吉見俊哉のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ「○○はもう死んでいる」。北斗の拳で聞いたような台詞だが、本書で主に取り上げられているのは、オックスフォード、ハーバード、そして東大。決して死んでるような大学ではない。
「(昨今の)日本の大学改革論の不幸なところは、コンセンサスを得ようとしたときに座標軸(大学は何を目指すのか、何がクリティカルかという軸)を設定する人がいなくなってしまい、どこで自分たちが対立していて、どこで折り合いがつかないのか見えなくなってしまっている」(p.37)。その背景には「経済ナショナリズム」(p.40)と国家予算の削減。これが現場の混乱をもたらしているのではないか。
アメリカやイギリスの大学組織で見習うべき点は -
Posted by ブクログ
ネタバレ2015年の文科省通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」が出て、「文科省は文系学部廃止を企んでいる」という解釈が瞬く間に広がった。2013年の国立大学改革プランで示された文言の焼き直しに過ぎなかったにも拘らず、である。
この原因は、この「通知」の文脈的な理解ができずに文章の字面だけで記事を書いて平気なマスコミ記者たち、あるいは関連資料に当たることも記事を系統的に検証することもなく、マスコミ情報を前提に議論を始める一部の大学人やメディア言論人の劣化に一因がある。もう一つ「文系は役に立たない」という認識が広まっていたことも大きい。
「文系は役に立つ」が本書の主眼である。
この点 -
Posted by ブクログ
農村が保守的で都市が進歩的、ということはない。都市の中にも固定した生活の枠がある
以前はいかに入りやすい店を作るか、というポイントが重視されていたが、今はいかに入りにくくするかというポイントが重視されてきている。客を選別するような店のあり方へ。
都市に人々が踊らされているのか、踊る人々が都市を作るのか(例:パルコが渋谷を作ったのか、渋谷がパルコを作ったのか)
都市で「役」を「演じる」人びと(演じる、演じられる、という事の主体がどちらにあるのか、という事よりも、役と人との間の関係性、に注目する)
「遊ぶ」事は単なる往復運動から「超越する」という側面を持っている
盛り場の変化
浅草→銀座
新宿→ -
Posted by ブクログ
2015年6月の文科省による「国立大学法人等の組織・業務全般の見直し」通知から始まったメディア報道の騒動から解き明かし、「理系」偏重と「文系」軽視の傾向がこの時に始まったものでないことを分かり易くひも解いてくれる。遠く岸内閣時代の松田文部大臣の説明にさえ、そのことがでてくるという。文系は大学にとってはお金がかからず、学生を集められるということから私学がそれを歓迎していたというおまけには、苦笑いまでしてしまう。つまり大学とは何かそのものが問われるテーマであるとの説明。「文系は役に立たないが、価値がある」という議論ではなく、「文系は必ず役に立つ。それは今後の経済成長に貢献するという手段的な有用性に
-
Posted by ブクログ
確実に歴史の変曲点にいるという感覚のある今、「大予言」という力強い書名に惹かれて読みました。しかし、未来はこうなるという未来像を提示する本ではなく、大きな歴史の中で変化の循環を分析して(分析してきた先人たちの理論を紹介して)大きく世界史を俯瞰してこれから起こる、いやもう始まっている変化の流れを伝えようとする「大変化」とでもいうべき内容です。25年、50年、そして500年をいうびっくりするようなモノサシには正しい、正しくないという次元を超えた新鮮な驚きと納得があります。以前、水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」で「長い16世紀」という言葉に出会った感じを思い出していたら、本書もその本からの引用
-
Posted by ブクログ
