学)、山下敏雄(弁護士)、村田和木(ライター・社会福祉士)、南和行(弁護士)、土井香苗(国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウオッチ日本代表)といった方々。
一方で、どこか子どもの立場に立った活動なのだろうかと思わせもする。子どものためを思って考えての活動ではあるだろうけど、子どもの思いに直結できているだろうか。ほんとにほんとに子どもの人権をまもる活動といえるだろうか。厳密にいえば、たとえとして、大人が余裕をもって子どもを育てられるまちづくりのような活動は、子ども第一ではないと思う。そんなことを気にしながら、各人の稿を流し読んだ。
なぜ木村草太氏が編集になっているのかちょっと疑問。それらしい人ではあるけど、これまた厳密にいえばそのものズバリな人って感じがせず、彼の知名度に頼って編者にしたのかなって勘ぐってしまう。 -
Posted by ブクログ
P.40
本性の検討で明らかになった知見は、次の四点である。
①働き方に対する意識については、八割を超える教員が、「仕事が忙しい」と感じる一方で、「仕事にやりがいと感じる」と答えていた。働き方に対する意識の均質性・共通性が指摘できる。
②部活動に対する意識については、部活動顧問に対するストレスと楽しさをめぐって、教員集団が大きく三つに分化していた。意識の面での多様性が指摘できる。
③誰が部活動にポジティブな意味づけをしているのか、またネガティブな意味づけをしているのかを調査した結果、前者には若手教員と男性教員が、後者には年配教員があてはまることが分かった。教員の置かれている状況によって部活動に対する意識が異なっていると推察される。
④部活動に対してポジティブな意味づけをする教員に着目し、その理由を検討したところ、生徒および教員自身に対して何らかの積極的意義があると見なされていることが分かった。
部活動に積極的な意義を見出し、主体的に関与しようとする教員と、部活動に異議を見出すことなく、より多くのストレスを感じながら関与させられている教員に二分されているのである。前者には若手教員と男性教員が、後者には年配教員と女性教員が位置付けられる。しかも、後者に比べて、前者の方が部活動立会時間が長くなっており、客観的には多忙な状況にある。
P.48
教科別担当部活動(グラフ)
体育:運動部95.4%, 文化部1.5%, 担当していない3.2%
音楽:運動部11%, 文化部86.2%, 担当していない2.8%
美術:運動部36.6%, 文化部60.2%, 担当していない3.3%
技家:運動部65.6%, 文化部26.9%, 担当していない7.5%
外国語:運動部75.4%, 文化部18.2%, 担当していない6.4%
社会:運動部88.0%, 文化部8.5%, 担当していない3.6%
理科:運動部78.8%, 文化部17.8%, 担当していない3.4%
数学:運動部84.4%, 文化部10.7%, 担当していない4.9%
国語:運動部75.7%, 文化部18.9%, 担当していない5.4%
担当教科と部活動指導に感じるストレスの関係
比較的割合が多いのは、外国語科や技術家庭科、音楽科、家庭科の教員で、約7割が部活動指導にストレスを感じている。(=比較的女性教員が多い科目だから必然的にそうなるのでは?加えて、参考文献のタイトルを見るだけでは調査対象の学校種別がわからないけれど、中学・高校で男女比がまったく異なるから結果も変わってくるだろうな~)。その他教科でも、ストレスを感じる教員のほうが多数派である。保健体育課は例外で、ストレスを感じない教員のほうが多い。
週当たり部活動立会時間の平均値(分)
体育:750分/ 46%
音楽:670分/ 67%
美術:450分/ 56%
技家:560分/ 68%
外国語:580分/ 70%
社会:680分/ 59%
理科:610分/ 62%
数学:620分/ 63%
国語:590分/ 66%
P.55
顧問をする競技・活動を中高生時代に経験したことがあるか
経験あり:42.5%
経験なし:57.5%
P.58
