阿部智里のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ
八咫烏シリーズ第6作目にして、前作『玉依姫』と同時間軸の八咫烏視点の物語。
今回も大天狗が登場しますが、大天狗から得られる山内存続のための認識というものが、前作に引き続きて語られて、2作を読むことで濃く感じます。
なんか、小説やゲームに転生する話とかで、
転生した先の人たちが
「私たちは小説の中の登場人物で、全てはシナリオの通りに動いているのか⁈」
的などうにもならない愕然としたような気持ちになる、
みたいな『山内』『人ならざるもの』の存在ね。
大天狗が認識していること、それを若宮たちが知ることが「私たちは小説の中の登場人物⁈」みたいな雰囲気があります。
そんな転生で小説の中の登場人物だと判明した場合の、登場人物や転生した主人公は
「それでも自分の意思を持って生きているという事実はある」
とするわけですが、“意思”の強さや、“実際にその立場でないと分からない”ことというのは非常に重要な視点である。
『弥栄の烏』では、そんな1人1人の“意思”と、行うべき“役割”が浮き彫りになったように思います。
前作を読んでいて1番気になったのは、
志帆が逃げ出した時に犠牲になった山内衆のこと。
若君のすぐ側に居た山内衆が犠牲になった
から、『空棺の烏』までに親しんだ誰かが犠牲になっただろうとは覚悟していたけれど…誰かが判明して大号泣。
そしてその事件があって、
上記した“意思”からの選択や、自分の“気持ち”と“役割”を考えて行動することというのが、今作の主軸になっていると思います。
登場人物がこれまで以上に、人間的感情を持って行動しているようで、そこもまた登場人物の魅力を増し、物語の魅力を増す部分なのですが、
これまで役目をよくわかって行動していたなぁと感じる「浜木綿」と「真赭の薄」の人間的感情部分が
山神という圧倒的な存在が現れたことで晒されていて、非常に良いのです。
前作の『玉依姫』にてゴクである志帆の世話係になった“ますほ”(真赭の薄)に、「どうして真赭の薄が?」と違和感を覚えたのですが、
今作で世話係になったいきさつが書かれています。
そしてそこには、真赭の薄の“意思”と“選択”が深く関わってきます。
“山内”という世界は、人間の世界の「時代」から取り残されて、今後はその「時代」に沿っていかなければ滅亡してしまうと、前作まででも語られていた通り、
山内は昔の日本(天皇がいて、殿様がいて、身分制度があってというような)の価値観で作られています。
浜木綿や真赭の薄は女性として、女性の役割だけ望まれて生きているわけですが、
今作での“意思”と“選択”において、
人間世界の「時代」に追いつくための第一歩になる、男女平等であったり・女性の立場に関するものも感じられるところです。
さてこの“意思”で厄介なのが若宮。
真の金烏の秘密として、若宮には感情がないと以前の巻で判明しています。
けれど本当に感情がないのかという疑問も同時にあるという含みがありました。
若宮は「(八咫烏を思って)こうしたい」という意思がありながら、「こうするのがベストだ」という理性もありながら、真の金烏としてそれが通せないという葛藤も同時にあります。
意思がありながらも、自ら“選択できない”という苦しさも、描かれます。
↓ネタバレになります↓
若宮は“選択できない”苦しさがありましたが、
今作にて、歴代金烏・宗家・八咫烏たちが“選択した”結果、
猿たちが“選択できない”苦しさに置かれることになり、猿と八咫烏の戦いになったと判明します。
ここでまた苦しいのが、過去の八咫烏のその全ての選択が、真の金烏である若宮の選択だったと語られることです。
これで第一シリーズが完結したのですが、
八咫烏を中心として読んで、想像してきたこととは、全然違う物語りの終着でした。
-
Posted by ブクログ
読む前、タイトルの選ばないの意味を「主人を選り好みせず、不平不満を言わず忠義を尽くす」という意味だと思っていた。
前作が愛と裏切りの女たちの物語(語弊あり)だったために、聞き齧ったあらましから今度は熱い野郎どもの主従話になるのかと。
