あらすじ
学校教育の問題は、「善さ」を追い求めることによって、その裏側に潜むリスクが忘れられてしまうこと、そのリスクを乗り越えたことを必要以上に「すばらしい」ことと捉えてしまうことによって起きている! 巨大化する組体操、家族幻想を抱いたままの2分の1成人式、教員の過重な負担……今まで見て見ぬふりをされてきた「教育リスク」をエビデンスを用いて指摘し、子どもや先生が脅かされた教育の実態を明らかにする。
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前半は小学校中心に行われている組体操と1/2成人式の問題、後半は部活動による事故と教員の働き方の問題を扱っている。
それぞれデータに基づき論じられており、納得する。普段何気なく子どもたちを学校に送り出しているが、指導という名のもとにリスクが見えにくくなっている。これは教員だけではなく、保護者や地域の問題でもある。
教育はなかなか当事者とならない限り、関心を持ってもらえないジレンマがある。
柔道事故のように社会に広く問うていくなら、教育はより良い方向に行くことができるのではないかと希望を持たせる内容でもある。
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著根拠となるデータをしっかり明示した上で、教育現場におけるさまざまな問題を分析する著者の取り組みは非常に有意義なものだと感じられます。
また、著者の考え、私論の部分が明確に「私論である」と述べられているため、著者の学術に対する真摯さが伝わってきます。
教育に関する問題は感情的な弁論がまかり通っている中で、「つきもの論」や「学校の常識は社会の非常識」などという言葉だけで思考停止に陥る一般市民こそが教育現場を異常な状態で放置することに少なからず関係しているのだという著者の考えには非常に共感を抱きました。
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教育という病
題材として組体操、二分の一成人式、柔道事故、部活動、体罰を取り上げているが、それの改善を阻む「教育は『善きもの』」という信仰が主題である。教育リスクは教員だけに原因を求められるものではなく、生徒、保護者、卒業生を含む外の社会が力を持っていて、教育側が改革しようとした時に頑迷な抵抗を受けるために止められない、という構図がしばしばある。教育に関する事故には、数値のエビデンスが欠けている事例が多く、筆者はエビデンスを集めるところから入っている。
学校の安全を言う時に、21 世紀に入っても不審者対策と震災対策に主眼があり、特に不審者対策が学校安全そのもののように扱われていた。その契機が大阪教育大附属池田小殺傷事件だが、その池田小に組体操を推進する関西体育授業研究会の事務局が置かれているのが、皮肉な象徴である。
組体操に関しては、2015/6 初版の本書執筆時点で人間ピラミッド動画が「嬉々として」公開されているという指摘には唖然とする。保護者が載せるだけでなく、学校のトップページに十段ピラミッドを掲載していた例もあったと言う。
そして、重傷事故を起こした学校で、翌年以降も平然とピラミッドが続けられ、関西体育授業研究会に至っては、大きな事故の恐れを指摘し過去に四人が一度に骨折した事例を紹介しながら「大ピラミッドの指導」を推進しているという実態。
二分の一成人式は、多様な家族態様を黙殺して昭和の多数派の感動のための行事を何の疑いもなくやるという体質の指摘。
部活動は、教員の過重労働が中心でこれも根の深い問題。外部指導者を連れて来れば解決するという風潮もあるが、先生も生徒も土日は休みたいと思っているところへ、外部指導者は教員よりも圧倒的に長い練習時間を要求するというデータが示される。さらに、柔道では、ど素人でなく経験者が重大死亡事故を起こしており、外部委託によりリスクが高まる不安が語られる。
体罰は、学校での暴力事件が表に出るようになったことは報道されるが、その処分が他の犯罪と比べて圧倒的に甘い点が指摘されている。飲酒運転や猥褻ではおよそ半数が懲戒免職となっているのに対し、体罰は 2013 年度の四千件の処分の中に一件も懲戒免職がない。それどころか、体罰犯に対し、学校外から寛大な処分を求める署名が集まるという文化があり、検察と裁判所がそれを支えているというのが現実である。
そして、それを経てきた教職課程の大学生を含めて、多くの人々が暴力を肯定的に捉えている。その現実を直視するところから始まるというのが、筆者の立場である。
柔道事故は、筆者が運動部活動の死亡率を調べてラグビーと柔道が圧倒的に高いことを見出したところから出発しているが、2011, 2012 年に報道された後が報じられていない点も指摘されている。約三十年間に 118 人が死亡した後、2012 年から 2015/4 までは死亡数が 0 になっているという事実。このような改善がなされても、マスコミには黙殺される。
