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Posted by ブクログ
教育という病
題材として組体操、二分の一成人式、柔道事故、部活動、体罰を取り上げているが、それの改善を阻む「教育は『善きもの』」という信仰が主題である。教育リスクは教員だけに原因を求められるものではなく、生徒、保護者、卒業生を含む外の社会が力を持っていて、教育側が改革しようとした時に頑迷な抵抗を受けるために止められない、という構図がしばしばある。教育に関する事故には、数値のエビデンスが欠けている事例が多く、筆者はエビデンスを集めるところから入っている。
学校の安全を言う時に、21 世紀に入っても不審者対策と震災対策に主眼があり、特に不審者対策が学校安全そのもののように扱われていた。その契機が大阪教育大附属池田小殺傷事件だが、その池田小に組体操を推進する関西体育授業研究会の事務局が置かれているのが、皮肉な象徴である。
組体操に関しては、2015/6 初版の本書執筆時点で人間ピラミッド動画が「嬉々として」公開されているという指摘には唖然とする。保護者が載せるだけでなく、学校のトップページに十段ピラミッドを掲載していた例もあったと言う。
そして、重傷事故を起こした学校で、翌年以降も平然とピラミッドが続けられ、関西体育授業研究会に至っては、大きな事故の恐れを指摘し過去に四人が一度に骨折した事例を紹介しながら「大ピラミッドの指導」を推進しているという実態。
二分の一成人式は、多様な家族態様を黙殺して昭和の多数派の感動のための行事を何の疑いもなくやるという体質の指摘。
部活動は、教員の過重労働が中心でこれも根の深い問題。外部指導者を連れて来れば解決するという風潮もあるが、先生も生徒も土日は休みたいと思っているところへ、外部指導者は教員よりも圧倒的に長い練習時間を要求するというデータが示される。さらに、柔道では、ど素人でなく経験者が重大死亡事故を起こしており、外部委託によりリスクが高まる不安が語られる。
体罰は、学校での暴力事件が表に出るようになったことは報道されるが、その処分が他の犯罪と比べて圧倒的に甘い点が指摘されている。飲酒運転や猥褻ではおよそ半数が懲戒免職となっているのに対し、体罰は 2013 年度の四千件の処分の中に一件も懲戒免職がない。それどころか、体罰犯に対し、学校外から寛大な処分を求める署名が集まるという文化があり、検察と裁判所がそれを支えているというのが現実である。
そして、それを経てきた教職課程の大学生を含めて、多くの人々が暴力を肯定的に捉えている。その現実を直視するところから始まるというのが、筆者の立場である。
柔道事故は、筆者が運動部活動の死亡率を調べてラグビーと柔道が圧倒的に高いことを見出したところから出発しているが、2011, 2012 年に報道された後が報じられていない点も指摘されている。約三十年間に 118 人が死亡した後、2012 年から 2015/4 までは死亡数が 0 になっているという事実。このような改善がなされても、マスコミには黙殺される。
その一方、2010 年に英米仏を調べ、過去十数年の間に死亡例が確認できないという指摘もある。フランスの柔道人口は日本の三倍もあるのにである。その実態調査で筆者が訪れたロンドンの町道場の話が印象的であった。厳格な雰囲気だが、新しい投げ技を教えた時に、指導を受けた高校生が切れよく相手を投げたが、その最後に相手を優しく畳に「置いた」という表現。日本では危険な指導が横行していた柔道を受容した側は、安全であってこそ柔道の意義が高まると考えて事故を起こしていない。
遅れ馳せながら、日本の柔道界も生徒を殺さない指導に切り替えたことは、喜ばしい。
教育リスク本体の問題は、研究が始まったばかりだが、柔道の成果を見ると、改善の可能性はあると期待したくなる。
Posted by ブクログ
巨大組体操、二分の一成人式、行き過ぎた部活動指導、教員のブラックな労働…など、学校の中に潜んでいる、あるいは堂々とまかり通っているリスクについて、エビデンスを用いながらわかりやすく解説されていた。
エビデンスを用いながら検証していくと、実際に行われてることがありえないくらい高リスクなことばかりなのに、「教育だから」「子どものためだから」という理由で、それらのリスクが全く直視されず、対策も立てられていない。
