内田良のレビュー一覧
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教育という病
題材として組体操、二分の一成人式、柔道事故、部活動、体罰を取り上げているが、それの改善を阻む「教育は『善きもの』」という信仰が主題である。教育リスクは教員だけに原因を求められるものではなく、生徒、保護者、卒業生を含む外の社会が力を持っていて、教育側が改革しようとした時に頑迷な抵抗を受けるために止められない、という構図がしばしばある。教育に関する事故には、数値のエビデンスが欠けている事例が多く、筆者はエビデンスを集めるところから入っている。
学校の安全を言う時に、21 世紀に入っても不審者対策と震災対策に主眼があり、特に不審者対策が学校安全そのもののように扱われていた。その契機が -
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巨大組体操、二分の一成人式、行き過ぎた部活動指導、教員のブラックな労働…など、学校の中に潜んでいる、あるいは堂々とまかり通っているリスクについて、エビデンスを用いながらわかりやすく解説されていた。
エビデンスを用いながら検証していくと、実際に行われてることがありえないくらい高リスクなことばかりなのに、「教育だから」「子どものためだから」という理由で、それらのリスクが全く直視されず、対策も立てられていない。
教育リスクの特質としては、
①リスクが直視されない
②リスクを乗り越えることが美談化される
③事故が正当化される
④子どもだけでなく教員もリスクにさらされる
⑤学校だけでなく、市民もまた -
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内田先生は本当に教育のことを、何より子供達のことを思って下さっているのだなと。
学校現場はお綺麗事や精神論が大好きだ。
データを出し、分析する、理屈事にめっぽう弱い。
再発防止に努めたり、より良い環境のために改善していくという事もほとんどない。あるとすればそれは地域住民や保護者の方から声が上がった時であり、その場合、得てして教員側の多忙さや思いは「教育のため」「子供のため」という言葉で埋められてしまう。
仮に「教育のため」「子供のため」だとしてもそれはリスクを犯してまで実行すべき事なのだろうか。本当に「子供のため」を思うのなら、過去のデータも元に、線引きをする必要性があるのではないか。同じ過ち -
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若い頃に教員を目指していた、独身未婚中年男性の自分から一言。
時々、就職氷河期世代を採用しては?という意見がネットで見られて、それ自体は推進すべきと思います。
ただ、今と同じ条件だったら、例え正規で採用しますと言われても、自分は応募しないです。こんなひどい条件で教員やろうと思いませんから。
条件変えずに正規で就職氷河期を採用するというなら、根本的な解決にはなっていません。
氷河期世代の採用もやりつつ、抜本的解決をしなくては元の木阿弥です。
自分は教員就職できればいいなと思っていましたが、まず大学に入って、ちょうど自分の頃から、中学の免許に介護体験が必須となり、その時点で中学免許の取得を辞め -
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<目次>
第1章 教師を苦しめる「命令なき超過勤務の強要」
第2章 時間管理なき長時間労働~給特法下の「見えない残業時間」
第3章 教育現場から訴える学校改善の方策
第4章 学校の働き方改革が「先生以外の人たち」とも無関係でない理由
第5章 学校現場での働き方改革~知られざる「リアル・ノウハウ」
第6章 給特法の「これまで」と「これから」を考える座談会
<内容>
「ブラック」だと言われて久しい教育現場。自分もそこにいるのが、確かに「働くこと」に関して気にすることはなかった。部活も生徒と一緒に楽しく(保護者などとの軋轢もなかった)やれてたし、授業準備も割と定時内に仕上げていたし、調 -
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文科省が「教員志望者減少に歯止めをかけるために教職の魅力を発信してもらおう」と始めた「#教師のバトン」で、現職教員から労働環境の悪さを訴える投稿が相次いで炎上したことについて振り返っているブックレットです。
投稿が炎上した当時は連日のように報道され、教員の働き方改革を進めようとする動きや、やりがい搾取などと言う批判など、多くの話題が取りざたされました。
これまでの経験の積み重ねから「教員は労働環境・労働条件について(賃金等の”下世話”な話について)訴えるべきでない」というような雰囲気は「間違い」であり、「児童生徒を健全な市民社会の担い手とする教育そのものの在り方としても不適当である」という -
- カート
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試し読み
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文科省のやらかした「#教師のバトン」。
教職志望者が減っているから、現役の教員に教職の魅力やちょっといい話を投稿してもらい、イメージアップを図ろうというものだ。
給特法という法律により、教員はどこまで働いても残業代がつかない。
過度に聖職者のレッテルを貼られ、不当な扱いを受けていると思っても、声をあげることも躊躇われる。
そんな状態で現場ではつもりに積もった不満。文科省が風穴を開けたわけだ。
教員こそが不当な権利の侵害に声を上げ、立ち上がらないといけない。
何より、疲弊した教員に指導される子どもたちの権利を守るために。
教員が行える政治的活動の範囲が思ったより広くて驚いた。 -
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教育とは子どものためを思って行われる営みであり「善きもの」としての性格があるゆえに、子どもや教員に生じるリスクを見えづらくしているという主張が、教育社会学の視点から書かれていました。具体的には、組体操・二分の一成人式・部活動を事例に、教育のリスクと向き合うために、まずはどのようなリスクがあるのかエビデンスをもとに明らかにされていました。
この本の中で特に印象に残ったのが、感動がリスクを見えなくしているということです。運動会で子どもたちが必死になって人間ピラミッドをつくる様子を見た時や、二分の一成人式で子どもの成長を実感した時におこる感動。こうした感動に呪縛されることで、現実の危険性・問題を直