その一方、2010 年に英米仏を調べ、過去十数年の間に死亡例が確認できないという指摘もある。フランスの柔道人口は日本の三倍もあるのにである。その実態調査で筆者が訪れたロンドンの町道場の話が印象的であった。厳格な雰囲気だが、新しい投げ技を教えた時に、指導を受けた高校生が切れよく相手を投げたが、その最後に相手を優しく畳に「置いた」という表現。日本では危険な指導が横行していた柔道を受容した側は、安全であってこそ柔道の意義が高まると考えて事故を起こしていない。
遅れ馳せながら、日本の柔道界も生徒を殺さない指導に切り替えたことは、喜ばしい。
教育リスク本体の問題は、研究が始まったばかりだが、柔道の成果を見ると、改善の可能性はあると期待したくなる。
Posted by ブクログ
巨大組体操、二分の一成人式、行き過ぎた部活動指導、教員のブラックな労働…など、学校の中に潜んでいる、あるいは堂々とまかり通っているリスクについて、エビデンスを用いながらわかりやすく解説されていた。
エビデンスを用いながら検証していくと、実際に行われてることがありえないくらい高リスクなことばかりなのに、「教育だから」「子どものためだから」という理由で、それらのリスクが全く直視されず、対策も立てられていない。
教育リスクの特質としては、
①リスクが直視されない
②リスクを乗り越えることが美談化される
③事故が正当化される
④子どもだけでなく教員もリスクにさらされる
⑤学校だけでなく、市民もまたリスクを軽視している
と5つにまとめられる。
ただ、だからといって学校を批判できない。自分も子どもの時に、組体操も、二分の一成人式も、部活もやっていた。その時は何の疑問ももたなかった。リスクを提示されて初めて気づく。
学校という空間を客観的に見るとリスクを感じることができるけど、内部にいると「教育」という名のもとにそのリスクが見えなくなってしまうのもなんとなくわかる気がする。
ただ興味深いのは、市民や保護者もリスクを軽視しがちだというところで、教員がやめたくても保護者からの要望があるという例。
保護者が学校に求めているもの。
学力は塾に通わせた方が圧倒的に身につく。
だから、学力以外に関する要望が強くなったのでは?と感じた。
組体操も二分の一成人式も、塾ではできない。
学力は提供できないんだから、そういう感動くらい提供してくれ、とか。
そうだとすると、一番置いてけぼりなのは子どもたち。
子どもの意志は何一つ尊重されていない。配慮されていない。
子どものためになるだろう、子どもたちにとってきっといいだろう、という根拠のない「だろう」ではなく、本当に子どもたちに必要なことなのか、子どもがやりたいと思うことなのか、という視点が欠けている。
伝統だから、恒例だから、感動するから、ではなく、その活動を行う目的や意義と、伴うリスクはどのくらいなのか、その活動の内容や進め方が合っているのか、という所が大事だと思った。
教育、という名のもとに、リスクもそうだし、それを行う目的や意義もきっと曖昧になってしまっているんだろうな。
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内田先生は本当に教育のことを、何より子供達のことを思って下さっているのだなと。
学校現場はお綺麗事や精神論が大好きだ。
データを出し、分析する、理屈事にめっぽう弱い。
再発防止に努めたり、より良い環境のために改善していくという事もほとんどない。あるとすればそれは地域住民や保護者の方から声が上がった時であり、その場合、得てして教員側の多忙さや思いは「教育のため」「子供のため」という言葉で埋められてしまう。
仮に「教育のため」「子供のため」だとしてもそれはリスクを犯してまで実行すべき事なのだろうか。本当に「子供のため」を思うのなら、過去のデータも元に、線引きをする必要性があるのではないか。同じ過ちを何度も繰り返しているだけで、教育現場は何の進歩も見えない。私はそう考える。
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教育現場でのリスクは往々にして「善きもの」として、事故等が起こっても指導の一環の範囲内で処理されているとのこと。組体操は「感動ポルノ」とバッサリ斬っておられたのは爽快。そういえば私もピラミッドの1番上から後ろ向きに落ちたとき、教師は心配する一言もかけなかったことを覚えている。根性論教師め。上に昇るときも下の段の子から「痛い」と怒られ、連帯感が生まれるどころか関係がギクシャクした思い出がある。
柔道の死亡事故やブラック部活動顧問、1/2成人式の件も教員はもちろん、私たち保護者側も問題をちゃんと認識し直視することが必要。
Posted by ブクログ
教育とは子どものためを思って行われる営みであり「善きもの」としての性格があるゆえに、子どもや教員に生じるリスクを見えづらくしているという主張が、教育社会学の視点から書かれていました。具体的には、組体操・二分の一成人式・部活動を事例に、教育のリスクと向き合うために、まずはどのようなリスクがあるのかエビデンスをもとに明らかにされていました。
