ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
5pt
バブルの発生と崩壊,深まる政治不信,そして高まる社会不安.列島が酔いしれた高度成長の夢のあと,何が待ち受けていたのか.崩れゆく冷戦構造のなかで,この国は次第に周回遅れのランナーとなっていったのではないか…….60年代半ばから現在まで.政治・経済・社会・家族……すべてが変容し崩壊していく過程をたどる.
ブラウザ試し読み
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
試し読み
1~10件目 / 10件
※期間限定無料版、予約作品はカートに入りません
Posted by ブクログ
昨年度、東大を退官した吉見俊哉が2009年に出版した岩波新書です。なんで15年前の本を手にしたのか…はい、古本屋さんでめちゃ安かったからです。それが大当たり!シリーズ日本近現代史⑨と書かれていますが、この一冊、今の自分にとっては社会を見るためのコンパクトな俯瞰図になりました。年齢を重ねることのいいこ...続きを読むとは、あの時の出来事が歴史の中での意味が理解出来るようになることだと思っています。点が線になる感じ…本書によって視点をドローンのように上げて、さらに線が面になる感覚を得ました。自分の個人史が社会史とか経済史とか産業史とかに重なる感じです。この本が書かれた後に、東日本大震災を始めとする大地震に見舞われ、福島原発のメルトダウンが起こり、特定機密情報保護法案が成立し、線状降雨帯による集中豪雨が多発し、社会がDXを騒ぎ始め、オリンピックパラリンピックが一年遅れ無観客で開催され、働き方改革関連法案が施行され、宗教二世が元首相を暗殺し、中国とアメリカの対立が激しくなり、ウクライナとロシアの戦争が起こり、AIがすべての仕事に絡んで来て、ガサ地区が爆発し、あと…まだまだあるけど…とにかくどこに行くんだ日本社会って感じの現在もこの新書の提示した地図の中で起こっているようにも思えます。「失われた10年」は「失われた20年」に、そして「失われた30年」になっています。たぶんポスト戦後社会はポスト・ポスト戦後社会に入っているのだと思いますが、それはどんな社会になっていくのだろう?…みたいなことを考える時に有用なポケット古地図でした。
「東日本大震災」という大きな出来事が起こる前の著作ではあるが、90年代までの日本現代史を概観するのにうってつけの一冊ではないだろうか。 いわゆる編年体の書物ではなく、社会学的な視点から日本(人)の歩みを記している。10年前の著作であるため、最終章のJカルチャー輸出の記述はやや古くなっている。
「あとがき」まで読んで、優れた一書であることを痛感。戦後の事件やイベントを巡る解釈や視点じたいが大変、興味深い。しかし、最後の方になって、だからそれがなに?という疑問がふつふつと沸いてきた中で、あとがきで、ガツンと気合いを入れられた感じがした。歴史の脱構築である。 ・べへいれんのシングルイシュー主...続きを読む義。 ・<未来>を準拠点にして現在を位置づけることは、近代社会の根幹をなす価値意識。これがなくなりつつある。『現代日本人の意識構造」から ・この30年間で地方農村でも社会関係が「都市化」され、全人格的なつきあいは厭われるようになっていった。 ・石原慎太郎による環境行政の後退。 ・六ヶ所村は満州、樺太からの開拓移民が移住した。 ・87年から10年で日本の国土の16%がリゾート開発。 ・神戸の震災は「都市経営」という考え方そのものへの反省を迫っている。収益性の重視、住民福祉の軽視。 ・右傾化と親米の親目。 ・歴史とは、時間的である以前に空間的。単一の通史は存在しない。
すごく面白かった!! 歴史を知ること、社会を知ることってのは、それだけで終わっちゃだめだね。その連続性の延長に、あるいは空間的な社会の形成過程に自分の存在を見なきゃいけない。 メディアの報道では遠隔地の出来事の「同時性」がむしろそれを画面の中のイベントのように見せるけれども、本当に大事なのは、その...続きを読む出来事のどこに自分がいるかを考えることなんだと思うんだよね。 そしてそれは歴史も一緒ですな。この本を読んで、この国、この社会の成り立ちと自分との連続性を少し見れた気がするんですよ。とても勉強になりました。
力あんな、この人。 というのが最初の感想かな。 タイトルは歴史ですが、社会学といってもよい。筆者は社会学者。社会を如何に見ていくかを含めた歴史ですね。 このシリーズは良書に始まりました。シリーズの最後は良書で終わるんでしょうか。期待です。
1970年代後半以降のポスト戦後社会は、それまでに構築されてきた日本近現代の「時間」や「主体」が、自壊していくプロセスだったと言える。 高度成長期からの開発によって日本列島の自然は深刻なダメージを受け、産業の空洞化も進んだ。 また郊外化や核家族化の中で、日本人は内的自我を空洞化させていった。 新自...続きを読む由主義は、豊かさの幻想を打ち砕き、格差社会をまじまじと我々に見せつける。 これらをさらに促進する効果を持ったのが、グローバリゼーションである。 ========== 日本の深刻な有り様から目を逸らすのではなく、それと向き合いながら悲観に陥ることなく希望や展望について思索していきたい。
