畑野智美のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ふわーっと読めて、さらっと大事なことが書かれている。
他人軸で生きている時って、自分では他人軸になっているなんて気付けない。よくある話なのだけれど、よくある話だからこそ気付くチャンスがないから、ある意味一番危険だと思う。
たとえばパワハラを受けているとか、暴力を受けているとか、明らかな事実があれば周囲が気付いて助言ができるが(その人が受け入れるかは別として)、日常に馴染んでしまっている小さな抑制、抑圧ほど、目には見えないから他人も本人もスルーしがち。
そのまま一生を終えてしまうこともあるけれど、気付いて人生に変化がもたらされる時は、結局人との出会いと自分で“気付くこと“であると感じた。
ずーっと枕を変えたいと思っていて行動に移せず。この本を読んで、いかに自分に合う寝具が睡眠の質を上げてくれるか痛感した。
ケチらずに良い枕買おう。 -
Posted by ブクログ
自分を大切にして、自分らしく生きること。女性にとっては特に難しいことなのかも。主人公の依里、その周りの人々を見ると、そう思ってしまう。
私も周囲から求められている役回りを、知らず知らずのうちに演じてしまうことがあるなと。
婚約者直樹の死をきっかけに、自分の生き方を見つめ直す依里を自然と応援したくなる物語だった。
そして、要所要所に盛り込まれている「寝具の選び方」や「快眠のコツ」がとても参考になった。
読んでいるうちに寝具専門店で、自分に合った枕を買いたくなってウズウズしてしまって…
近々、見に行ってみよう。
好みの本だったけど直樹の死に関する部分だけは、やっぱり納得いかず不完全燃焼。
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Posted by ブクログ
「アサイラム」とは
避難所や保護、亡命という意味。
物語は、いじめやDV、性被害などで
心や身体に傷を受けた人たちが住む街に
大学生の頃に性被害を受け、癒えない傷を持つ
真野スミレ。
そんな彼女が働く雑貨で同じくそれぞれに
傷がある人たちとともに過ごしていく日々が
丁寧に描かれた作品になってます。
畑野さんの作品の好きなところは、
キャラクターの感情面を繊細描写している部分です
傷ついて別の場所て過ごしていても
人と人が関わる中では何かしらの問題や悩みが
出てきます。
そういう時に他者重視の考えではなくて
時には自分のことを大切にすることも必要なんだと
感じました。
物語に出てくるキャラクターは決して
それぞれが都合のいいようなハッピーエンドを
迎えているわけではないですが、
それでも、その人たちは自分の意思で決めて
進んでいく姿が眩しく見えました。
スミレも自分が受けた性被害を直視できずに
いましたが、カウンセリングや同じく
心に傷を持つ人たちと関わる中で
少しずつ前を向いて進んでいく姿が
心に残りました。
本の中で、自分も知らない誰かに嘘か事実か
わからない情報を疑いもせずに受け取り
誰かを傷つけているのでは?という内容に
人は被害者にも加害者にも簡単に
なってしまう恐れがあるんだなと思いました。
本の中での癒しは、
本のタイトルと同じ名前のレストランの料理が
とても美味しそうで、そしてその描写の時は
出てくるキャラクターが、穏やかな気持ちに
なっているので、美味しい料理の力って
すごいなぁーと思いました(^ ^)
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Posted by ブクログ
自分の日頃のおこないを振り返ってしまいますね。今までもたくさん傷つき、傷つけてきたであろう過去までも振り返ってしまいます。ツラい。
本作は、性加害(あえて性加害と言います)にあった主人公スミレが行政の支援によって支えられている市に住んでいます。
昔からの住人もいますが、虐待やいじめなど様々な被害者の方々が移り住んできていて、傷つかないためのルールのもとに暮らしています。
むやみやたらに相手の過去を聞かない。
その場にいない人の話はしない。など、当たり前であるような、でも実はそれでコミュニケーションをとることが普通になってしまっているような、うー、考えさせられる。
人は怖い。他人と関わらなければ、平和に穏やかに暮らせるのに。生きるって難しい。 -
Posted by ブクログ
加害行為により傷ついたひとたちの再生への話です。深く考えさせられるため、読後感はかなり重めです。
被害者への支援の必要性が、今になってやっとクローズアップされてきたように思います。その究極系とも言えるのが、作中に登場する街です。行政がここまで取り組むことは十中八九ないので、実現することはないのでしょうが。。
この話の中で難しいと感じたのが、二次的な加害行為についてです。性加害では特に、そんなの大した事ないしいつまで引きずっているの、と言ってしまいそうになる自分に気付きました。被害者をただただ追い詰めてしまう言葉です。
街でのルールとして、他者に深入りしない、噂話をしない等がありました。それはすなわち、それらの行為が二次的な加害行為になりやすいということだと思います。誰も傷つけることなく生きていきたいものですが、少なくとも不用意な一言をなくす努力を続けていきたいと思います。