最後の結末を読んで、あぁそういうことね…と意表をつかれながらも納得。タイトル回収。
意表をつかれたものの、最初に想像していた内容である忠義…忠誠や、人のためを思い行動するとはどういうことか?が1つの作品テーマになっている。
人のためを思ってした行動と、そこに含まれる自分のエゴと。その線引きは意外と難しい。
そう考えた時、最後の雪哉(主人公)の判断は本人なりの忠義だったんだろうなと自分は飲み込んだ。
ほんの少しの切なさを伴って読み終えたが、3巻冒頭早々にあの2人が邂逅しているようなので、次巻も楽しみにしている。 -
Posted by ブクログ
作家さん達が全国18か所の灯台を巡り、紹介する紀行文。島国である日本人は古くから海と共生してきたが、現在のような西洋式灯台が建設されたのは明治維新以降になってからだという。風の吹きすさぶ岬の突端でポツンと立ちながら必死に灯を届ける様子は、孤高であり浪漫を掻きたてられる。
近代日本の文化遺産として、灯台が見直されつつあり、各地域では新たな観光資源となっている。各地に旅行に行く際に、灯台へふらりと寄ってみるのも楽しそうだ。私の地元の灯台も紹介されていたので、まずはそこから訪問したい。
また、どの作家さんも『喜びも悲しみも幾年月』という映画について言及されていた。近代日本を支えた誇りある灯台守という職業とその過酷な暮らしについて興味が湧いた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ中年の雪哉の登場から 衝撃の展開すぎて 何がなんだか
断片だが明らかにされた過去の出来事は事実は泣きたいものばかりなのだが。。CLAMP作品なみにお亡くなりになる。。
解説瀧井朝世氏 非常に分かりやすい
『ぞっとせずにはいられない本作の最後の一行』
『とにかく唸るのは見せ方の上手さだ…素直に時系列で追った話だったらきっと中弛みがあったに違いない…阿部智里は最高の演出家でもあるのだ』
最後の一行については 雪哉もどうしているのだ と思っていたのに そのセリフは一致しないような。。
そういうことになっているだけ だと信じたい。。
というか治真がワザと悪役になってるならアレだが こんな性格だったのか??! なんかサイコ入ってる。。
頼斗の行動の真意も 闇落ちしていないか不安。。忠誠心によるもので上司の意図をくみ取ったのだと信じたい。。
「性別も年齢も身分も職業も異なる誰もが 全く不平不満を漏らさない…生き物が生きている以上 誰しも完璧に幸福な世界なんてあるわけがねえだろう」
「安全で 衣食住が満たされていても それだけでは楽園にならない」
「真相が分かった時には手遅れだ くそみたいに嫌っていたはずの…は この世で最も近しい他人に成り果てていた」
→この後の千早のせりふに読者は皆ギャッ!?となったのだろうなぁ
「そう 一緒にされては 困るのだよ」
この雪哉のせりふ 聞こえるように言ったのか 自分に言い聞かせたのか はたまた。。真意は。。
「あいにく死人は物を思わないのでね」
死人に口なし を超えるせりふだなぁ。。
雪哉は本当にノーダメージだったのか 予想していたから表情を変えずに済んだのか もうとっくにその域は超えてしまったのか。。
「泣いてどうなる 嘆いて何とする 助けなど来ない 救いなどない 誰も救ってくれない ここが地獄なら 自分で楽園に変えるしかないのだ…地獄のここが楽園だ」
→ホント茂さんがいてくれたら(泣)
母親である梓とは今どうなっているのだろう
「楽園に必要なものとは…人だよ…人にとって 一番の希望は人なんだ 人との関わりこそが喜びだ…理屈ではなく本能で求めていた あんなに人間が大嫌いでみんな死ねとすら思っていたのに それでも久しぶりに会えた人間に 俺は喜んじまった…期待をきているからこそ 生きるのが辛くなってしまった 諦められなくなってしまったのだ」
「人の真価は困難な時にこそ現れるもんだ 困難の中でそれを仕方ないと諦めずに ちょっとでも楽園に近づけようとする」
「あの博陸候を誰が倒すのかを最後まで見届けるとするかね」
→雪哉の真意は何なのだろう??