しばしば見田、大澤などの論を無批判に受け入れ、抽象的な議論を展開しているのは気になるが、同時代を書こうと思えばある程度そうした踏み込みは必要なのかもしれない。基本的には良質な現代史。
'70s以降をポスト戦後と位置づけ、そこに表面化している諸々の問題を敷衍しながら、日本というネイションとしての共同体の解体の進行を仄めかす。 個別に、入れ替わり立ち替わり俎上に上がってくるような直近の社会的問題、例えば公害や凶悪犯罪、開発の失敗等々を、一冊のうちに見取り図的にまとめたとい...続きを読むう点では良書。また、「昭和を知らない」平成生まれ世代が昭和後期を知るための格好の一冊とも言える。とかく、われわれ平成生まれ≒ゆとり世代は「常識知らず」と言われるが、それは昭和のあらゆる重大事を体験していない以上、昭和の「常識」を共有していないのは当たり前なのだ。ゆえにこの本を読んで知っておくのもいいかもしれない。 付け加えれば、この本はまだリーマンショックや9.11、政権交代など21世紀の大事件ににほとんど触れていないし、無論3.11に触れていない。ゆえに、この先はこの本から得られるものと共通しつつもまた大きく違った未来が展望されることだろう。昭和を体験せず、20世紀を忘れつつある我々は、それらをもう一度棚卸しし吟味しなくてはなるまい。いわばこの書はポスト戦後といいつつも、最も新しい歴史への入門書である。
▼戦後は1945年に始まり、1989年は冷戦の終わりだった。確かにそれも一つの歴史認識である。 ▼しかし、いわゆる「失われた時代」は1990年の幕開けとともに始まったのだろうか。答えは否である。少なくともそのきっかけはそれよりも前にあったハズである。それが、本書で言うところのポスト戦後社会、つまり1...続きを読む970年代(後半)に遡るというわけだ。 ▼ちなみに現在GDP世界第2位となった中国だが、その生活水準はと言えば、平均的には70年代の日本程度らしい。この事実をもって「日本もまだまだ」と、傷口を舐めあおうとするのではない。原発、反原発、そしてその補填(ほてん)という議論は盛んにされるが、誰がその分の電力が本当に必要かどうか提起したろうか(つまり、現在の「豊かさ」を捨て「十分に暮らせる」1970年代の生活水準に戻ってもいいのではないかという発想)。 ▼もしかすると、私たち自身が必死に守ろうとしているものは虚構でしかなく、その「始まり」と「終わり」を見つけるためには、歴史を顧みることが一番の良薬なのでなかろうか。たとえそれがどんなに苦くとも。
東京大学大学院情報学環教授・吉見俊哉(社会学)による岩波日本近現代史シリーズの第9巻。 【構成】 はじめに 第1章 左翼の終わり 1 あさま山荘事件と1970年代 2 「運動」する大衆の終わり 3 ベ平連とウーマンリブ、反復帰論 第2章 豊かさの幻影のなかへ 1 高度経済成長の頂点...続きを読むで 2 消費社会と都市の若者たち 3 重厚長大から軽薄短小へ 第3章 家族は溶解したか 1 変容する日本人の意識 2 郊外化と核家族の閉塞 3 虚構の世界へ 第4章 地域開発が遺したもの 1 反公害から環境保護へ 2 地域開発とリゾート開発の結末 3 農村崩壊と地域自治への模索 第5章 「失われた10年」のなかで 1 震災・オウム・バブル崩壊 2 国鉄民営化から郵政民営化へ 3 拡大する格差 第6章 アジアからのポスト戦後史 1 企業の海外進出と産業空洞化 2 「海外」の経験・「日本」の消費 3 「戦後」の問い返しと日米関係 おわりに 岩波の日本近現代史シリーズの第9巻は「ポスト戦後社会」がテーマである。ここまでくると既に歴史学の範疇からは外れ、完全に社会学的アプローチになっている。 実証的な歴史学の手法からすれば、本書のような個別具体的な各論をもって時代の象徴的な事件・現象と位置づけるのは暴論と言っても過言ではない。 本書で抽出される現象が、本当にその時代の表象であり、時流を具象化したものなのかということはかなり疑問であるが、そうでもしなければ分裂症の現代社会を論じることは不可能なのかもしれない。本書の中でとても首肯しがたい言説は数多くあるが、それが社会的潮流であると論じられると、明確に否定しがたい指摘も数多くあるのも事実である。 歴史学の手法からは大きく外れてはいるが、本書の存在そのものが従来の歴史学・政治学的的手法に対する問題提起であるということも受け止めねばならない。本書の末尾において著者は以下のように語っている。 「近代のいずれかの段階で、国民国家や帝国、植民地、資本主義と、諸々の巨大なシス テムが地響きを立てて蠢いていくなかで、たとえば日本史という、連続的な時間性と しての歴史が浮上してきたのだと思う。だから日本史は、その存立の根底にあるある 種の虚構性というか、抽象を抱え込んでいる。日本史を語る者は、その抽象の危うさ に敏感でなければならない。 本書がテーマにしてきたのは、そうして構築されてきた日本近現代の時間や主体が 自壊していく過程である。」
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
シリーズ日本近現代史
新刊情報をお知らせします。
吉見俊哉
フォロー機能について
「岩波新書」の最新刊一覧へ
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
一覧 >>
▲シリーズ日本近現代史 9 ポスト戦後社会 ページトップヘ