吉見俊哉のレビュー一覧
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あとがきで著者は書く。「日本の「大学」は、実は大学=ユニバーシティではなかったのだ! 」。つまりそういうことである。明治維新、戦後の学制改革を経て、そして現在も永遠と続く「大学改革」は結局日本の「大学」を大学=ユニバーシティとして機能させることにはならなかった。むしろ大学=ユニバーシティから遠ざけることになった。その歴史を辿る。
オンラインを最大限に生かしたミネルヴァ大学のあり方も、日本の大学が多分今後も強化していくであろうオンライン化と似て非なるものである。現在もそうだが、日本の大学のオンライン化は学生をアパートの個室に閉じ込め、時間も空間も個別化するものであり、ネミルヴァ大学のキャン -
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ネタバレ<目次>
はじめに 「モモ」と歩く東京~時間論としての街歩き
第1日 都電荒川線に乗って東京を旅する
第2日 秋葉原-上野ー浅草間に路面電車を復活させる
第3日 動物園を開放し、公園を夜のミュージアムパークに
第4日 都市にメリハリをつけながら、古い街並みを守る
第5日 都心北部で大学街としての東京を再生させる
第6日 武蔵野台地東端で世界の多様な宗教が連帯する
第7日 未来都市東京を江戸にする
<内容>
最初はちょっと小難しいが、東京の再生プランを歴史軸を作りながら観ていこう、という本。今の東京は無機質に発展している。それも西の新宿・渋谷・六本木など。さらにウォーターフロント -
ネタバレ 購入済み
多角的評論で読ませる
平成という最早元号で区切ることに、象徴以外での意図がなくなった初めての時代をあえて区切り、変化を評論する一冊。
正直必ず出てくると思っていたジャンルであり、様々な形でこれからも出てくるだろうが、本書は結論ありきな部分はありながらも、筋道を立てつつ難解なこの時代に名前をつけようとしてくれている。
平成時代を低迷や失敗が誰の目にも明らかとし、その原因に戦後形成された成功モデルが破綻し次策を構築できない経済や政治、官僚システムを挙げている。昭和後期からの兆候など納得できる点も多いが、あの時代だからこそ成功した特殊モデルであることは強調して欲しかった。無論著者たちは分かっているのだろうが、現在 -
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・読み終わって感じたこと
中世と現代が似ている点について、人の動きやグローバル化の視点から考えるることは面白く感じた。浅い感想になってしまうが、少しずつ変わりながらも大きな流れとしては歴史が繰り返されているように思えた。
様々な国・時代で理想とした教育や国家像があったことを知ることができた。
人類的普遍性への意志、というものが、大学を始めとする学問の本質だと理解した。
・面白かった点
大学という機関を軸に、中世から近代、近代から現代にかけてのヨーロッパやアメリカ、日本の歴史を知ることができ、歴史物としても面白かった。
学生運動により、学生が真面目になったという話も面白く感じた。 -
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ネタバレ「○○はもう死んでいる」。北斗の拳で聞いたような台詞だが、本書で主に取り上げられているのは、オックスフォード、ハーバード、そして東大。決して死んでるような大学ではない。
「(昨今の)日本の大学改革論の不幸なところは、コンセンサスを得ようとしたときに座標軸(大学は何を目指すのか、何がクリティカルかという軸)を設定する人がいなくなってしまい、どこで自分たちが対立していて、どこで折り合いがつかないのか見えなくなってしまっている」(p.37)。その背景には「経済ナショナリズム」(p.40)と国家予算の削減。これが現場の混乱をもたらしているのではないか。
アメリカやイギリスの大学組織で見習うべき点は -
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吉見さんの本をもう一冊読んでみたいと思ったら、なんと苅谷剛彦さんとの対談が出たところ。
二人から醸し出される意識高い系感(まあ、そもそも副題がトップユニバーシティーからの問題提起だもんね)に、若干たじろぐ。
今の大学改革というよか、次の高校改革に向けて、持っておきたい視点が幾つかあった。
例えば、深い学びについて。
学びを深めるためには、教員一人あたりに受け持つ生徒が多過ぎてはいけないということ。
でも、生徒一人の取り組む授業数が多過ぎてもいけないということが書いてある。
それは知識網羅主義とも関わってくるわけで、より多くの知識を受け取ろうとすれば、そうなる。
高校でも、もうすぐカリキュ -
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「文系は役に立たないが価値はある」という言葉に対し「役に立つ」と言い切り、ずんずん進んでゆく本書を読んでいると、学ぶことへの勇気が湧いてくる。
理系の知を、確立した価値体系の中で問題提起(目標)と解決を短期的に達成することを目指したものとおき、文系はそれに対して価値そのものを見つめる(「価値とは何か?」という問いを有する)とおく。