2015年12月、「部活動問題対策プロジェクト」というウェブサイトが立ち上げられ、「教師に部活の顧問をする・しないの選択権を!」という署名活動が行われた。2018年8月現在で3万4000筆あまりの賛同を集めている。
文科省は、2017年度から「部活動指導員」を制度化した。部活動指導員は、「学校の教育計画に基づき、生徒の自主的、自発的な参加により行われるスポーツ、文化、科学等に関する教育活動(学校の教育課程として行われるものを除く。)である部活動において、校長の監督を受け、技術的な指導に従事する」とされている。これまでの外部指導員は、顧問の教員と連携・協力する立場であり、普段の指導や大会引率は顧問の教員が主導する必要があったのに対し、部活動指導員は自らが顧問として日常な指導や大会引率を行うことができる。(現実は、顧問+部活動指導員になり、顧問の負担減にはなっていない気がする。)
しかし、部活動を外部委託する取り組みは、依然として一部の自治体にとどまっている。それは、部活動を外部委託できるだけの予算や人材を確保することのできる自治体が少ないためであろう。また、部活動指導員の任用にかかる費用は、国から補助が出るとはいえ、都道府県と市町村が、それぞれ費用の三分の一を負担することになっている。そのため、多くの自治体では、予算を理由に部活動指導員の制度を利用しないことが懸念されている。今行われている部活動を教員以外の人材に担ってもらおうとすると、こうした財政的な問題に直面してしまう。
では、お金がない以上、現状維持もやむを得ないのだろうか。運動部活動研究者の中沢は、そう考えるのは早計だ、と指摘する。氏は、そのような考え方は二つの大事なことを忘れているという。
ひとつは、そのような多額の予算を必要とする仕事を、すでに教員が担っているという事実である。もうひとつは、外部委託の議論が、今の部活動の規模を維持する前提で進められていることである。部活動を外部委託して教員の負担を減らすのが財政的に難しいのならば、部活動の規模縮小も、選択肢に入れるべきだろう。そこで次に、どれくらい部活動規模を縮小すれば、教員の負担を減らすことができるのかを考えたい。
P.68
多忙化に関する情報共有(グラフ)
多忙化について同僚と話をした:あった93.7%, なかった6.3%
多忙化のニュースを見聞きした:あった98.7%, なかった1.29%
(後者についてなかったと回答した教員は、現場に立つ人間として意識が低すぎないか…?)
自分の働き方は現状のままでよい(グラフ)
とても思う5.1%, どちらかといえば思う27.0%, どちらかといえば思わない43.4%, 全く思わない24.5%
仕事が忙しい:とても思う55.4%, どちらかといえば思う37.0%, どちらかといえば思わない6.6%, 全く思わない1.0%
自分よりも忙しい教員がいる:とても思う74.1%, どちらかといえば思う18.3%, どちらかといえば思わない5.7%, 全く思わない1.9%
ほかのきょいんよりも早く帰るのは申し訳ない:とても思う17.7%, どちらかといえば思う43.0%, どちらかといえば思わない24.1%, 全く思わない15.3%
同僚という集団を基盤としている教員にとって、「忙しさ」を相対化させる相手が常に存在している。そのため、自らも忙しい状況でありながら、「自分よりも忙しい」人を参照することで、自らの「忙しさ」を過小評価していく。「多忙を呼び込む」教員文化を指摘しているが、教員たちは自分より忙しい教員の存在を認識することで、実際には自らも十分に多忙であるにもかかわらず、「さらに忙しい状態」に自らを呼び込んでいる可能性がある。
肌感的に当たり前のことをデータで出すって大切。 -
Posted by ブクログ
P. 18
教育は前向きな実践であり、またその言葉は「人々を幻惑させる力」を有し、批判の声を封圧する。教育界が取りつかれている前向き思考は、長時間労働という現実問題への直視を難しくさせている。
私が知る教育養成系の在学生は、「魅力は十分に分かっている。だからこの大学に入った。あとは、働き方が改善されることを願うばかり」と打ち明けてくれた。魅力を高めるためには、魅力を高めようとする志向から離れなければならない。これが大炎上から得られた教訓だ。
