吉見俊哉のレビュー一覧
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トランプというある意味で異常な人物が大統領になったということが、著者によればレーガン時代(1980年代)から始まっていた米国の分断化、そしてネットを通してのフェイクニュースが影響を持ち始めていたことの流れの延長線上にある。そのことを理解できた気がする。まともな報道が信じられなくなり、世界に繋がっているはずのネットが実は自分と同様の考え方をする人たちだけに囲まれた「フィルターバブル」に閉ざされた世界であり、その中のニュースが真実であると思い込んでしまう。トランプ自身がそのような中で生きてきたのだと痛感する。ロシアが米大統領選挙に介入したという疑惑に間違いはないことを確信した。これからますますこのようなことが強まっていく中で、第2、第3のトランプが出てくること、また日本もその傾向が強まっていくことは必然だろう。ツイッターに溢れるヘイト・スピーチはそれの予兆だと思われる。かくいう私自身も自分に関心が合う、方向性が合うニュースだけに接していることに気づかされる。
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#大学はもう死んでいる ? #刈谷剛彦 #吉見俊哉 #集英社新書 #読書記録
283ページの新書の中で、日本の大学改革についてから、グローバル人材の定義、日本の大学と知と出版について、日本の大学の成り立ち、難しさ、優位性についてまで、幅広く語られる。
最後は、それまで端端で語られてきたように、オプティミズム。
語られる中で、自分の仕事に結びつけて、考える。それは、大学改革というテーマに関わらず、人の生き方や、考え方や、動き方について。
これが、いわゆる知なのだろうと、文系の学問の意味のものすごい狭ーいけれど、発展的なものなのだろうとも思う。
脳に汗が出るほど考える、思考する日々を、学ぶということを、したい、と思いもする。 -
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ネタバレ「文系は役に立たないからいらない」「文系は役に立たないけれども価値がある」という議論を批判している。「文系は必ず役に立つ」らしい。「価値の軸を創造する力」「既存の価値を相対する力」が文系の知にはあるようだ。
私は文系人間だが、べつに価値がなくてもいいし、役に立たなくてもいいと思っている。でも、下り坂の日本でこれからの時代を生きていく子どもたちが今までと同じ感覚で安易に文系を選択することはあまりよいことだとは思えない。
いろいろな考え方があると思うが、大学に関する議論はそこに勤める人間の食い扶持ではなくて日本の将来や学生のことを第一に考えてほしい。 -
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理系と文系の「役に立つ」の違いは分かったが、じゃあ文系が理系のように稼ぐには(キャリアを作るには)どうしたら?たしかに理系の研究するなら若い方がいいのかもしれないが、最初に理系を学んで、社会人経験積んでから文系、というのがなんだかな。周りにも大学生(18~20歳に入学した、一般的な意味の)の時には文系だったけど、看護学校入り直したり会社で勉強してSEなってる文→理の進路を行く人も存在する。文系でも「短期的に」役に立てることがないとなかなか就職が厳しいのだよ。神の役に立つ、地球社会の未来に役に立つ、立派なお題目だけど、まず自分が自立できるだけの金を稼ぐのに役に立つ学問を学びたい。
でも、「経済成長や新成長戦略といった自明化している目的と価値を疑い、そういった自明性から飛び出す視点がなければ、新しい創造性が出てこない」には納得。常識を疑う訓練をする、ことが大学進学を決めた大きな理由だったから。
理系…目的が既に設定されていて、その目的を実現するために最も優れた方法を見つけていく目的遂行型、短期的に答えを出すことを求められる
文系…「役に立つ」ための価値や目的自体を想像する価値創造型、長期的に変化する多元的な価値の尺度を視野に入れる
18歳~20歳、30代前半、定年後60代で大学で学ぶ。理想的だけど、先立つものが・・・とくに30代前半なんて、4年も行くのはかなりの時間的ロスな気も。仕事はブランクなるし、子育てとかぶると大分厳しい。大学1,2回生のような大人数一方講義だとビデオやオンラインでいいわ。課題や同級生との交流があるからその場に言って学ぶ意味があるのであって。
<参考文献>
・マックス・ウェーバー『プロ倫』『職業としての学問』
・坂口安吾『堕落論・日本文化私観』
・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』 -
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<目次>
第1章 「文系学部廃止」という衝撃
第2章 文系は、役に立つ
第3章 二十一世紀の宮本武蔵
第4章 人生で三回、大学に入る
終章 普遍性・有用性・遊戯性
<内容>