教育リスクの特質としては、
①リスクが直視されない
②リスクを乗り越えることが美談化される
③事故が正当化される
④子どもだけでなく教員もリスクにさらされる
⑤学校だけでなく、市民もまたリスクを軽視している
と5つにまとめられる。
ただ、だからといって学校を批判できない。自分も子どもの時に、組体操も、二分の一成人式も、部活もやっていた。その時は何の疑問ももたなかった。リスクを提示されて初めて気づく。
学校という空間を客観的に見るとリスクを感じることができるけど、内部にいると「教育」という名のもとにそのリスクが見えなくなってしまうのもなんとなくわかる気がする。
ただ興味深いのは、市民や保護者もリスクを軽視しがちだというところで、教員がやめたくても保護者からの要望があるという例。
保護者が学校に求めているもの。
学力は塾に通わせた方が圧倒的に身につく。
だから、学力以外に関する要望が強くなったのでは?と感じた。
組体操も二分の一成人式も、塾ではできない。
学力は提供できないんだから、そういう感動くらい提供してくれ、とか。
そうだとすると、一番置いてけぼりなのは子どもたち。
子どもの意志は何一つ尊重されていない。配慮されていない。
子どものためになるだろう、子どもたちにとってきっといいだろう、という根拠のない「だろう」ではなく、本当に子どもたちに必要なことなのか、子どもがやりたいと思うことなのか、という視点が欠けている。
伝統だから、恒例だから、感動するから、ではなく、その活動を行う目的や意義と、伴うリスクはどのくらいなのか、その活動の内容や進め方が合っているのか、という所が大事だと思った。
教育、という名のもとに、リスクもそうだし、それを行う目的や意義もきっと曖昧になってしまっているんだろうな。
Posted by ブクログ
内田先生は本当に教育のことを、何より子供達のことを思って下さっているのだなと。
学校現場はお綺麗事や精神論が大好きだ。
データを出し、分析する、理屈事にめっぽう弱い。
再発防止に努めたり、より良い環境のために改善していくという事もほとんどない。あるとすればそれは地域住民や保護者の方から声が上がった時であり、その場合、得てして教員側の多忙さや思いは「教育のため」「子供のため」という言葉で埋められてしまう。
仮に「教育のため」「子供のため」だとしてもそれはリスクを犯してまで実行すべき事なのだろうか。本当に「子供のため」を思うのなら、過去のデータも元に、線引きをする必要性があるのではないか。同じ過ちを何度も繰り返しているだけで、教育現場は何の進歩も見えない。私はそう考える。
Posted by ブクログ
教育とは子どものためを思って行われる営みであり「善きもの」としての性格があるゆえに、子どもや教員に生じるリスクを見えづらくしているという主張が、教育社会学の視点から書かれていました。具体的には、組体操・二分の一成人式・部活動を事例に、教育のリスクと向き合うために、まずはどのようなリスクがあるのかエビデンスをもとに明らかにされていました。
この本の中で特に印象に残ったのが、感動がリスクを見えなくしているということです。運動会で子どもたちが必死になって人間ピラミッドをつくる様子を見た時や、二分の一成人式で子どもの成長を実感した時におこる感動。こうした感動に呪縛されることで、現実の危険性・問題を直視した議論が行われていないという筆者は主張していました。
確かに、教育実習や社会教育において少しながら教育に携わった経験を振り返ると、子どもの姿に感動し、この感動があるからこそ続けていた自分もいます。しかし、教育者である側が感動すること自体を追い求めてしまったならば、それは教育という名を使って子どもを利用しているにすぎないことを改めて認識しました。日々、感動を求めることが教育に携わる目的になっていないか、自分を振り返りたいです。
学校現場の状況を批判的に捉え直したい人におすすめですが、個人的には教育=子どものための善きものというように絶対視している人ほど読んでほしい本です。
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