確かに50年後、100年後の社会が現在と同じ価値基準で動いているとは思えない。(50年前と今がそうであるように)
そしてまた、自身の50年後(生きていれば)を考える上でも、この意味をよく分かっておかなければならないように思う。
筆者も言及しているように、今後、 -
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ネタバレ2015年の文科省通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」が出て、「文科省は文系学部廃止を企んでいる」という解釈が瞬く間に広がった。2013年の国立大学改革プランで示された文言の焼き直しに過ぎなかったにも拘らず、である。
この原因は、この「通知」の文脈的な理解ができずに文章の字面だけで記事を書いて平気なマスコミ記者たち、あるいは関連資料に当たることも記事を系統的に検証することもなく、マスコミ情報を前提に議論を始める一部の大学人やメディア言論人の劣化に一因がある。もう一つ「文系は役に立たない」という認識が広まっていたことも大きい。
「文系は役に立つ」が本書の主眼である。
この点 -
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農村が保守的で都市が進歩的、ということはない。都市の中にも固定した生活の枠がある
以前はいかに入りやすい店を作るか、というポイントが重視されていたが、今はいかに入りにくくするかというポイントが重視されてきている。客を選別するような店のあり方へ。
都市に人々が踊らされているのか、踊る人々が都市を作るのか(例:パルコが渋谷を作ったのか、渋谷がパルコを作ったのか)
都市で「役」を「演じる」人びと(演じる、演じられる、という事の主体がどちらにあるのか、という事よりも、役と人との間の関係性、に注目する)
「遊ぶ」事は単なる往復運動から「超越する」という側面を持っている
盛り場の変化
浅草→銀座
新宿→ -
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2015年6月の文科省による「国立大学法人等の組織・業務全般の見直し」通知から始まったメディア報道の騒動から解き明かし、「理系」偏重と「文系」軽視の傾向がこの時に始まったものでないことを分かり易くひも解いてくれる。遠く岸内閣時代の松田文部大臣の説明にさえ、そのことがでてくるという。文系は大学にとってはお金がかからず、学生を集められるということから私学がそれを歓迎していたというおまけには、苦笑いまでしてしまう。つまり大学とは何かそのものが問われるテーマであるとの説明。「文系は役に立たないが、価値がある」という議論ではなく、「文系は必ず役に立つ。それは今後の経済成長に貢献するという手段的な有用性に
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確実に歴史の変曲点にいるという感覚のある今、「大予言」という力強い書名に惹かれて読みました。しかし、未来はこうなるという未来像を提示する本ではなく、大きな歴史の中で変化の循環を分析して(分析してきた先人たちの理論を紹介して)大きく世界史を俯瞰してこれから起こる、いやもう始まっている変化の流れを伝えようとする「大変化」とでもいうべき内容です。25年、50年、そして500年をいうびっくりするようなモノサシには正しい、正しくないという次元を超えた新鮮な驚きと納得があります。以前、水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」で「長い16世紀」という言葉に出会った感じを思い出していたら、本書もその本からの引用
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昨年話題になった「文系学部廃止」と言うタイトルに興味を持って手にとってみた。文系学部廃止自体に関する内容は第1章のみで、大部分はその背景の解説。実際には文科省通知は「廃止」などとは言っていないし、通知の内容はずいぶん前から既に発表されていた内容であるし、世の中を騒がせたのは不勉強なマスコミとそれに乗っかった知識人であるのが実態なんだが、なぜその様な騒ぎとなったのかその背後にある本質、この20年間の大学を取り巻く状況についての解説と分析が非常に参考になる。大学の現状とその危機感は本書に書かれている通りだと思う。文系の著者としては「文系は役に立たないけど価値がある」というのではなく、「文系は(長期
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もとより国立大学の成り立ちが理系中心の教育をする場であり、産業の推進に親和性のある経済学等の社会科学系があとに続き、次いで教員養成が続き、人文系の分野はそういう文脈で並べられると、数値としての成果が出しにくい。今回の通知は決して文系学部廃止をうたっている訳ではなく、大学が社会への貢献や成果を要求されたときに、文系学部が何を持ってその結果を示すのか、そもそも結果とは何かを繰り下げていった本でした。今や大学は何をするところか、その価値について、世間一般からも地位をおとしめられている危機感を感じる中で、著者の授業「アタック・ミー」など、結局のところ、まだまだ大学は個人の教員の努力と工夫で魅力を高めて