P. 50
もの言わぬ教師はいかにつくられたか
教師を目指す学生たちの多くは、多くの学校で教師たちは動力の教職員や管理職と侃侃諤諤に議論していると思っている。実際、かつての学校の在り方はそうで、その中でお互いに同僚性を深めることができていた。声の大きい教師やそうではない教師などもいる中で、若手もベテランもなく第一線の教師としてある意味対等な関係で意見を交わすことができた。こうした学校内部における学校経営(教育活動を支える学校全体の意思決定や運営などの営み)の在り方は政策や行政の手が届かず、それゆえ多様な学校経営がありえたし、その分、移動後その学校文化に慣れるのに苦労する、ということもありえた。しかし、今はそうではない。そう話すと、学生の多くは驚き、失望することもある。「教師の世界はそんなに不自由なのですか」と。
目立った変化として、2006年改正の教育基本法6条2項に「体系的な教育が組織的に行わなければならない」と規定されたことがある。この方向性の下で、学校によって自治的あるいは自発的に、多様な形で営まれていた学校経営が、法令や自治体の制度などにより法的に枠付けられていく(=法化現象)。その法化により、学校経営組織や意思決定の在り方は標準化されたものに塗り替えられてきたのである。
先の中教答申の示した改革の視点で真っ先に実現したことの一つは、「校長・共闘への適材適所の確保」であり、学校管理職への集中的なエンパワメントである。2000年には民間人校長制度、2006年には民間人教頭制度が鳴り物入りで導入され、職員室に新しい風を吹き込むことが期待された。さらには、「校長のリーダーシップ確立」を旗印に、学校裁量・権限を拡大することが図られた。教育課程に関する面では、学校が創意工夫を凝らすことのできる総合的な学習時間の創設(2002年告示)、学習指導要領が最低基準であることの確認(2002年)がなされた。また、自治体により異なるが、学校裁量予算、企画提案型予算制度などの財政面、教職員公募制やFA制などの人事面での裁量拡大も進んできている。
他方で、教育基本法改正後の2007年には、新たに副校長。主観教諭・指導教諭という職が学校教育法に設けられた。特に前二者は、「校長を助け」「命を受けて」校務に当たるものとされており(学校教育法37条5項、6項)、校長をトップとする指揮命令のラインを担うものと期待された。また、これらが昇任試験合格により任命される、俸給表の異なる新たな職として設けられたことは、校内の教職員組織の更なる多層化を意味した。
2015年、中央教育審議会答申「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」で「チームとしての学校」が提唱され、「教員以外の専門スタッフの参画」が第一の方策として挙げられた。スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、学校司書、部活動指導員、看護師の設置を拡大していく提言自体は、複雑化・肥大化した学校課題を解決するにあたって重要だ。しかし、より複雑化していく教職員組織の中で、教師の専門的自立性をいかに確保するか、教師一人一人の「声」がどれだけ尊重されるかは、それほど丁寧に検討されたとは思えない。
P.57
東京都内の小学校で教えている教員の一人が、腹立たしげにいった。
「都内のほとんどの学校で同じだと思いますけど、職員会議は存在していても、実態は『会議』ではありません。大事なことは校長と主査クラスなど『幹部』だけが、企画会議と称する会議を開いて決め、職員会議はそこで決まったことが伝えられる場でしかありません。若い教員は意見を述べることさえ許されていないわけです。」
教員は「発言する場」すら奪われつつあるわけだ。そうした状況下で、「もの言わぬ教員」というのは彼らの性質そのものになってしまうのかもしれない。