昨年話題になった「文系学部廃止」と言うタイトルに興味を持って手にとってみた。文系学部廃止自体に関する内容は第1章のみで、大部分はその背景の解説。実際には文科省通知は「廃止」などとは言っていないし、通知の内容はずいぶん前から既に発表されていた内容であるし、世の中を騒がせたのは不勉強なマスコミとそれに乗っかった知識人であるのが実態なんだが、なぜその様な騒ぎとなったのかその背後にある本質、この20年間の大学を取り巻く状況についての解説と分析が非常に参考になる。大学の現状とその危機感は本書に書かれている通りだと思う。文系の著者としては「文系は役に立たないけど価値がある」というのではなく、「文系は(長期
-
Posted by ブクログ
もとより国立大学の成り立ちが理系中心の教育をする場であり、産業の推進に親和性のある経済学等の社会科学系があとに続き、次いで教員養成が続き、人文系の分野はそういう文脈で並べられると、数値としての成果が出しにくい。今回の通知は決して文系学部廃止をうたっている訳ではなく、大学が社会への貢献や成果を要求されたときに、文系学部が何を持ってその結果を示すのか、そもそも結果とは何かを繰り下げていった本でした。今や大学は何をするところか、その価値について、世間一般からも地位をおとしめられている危機感を感じる中で、著者の授業「アタック・ミー」など、結局のところ、まだまだ大学は個人の教員の努力と工夫で魅力を高めて
-
Posted by ブクログ
天皇は英語では昔はpopeだった。
「天皇」という名称自体、幕末に至るまでほぼ900年にわたって使われてはいなかった。「院」と呼ばれた。1840年に没した光格天皇において、初めて「天皇」号が復活。1925年、政府は過去の「院」をすべて「天皇」とすると決定。廃仏毀釈の際、全国の小さな神社を統廃合することが進められ、20万から12万に激減。国家にとって不都合な伝統はつぶされていった。
森有礼は、キリスト教の思想を浴びた影響で、神と個というキリスト教的関係を「天皇と臣民」という国家的な関係に置き換えていった。
マッカーサーは天皇をキリスト教にしたかったが、GHQ諜報局長エリオット・ソープに反対された -
Posted by ブクログ
大学の誕生と死、その再生と移植、増殖といった世界史的な把握により、大学とは何か、あるべき大学とはいかなるものか、を考察している。また、コミュニケーション・メディアとしての大学という場を考えるところや、リベラルアーツと専門知の関係についての新しい認識の地平を提供するところに本書の特色がある。
大学の歴史を世界史的に振り返ることにより、本書では、「中世的大学モデル」、国民国家を基盤とした「近代的大学モデル」、「帝国大学モデル」、近代的大学モデルから派生した「アメリカの大学モデル」といった大学の理念型を抽出する。そのうえで、国民国家の退潮が進む現代においては、国境を越えた普遍性への指向を持ち、横断的 -
Posted by ブクログ
本書は社会学者吉見俊哉の代表的著作の一つであり、近年における盛り場研究の新たな潮流を創ったものとしても知られる。本書がまとめられたことによって、それまで場所としての機能面に着目されることの多かった盛り場研究において、それを「こと」として捉える流れが生じるようになった。論理は綿密かつ重厚である。筆者はあとがきで本書についての不足点を指摘するが、それを差し引いてもこの研究の価値が減じられることはないだろう。この本が世に出た際、筆者はまだ30歳程度の若手研究者であった。現在は東京大学で副学長を務めておられるということだが、研究成果を考慮すれば、それも当然かもしれない。
予備知識が必要とされる箇所も多 -
Posted by ブクログ
新書を読んで、知的好奇心を味わいたい人には
ぜひ読んでもらいたい作品です。
僕自信、新書を読んで久しぶりに興奮しました。
「大学」の歴史的な変遷を丁寧に辿りつつ、
いま現在抱える問題、その未来像まで語られた本書。
いわゆる「大学問題」自体はメディアを通じて得る程度の知識しかない
僕のような人間でも分かりやすく、かつ面白く読みました。
特に、中性以降、存在意義を見失ってゆく大学が
近代国家成立とともに価値を見いだされ、復活してゆくくだりや、
大学の没落と新しいメディアの誕生の関係性などの部分が
とても印象に残ってます。
また、僕はこれまで、なんとなく今自分達の目の前にある
大学のスタイ