この本の中で特に印象に残ったのが、感動がリスクを見えなくしているということです。運動会で子どもたちが必死になって人間ピラミッドをつくる様子を見た時や、二分の一成人式で子どもの成長を実感した時におこる感動。こうした感動に呪縛されることで、現実の危険性・問題を直視した議論が行われていないという筆者は主張していました。
確かに、教育実習や社会教育において少しながら教育に携わった経験を振り返ると、子どもの姿に感動し、この感動があるからこそ続けていた自分もいます。しかし、教育者である側が感動すること自体を追い求めてしまったならば、それは教育という名を使って子どもを利用しているにすぎないことを改めて認識しました。日々、感動を求めることが教育に携わる目的になっていないか、自分を振り返りたいです。
学校現場の状況を批判的に捉え直したい人におすすめですが、個人的には教育=子どものための善きものというように絶対視している人ほど読んでほしい本です。
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内田教授を知った一冊。
金髪を振り翳して、アホっぽいなーっと思ったの自分を恥じたい。
この先生の、情熱と緻密さがよく出た一冊。
教員なら必携。
Posted by ブクログ
教育と言う言葉に隠されてしまった様々なリスクをエビデンスに基づいてしっかりと論じた良書。
美談や良きものということを大義名分にして、影で多くの子供を苦しめる教育には終止符を撃たなければと思ふ。
Posted by ブクログ
"全員"が"絶対に"というのはあり得ない。
大人としていかなる可能性も考えなくてはいけない。
しかし何もかも禁止や避けてばかりでは怖いなと思う。一歩間違えればいい公園から遊具がなくなるのとかわらない気がする。
学校の主役は親でも先生でもなく、子どもたちだということに改めて考えさせらる。
Posted by ブクログ
「善きもの」はほんとうに怖い
学校、会社、国
そして
人
「善きもの」を振りかざし
そこら辺のものをなぎ倒し
傲慢になっていることに
当人は 先ず 気が付かない
「正しいことを言っている者には 気を付けろ」
いつも思うことである
「正義を振りかざす者には 気を付けろ」
いつも思うことである
Posted by ブクログ
今話題の組体操の危険を訴える作者による、教育という名のもとに行われる数々のイベントにメスを入れたもの。
確かに組体操のようなものは危険で規制するのも仕方のない部分もあるけどな〜。10段とか既にアスリートの域やもんな。
感動ポルノっていう言葉は初めて聞いたけど、教育はまさにその側面が大きいなと思った。
Posted by ブクログ
真摯な本。しっかりと調べたデータをもとに、持論に不都合なこともちゃんと紹介している。
「2分の1成人式」なんて責めるところないと思ってたけどなー。でも言われると確かにそう。納得。
教育についての言説は、すべからくかくあるべきと思わせる一冊。こんな本ばかりだったら、どれだけ生産的な議論ができることか。
Posted by ブクログ
<目次>
序章 リスクと向き合うために~エピデンス・ベースド・ アプローチ
第1章 巨大化する組体操~感動や一体感が見えなくさせる もの
第2章 「2分の1成人式」と」家族幻想~家庭に踏み込む 学校教育
第3章 運動部活動における「体罰」と「事故」~ス ポーツ指導のあり方を問う
第4章 部活動顧問の過重負担~教員のQOLを考える
第5章 柔道界が動いた~死亡事故ゼロへの道のり
終章 市民社会における教育リスク
<内容>
教育リスクについて、きちんと科学的根拠(エピデンス)に基づいて考えていこう、という趣旨の本。著者はYahoo!のブログで、運動部顧問のことを書いているのを読んで、気になっていた名古屋大准教授(写真はかなりチャラいが…)。彼は教育リスクを考えない「感動」や「鍛錬」「善きもの」が、教育界の問題点であり、「体罰」の問題は表面化したが、他のもの(組体操・2分の1成人式・部活顧問問題)はかなりヤバい!という。内部にいる私にはよくわかる。教育界は感覚で動いているし、各自の成功体験のみで進んでいる。そろそろしっかりと「理論」的に動かないといけないだろう(部活顧問は世間の常識的に…)。
Posted by ブクログ
「教育」という言葉に守られて見過ごされてきたリスクに対して、具体的なデータや事例をもとに問題を浮き彫りにした1冊。
感情論で片付けられがちな組体操や部活動といっまトピックを冷静な目で分析してあり、今後の展望までしっかり書かれています。
生徒のリスクだけではなく教員のリスクへも目が向けられています。
結局、問題に向き合わないと、子どもだけではなく教員へのリスクも高まるわけで…。今でも十分すり減っていますが、「これは教育なんだ」という言葉で、さらに自分たちを追い詰めている様子が受け取られます。