東京都では「企画調整会議」、その他多くの学校でも「運営委員会」、「企画委員会」などと称される管理職を中心とした会議あるいは文章の会議で先に意思決定がなされ、職員会議ではその報告のみが行われる形式が増えている。こうした先議の会議について、「参加者の自由な発言によって原案を洗練するという競技機能」と「職員会議で先議者に反対意見を言わせないという抑制機能」が期待されているとする。要は職員会議以外においても物申す場所はないのである。しかし、こうした仕組みについては、「多忙により勤務時間が長い教育現場にとっては、洗練された職員会議システム」であるとの評判もあり、またこれは教師にとって腑に落ちる評価ではないだろうか。
こうした学習性無力感に満ちた職員会議の状況は、教師個々人にとって不利に働いていることも少なくない。
かつては「教育面に関わる全校的希望の校務文章の決定は、校内人事とはいえ各学校による教育課程編成の人的側面を成している」がゆえに「教師集団の自治に基づかない配置換命令の違法性」の指摘されていた。しかし、来ては廃止され、「(校長が)教諭等に校務文章の義務を課すことはもとより法律の根拠を要せず、又教育委員会規則等にも規定する必要はない」という伝統的な行政解釈の通り、法令に明記されることなく実質的・手続き的に担保されるようになった。学級担任や校務文章、部活動や委員会の割り当てについて、各教師の希望や事情、子どもや保護者の状況などを勘案することは自由であるが、決定するのは校長となった。
文科省#教師のバトンプロジェクト(現職教師から、教師を目指す人に学校の未来に向けてバトンをつなぐためのもの)の一部抜粋⇓
5/28
つらい。我が子と会って話ができるのは1日に10分くらい。朝は、我が子が寝てるときに朝ごはんの用意だけして学校に出勤し、夜は我が子が寝る直前に変える日々。こんなに愛しい我が子がいるのに、なにやってるんだろ、私。この働き方では続けられない。こんな働き方はおかしい。
4/11
彼氏も教師ですが、昨日一緒に泣ていると夜中に突然ぱっと起きておかしい様子だったから「どうした?」って聞いたら「明日の部活行きたくない…」って泣きながらぽろっと一言。試合+審判で、審判の講習も自費、審判のためや服や靴、小物まで自費、そして無給。行かんでいい。私が電話してあげる!って言ったけど、今日朝早くから出ていった。
4/24
旦那が顧問をしている野球部が今日試合に勝った。GWも部活が決定した。それを聞いて、うちの子供たちは怒って泣いた。私も悲しかった。本当はおめでとうと言ってあげるべきなのに、なぜだろう。涙が止まらない。
3/28
両親が教員の息子視点です。両親は5時に家を出て23時ごろに帰宅。小学生時代は週末しか顔を合わせないのが普通。早く帰ってきたとしても22時までは歩道に備え着替えず、23時まで電話が鳴り響く日々。そして土日は部活指導。実子より教え子優先なのがつらかった。親子の時間を返せ。 -
Posted by ブクログ
いじめの加害者には処罰とスティグマを。
いじめの被害者が学校に行けない、その代替策を取らなければならない、という「優しい排除」を受けている一方で、なぜ加害者は学校に来ることを止められないのか。
子ども、先生、保護者の中で、被害者側にもいじめられる原因があると考えている率が最も高いのは保護者であった。
つまり、加害者側の保護者が出てきた時点で、いじめは学校で出来る「指導」の範疇を超えてしまう可能性が高いと言う。
だからこそ、学校は「指導」ではなく、まずは「処罰」を、まずは行うべきだと述べる。
スクールカーストに対する教師の立ち位置や、学校教育における「指導」の意味など、読んでいてそう言い切れるか?と思うこともある。(し、恐らく筆者も分かっていて書いている気がする)
ただ、システムとして他者への加害行為に対し、一段重みをつけなければ、「なくならない」という意味は分かるような気がする。
そして、解決への移行手段としてのオープンダイアローグについては、詳しく知りたいと思った。
他者との関係が築きにくい中で、対話に可能性を見出すことの重要性を感じている。 -
Posted by ブクログ
真面目な先生もたくさんいらっしゃる。一生懸命取り組む先生が息切れしないようにしてほしいな。そう思って、読みました。問題行動を起こしてしまう先生がいることも確かです。残念ですけど。