タイトルと内容はちょっと違って、文系学部が中心だが、大学そのものの生き残り策を提案している本。日本の社会がやや末期的状況の中、その一つが大学教育だ。定員割れの大学・学部が多くなり、とんでもないレベルの大学生(我々の時と比較して)が多くみられ、だからなのか卒業後の就職もおぼつかいない。策は、授業改革(私の嫌いなアクティブ・ラーニングを含めて=私は嫌いだが、大学教育には必要だと思う、や教養課程の再構築)・入試改革(入りやすく)・就職改革(卒業しにくく)。さらに一斉入学から就活、終身雇用にもメスを入れ、就職後、30歳くらいで再度、60歳過ぎでもう一度、大学で学び直すことを提案している。
文系は即効性のある「知」ではないが、絶対役に立つ、という言もとっても賛成である。 -
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本書の内容を大きく分けると前半の文系学部廃止議論をトレースした第1・2章と、後半の文系以外の大学全般に対する考察をまとめた第3・4・終章がある。前半はあとがきにあるように、既に雑誌で公表済みのものでその意味では新規性に欠ける。出版社からは、予約購入前にこの点について説明があるとよかった。この点についてはあとがきに控えめに言及があった。同著者の前作からの接続を考慮すれば、第3章から読み始めるとスムーズだろう。逆に言えば、第2章と第3章の連関が十分といえず、それらの間にもう1章あると読みやすいと感じた。新書なので許容範囲とは思うが。
前著でも力説していたように、本書でも「国民国家」と大学の関係で、その成り立ちと今日の存在意義を確かめている。グローバル化時代の今日の社会に在る大学を、種々の視点で表現し形作ろうとしている姿勢がこの本からもうかがえる。以下にいくつか引用したインパクトを与えるジャーナリスティックな記述は、読者を一種の急迫した気持ちにさせる。結果的に読み手に問題意識を植え付けることに成功している。
ただ、全ての提案に実現可能性があるのではない印象を持った。例えば、「学年の壁」を低くしたら、著者も引用している「学校基本調査」の各種調査ではどのように人数をカウントするかとか、カリキュラムの構造化は科目の履修順序性だけで担保できるか、といった素朴な疑問が湧いてくる。また「宮本武蔵を育成する現場」(p.169)としての授業を改革する処方箋では、教員数の減には触れず、科目数減を示している。「科目編成の少数精鋭」(同)という科目の統廃合は、教員の少数精鋭と表裏一体であり、私学はまだしも、はたして国立大学において、そうした文字どおり身を切るような痛みを味わうような施策を実施できるのだろうか。しかし、一たび国立大学がこうした改革を実行すれば、教育の質は向上し、私学と国立大学の教育内容の格差の拡大はさらに開くことも頭によぎった。
最後に、文系学部において”全て”の学生が、著者が述べる「論文を書くこと」と「ゼミ」に取り組むことができる大学は、日本でいくつあるのだろうかと思った。これらが「文系の学びの根幹」(p.222)だとすると、その根幹が存在しない大学や学部は決して少なくない。その理由は複数あるが、やりたくてもやれない私立大学もあるだろう。第3章以降、節々で一般的な大学論を展開しているように読めてしまったが、本書における「大学」の表記は、全体を通じて「国立大学」と読み替えたほうが理解しやすいだろう。そういえば、そもそも今般の通知は国立大学法人対象だったこともある。 -
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中世ヨーロッパを起源とする大学の歴史をコンパクトに解説.全4章構成で前半2章がヨーロッパ,後半2章が日本の大学を取り上げる.
具体的には1章が中世ヨーロッパの古典的大学モデルを提示し.2章が近代ドイツを舞台として,フンボルト理念とそれに基づく近代型大学の誕生を描く.
一転して3章では明治維新により近代化を目指す帝国日本が,当時先進国であったヨーロッパからいかにして学術体系,いいかえると知を輸入しようとしたのかを,帝国大学の誕生から叙述する.4章では敗戦によって崩壊した帝国日本がいかにして新生民主国家として再生するのかを,その一方で大学が戦前からの連続性を維持し,結果60年代末の大学紛争において事実上の解体を迫られていたことを指摘する. -
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中世の大学の起こりから、現在に至るまで、大学の歴史を知るには情報がコンパクトにまとまっていて良かったです。天皇の大学、「天皇のまなざしと国民の知性が遭遇する場所」としての帝国大学の「帝国」が、明治初年岩倉使節団が日本に招聘した学監が日本のことをエンパイアを読んだことがきっかけでそれを文部省が「帝国」と訳して定着してきたという話にはへえと思いました。グローバル人材育成の文科省のかけ声が大きくなる以前の出版ですが、今日的な人類の課題(環境、エネルギー、貧困…)が、国境を越えた課題であるがゆえに、国民国家と一体の大学からこれらの課題解決に貢献する大学へ変わる必要がある指摘を覚えておきたいと思います。おわりににある「大学とは、メディアである。」のとおり、大学とは何かと問いは、その時代と課題と大学の持つ実験の場において出てきたものにより答えが変っていくものなのかなと思いました。