そのように追い詰めてしまっているのも、学校をとりまく保護者にとどまらず私たち「市民」にも責任があるというところまで言及。
「教育」という言葉の眩さに目がくらんで、リスクが見えなくなってしまっている状態が一番危険。
感情に流されず、冷静な目で問題を認識するきっかけになりました。
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組体操の高さは、労基法であれば違反、学習指導要領外。柔道とラグビーの死亡率の高さが顕著(諸外国は事例なし)。犯罪も教育の仮面をかぶれば許される風潮。
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組体操のピラミッドが流行ってるってのには驚いたな。
あんなもの何がええねんって思うし、
リスクがあるのはぱっと見でわかるやろうに何やっとんねん。って思ってたけど、意外とみんなクレイジーやね。
教育というのは、医術以上に似非科学的なものが流行る傾向にあると思う。というのも医術以上に結果がすぐにわからないからなんじゃないだろうか。というかその教育が有効であったかどうかの結果を計測することは個人レベルでは不可能だと思われる。
そういったわけで、みんな教育についてはよくわかっていない。例えば、体罰や危険な組体操が行われている時に教育です、と言われれば(まぁ、この本を読んだ人は別として)多くの人は、おっ、おぅ。と黙ってしまうのではないかと思う。そこまで極端ではないと思うが、教育と言われることで色々なリスクがマスキングされて見えなくなってしまっているのではないか、そういった本。
この他にも2分の1成人式の裏側や、教育という善きものに押しつぶされる教員の話なんかが書かれている。
物理的なリスクもさる事ながら、教育の名の下にボランティア精神で部活の顧問とかをやらされている先生には、本当に同情する。
正直その辺りは、プロのスポーツ指導員にお金払ってやってもらって、先生には授業やクラスに集中してもらいたいものである。
まぁ、田舎だと色々と難しいんだと思うんだけど、教師のQOLが低くて生徒のQOLが上がるはずないと思うんだよね。
こういった話は、皆感情的になりやすいのでエビデンスベースで話するのが吉だと思われる。そのためにも教育関連のデータはもっと取得・公開されると良いなぁ。と思いました。(小並感)
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「感動」という心の動きには、危険な可能性が含まれていることを教えてくれた。
感動的なパフォーマンスを意識してしまうようになってしまう背景についても理解を深めることができたので、今後気をつけたい。
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まず冒頭から「組み体操」について、ピラミッドの高さが7段、8段、9段とエスカレートしながら高くなることへの批判から始まる。団結とか感動のために、一定数の事故が必ず起きていることをよそに、毎年行われていることへの疑問。部活動においても柔道とラグビーの極端に高い事故率や、教師の部活動顧問へのボランティア化による多忙、安い手当等、問題提起されている。
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学校教育におけるリスクとは、
「教育活動における事故、事件がおこるリスク」であり、それらは「行き過ぎた教育」であるとされてきた。
そこには、「愛ゆえに起こった悲劇だから仕方無い」という風潮すらあった。
この教育リスクのある具体例として、組体操、柔道、部活動、そして1/2成人式についてエビデンスベースで述べられている。
個人的には1/2成人式のリスクについては、はっとさせられた。
そもそもこの行事がここまで浸透していることすら知らなかったが、親子関係に問題がある家庭にとっては悪魔のような行事であると考えさせられた。その点では読んで良かった。
しかしながら、その他の項目については(自分が教育に携わる人間だからだろうが)目新しいものはなく、読み飛ばす内容が多かった。
昨今、部活動の任意顧問制の署名が文科省に提出され話題となっている。少し風向きが変わってもらえれば良いが・・・。
Posted by ブクログ
「教育」という「善きもの」によって様々なリスクや問題が直視されず、時には軽視されたまま今現在に至っているという実状をエビデンス(数値資料)をもとに書きだした一冊。
・組み体操
・2分の1成人式
・部活動(体罰・指導と教員の過重負担)
・柔道
上3つは現在問題になっていること。
柔道の死亡事故ゼロになったという事実は知らなかった。
しかし、この事例は他の問題も改善出来うるということを教えてくれる。
それと同時に本書で静かに問題にされている学校問題における「四層構造」。
今学校と直接関わりを持たないからこそ、問題点やエビデンスを客観的に見られるようになりたいと思った。