学校の先生も1人の親として自分の子どもに関わりたいはずです。心や時間、健康にゆとりがあれば、もっといろいろできるのに。と真面目な先生ほど苦しんでいるような気がします。
学校の先生方は生徒の指導、保護者からのクレーム、地域の方からの苦情に息切れ寸前なんですね。
きっとこれからますます学校の先生になる人や、管理職を目指す人も大変そうだなあと。読んで思いました。
知人が小学校の先生でしたが、高齢出産になり、産休育休を機に退職。
彼女は「子どもを産むまで一生懸命仕事した。自分なりに子どもたちに真摯に向き合ってきたと思う。子どもを持つ可能性を改めて感じた。やりがいがあり私の生きがいでもあった。でも時間的にも、精神的にも体にも負担が大きかった。
だからこそ自分の子どもにきちんと向き合う時間を取りたい。家庭の時間と仕事の両立が難しいと思ったから。」と。
人それぞれうまくバランスが取れる人もいるでしょうけど、実家から遠く離れたところで仕事をしながら子育てすると言うのは、学校の先生は難しい仕事なんだな思いました。
学校の先生にゆとりがあると言う事は、大事です。子どもに向き合う時間はもちろん教材、保護者、様々な公的機関との相談など、一人ひとり向き合う時間、同僚の先生方と情報交換する時間があればもっとできることが広がるのに。
学校の先生の人数を増やしていただきたい、学級も少人数制で、様々な家庭環境や、いろんな特性を持った子どもたちに向き合ってくれる教職員が増えますように。
彼女の言葉を思い出し、読後改めて感じました。
#教師のバトン
匿名も含めてたくさんの先生方がずっとつぶやきたいと思っていたものの、ほんの1部分が出ただけだと思いました。先生方の願いが込められた心の叫びだったんじゃないかなって。
どんな仕事をしていても、子どもを安心して、育てられる社会になるように、財政的にも人材的にも大変なご時世ですが、未来への投資だと思って、教育に力を入れて欲しいなと。
追加
退職して子育て真っ最中の知人は、子どもがもう少し大きくなって子育てに慣れて、なんらかの形で子どもに関わる仕事にしたいとの事でした。
金銭的なこともあるし後は、介護や自分の健康状態にもよるだろうけど。と。
学校の先生を目指す人はやっぱり子どもが好きなんだなぁって。あんなに肉体的にもメンタル的にもボロボロになりながら仕事しててもやっぱりそういう気持ちになるんだなーって。すごいなぁって感心しました。
気持ちを持った若い先生がつぶれないようにしてほしいですね。
教員免許更新制度が終わるみたいですから、知人のように早期退職していた先生たちで、やっぱりもう一度って思った先生方が現場に戻るチャンスにつながるといいですね。若い先生が1人で仕事を抱え込まないように。 -
Posted by ブクログ
「働き方改革」という文言が、まことしやかに、というより、まこと冷ややかに口に上るようになったなぁと思う。
非常に薄い冊子だが、変形労働時間制を取り入れることの危険性と、そもそもタダ働き状態になっている教員の勤務実態に、時に憤りを以て論じている。
八月こそ年休消化が可能なのに、その八月を変形労働時間で休みに指定したら、一体どこで年休消化は可能なんだい、おおん?という感じか。
けれど、教員定数増やしなさいよ、とか、一人当たりの持ちコマ数減らしなさいよ、とか、残業代ちゃんと払いなさいよ、という輝く理想論はどこまで実現可能なのかねーと遠い目になる。
そのお金があったら払っとるわい、の世界では、削られるのは教員か生徒どちらかの時間なのだろう。
つまり、学校が活動する時間を厳格にする。
たとえば、電話応対時間が固定化された学校は、今後加速度的に増えていくはずだ。
あとはクラブ活動時間や授業時間を削っていくということなんだろう。
学校と一口に言っても小中高まであるわけだし、生徒指導が困難な学校や進学実績の高い学校など、学校が抱える大変さはそれぞれ違って、それぞれにある。
共働き家庭が大きく増え、家庭と学校の繋がりも変化する中で、こうした教員側の勤務実態や仕事の質について多くの人の目に触れることは、良いことだと思う。